第67話 閉塞する心
ヒーローに憧れた。
それは子供のころに誰もが持つ夢だろう。
格好よく、強くて優しい正義のヒーロー。
弱気を助け強きをくじく。報酬や名誉のためじゃない、ただ純粋にそうしたいがだけの圧倒的な正義の味方。
けどそれは幻想だって気づく。
誰にだって生活はあるし、危険には近づきたくないし、結局暴力で解決しているだけの自己満足の偽善の塊だって気づく。
だから普通はそこで、その夢は水泡に消える。
けど僕はそうじゃなかった。
平面の先へ、過去の人物に想いを馳せる。
革新的なことを成す曹操や織田信長、ナポレオンといった英雄。
最強をほしいままにする呂布や関羽といった豪傑。
智謀千里を走る諸葛亮や黒田官兵衛といった軍師。
それらになれたら、どれだけ人生は面白いだろうか。
学校に通って勉強して遊んで飯食って風呂入って寝るだけ。
そんな生活が消し飛ぶくらいの面白さが、きっと僕を待っている。
正直、この世界に来て。期待したことがった。
それは最初。イリスを斬ったあの兵たちをぶちのめした時。
快感が全身を満たしていた。
あぁ、これが英雄。豪傑。
夢にまで見た、あのメンツに僕は成れたと思った。
そして今回。
綱渡りだけど、見事成功させた僕は、軍師としての資格を得たと感じた。
歓喜。感激。感動。感傷。
軍神で軍師なんて、あの死神は言ってたけど、まさにそのもので、オールパラメータ99といっても過言ではなく、(寿命を除けば)もう俺つえーの無双無敵状態なんじゃね? と今後の展望に希望が見えていた。
――だが、違った。
僕が見ていたのは、書物での英雄。ゲームの中での豪傑。空想の中での軍師でしかなかった。
彼らが畢竟、何をしているのか。その本質を僕は理解していなかった。
彼らも同じだ。
自らの腕力で、智謀で、他人を傷つけ、果ては殺して奪い去るだけの蛮人。幼いころに見た、暴力で解決しているだけの正義のヒーローと何も変わらない。
僕は、人を殺した。
貧民街にいた子供たちの虚ろな目を思い出す。
あれも同じ。
見たくないものにふたをして、その美しい部分だけを現実として受け入れる。それが英雄、そして世界というもの。
そう、この時の僕は。正しく世界というものを認識した。
「イリリ!? 大丈夫!? ねぇ、返事して!」
「イリス殿! お気を確かに!」
タヒラ姉さんと小太郎に支えられるのが分かるが、何も口にできない。反応できない。
それからの記憶は曖昧だった。
促されるままに移動して、何かを食べて、どこかで寝て、夜が明けて、そして何かを食べてまた夜が更けて寝る。
周囲がドタバタと変化していたみたいだけど、何が起こっているか分からない。
タヒラ姉さんはすごい心配していたけど、色々と走り回ってたから、若い女性の兵士がずっと傍にいた。
彼女と小太郎に色々と世話を焼いてもらった気がするけど、それもよく覚えてない。
そんな状況になったのはもちろん、人の死を見てきたからだ。
実際にそうなった瞬間は見ていないけど、遺棄された人々の残滓を見て、その無念と恐怖と苦痛を感じて、僕の心は軽くないダメージを負った。
戦いなのだ。だから死者が出るのは当然。
そう思えればどれほどよかったか。
所詮ゲームと同じ数字の出来事だから気に病む必要はない。
そう思えればどれほど楽だったか。
僕は策を考えただけで実際に手を下してない。
そう思えればどれほど安心だったか。
けど僕は、それほど達観も楽観も諦観もできなかった。
彼らの死の責任は僕にある。
彼らを死ぬのように仕向けたのば僕だ。
そう思うと、もう止まらない。
常に何かに見られているようで、夢の中で彼らが出てきて、僕を責めるのだ。
何故殺した。
何故生きてる。
家族のため? 国のため? 自分のため?
そんなものは当然だ。自分たちだってそのために戦った。
なのに、なぜ自分が死んで、お前がのうのうと生きている。
そう責めてくるような気がして。
夜中に跳び起きたことも何度もあって、すっかり寝不足になっていた。
食欲もなくなっているが、それでも人間の浅ましさとも言うべきか、最低限のタンパク質は取ろうというのだから。
「大丈夫ですか、一度、家に戻りましょうか?」
僕を世話してくれている女性の兵士――アンナと名乗った――が本気で心配した様子で話しかけてきた。
他人がそう思えるほどに、やつれているのだろうか。
本当に心苦しい。
この人にだって仕事があるだろうに。こんな僕なんかの世話をするなんて。
だからこの人を解放させるためにも、何よりことあるごとに声をかけてくる彼女を少なからずうっとおしく思う心を潰すために、僕はその提案に乗った。
道中は馬車だった。
ガタガタと揺れる馬車は乗り心地は最低だったが、それでも思考を中断させるほどの効力はない。
考えるのはすべて戦いのこと。
作戦を立てた時も、同行をお願いした時も、実際に戦場に立った時も。
何も考えてなかった。自分が行ったことでどうなるのかを。
覚悟が足らなかった、と言われればそれまでだけど、人を殺す覚悟なんて、人の命を犠牲にして生き延びる覚悟なんて、醜悪で汚らわしくて極悪なものなど要らない。
数日を経て、馬車が国都についた。
家に戻って、待っていたお父さんとヨルス兄さんから熱烈な歓迎を受けたが、それに応える気力もなく、そのまま部屋に戻ると鍵を閉めた。
それからはずっとベッドで布団にくるまる日々だ。
何をすることもなく、ただただぼぅっとして過ごす。
眠れはしない。
眠ると、夢にあの光景が思い浮かぶから。
目を閉じると、死んでいった人たちが僕を責めるから。
はじめはノックの音がうるさかったけど、今ではすでにそれも止んでいる。
食事はドアの前に出してくれていたので、それを食べた。
けどある日、それも出来なくなった。
出されたものの中にあった牛肉のソテー。それを見た途端、今まで口に入れたものが逆流した。
肉と血。
それがなんとも暗示的で、生々しく、グロテスクだった。
肉料理なんて大好きなものだったのに、どうしてこう思ってしまうのか。
せめてスープだけでも口に入れて、それ以外は食べようとすると吐いてしまいそうで手が付けられなかった。
お腹は空く、でも食べられない、だからさらにお腹が空く。
痛いほどにお腹が空いているから、寝ることもできない。まぁもともとあまり寝れる状態じゃなかったけど。
これは罰だ。
得意になって、活躍を認められようと、寿命を延ばそうと、生き延びようと調子に乗って人を死なせた。
きっとこのまま、僕は骨と皮になって死んでいく。それが僕の罰。
生き延びるとか、元の世界に戻るとか、そんなことはもうどうでもいい。
早くこの苦しみから解放されたい。
そんなことを思いながら、日が昇り、沈んでいくのを眺める。それすらも億劫でカーテンを閉めた。
カーテンから洩れるわずかな灯り以外何もない空間で、自分があとどれくらいで死ぬのか。それをただただ数えるだけの毎日。
そんな時だ。
ガチャガチャとドアがうるさく鳴り、バンっと強引にこじ開けられた。
廊下の灯りが目に眩しい。
開いたドアのところ、一部灯りを遮るものがある。人影だ。
うるさいな。そう思ったが、声は出ない。出す気力もない。
だがそんな僕に構わず、その人影はずんずんとこちらに近づいてくる。
そして、
「ちょっと話がありますの」
クラーレの妹にして僕のクラスメイト、カタリア・インジュインが立っていた。