第64話 コタロー
コタローがのんびりとこちらに向かって歩を進めてきている。
相変わらず目元はうっすらとしか見えないが、戦闘があったことなど関係ないかのような緩い態度だ。
「あら、あんた。まだいたの?」
「そりゃ勘弁ですよ、姐さん。これでも命を救ってくれたことに対する恩義があるわけですし。いや、しかし見事なものですなー」
「ふふん、それもこれもここにいるイリリのおかげってね」
「ほぅ、そりゃすごい。さすがキズバールの英雄。その妹さんだ」
「ふっふーん。そうでしょそうでしょー」
タヒラ姉さんは得意げにしているが、僕は少しいぶかしんだ。
それは軍神というより、軍師側の何かが感じ取ったということか。
「いや、僕の力なんてそんなでもないよ。これもコタローのおかげだよ」
「え? いやいや、そんな大層なことはしてないっすから」
鼻高々なコタロー。
罠を張るなら、ここだ。
「そんなことないって。コタローの声によるかく乱がなかったら、僕たちはあそこで負けていた」
「よしてくださいって。そんな大層なことはしてないっすからー。当然のことをしたまでっす」
「…………」
「…………ん? どうしたっすか?」
僕の視線が冷たいことに、コタローが微妙な顔をする。
やれやれ。まだ引っかかったことに気づいていないのか。
「なんでかく乱がコタローの手柄になるのかな、って。僕が言ったのは、勝負の決め手になった『トンカイ軍が裏切った』っていう言葉についてなんだけど。それを『大層なことしてない』って。どういうこと?」
「……………………あ」
「え? ……ん? おお! ほんとだ、イリリの言う通りだ!」
ようやく気付いたようだ。姉さんも含めて。
けどこのままなら聞き間違いで切り抜けられる。
だから口撃の手を休めない。
「さすがゴサ国仕込みの忍は違うね」
「いやいや、これはホルブ国仕込みですから。あしからず」
「なんですって?」
「あ」
さすがにタヒラ姉さんも即座に気づいたし、コタローも即座にミスに気付いたようだ。
ゴサ国はイースから東に行った大国の1つ。
ホルブ国は聞いたことがない。どこかの小国だろう。
どちらにせよ、イース国と友好という話は聞かない。
つまり――
「あんた、スパイ!?」
「ちょ、ちょっと待ったぁ! いや、だから、これは、そのぉ……」
「もういいわ」
タヒラ姉さんの体がゆらりと揺れる。危険だ。
「待った姉さん」
タヒラ姉さんの肩に手を置いて引き留める。
あと1秒でも止めるのが遅かったら、コタローの首は天高く飛んでいただろう。
「なに、イリリ。話なら後で聞くわ。こいつの首を飛ばした後に」
「それを待ってくれ、って言ってるんだ。お願いだ」
「………………」
どこか生気のない、人形のような無機質な視線をこちらに向け、
「ま、イリリに言われたらしょうがないか」
ため息をつくと一歩、退いた。
ホッとした安堵が周囲に流れる。
「お礼を、言っておくべきっすかね」
腰を抜かした様子のコタローが、苦笑しながら言う。
「かまかけましたね?」
「うん、まぁこんな簡単に引っかかるとは思ってなかったけど」
「へへ、大事なところで調子に乗る。それが自分の悪いところっすね」
「知らないけど。とりあえず確信したのは今さっきだよ」
「え?」
「姉さんがなんでキズバールの英雄って分かったの? コタローと出会ってから自己紹介もしてないし、僕は名前で呼んだこともない。僕の姉がタヒラ姉さんということも言っていない。なのに、なんでこの人がキズバールの英雄と分かったのか。そして僕がその妹だって分かったのか。女性の将校なんてクラーレもいるのに」
「あ……」
「そう。ただの旅人なのに、知りすぎてるんだよ。まぁ最初の行き倒れってところから怪しかったし」
「がーん!?」
「そもそもあの時の会話がおかしいんだよ。だってなんでただの旅人が、ザウス軍とトンカイ軍が一緒ってことを知ってるの? だってこれまで何年も争ってきた仲なのに。それが合同でイースを攻めるなんて、よほどの事情通じゃないと知らない。あるいはどこかの国のスパイとかね。それと兵数をおおよそじゃなく、かなり正確に把握していたってのも、ただの素人じゃないと思った」
「あー、いつもの癖が」
「それに極めつけは、名前」
「え、名前?」
「コタローっての、小太郎でしょ。日本の名前だ。この世界には珍しすぎる」
「日本、日の本? まさかお姉さんは」
「ま、色々あってさ。今度、暇があったら話すよ。そんなことより、大事な話があるんだ」
「大事な話?」
コタローの話を聞く態度が若干変わったように思える。
同じ国の出身で、期せずしてこの世界に来たというのだから、親近感を覚えたのかもしれない。
よい傾向だ。
あの程度の問答に引っかかるし、若干おっちょこちょいで軽い感じもあるけど、この際えり好みしてられないのも確か。
あのかく乱を見る限り、機転も利きそうだし。
「イース国で働かない?」
「な――――」
それはタヒラ姉さん、だけでなくコタローも声を失った。
それほどに衝撃的な申し出だったようだ。
「イリリ! 分かってる!? こいつは敵国の回し者なのよ! 敵なのよ! 情報ぶっこぬかれてさよならばいばいよ!?」
「うん。でもうちみたいな弱小国に抜かれて困る情報なんてないでしょ?」
「そ、それは……そう、かも、だけど」
「これは大事なことなんだよ。イース国の諜報機関を作るためにね。なんといっても対外の情報収集が圧倒的に弱いんだ。同盟国だったザウス国でさえこのありさま。これから、この時代を生き抜いていくのに情報はとても大事な武器なんだ。それに、本来ならその弱い部分を一から作らなきゃいけないんだけど、コタローを雇えばそれも解決する。一応、これまでも他国でそういう任務についていたんだから、色々なノウハウも持ってるはずだしね」
「のう、はう?」
「知見、経験って意味であってるかな。とまぁそういう理由から、この人は是非雇いたいと思ってさ」
「それは……うーん。でもあたしたちだけじゃどうしようもないし。将軍に裁可とって、それから父さんたちの認可も得ないと難しいかな」
「ま、そこらへんはどうとでもするさ。あ、というかそもそも本人の気持ち聞いてなかった。というわけだけど、どうかな?」
「…………」
コタローは静かに、その場にうつむいてしまっていた。
あれ、もしかして怒った? 勝手に話すすめんな、とか、イースみたいな弱小国にいてたまるか、とか。
だが違った。
「か、感激しました! そこまで忍びについて深く考えておられるとは!」
土下座せんばかりに頭を地面にこすりつけてきた。しかもこれ、泣いてる?
「いや、失礼したっす。急にこんなところに放り込まれ、右も左も分からぬまま、各地を放浪。警邏や野盗に襲われること数十度、ようやく見つけた仕官の道も、同僚の讒言、主君の妬みにより幾度となく閉ざされ、ようやく得たホルブ国での間諜の任も、思うに任せず鬱屈とした日々を過ごしておりました。 このコタロー。韮山様に匹敵する、真の名君を得た思いです! 我が命はイリス殿に捧げます!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
色々理解が追い付かない。というかめっちゃ喋るな。
口調も変わってるし。もしかしてこっちが地か?
てか今、なんて言った?
ニラヤマサマ?
いや、その前に忍びとか言ってなかった?
もしかして――
「名前、いや、苗字を教えてもらえない?」
「はっ、姓は風魔、名は小太郎。かつて韮山様(北条早雲)に薫陶を受けた風魔党の頭領の7代目。北条左京大夫(氏康)様に仕える忍びにございます」