第61話 一騎討ち
トンカイ軍に動きあり。
その連絡を受けて、将軍はタヒラ姉さんとクラーレを呼び戻した。
トンカイ軍が半分に別れてこちらに向かってくるのが見える。もう半分は離脱しようとするウェルス軍の方へ向かう。
こちらは1千。
まともにぶつかれば2倍以上の兵力差を受ける。そうなれば、ここまで来て敗北の可能性だって出てくる。
だからここの進退は間違えてはいけない。
ザウス軍は追い散らした。この場での勝利は十分。
なら戦っても益のないトンカイ軍は見過ごすのが道理なのだけど……。
「ちょっとアレ、ぶっ潰してきていい? 」
「タヒラ、手柄の横取りはやめて。ああいうのはじわじわと削り取ってすりつぶすのが気持ちいんじゃない」
はぁ。なんて血の気が多いんだ、うちは。2倍以上の相手に勝つ気だよ。
「将軍、すぐに歩兵を前に出して槍を敷いてください」
「う、うむ」
途中で追いついてきた歩兵は、わざわざ重い槍を担いでここまでやってきたのだ。
それを活かさない手はない。
「よっし、じゃあ真正面からぶつかるってことね」
「そうじゃない、姉さん。絶対出ないでよ」
「じゃあわたしはいいんだ! うふふ、血の雨を降らせてやるわぁ」
「クラーレも!」
「2人とも、みだりに動くな。ここは迎撃の陣を敷く」
将軍が落ち着いてくれていて助かった。もとい、ある程度戦術的なところが見えているのだろう。
歩兵が前に出て槍を前に突き出す。槍衾の格好になった。
いくら相手が大軍でも、槍をこうも並べられれば手は出しにくい。突破するには少なからぬ犠牲が出る。
僕はこの敵は慎重で用心深い性格だと思っている。
先ほどの雨に降られても警戒を緩めないし、軍規もしっかりしていた。
だから自分の援軍という立場をしっかり理解しているはずで、そうなればすでにザウス本隊が負けている以上、ここで不用意な犠牲を払う必要はないと考えるはず。
そして、実際そうなった。
200メートルほどの距離を保ってにらみ合う。
「将軍、騎馬隊を動かしてください。といっても陽動で、相手の側面から突撃するそぶりだけで」
「分かった。タヒラ、行け」
「了解!」
タヒラ姉さんが、新兵たちを連れて馬を走らせていく。
あの血気の早さが少し不安だったが、姉さんは敵の側面を突こうとして、パッと離れ、さらにまた別のところから突撃するふりをして離れるなど、陽動に陽動を重ねた。
だが、相手は動かない。
「将軍、撤退の合図を」
「うむ」
将軍が旗を振らせた。
それでタヒラ姉さんは最後に突っ込むそぶりだけ見せて戻って来た。
「全然ダメね。ありゃ貝みたいに縮こまっちゃって」
タヒラ姉さんが参ったという表情で肩をすくめる。
「ま、新兵たちにはいい実践だったんじゃない? 振り落とされたのもなかったし。はいはーい、じゃあ次わたしやりたい」
「クラーレじゃ無理でしょ。すぐにビビッて戻ってきちゃうから」
「あら、おばさんにできてわたしにできないことはないでしょ? なんてったってわたしの方が若いんだから」
「だーれがおばさんよ! 分かった、あんた1人で突撃してきなさい!」
「あらあら、年齢に嫉妬するなんて怖い怖い。でも残念ね。年齢差は一生埋まることがない。だからあんたは一生、わたしにいじられるってわけ!」
「ぐにゃにゃにゃー! 許せん!」
やれやれ、この2人はもう放っておこう。
トンカイ軍は動かない、か。
こちらの追撃を阻止することを目的として動いているようで、離脱していったウェルス軍も被害は少なそうだ。
それはそれで好都合。
そもそもの目的はザウス軍の撃退。今回のイース国侵攻の主役であるザウス軍が逃げ散ったのだから、トンカイ軍としてはさらに進軍する義理は全くないのだ。
仮にイース国の国都を落とそうとしても、余計な犠牲が出るし、減った兵力で飛び地であるイース国を支配できるわけがない。
先に考えた通り、トント、ノスル、ウェルズにフルボッコにされて壊滅するのがオチだ。
だからトンカイ軍は退くはず。
こちらが追撃を中止すれば。
あとは密約をしたトントとウェルズがどこまでザウスに侵攻するか。それでこの戦いは終わりなのだ。
そこまで考えた時だ。
トンカイ軍から一騎が前に出てきた。
それは軽装――他がフルプレートの鎧を着こんでいるにも関わらず、要所にアーマーを当てただけ――の人物。あからさまな線の細さは女性のものだが、彼女がこの一軍の指揮官なのだろうか。
騎乗のまま、薙刀のようなデカい武器を携えている。
その疑問に対し、彼女は――とんでもないことを大声でのたまった。
「我は“とんかい”国の主将、本多平八郎が娘、関雲長の養女にして部隊長、本多小松である! “いいす”軍よ、これ以上の追撃は無用である! 兵を退かれよ」
「は? 何言ってんのアレは?」
「ここまで攻め込んできて、逃げるから追うなって? ははっ、馬鹿にしてんじゃないの?」
タヒラ姉さんとクラーレが突如現れたトンカイ軍の部隊長に嘲笑を浴びせる。
けど僕はそれに構っている暇はなかった。
本多平八郎。
本多小松。
関雲長。
彼女の堂々たる名乗りを聞いて、まさか、という思いと、バカな、という想いがが胸の中を交錯する。
本多平八郎忠勝。
戦国時代における最強の武将と言われれば、まず挙がってくる人の名前だ。
徳川四天王の1人で、数多の戦場に出て生涯1つの傷も負わなかったという伝説的な猛将だ。
ゲームなら統率は90台、武力は間違いなく100といっていいほどで、普通出会ったら相手にしたくない相手。
その本多忠勝の娘こそ、本多小松。通称、稲姫。
知名度はほぼなかったものの、最近はゲームとか漫画とかで知名度を上げてきている。
何より大坂の陣で超有名なあの真田幸村――の兄の嫁で、嫁に行くときに徳川家康の養女になっているというのだから、ある意味すさまじい家系を持つ女性だ。
女性ながらに親譲りの武勇と気の強さを持つというのだから、女性補正もあり武力は少なくとも80前後はあるだろう。
そして最後。
関雲長とは、かの三国志で有名すぎる関羽の名前だ。
細かい話をすると実名は“羽”なのだが、かつての中国では実名を親や主君以外が呼ぶのは大変失礼なこと、という風潮だった。(敵は侮辱する意味で呼ぶから、敵が「関羽!」と呼ぶのは道理にかなっている)
だから普通の人が呼ぶには、雲長という字(特別な名前みたいなもの)や官職で呼ばわることになる。
それを姓と合わせて関雲長と呼ぶのだ。
なお、日本の戦国時代もそれに近しい思想で、名前を呼ぶのではなく、本多平八郎と通称だったり、徳川内府といった官職で呼ぶのが一般的。だから『信長様ぁ!』とか秀吉が呼ぼうものなら、もう一刀のもとに切り捨てられても仕方なかったりする。
そして関羽といえば、三国志演義の主人公・劉備の義弟で、三国志最強格の1人としてあがめられる武人だ。
節度を守って死んだため、今では神と同一視されて関帝廟などで祀られている。
パラメータで言えば、統率、武力ともに90台後半。知力もミドル以上と、化け物級のスペックを誇る。
閑話休題。
さて、そういった人物背景があるとして彼女の言葉を整理すると、本多忠勝の娘で、関羽の養女の本多小松、ということになる。
なにそれ。どこの世界線になるとそんなことが起きるのか。
だって本多忠勝は日本の戦国時代、16世紀の人間で、関羽は三国志だから2~3世紀の中国の話だ。
その両方を父に持つとか意味が分からないことこの上ない。
いや、あるいは――
「なにあのナマイキ。あーいうのって、ブチュっとひねり潰したいんだよねぇ」
「待て、クラーレ!」
僕が思考の海に沈んでいる間に、事態は進行していた。
将軍の制止を聞かず、クラーレが前に出る。
「あんの馬鹿!」
対抗してタヒラ姉さんが前に出ようとする。
それはさすがに止めないとまずいと思い、無理やり前に出て体で押しとどめる。
「タヒラ姉さん、ダメだ!」
「でも、イリリ!」
クラーレはすでに自称・本多小松との距離をぐんぐん縮めてあと数秒で接敵する。
彼女はギザギザのついたノコギリのような幅広の剣を振りかざした。
対する小松姫の方も黙っているわけではない。薙刀を構え冷笑する。
「愚かね」
「あんたがねぇ!」
振り切った。金属音。耳なりがした。
宙を舞う。ノコギリのような、クラーレの剣が半ばで断ち切られていた。
――駆けだした。
返す刀で小松が薙刀を振るう。クラーレの首を飛ばすラインを。
「クラーレ!」
叫んだ。
それに反応したのかどうか、クラーレの首は飛ばなかった。小松の薙刀は宙を薙ぐだけに終わった。
だがその代償は大きかった。
クラーレは落馬同然の状態で攻撃を防いだわけで、それは圧倒的な不利を抱えることになったからだ。
馬上と地上の位置や、武器の有無からしてクラーレが相手の攻撃を防ぎきれるとは思えない。
つまり、クラーレが死ぬ。
その未来が見えたのは、軍神の直感か、軍師の論理か。
寿命が削られる。一瞬の嫌悪感。
そんなこと、人の命に代えられるものか!
スキル『軍神』発動。
棒を振った。激突した。振動で手がしびれる。
小松の薙刀の柄の部分を激しくたたいたのだ。
「っ! いつのまに」
驚いた様子で、小松が馬を数歩下げる。
最初にクラーレの剣を斬り落とした時点で馬を走らせていた。そうでなかったら間に合わなかった。
僕は2人の間に入り込むと、背後を振り返らずに叫んだ。
「クラーレ、逃げろ!」
今、この相手から視線を離せば、次の瞬間に僕の首と胴体は離れ離れになるだろう。それほどの威圧感を相手から感じる。
「あたしは――」
「早く!」
「貴様……」
小松姫の凛々しく光る瞳がきゅっと細くなった。
見ればかなりの美形だ。気の強そうな瞳と細長い顔立ち。陶器のような白い肌に、怒気のためか朱が混じっているのが、逆にどこかエロティシズムを感じさせる。
ただそこから漏れる殺気に、普通の人間だったら気圧されていただろう。
「一騎討ち割り込むとは卑怯な!」
「戦に卑怯もなにもあるか!」
「勝てばいいと。何をしても……それでは前右府と同じではないか!」
「前右府…………ああ、信長!」
戦国時代の一番の有名人・織田信長。
それが死ぬ直前に右大臣という、簡単にいえば朝廷の滅茶苦茶エライ役職についていたが、それを1年かそこらで辞めたので、前の右大臣(唐名で右府)で前右府と呼ばれたとかなんとか。
まぁ、あれと比べられたらなぁ……。
というかそれを知ってるってことは、本当の本多小松? いやいや。まさか。
「何を呆けている! 私を侮蔑するつもりか!」
「あ、いや。そうじゃなく……」
「ええい、貴様も私を侮るか! ならばいざ尋常に、勝負!」
ええ……なにこの好戦的なの。
だがすでに小松は薙刀を構えて殺気を放ってくる。
くそ、やるしかないのか!