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第72話 暴発

「い……ど……」


 何かが聞こえた。

 かすれた虫の鳴き声のような音。


 目の前の男か。

 いや、そうじゃない。

 もっとかすれた、消え入りそうなうめき声。


「どうかしたのか?」


 やっぱり違う。この男じゃない。

 左右を見回し探す。


「いり……す、どの」


 はっきり聞こえた。声の咆哮も分かった。

 けど何がしゃべったのかは分からない。


 最初は布が落ちてるのだと思った。

 けど違った。

 布だと思ったのは、ボロ雑巾みたいになった黒衣。元々も十分にボロかったけど、それに輪をかけてひどい有様になっている。


 それは1人の人間。

 風魔小太郎と呼ばれていた人間が転がっていた。


 そういえばタヒラ姉さんと一緒に戻ってくると言っていたのを思い出した。その処遇を決めるのが今日の会議の要点で、そのために僕が呼ばれたのだとも。


 それこそが今日の重要な論点だったのに、自堕落で馬鹿で無能でお飾りでパリピでナンパでチャラ男でハラスメント案件の男のせいで棚上げになっていた。


 それにしてもなんでこんなボロボロになってるんだ。いったい小太郎に何が。

 それを教えてくれたのも、今や話題の案件男だ。


「ああ。敵国からのスパイだと聞いたからな。ちょっと余興って感じで、ビシッとむち打ちの刑にしたよ。50発まで耐えたが、それ以降は反応がなくてつまらなかったから、そこに捨て置いた。いやー、あれもそなたと一緒なら、もっと楽しめたのにな。イリスよ、なぜもうちょっと早く来なかったのだ! が、まぁいい。“そんなことより”我々の今後を決める方が先だな?」


 言いながらワインを片手にケタケタ笑うテベリス。


 あぁ、なるほど。

 こいつはもうだめだ。腐ってる。終わりきっている。男として、人間として、生命として。


 だからここで終わらそう。

 こんなやつがトップでいる限り、イース国は滅亡に一直線だ。何ら益はない。だからここでこいつを半殺しにして、追放して、そのままインジュインも追い払って、父さんが太守をやればいい。そうすればこの国は安全だ。


 だから――


「ん、どうした? そんな顔して。ふふ、美しいぞ。美の中にある一滴の赤。素晴らしい! ますますそなたが欲しくなった! 今宵、わがものとなるのだ、イリス!」


「お前」


 どうしてそんなことが言える?

 どうしてそんな考えができる?

 どうしてそこまで人でなしになれる?


 正す。

 間違いを。

 それで解決だ。


 だから大きく右手を振りかぶって、スキル『軍神』が発動して、その右手をこの男の顔面にぶち込もうとして――


『イリス!』


 声が聞こえた、気がした。

 本当はガリっという何かが砕けた音だった。


 けど聞こえた。僕の、イリスの名前が呼ばれた。


 タヒラ姉さんの声で。


 ちらと見れば、彼女はまだぎゅっと腕を握って耐えている。目をつむって耐えている。

 それなのに僕が暴発してしまったら。いくら許せないことだとしても、この馬鹿を傷つけてしまったら。


 すべては終わる。

 これからやろうとすることもできなくなり、来年の半ばに、何もできることなく寿命で死ぬ。


 それは、ダメだ。

 僕だけのためじゃない。この国に生きる、まだ短いながらも深い関係を持ってしまった人たち。それらに滅亡という辛い現実を押し付けてしまう。


 だから耐えろ。

 ここは、耐えろ。


 耐えて耐えて耐えて耐え続けて、その時を待つんだ。

 いざとなった時に躊躇しないように。


 けど振り上げたこぶし。それをあげたままにするのは良くない。

 少なくとも、ここで1つは振り下ろすべきだ。


 だからそれをした。


 破砕音。そして悲鳴。男の。情けない。


「た、太守様!?」


 周囲が騒然となる。ついにやった、と思ったものもいるだろう。


「ひっ……ひっ!?」


 テベリスが半壊したソファにもたれるようにして床に突っ伏している。

 怪我は、ない。


 その代わりに壊れたソファが、がらりと地面に崩れた。

 一瞬の静寂。そして、


「貴様! 太守様に対して手を挙げたな! 何たる不忠! グーシィン殿、これは重く処罰されるべきですぞ!」


 会議に出ていた1人が、鬼の首を取ったようにこちらの罪をあげつらう。インジュイン派の人間だろう。

 父さんは苦虫を嚙み潰したような渋い顔をしている。


 父さんも甘い。

 こんなのは口先三寸と脅しでどうとでもなるだろうに。


 ぎゃーぎゃー喚く男に、僕は声高々に反論する。


「失礼。太守様を狙う、不届きな害虫がいたので、駆除しました」


「何を言う。そんなものいるわけが――」


「いたんですよ。そうですよね、太守様」


 できるだけ感情を交えないように、冷酷な視線になるように、テベリスを見下ろす。

 そのテベリスは、完全に度を失っているようで、


「そ、そそそ……そうだな。た、大義であったぞ」


「このソファ。壊れていたようですね。ちょっと押しただけで壊れてしまいました。そうですよね、太守様?」


「そ、そそそ、そうだな!? 安物だな、これは」


 言いながら、赤べこみたいに何度も首を縦に振るテベリス。

 見れば下腹部が、何やら染みになっている。それが何か。あまり考えたくないが、利用できるものは利用するしかない。


「ええい、太守様! そのような立場をわきまえないガキに屈してはなりません! 今こそグーシィンの非を鳴らし、君側くんそくかんを除くのです! そうでありましょう、インジュイン殿!」


 喚く男に急に振られたインジュインは難しい顔をして黙っている。

 何を考えているのか、測っているのか、あるいは待っているのか。どうでもいい。


 なぜならこの太守様には今すぐに退場してもらうのだから。


「インジュインさん」


「なんだ」


「太守様はお疲れのようです。別室にて“お着替え”をなさってお休みになられるのが良いと思いますけど?」


「……なに」


 いぶかしげな表情でこちらを見るインジュイン。だが僕の言葉をすぐに理解すると、顔を引きつらせて、


「太守様をお部屋にお連れしろ、早く!」


 側近に命じて太守を下がらせる。

 そりゃそうだ。太守という国のトップが、公衆の面前でお漏らしをしたなんて恥どころの騒ぎじゃない。


 そんなこんなで、会議は一時中断された。僕に対する処分も結果としてはうやむやになった。


 ほぅっと一息。

 色んなしがらみから解放された気分だ。


 広間を見下ろしてみると、父さんは感情のジェットコースターに乗せられたせいか茫然としているし、ヨルス兄さんは胃痛でもするのか、お腹のあたりをさすっている。

 そしてタヒラ姉さんは、


「にっ」


 こちらに向かって会心の笑みを浮かべ、右手で拳を作ってガッツポーズ。

 僕も照れ笑いしながらガッツポーズを返した。


 っと、それともう1人。


「小太郎、大丈夫か」


 広間の端で、ぼろきれのように捨てられた小太郎に近づいてさすってみる。


「うっ……いりす、殿」


「あんま喋らないで。とにかく医者に見せよう」


 全身が傷だらけで、生きているのが不思議なくらいだ。

 早く医者に見せないと手遅れになりそうだ。だから小太郎の体を引き起こそうとすると、


「手伝うわ」


 そこにタヒラ姉さんが来て、左右の肩を担いで一緒に小太郎を引き起こす。

 そのまま広間を出ようとして、


「小娘ども、そこで何をしている!?」


 先ほどの男だ。

 騒ぎがひと段落したところ、僕らの行動に目が行ったのだろう。


「その者は、他国のスパイだというではないか! 処分は太守様がなされた、手を出すことは許されんぞ!」


 この爺。

 何から何まで僕らに難癖付けるその態度が、とてつもなく鼻につく。


「その者の処分はまだ正式には行われていないのだぞ」


 今度こそは父さんが間に入って男に反論する。


「太守様がすでに判断された。むち打ち。それすなわち罪人ということ!」


 男が狂ったようにわめく。

 それに対し、インジュインは相変わらず黙ったままだ。同意見ということか、あるいはこの男を使って代弁させようとしているのか。そのやり方が気にくわない。


「疑わしいなどどうでもいいのだ。他国のスパイを排除する。それがこの国の栄える道だと心得よ!」


「違う!」


 叫んでいた。


 その短絡的な思想に、僕らに逆張りすることこそ本義のように語る男に、カタリアにも及ばない確固たる自分のなさに。断固として否をつきつける。


「国の根幹は人です。それをないがしろにする国に、未来はない」


「貴様、太守様を愚弄する気か! 何も考えないさえずるだけの害鳥が!」


 顔を真っ赤にして男が怒鳴る。

 その相手を見て、逆に僕は冷静になる。

 しっかりと、反論の理路が頭の中で組み上がっていく。


「愚弄してるのはそっちでしょう? 太守様が大事なら、それを守るべき人材を見過ごし、あまつさえ仲間割れして人材を放逐するような真似するはずがない。太守様を潰そうとしているとしか思えない」


 たとえば、各パラメータが最大10の武将が10人いるけど、兵力が10万の国があったとする。

 それに対し各パラメータが90あるけど3人しかいなく、さらに兵力が1万の国があったとする。


 どっちが強いか。

 間違いない、後者だ。


 統率10なんて木の棒と布の服を装備したレベル1雑魚勇者だし、知力10なんて計略かけ放題の絶好のカモ。

 対するこちらの統率と武力が90なら、10倍の兵力があろうが鎧袖一触だし、相手は政治も低いこともあり、国力の回復が圧倒的に遅い。


 そんな状態で前者の国が勝とうとするなら、少しでもパラメータの高い武将を獲得して量で勝てる状況を作り出すのが先決。


 今はそれと同じ。国力で最も劣っていて、総大将が雑魚で、多少の優秀な武将はいるけど圧倒的に弱いこのイース国が勝とうというなら、少しでも優秀な人材を確保すべきだ。


 なのにその人材を総大将の気まぐれで叩きのめし、ナンバーツー同士で内輪もめしているこの有様。周辺国に滅ぼしてくださいと言っているようなものだ。


「き、貴様……よくもぬけぬけと。アカシャ王国建国の重臣イグナウス家を愚弄し、その覇業を支えたインジュイン家も愚弄するか! おしめの取れない小娘が! 恥を知れ!」


「血が何だっていうのさ。血が絶対神聖なら、イース国はここまで弱体化することはなかった」


 血統ですべてが決まるのなら、これまでの歴史で滅びなかった国はないはずだ。

 だから論破できる。軍師の力を借りずとも、それくらいの論陣は社会で学んだ。


「ぐ、ぐぐ……」


「そもそも――」


「イリス、もういい」


 さらに言い募ろうとしたのを止めたのは、ヨルス兄さんだった。

 父さんかタヒラ姉さんだと思ったからそれは意外だった。


 そしてヨルス兄さんは流れるように反論を始めた。


「太守様も退出なされた以上、この者の裁きは終わったということでしょう。死罪ではなくむち打ちで終わりということは、これ以上の刑罰の余地はないかと思いますが。いかがです? それ以上に我々は今後のことを考えなければならないのではないでしょうか。イース国が分裂して以来、初めての他国の領土です。これをいかにまとめあげるか、そしてその後の対応をどうしていくかを決めるのが先決ではないでしょうか」


 ヨルス兄さんは僕と対する男に対して、というよりその後ろにいるインジュインに投げかけているようだ。

 誰もがこの場をグーシィン家とインジュイン家の代理論争だということは分かったうえでのこの小芝居。政治ってこんなめんどくさいんだな。


「う、うむ……」


 問われた男は決まりが悪そうに何度か咳払いしながら、インジュインの方をちらちらと見る。

 インジュインはしばらく黙っていたが、ようやくその重苦しい口を開いた。


「その通りである。今は新しく手に入れた領土をどうするかを話し合う場。すでにかの者への尋問は済んだ」


「では彼は釈放しても?」


「よいだろう。そちらに問題がなければだが」


「もちろんございませんとも」


 ヨルス兄さんが丁寧にお辞儀をする。

 けどこの対話。会話だけ聞くと友好な関係に思えなくもないが、実は裏ではバチバチにけん制し合っているのが分かる。


 そのうえで小太郎の放免ほうめんを勝ち取ったのだ。

 ヨルス兄さん、やるな。


「ああ、そうそう。そこのあなた」


 と、ヨルス兄さんは今まで怒鳴り散らしていた男に視線を戻す。

 もうこの場でのやり取りは終わったと思っていた男は、不審そうにヨルス兄さんを見返す。


「先ほど、我が妹をこうお呼びになりましたね。立場をわきまえないガキ、さえずるだけの害鳥、おしめの取れない小娘。それがかのイグナウス家を支えるインジュインに連なる者の発した言葉なのでしょうか? きわめて低俗で品性のかけらのない、あまりに愚劣な言い分に聞こえますが?」


「そ、それは……」


 僕の前にいるヨルス兄さんの顔は見えない。

 けど、その口調は、その詰問は、明らかに怒気をはらんでいるように見えて、顔が見えないことが逆に恐怖だ。

 それを直に見ている、糾弾されている相手の男は、どんどんと顔面蒼白となる。


「しかもそれを言い募ったのは、イグナウス家を支えるグーシィン家の子に対して。イリスはまだ幼いが、ここにいるということはもうイグナウス家を支える家臣と言っても過言ではないでしょう。それを愚弄するということは、すなわち、イグナウス家を愚弄するのと同じことではないでしょうか?」


 語感は丁寧に、声を荒げることも早くなることもなく、ただ淡々と朗読するような詰問。

 だがそれを受ける相手は、口をパクパクさせるだけで、完全に気圧されていた。


「いかがでしょうか、インジュイン殿?」


 そこでヨルス兄さんはインジュインに話を振った。

 あなたの部下のしつけがなっていないんじゃないか、と遠回しに言い放って見せたのだ。


 だが相手もさるもの。

 ここで無様な狼狽は見せず、ただ小さくため息をつくと、


「はなはだ不快である」


「し、失礼いたしました」


 男が平謝りに頭を下げた。親玉であるインジュインに見切りをつけられたら困るのだろう。

 思えばこの男も、おそらくはインジュインの意を受けて僕に突っかかって来たに違いない。それがこうも見捨てられるとは思ってもみなかったはず。

 なんてトカゲのしっぽきりを実際に体験した自分が感じていた。


「私に謝る必要はありません。ここでの被害者は我が愚妹なのですから」


「も、申し訳、ない。イリス、殿」


 嫌々という感情が張り付いて歪んだ表情で、男は僕に小さく頭を下げた。

 僕としてはこれ以上場を乱す必要もないので、返答に小さくうなずいた。


「いや、これでお互いわだかまりもなく。めでたしめでたし、ですね」


 そう朗らかに言い放って、くるりと振り返ったヨルス兄さんは小さくウィンクする。

 僕のために色々と手を折ってくれたわけだけど……。


 頼もしい。が、ちょっと怖い。


 それがその時のヨルス兄さんの感想だった。

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