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挿話58 上杉謙信(エティン国将軍)

 何か切羽詰まるような感覚がした。


 それはようやく戦場――馬車が転がり、その少し離れた位置で殺し合いをしている連中を見て間に合ったと感じたと同時に思ったことだ。


 多分何かが間に合わない。

 だからそのまま敵の中に入っていった。


 それについてこられるのは数騎だけだが、構わなかった。今は速度、時間が何より大事だ。


 そして見つけた。

 背中を見せたイリス。その奥。剣をイリスに向けた男。

 あれが白起か。ずいぶん華奢だ。だがそこから放たれる殺意はこの我をも肌を震わすほどに強い。


 面白い。


 やはりこの男に狙いを絞った甲斐があった。


 だがそれにしてもイリスは何をしている。

 白起の剣を、何をするわけでもなくただ漫然と受けようとしているではないか。このままだとイリスは死ぬ。


「ごめん――」


 その言葉に眉をしかめた。

 何を言っている。何を諦めている。


 所詮は軍神のまがい物か。


 わずかな失望を感じつつも、それとどこかの違和を感じる。


 あのエティンの平原で出会った時の彼女。それと気配が全くことなる。ただの少女ではないか。

 それが白起に打ち負かされた挫折から来るのか、あるいは別の理由から来るのかはわからない。


 ただそれだけで謝る、彼女に正直腹が立った。


 だから加速した。

 加速して、イリスを刺し殺そうとする白起の剣を砕いた。


「軍神が謝るな」


 そして白起の首を狙う。

 だが不利を知ると動きは速かった。


 馬を返すと、距離を取られる。そして周囲の敵に紛れた。

 あの中に入るのはさすがに厳しい。そう感じたから、手近にいた敵を斬っていた。


「軍神が謝る時、それはこの世から戦がなくなる時だ」


 そうイリスに言い聞かせる。

 別に理由があってのことじゃない。なんとなくで意味はない。

 ただ彼女が軍神を名乗るなら、謝るなと言いたかっただけだ。そうすれば軍神と呼ばれた我にも傷がつく。それだけの理由だったと思う。


「上杉、さん……」


「ケンちゃん、イリリを助けてくれたのはありがたいけど」


「どいていろ」


 やはりおかしい。今のイリスからは、昨夜までのみなぎる力が抜けている。

 何かあったのか。いや、どうでもいい。


 ここで白起を殺せばすべてが終わる。


 天に左手を掲げる。

 それは祈り。だが祈りは祈り。それによって戦場の生死が決まるわけではない。


「運は天に、鎧は胸に、手柄は足にあり……自らに運を定めるべし」


 戦など所詮は人のすること。そこに運不運はあれど、それが全てではない。全てであってたまるものか。

 勝ちは自らの手で勝ち取るものであり、そうでなければ勝敗など賭博で決めればいいのだ。


 なのに自ら血を流し、命を奪い、侵略するのはなぜか。


 それは人が人であるから。

 そしてそこから逃れられないからだ。


 だから我は駆ける。

 ただ独りであろうと。敵が誰であろうと。


 そしてこの異能。


多聞帝釈宝鉾たもんたいしゃくほうぼう夜叉やしゃ―」


 左手に槍が顕現した。

 放てば必中。毘沙門天の槍。我が足。


 これをもってこの戦場の帰趨を決める。


「っ!!」


 投げた。


 槍が一直線に白起に飛ぶ。

 それを防ごうと兵が槍を払おうとするが甘い。槍に振れた剣が砕け、その兵の胸のど真ん中に槍が突き刺さる。


 それだけでは終わらない。

 槍は兵の体を突き抜け、その背後にいた兵すらも貫く。


 白起が咄嗟に逃げようとするも、それを追うように槍が自動で矛先を白起に向ける。


 不防不避ふせげずさけれずの槍。

 神の遣わせた我が力。


 それがすなわち。

 敵総大将に向かって伸び――



 パァン



 砕けた。


 白起のかざした手。

 そのわずか数センチの距離で、神より遣わせられた槍が粉々に砕けた。


 何が起こったか一瞬分からなかった。


 だが自分の中でも何か変化が起きたと感じた。


 力が抜ける。

 その感覚。


 もう一度、多聞帝釈宝鉾たもんたいしゃくほうぼうを呼び出そうとするも、その気配はない。いや、“どうやってあの神の槍を呼べばよいのか”使い方を忘れてしまったような感覚。

 あるいはと思ったが、必中の槍『夜叉』だけではなくこの身に神を宿す『羅刹らせつ』の力も失われているようだ。


「上杉さん! あれが白起のスキルだ! こちらのスキルを無効化する! だからスキルじゃ勝てない!」


 スキル? 異能か。

 なるほど。そういえばそんなことを誰かが言ってたような気がする。あまり重要でないから聞き流していた。

 となるともう多聞帝釈宝鉾たもんたいしゃくほうぼうは使えないということか。それはそれは。



「それがどうした」



 異能など所詮はそこにあるだけの武器の一種。それが失われたことによって、刀が一本折れたくらいの価値でしかない。

 鎧は胸に。手柄は足にあり。


 己の鍛え上げた武技。異能を封じられるだけで、それは失われないのだろう。

 それが失われない限り、負けではない。


 だから行く。

 誰が来ようと。1人だろうと。


「白起、その首、もらい受ける!」


 敵に迫り、一振りで2人を斬り捨てた。


 白起まであと4人。


 視線は白起に固定されている。逃がさない。

 白起にどこか感情が見えた。焦り。困惑。40万を殺した男には似合わない感情だ。その感情ごと、首を飛ばして飾ってやろう。


「全軍、退け!」


「逃すか!」


 この期に及んで逃げるか!


 戦っていた敵全軍が、戦闘を解きくるりと尻を向けて逃げ出す。

 罠の匂い。ふん。問題ない。


 追った。その過程で2,3人を斬り落とした。


 白起。遅い。いや、こちらが速い。追いつく。


 と、白起が手を挙げた。


 それによって左右に別れた敵がこちらを挟み込むようにして迫る。

 完全に狙い撃たれた。

 だが分かっているのか。加速して抜ければお前を守る兵は少ない。だからここがお前の死に場――


「上杉さん、無茶だって!」


 と、左右から来る敵が別の兵とぶつかった。


 見ればイリスとタヒラ。そして我が部下たちが左右の敵を蹴散らしていく。


「ケンちゃん、これ貸しだからね!」


「余計なことを。貸しにすらならん」


「にゃにおぉ!」


 ふっ。内心笑みをこぼす。

 タヒラというのは小気味いいから少しからかいたくなる。


「っ!」


 と何かを感じた。前。敵。白起。白起がこちらに向いて矢を弓につがえて――


 衝撃が来た。

 熱い。左肩。続いて痛みが来た。第二射を警戒して馬の背に体を預ける。

 ギリギリ落馬は逃れたが、これ以上の追撃は無理だった。


「上杉さん!」


「ケンちゃん!」


「無事だ。これくらい大事ない」


「ん……ま、そうね。けどケンちゃん。これ以上は無理よ」


「ああ」


 去っていく白起の影。その向こうには森、そしてローカーク門がある。白起ならあの森に兵を伏せるくらいはする。そして少し手こずれば、ローカーク門から敵が出てこちらが窮地に陥る。

 まだ命の捨て所ではないが、大魚を逃したか。


 ヒュゥゥゥゥゥ


 白起の兵が空に向かって弓を放つ。その弓は音を鳴らしながら空高く舞い上がった。鏑矢かぶらやか。撤退の合図だろう。

 大陸に鏑矢があったとは聞かない。おそらく為朝の入れ知恵か。


 しかし、なんだあれは。


「白起が胡服騎射こふくきしゃだと。悪い冗談だ」


 大陸では純粋なる騎馬隊は趙の武霊王ぶれいおうまで存在しなかったとか。その武霊王が胡服騎射こふくきしゃとして、兵を馬に乗せて弓を射ったという。

 とほぼ同時期の白起がそれを行ったというのも、ましてや長平ちょうへいで趙人を殺戮した当人がというのも符合しすぎている。


「そうか、胡服騎射こふくきしゃって白起よりちょっと前か。確かに悪い冗談だ」


 イリスはこちらの歴史にも詳しいらしい。奇妙なことだが、それもまた悪くない。


 とにかく白起の全てを終わらす必殺の一手はついえた。


 あとは他の戦局だが。張遼は無事だろうか。


 なんとなしにそう思った。

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