第66話 閲兵式
前方に軍勢が見えた。
およそ5千。
もちろん敵対するような動作はなく、むしろ粛然とした様子でゆっくりとこちらに向かってくる。
アカシャ帝国軍、皇帝の率いる軍だ。
対するこちらの混成軍6万は、原野に並び、しわぶき(咳払い)1つあげることなく立ち並んでいる。
そこに恐れや悲哀の色はない。
誰もがどことなく顔色を朱に染め、熱を帯びた視線を帝国軍に向けている。
その秘められた熱気は、2つに別れた帝国軍の中央を進む馬車が現れたことで最高潮に達し、停止した馬車から1人の人物――白を基調に金の刺繍があしらわれている豪勢な羽織を着た――が姿を見せたところで爆発した。
6万の歓喜による咆哮は、地を揺らし、耳を砕くのではないかと思うほど強烈。
いかに帝国が衰退したとはいえ、数百年の支配体制が続けば皇帝に対する絶対不可侵の畏敬の念は兵の誰もに浸透しているらしい。しかも今や幼帝とも言える人間を救うためにきた彼らだ。その心には少なからずの帝室への敬意と憧憬の念はあるのだろう。
それほどの熱を受けてなお、その視線と熱気の先の人物――アカシャ皇帝は平然とした様子で皆に手を振るばかりだった。
「凄いわね」
イース軍の先頭で隣に立つタヒラ姉さんが圧巻の一言を漏らす。
「あれが皇帝陛下?」
「ああ。あれがアカシャ帝国99代皇帝ユーキョ・アカーシャ陛下だよ」
まだ10歳になったばかりの少年が、しかもあの傲慢俺様な子供が、6万もの人殺し集団の熱を受けてよくもまぁ平然としていられる。
それほど彼も成長したのか。あるいは――
「あれって……」
姉さんに水を向けられる直前に気づいていた。
皇帝の後ろ。そこに控えるのは1人の少女。彼女も皇帝と同様に、白い法衣のようなものを着て粛然としている。
「ラス……」
彼女だ。
あのどことなく気弱な少女が、ああも厳粛に、堂々とした風体でいると別人のように思えてくる。
「我はアカシャ帝国99代皇帝ユーキョ・アカーシャである。ここに集いし帝国民よ。余のために集まりしこと、大義に思う」
皇帝が声を張り上げることもなく、淡々と、だが彼自身も熱にあてられたのかどこか高揚とした言葉遣いで集まった軍へと語り掛ける。
この閲兵式と化した場で、僕は皇帝自身のことよりも、その後ろに佇むラスのことが気になって仕方ない。
ふと彼女と視線が合った。
それは偶然に合ったというより、どこか確信めいたタイミングで、同時に見合ったというのが自然なほどに完璧なタイミングだった。
彼女は6万の人間が眺める皇帝のすぐ後ろにいる。だから表情も目線も変えることも何もない。けれど僕には分かった。
『久しぶりだね』
そう言って優しく微笑んだ彼女の真意が。
『ああ。元気そうで』
僕も無言で返す。
『イリスちゃんも大変だったんだね』
『ラスに比べるほどじゃないよ』
『聞いてるよ。色んな国を渡りあるいて味方を集めてくれたって』
『そっちこそ、5千で2万を破ったんだろ』
『わたしは何もしてないから。陛下と共にいただけ』
そんな言葉を交わし合った気がする。
ふと気づけば皇帝の演説は終焉を迎えていた。
「今こそ、帝位を僭称した悪逆たるゼドラ国に正義の鉄槌を下す時! 皆、奮起せよ! この時より、新たなアカシャ帝国の歴史が始まるのだ!」
その締めくくりの言葉と共に、これまで以上の鯨波が周囲に響いた。
『また後で』
そう確かに告げたラスは目を閉じて、小さく頭を下げた。
これから始まる大きな戦。
その前に心休まる一時を手に入れた。そんな気分になれたことは、幸いだったと思う。




