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挿話56 関羽(トンカイ国将軍)

 敵の動きが怪しい。そう思った時には、完全に出遅れていた。


「くっ、あの軍を追うぞ!」


「はい、義父上!」


 小松が応える。


 その顔に若干の気負いがあると見た。

 昨日の戦い。あの巴という敵にうまくいなされたのが響いて消沈しているのか。


 私が上手く助力できればよかったが、そこは覇王。あの項羽の前ではそう簡単にはいかなかった。

 伝説に聞こえる力。その半分も出してはいないのではないか。そう思えるほどに、あの男は計り知れない。


 だからこそ。今日ここで叩き斬る。そのつもりで来たわけだが。

 完全に後手に回ってしまった。


 それは隣のスキピオ殿も同じようで、今頃歯噛みして同じように敵を後ろから追うしかないはずだ。


 だがそれは相手も想定していたことだろう。

 敵の本陣が隣のスキピオ殿に、そして項羽の軍の後衛が切り離され、反転してこちらに向かってきた。


 だがその先頭を駆けるのは、人間ではない。


「牛!?」


 こんな大量の牛。どこにいたのか。いや、違う。これは――


「義父上! これがイリスの言っていた!」


「巴という者の異能か!」


 暴れ牛に真正面から立ち向かうのは無謀。数が多ければ多いほど、混乱を招き軍が崩壊する。

 だからここは軍を割ってでも牛を通し、それから敵を叩くべき。だがそれでこちらの動きが乱れるのは確か。そこを相手に突かれればこちらは一気に劣勢になる。


 だがその迷いを打ち破ったのは小松だ。


「義父上、軍を割りましょう。そして、ここは小松にお任せください」


「しかし」


「巴は私が必ず倒します。ですから義父上は、味方の救援を!」


 なんということだ。気負いがあるとか消沈しているとか。そんなことはありもしない。勝手にそう判断して、心配してみればこれだ。

 やはり私には子育ては難しいのかもしれない。兵を安んじることはできても、娘の気持ちを察することすらできていなかったのだから。


 いや、そもそも小松を育てた実の父親が偉大だったのか。一度会ってみたいものだ。そう思ったが、この世界にいなければ不可能だろう。彼女とは1千年という長い月日のへだたりがあるのだから。


 しかし、そうだとしても。

 この娘の成長には、仮の父としても、胸が熱くなってしまうのであって。


 逆に、ここで申し出を断ることこそ、娘の成長を妨げてしまうのではないか。そう思えば、何より戦局の合理としても彼女の提案は正しい。


「……分かった。無茶はするな」


「義父上こそ」


 そう言って柔らかに笑う小松。うむ。この子は大丈夫だろう。たとえ何があっても。前を向いて生きていける。


 だからこそ軍を2つに割った。

 自分につく3千5百と小松の3千。相手より数は少ないのが気になるが、それ以上の増加は彼女は受け取らないだろう。


 2つに割った軍の間を牛の大軍が通り抜けていく。

 そして思った通り、敵は分れて乱れたこちらを狙ってきた。


 だが相手は失敗した。

 こちらは分けられたのではない。分かれたのだ。そして敵がそこを狙うのは百も承知。

 だから敵が来ようが迎撃の心構えはできている。


「この関雲長の刃を受けるか!」


 叫び、青龍偃月刀をきらめかせる。

 敵の雑兵が吹き飛ぶように


 敵。敵も分かれていた。こちらが牛に踏みつぶされるか、ギリギリ避けたとしても混乱しているかのどちらかと考えたのだろう。浅はかなり。このような児戯で関雲長が討てるものか。


 だから敵の半分。それに真っ向から突っ込んだ。

 どうやらこちらに巴はいないらしい。ならばあとは小松に全てを任せるしかない。


 だがせめてもの手向けとして、こちらの半分は徹底的に潰す。そのうえで項羽を追う。

 それが旅立つ娘に対する餞別だ。


 敵を一文字に切り裂いた。そのまま戦場を縦断する。

 隣にも同じように走る軍勢がいた。旗からしてキタカ軍。どうやらあちらも軍を割ったらしい。

 走る中でこちらに近づいてくるのは、小柄な少女。確か誾千代といったか。


「関羽殿」


「誾千代殿か。貴軍も軍を分けたか」


「ええ。申し訳ない。うちの軍師の不始末です」


「いや、スキピオ殿のせいではあるまい」


「だとしても、それを全て考えるのが軍師。ゆえに汚名返上のために完勝の手を打つと言っております」


「そうか。軍師とはそういうものか」


 思えばあの水殿(諸葛孔明)も全てを抱え込むような儚さがあった。

 戦場は流動的。その全てを見通すなど神になるしかないだろうに。


 そうこうしているうちに敵を完全に捉えた。まだツァン軍と戦っている。その最後尾。


「私が雷神で道を開きます。先行させていただいても?」


 雷神という異能か。確か雷を呼ぶと説明を受けていた。

 その光と衝撃は、自分や赤兎は耐えられても、麾下が耐えられるかは分からない。だから先を譲るのはやぶさかではない。


「うむ。では頼む」


「はい!」


 元気のよい返事だ。小松といい、イリスといいあのタヒラという者といい。

 それは好ましいものと自分の眼には映った。


 誾千代の軍が先行する。

 それと交差するように、外側に出る。


 直後、右手に光が落ちた。雷神。敵が乱れるのが分かる。誾千代の軍が敵の後方になだれ込んだ。こちらもそれに続く――


 その刹那だ。


「文遠?」


 この感じ。(張遼)文遠か?

 確か大外でキタカ軍を率いているはずだが……まさか。


 それは予感。

 どうしようもなく胸を突く悪寒。


 誾千代の軍は……悪くない。そしてツァンの軍も踏ん張っている。そしておそらく上杉殿の隊も動くはず。

 そうなれば自分が行っても場はさらに混沌とするだけ。それは避けるべきだ。

 ならば項羽は任せるしかない。


 自分は戦場の外側を回るようにして、敵の左翼――文遠を攻める部隊の後方から食らいついた。


 おそらくその先にいるであろう、あの男。

 いつか再び矛を交わす。そう予感していたあの男との対決を目指して。


 赤兎は行く。

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