第59話 天地人
20分ほど経って、北から軍勢が現れた。
雨は小雨になってきたので、移動にはそこまで難儀しているようには見えなかった。
「へぇ……へぇ……なんとか間に合ったっすねぇ」
コタローが疲労困憊の様子で、馬からずり落ちる。
確かに、間に合った。そう思うとホッとした。
同時、驚いた。やって来た軍勢が、どうも多いように見えたからだ。
「なんかね、国都からじゃなく領地から直接来たんだって」
とタヒラ姉さんが教えてくれた。
なるほど。徴兵の知らせが走ったのは昨日の夜。そこから兵を集めて国都に向かってからこっちへ向かう手筈だから到着は早くて今日の夜とかいう話だった。
だが領地からわざわざ国都に行かずに直接こちらに来たというのなら、そっちの方が早い。
しかもそれを自発的にやったというのだから、国を守ろうという気概にあふれて士気も高い。
歩兵ばかりの300人ほどということだが、そういった部隊は強い。何よりここの新兵たちにとっては心強い限りだろう。
そしてもう1つが――
「ウェルズ軍、国境第3部隊のレイクと申します。貴女がキズバールの英雄殿の妹さんですね。よろしくお願いします」
と、僕に丁寧なあいさつをしたのは、30過ぎの礼儀正しい男性。
そう、彼が言う通り、援軍が来たのだ。西のウェルズから、しかも1千ほどが。
これはもう心強いどこの騒ぎじゃない。先ほどの増援と合わせてこちらは2千近くとなったのだから、やりようによっては戦えるようになったのだ。完全に嬉しい誤算だ。
「レイク将軍はイイ人だからね」
「3年前はタヒラ殿に命を救われました。我々だけでなく、我が国すべての命を」
「大げさだってー」
「謙遜なさらないでください。我々ウェルズの民は、いつか貴女に恩をお返ししようと心に決めていたのです。その恩を返せる場所ができて、不謹慎ですが嬉しく思います」
「いいって、いいって。来てくれたんだから、さ」
なるほど、昔の戦友ってことか。
助けた相手が、今度は助けに来てくれる。それに自分の姉を褒められて悪い気はしない。
「情けは人の為ならず、か」
「ん、イリリなにそれ?」
「良いことをすると、自分に返ってくるよってことわざだよ」
「ふーん、なんかよく分かんないけど」
分かってよ、これくらい……。
ともかくこれで2千。
相手の5分の1だが、20分の1だったころと比べたら雲泥の差だ。
「それで、緊急の作戦とは?」
将軍がずいっと話に割り込んできた。
そうだ。こんなところで旧交を温めている場合じゃない。
「はい、これからザウス軍を攻めます」
「なんと……」
将軍が驚きの声をあげる。
周囲にいた皆も、目を見開く。
それもそうだろう。いくら数が増えたといっても、敵全体から見れば5倍、ザウス軍だけでも2倍以上の兵力差がある。
そんなところに攻め込みに行くなんて自殺行為もいいところ。
けどここで手をこまねいていたら滅亡は避けられない。
勝てる。
その要素はちゃんと見てきた。
雨という天の時。
林と岩山という地の利。
援軍という人の和。
天地人の要素がそろったというのに、これで負けたらもう嘘だ。
ここで動かなければ十中八九負ける。
ここで動けば十中八九勝てる。
なら、動くしかない。
あとの問題は、皆を説得できるか。
僕の作戦に命を、国の命運を預けてくれるか。
説得かぁ。
引きこもりがちの陰キャには辛いんだけどなぁ。仕事は説得なんかせず、命令で終わりだったし。
これがゲームだったら命令するだけでいいのに。本当、現実は非情である。
とはいえ慣れないことはやらないタイプなんだけど、あーだこーだ言ってられない状況だ。
「勝ち目は、あります」
まずはそこだ。
おそらく誰もが不安に思っている勘所。
勝てるのか、勝てないのか。
それを明示できれば聞く耳をもってくれるはず。
だから語った。
相手の今の状況、どう戦い、どう勝つか。
その間に、身軽な人を使って、再び岩山に登らせたところ、敵に動きはないらしい。
まだ小雨が降っているし、相手は焦る必要もないから、完全に止んでから動こうというのだろう。
「確かに、勝てるかもしれない……が」
将軍が難しい顔をして考え込む。
その様子に、あまり乗り気でないのがよく分かる。
けどここで引いてられない。
「お願いします、そうしないとこの戦い負けます。国が滅んで……皆の命が」
特に僕の命が。消える。終わる。なくなる。
だから必死に、懇願するように将軍に説く。
だが、
「これが初陣だからと張り切るのは分かる。そして初の献策で失敗したくないというのも」
「違う、そんなんじゃ――」
「だが、所詮はおままごとだ。机上の空論でしかない」
おままごと?
僕の、必死に考えた。殺されそうになってまで見つけた、作戦が机上の空論だって!?
「そんなことは――」
「ないと言い切れるのか。1つだけ教えておこう。君の作戦が失敗した時に死ぬのは君ではない。兵たちだ」
「そんなの分かって――」
「ないな。君の作戦を行ったとして、君はどこにいる? 後方の本陣だ。自分も前線に出るとか言わないでくれよ。君は出さない。それは別にえこひいきじゃない。我が軍は隊伍を組んで戦うことを基本としている。そこに君のような者が入られると、正直邪魔なのだ」
邪魔、だって……?
なんでそんなことを言われなくちゃいけない。僕は勝つための策を出したのに。それが邪魔?
僕は今、どんな顔をしているのだろう。
ただ、相手の将軍は背筋を伸ばしたまま、遠くを見るように、僕のことを見つめてきている。
「なんでも献策してくれと頼んだのは私だ。だが、そのすべてを取り入れるわけではないのは最初に言ったはず。そしてここは一番重要なところ。早々に判断を下すべきところではない」
ぐっ、確かにその通り。
なんでもかんでも言いなりになるなんて思っちゃいなかったけど……今は時間が惜しいっていうのに。
「まーまー、将軍。うちの妹をあんまいじめないでくださいよぅ」
「いじめているわけではない。これも教育だ」
「そういうもんですか?」
タヒラ姉さんが仲介に入ってホッとする。
この好戦的な姉さんなら、きっと僕に賛同してくれるはず。
「確かにイリリの策。いいと思うよ」
よし!
ならここから姉妹で反論を――
「けど、机上の空論なのは確かかな」
「なんで……」
まさかタヒラ姉さんまでそんなことを言うとは思わず、呆気に取られてしまう。軽く裏切られた気分だ。
「なんでそんなこと言えるのかって? それはね、あんたが素人だから」
素人だって? そんなことはない。
これまでずっとゲームでシミュレーションしてきたし、本も読んで勉強した。
なのにそれを机上の空論だなんて言われたら、そりゃもうカチンとくる。
「もぅ、イリリ。そんな目でお姉さんを見ないの。はぁ……ま、しょうがないか」
タヒラ姉さんはぼりぼりと頭をかくと、くるりと振り返って、
「えっと、将軍。イリリの案を採用してください」
「え?」
今さっき机上の空論って言ってたのに、なんで?
「どういう心変わりかな?」
将軍がいぶかし気に聞く。そりゃそうだ。
「いやいや、心変わりなんてしてないですって。机上の空論って言っただけで」
言ってること変わってなくない? てかストレートにディスってるよね。
「でも机上の空論ってだけで、実現不可能とは思えないんですよ。イリリの言ってることは、軍学上間違っていないと思うし」
「…………もし失敗したら、どうする?」
「その時はイースがなくなるだけですが……そうですね。ま、その前にけじめをつけておくべきではありますか」
そしてタヒラ姉さんはチラッと僕を見る。
その視線には、おどけた感じは1つもなく、どこか熱い、期待するような熱意が込められているような気がした。
だからだろう。
こんな、とんでもないことを言い始めたのは。
タヒラ姉さんは自分の腰に差した、剣を外して将軍に差し出し、
「あたしと妹――タヒラ・グーシィンとイリス・グーシィンを軍法のもと、斬ってください」
「はぁぁぁぁぁぁ!?」
今、なんつった!? 斬ってください!?
失敗したら切腹みたいな感じでしょ!? どこの時代劇だよ。どこの局中法度だよ。そうだよ、ここ中世の軍隊だよ。
「いやいやいやいや、タヒラ姉さん、それは……」
「あ、じゃあわたしが殺るー。うふふ、あなたたち、いつか切り刻んでみたかったのよねぇー」
意気揚々と割り込んできたクラーレ。
だから怖ぇよ! あんたの言うことは怖いんだよ!
「あれ、もしかしてイリリ、自信ない?」
「うっ……」
自信。そんなのない。
だってこんなこと初めてで、確かに言われれば僕は素人で、机上の空論って言われてもしょうがない気もする。ゲームみたいに分かりやすい数値で表現されているわけでも、セーブ&ロードがあるわけでもない。
だから自信と言われても、言葉に詰まってしまうわけで。
「大丈夫よ。あんたの言う机上の空論を、ちゃんとした論にするためにあたしたちがいるんだから。それに、イリリの策って何か面白いのよね。だから安心して。あたしが何とかするから。そして死ぬときは一緒よ」
そう言って、ポンっと僕の頭に手をのせるタヒラ姉さん。
なんというか、これが家族愛というのか。それも乱世版。
死ぬときは一緒、か。
そこまで割り切れたら、楽なんだろうけど。あいにくそこまで達観できも、悟れもしない。
だから死にたくない。その一心で、必死にあがいて、抵抗して、最後は勝ってやろうじゃあないか。
大丈夫。十中八九、勝てる。
逆に動かなければ、十中八九死ぬ。
やるしか。ない。
「…………分かった、やります」
これでもう後に引けない。
失敗すれば遅かれ早かれ死ぬ。
だったら成功を夢見て突き進もうじゃないか。死ぬときは前のめり! 賽は投げられた! 来た! 見た! 勝った!
――そうなると、いいなぁ。