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第71話 太守といっしょ

 謎の暗殺者の襲撃を受けてから明後日。

 僕は政庁に呼ばれた。


 あの暗殺者については、父さんたちには伝えていない。

 どうせ馬鹿みたいに目いっぱい心配するだろうし、そうなったら外出もできなくなるだろう。

 それに小太郎のことを話さなければいけなくなる。


 それはごめんだった。


 だから何も言わず、ちょっと驚いたという言い訳にもならない言い訳を父さんに言うと、


『うんうん、イリスは暗闇が怖かったんだな。はっは、良く育ったと思ったがまだ子供で安心したぞ』


 そこまで子供じゃない、と言い返したかったけど無意味なのでやめた。


 翌日は家から一歩も出ず、落ちた体力を取り戻すために安静にして、今日。

 家の前につけられた馬車に乗って政庁を目指す。


 この世界にきてもう1か月近く。

 馬車での移動も、少しは慣れてなんとなく板についてきた気がする。


 とはいえそれはここでの生活様式や、こういった移動手段に限った話で、まだまだ慣れないことも多い。


 その最たるものが――食事だ。


 お米食べたい!


 いや、冗談じゃなく。軽くカルチャーショックだったりする。

 どこかで米栽培とかしていないのか、ちょっと探してみたけど少なくともここイース国と周辺諸国はもっぱら小麦粉。そのため主食はパンなわけだけど、そればっかりじゃ飽きる現代っ子だ。


 そもそもこの世界の、特に中流以下の人々にとって食事とは“生き延びるために行う行事”であって決して娯楽ではない。

 だから飽きるとかそういうものではなく、食べないと死ぬ以上のものではなく、飽きないとかは二の次なのだ。


 その点、僕の親は国の重臣だからそれなりに豪勢な食卓を飾るわけで、それを少し心苦しいと思わないでもないけど、飽きるものは飽きるのだからしょうがない。


 こう考えると、前にいた日本ってのはすごい多種多様な食べ物を、ある程度の適正価格で食べれた恵まれた国だったんだな、と思う。

 基本、カップラーメンとかインスタント食品やコンビニ飯が主食だった自分にとっては、今は軽く地獄だ。

 米の栽培が無理なら、せめて小麦粉でパン以外のものを作るしかないが、そこはまったくもっての料理初心者だ。こんなことならもうちょっと自炊に目を向けるべきだったが。

 小麦粉ってなにができるんだっけか。パンのほかは……うどん? 僕は蕎麦派なんだよなぁ。あとは……お好み焼きとかスパゲティに、ナン? それもパンだ。てかカレーがほしい。カレーが食べたい! やっぱりお米が食べたい!


 ヤバい。軽く精神に来てる。

 今度、父さんに相談してみよう。


 そしてもう1つの慣れないもの。

 それがこれから行われるもので、正直憂鬱だった。


 馬車が止まり、ドアが開くとそこを降りる。

 3度目くらいになる政庁の中に入ると、案内の人が待ち受けていた。

 彼についていくと、大きくて豪奢な扉の前にたどり着く。


 この扉は、確か……。

 嫌な、予感。


「イリス・グーシィンをお連れしました!」


 案内の人が叫ぶと、その大きい扉が中から開いた。

 そこは大広間だ。


 床には青い絨毯が敷き詰められている、学校の教室2個分くらいの大きさの広間。天井は3階分くらいの吹き抜けで、左右にはめられた窓ガラスからは淡く太陽の光が室内を照らす。

 その広間に、十数人の人間がいた。


 その十数人の視線が一斉にこちらに向く。


 10人ほどは広間の中央に置かれた大きな机の左右に別れて立っていた。知っている顔がある。自分の父親とヨルス兄さん、それからカタリアとクラーレの父親のインジュイン、それにタヒラ姉さん。そして大将軍。あとは分からない。

 ほかの数人は少し離れた場所で椅子に座って机に向かっている。会議の議事録でもとっている書記官なのだろう。


 この広間。過去に一度だけ来たことがある。

 確かここはタヒラ姉さんと共に帰還の報告をしたところで……確か。


「イリス」


 不意に呼ばれた。父さんだ。

 緊張が体を支配する。あれ、どうするんだっけ。くそ、人前ってやっぱ慣れないんだよなぁ。


 だがそんな緊張を見透かした(?)のか、呑気な声が広間に響いた。


「お、おおおお!? やべっ、めっちゃ可愛い子いんじゃん! いいねいいね、ほら、君! こっち来てよ」


 広間の奥。

 そこにひと際大きい椅子が置いてある。

 そこに一瞬前まで、崩れるようにだるそうに座っていた茶髪の男が、パッと顔を輝かせて身を乗り出してきた。


 確かこの国の太守テベリス・イグナウス。

 イグナウス家が、この大陸の王家であるアカシャ王国建国の忠臣とかで、このイース国を管理する太守となったと授業で習った。そして世襲を認められ、イース国の太守を代々受け継いできたというわけだけど……。


 まぁこないだの軍議の席でも分かったことだけど、このテベリスという男。

 馬鹿、無能、お飾り、パリピ。以上! という救いようのない親の七光り坊ちゃんなわけだ。


 そう思うと萎える。


 今だって、会議が続いていたのに、もう聞く気なしでダラっとしていたし、僕という“美少女”が入ってくるなりビシッとし始めたのなんて、もう頭の中に何があるか分かるってもんだ。うん、自分で美少女って言って勝手に引いた。いや、イリスが可愛いんだから仕方ないな、うん。何を納得してるんだ、僕は。


「太守様。彼女は私の4番目の子になります」


「ん? あ、そうなの。ま、いーじゃんいーじゃん。ほらほら、もっとこっち。顔見せてよー」


 父さんが小さくため息をつくのが見えた。

 そしてこちらに向かって顔を向けると、小さくうなずく。


 マジかよ。


 てかなんでこの太守はやりたい放題なんだ。無能なら追い出せばいいだけなのに。

 ただ、それには一応わけがあるという。前の軍議の後に父さんが申し訳なさそうにこう言った。


『すでにアカシャ王国の力は衰えているとはいえ、その影響力は健在だ。仮に太守様を追放した場合、アカシャ王国建国の忠臣の末裔に不義を働いたと、周辺諸国から攻め入られる大義名分を与えてしまう。それは避けなければならん。だからあのお方を担ぐしかないのだ』


 非常に納得がいった。

 だからこの馬鹿で無能でお飾りのパリピは安心して存在することができるわけで、僕らの頭のもやは晴れないままなのだ。


 仕方なく僕は歩を進めて、中央の机を囲っている父さんたちの横に立つ。

 だがそれは太守の気を損ねたようで、


「ほら、もっとこっちこっち!」


 気が利かないな、と言わんばかりにふくれっ面で手招きする太守。

 父さんに視線を向けると、


「すまない」


 いや、そう謝られても。

 その横のヨルス兄さんは申し訳なさそうな顔をしているし、対面のインジュインは嬉しそうな、けど辟易としたような複雑な顔。きっと敵対するグーシィンの娘が太守に気に入られて面白がっているけど、そんな太守の奇行について行けない、という意味合いだろう。

 その横にいるタヒラ姉さんはむっつりと黙ったまま眼をつむって腕組みしている。寝てるのかな、立ったままなのに。器用な。


「ほれほれ、ここに来い」


 太守が大きな椅子――というよりもはやこれはソファだな。その見て右側のひじ掛けに体を預け、左側を開けた。

 隣に座れということらしい。


 何が楽しくて僕が、どうでもいい、しかも男と一緒のソファに座らなきゃいけない!


 このテベリスという男。

 色白で目元がとろんとして、唇も口紅でもさしたかのように赤い。どちらかといえばイケメンに入る部類だろう。

 だからって一緒にいることが許されるわけじゃない。

 何よりこの自堕落で馬鹿で無能でお飾りでパリピな男に、たとえ財産があったとしても惹かれる要素は1つもない。しかも酒臭いし。


 だが本人はそんな僕の気持ちに気づいているわけもなく、しきりに隣の席を進めてくる。

 なんとかゆっくり歩いてきたけど、もう稼げる距離もない。ここで断りでもしたら、この得意げな横っ面に張り手でも張ったら、父さんを含む家族がどうなってしまうのか。

 ここぞとばかりにインジュインが鬼の首を取ったようにわめきだすに違いない。


 自重。自重だ。

 目を閉じ、深く深呼吸。


 心を落ち着かせると、示されたソファにゆっくり座る。ひじ掛けの方に、できるだけテベリスに近づかないように。

 これで大人しくなるだろう。そう思ったが、相手はそう簡単にはいかないようだ。


「ふむふむ。なるほどその陶器のような白い肌。流れる草原のような黄金色の美しい髪。大海のごとき麗しき瞳。ふくよかな大地の如く横顔。神はここに1つの芸術品を作り出した。おお、イリス。お主はまこと、大陸一の美女であるぞ」


 よくもそんな歯の浮くようなセリフが出てくるものだ。しかもあまり上手くないし。

 それより近い。寄って来るな。


「しかしなんだろうな。そなたは初めて見た気がしないぞ」


「これでお目にかかるのは3度目ですが?」


 この国に初めて来たとき、極秘の軍議の時、そして今回で3回目だ。

 それなのに覚えていないのか、と少し皮肉を込めて言う。


「なんと。いや、これは失礼した。だがイリス、悪いのではそなただぞ? そなたの美しさが1日ごとに輝きを増しているので見間違えてしまったのだ」


 うぇー。気持ち悪い。

 てかこの対応、めっちゃナンパな男の言い分じゃね? チャラい。チャラすぎるぞ。


 なんて思っているとさらにずいっと近づいてくる。香水らしきもののにおいと、酒の臭いが混ざってさらに気持ち悪い。

 肩に手を置かれ、じっと視線を感じた。


 これもうセクハラ案件だよね。あとモラハラとパワハラと合わせて起訴させてくれ!


「うむ。しかしカーヒルのように武骨でなく、タヒラのように乱暴者ではない。ふふふ、感謝するのだな。母親に似たことに」


 ガリっと何かが欠けた音がした。

 見れば父さんたちの視線がタヒラ姉さんに向いている。

 何かあったのだろうか。そう思ったが、タヒラ姉さんの組んでいる腕。それが怒張しているように見える。そして両腕を握る手がぎりぎりと震えて、爪が皮膚に食い込みそうなくらいだ。


 もしかして、滅茶苦茶怒ってるんじゃない?

 あの姉は僕、というかイリス大好きだからなぁ。こんなことをされて気が立っているのだろう。

 けど、助けてお姉ちゃん、とは言えない。そうなったらもう大変なことになるのは目に見えている。


 姉さんが耐えているなら僕も耐えて見せる。

 そう心に誓った。


 だが、相変わらず僕はこの世界を甘く見ていたらしい。

 それをこらえきれなくするような現実が、僕を襲うのだ。

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