第56話 イレギュラーとの出会い
「ん、これももらっていいっすか? これも、これももーらい! いやー、陣中食なんてろくなものと思ってなかったすけど、意外とうまいもんですねー」
出された食事を次々と胃袋に詰め込み、水で流し込む。
がふがふ、もぎゅもぎゅ、と食事というには豪快過ぎる、というか意地汚い音を立てながら。
男がぼりぼり、と頭を掻くと、何かが飛ぶのであまり近づきたくなかった。
「ったく。そんな慌てないでも誰も盗らないんだから。ゆっくり食べなさいよ」
「いやいや、姐さん。食事ってのは戦いなんすよ。一瞬でも気を抜いたほうが負ける。それがうちの村の掟です」
タヒラ姉さんの言葉に、パンをかじりながら答える男。
本人は格好よく決めたつもりなんだろうけど、まったく格好よくない。つかそんな掟、聞いたこともない。どこで育ったんだよ。
「いやー、しっかし豪気っすねー。こんな自分にこんな食事をさせてもらうなんて」
「あら、自分が怪しいって分かってるわけね。ならもちろん報酬に対する対価があるってのも知ってるわけで」
「あー、この包囲してる感じの昼食会ってそういうことっすかー。大丈夫っすよー、この状況下で逃げようなんて変な気は起こさないっすからー」
男は周囲を見回しながらぼやく。
彼の言う通り、今は皆して草原に座って朝食を取っている。不審な男と、それを監視する僕とタヒラ姉さん、クラーレ、将軍を十重二十重に取り囲むように。
それは今この男が言ったように、彼を逃がさないための防波堤なのだ。
まぁ完全に食事に気を取られているこの男が、今更逃げ出すなんてことはないとは思うけど。
「ねぇねぇ。こいつ、そろそろちょっと拷問していい?」
「うん、クラーレ。何がそろそろなのか、あんたのちょっとが何なのか、小一時間ほど問い詰めたいんだけど、とりあえずダメ」
「えぇー、何それ。超つまんなーい」
「つまるとかつまらないの問題じゃないの! ほら、将軍も困ってるでしょ!」
「……いや、私は」
「将軍だって同意してくれたし。ちょっと荷物から針と釘と手錠とナイフとくぎ抜きと荒縄持ってくるから」
「なに意気揚々としてんのよ! ちょっと、その馬鹿止めて!」
「ぶはは! 姐さんたちの漫談面白いっすねー! え? てか自分、今ヤバかった? 命の危機あった?」
なんだろう、この人たち。
これから戦いに行くのに緊張感ない感じは。
一応、国とか命とかかかってるんだけど……。
「げっぷぅ……いやー、食った食った。それじゃー、おやすみなさいっと」
「待ちなさい」
タヒラ姉さんが、ごろんと地面に寝そべった男の肩をギュッとつかむ。
「なんすかー。自分、食った後は寝ないと体の調子悪いんすよ」
「知るもんか! その前にさっき言ったでしょうが! 報酬に対する対価、忘れたとは言わせないわよ!」
「じゃあ思い出せなくなった」
「同じでしょ!」
タヒラ姉さんのイライラがどんどんと溜まっているのが分かる。
どっちかというとボケのタヒラ姉さんが、ここまでツッコミに回るのはなんとなく新鮮な気もするけど、それは本人からしたら苦痛なんだろう。いや、毎回ツッコミさせられる身にもなってくれ、ということでざまぁ見ろとも思えなくもないけど。
「タヒラ姉さん、変わろうか」
「ん……そうね。なんかこいつ苦手。もともとあんたが引き留めたんだから、お願いするわ」
げんなりした様子のタヒラ姉さんとバトンタッチ。
それを見て、クラーレが目を輝かせる。
「あら、イリス、やっぱり拷問?」
「しない!」
「ちぇー」
やっぱこのクラーレって怖いな。思想が。
「お、今度はこっちのちっこい子か。よろしくなー」
ノリが軽い。そんな飄々とした様子の男の前に立ち、観察する。
年齢は20代前半から中盤くらいか。緑がかった髪を後ろにまとめ、全体的にほっそりとした印象を与える優男だ。
それを体現するかのように、優し気なほそい目元は今も弓なりになって笑っているように見える。
服は元の色が分からないくらいに擦り切れて、今や黒に近しい色をかもし出している。というかかなり臭うぞ。
総じて、大学生卒業したばかりのチャラい感じのプータローのお兄ちゃんが、図々しくも朝食をねだりに来たという構図にしか見えないんだけど。
それでも500もの武装した軍団に囲まれながらも、顔色1つ変えずに朝食をねだり、しかもお代わりを要求するなんて、そんじょそこらのプータローにはできることじゃない。
今も、笑っているように見える瞳の奥には、どこか闇を感じさせるような暗い色が見え隠れしている。ように見える。こいつは何かを隠している。軍神と軍師の直感がそうささやく。
「あなたの目的は何ですか?」
とりあえず切り込む。
こういった手合いは言を左右して、煙に巻くようなタイプだ。
あるいは何も考えてないバカという可能性もあるから、下手な駆け引きは通用しない。だから直球勝負。
「えー? ただの旅人っすよ。善良な、ね。だからっすかねー。盗賊に荷物も何もかも巻き上げられて、ここ何日も食べてなかったんすよ。だから、本当助かった。君たちは命の恩人だ。お礼、といっても盗賊に襲われて返せるものが何もないのが心苦しいけどね」
「出身国は?」
「なんすか、それ。それでイース国じゃなかったら、間者だって疑われるってこと?」
「いや、ただの興味ですよ。どこからきて、どこに向かうのかって」
「ばっちり疑ってるじゃないっすかー。あー、まぁいいっすよ。自分はウェルズからトンカイに行こうとしてた人間っす。けどさ、途中であんなもの見ちゃったら、もう引き返すしかないよね」
頭の中で地図を思い浮かべる。
イース国の西のウェルズからイース国をかすめてザウス国に入り、そのままザウス国を縦断すればトンカイ国だ。確かに言っていることは間違ってはいなさそうだ。
「あんなの、とは?」
「トンカイ軍とザウス軍っすよぉ。あんなの聞いてないし。1万2千くらいはいたんじゃないかって、ヤバい数でさ。国境を北上してくるから、こりゃ鉢合わせになったらヤバいってことで、こっちに引き返したんだけど……」
「それで空腹で倒れたと」
「そゆこと。いやー、一生の不覚だわー」
言葉とは裏腹に、まったく不覚っぽい感じじゃない。
確かに怪しい。
怪しいが……。
「将軍、この人。もう放してやりたいんですけど、いいですか?」
「タダで、か?」
「いえ、そこはもちろん。情報と引き換えです」
「えー、情報なんて価値ゼロじゃん。あたしらの兵糧減らして、何も返さないとかありえないでしょ」
タヒラ姉さんが反論してくるが、それこそありえない。
それに周囲が同調しているっぽいところもありえない。
情報こそ勝負において大事なものはない。敵の数、武器、率いる人物、進軍経路、兵糧、他国の動静などなど。これがあるとないとじゃ、戦いかたも雲泥の差になる。
敵を知り己を知れば百姓一揆って昔の偉いっぽい人が言ってた。
それを理解している人間がこの国にはいないとなると、ますます放っておいたら大変なことになるぞ。
「え、じゃあこれで解放ってこと? っしゃ、ラッキー」
「いや、それはないから。これから道案内をしてもらいたい」
「道案内?」
疑問の声を投げたのは、男ではなくタヒラ姉さんだった。
「ああ、タヒラ姉さん。ここからは見つからないことが大事なんだ。だからいつもより斥候を多めに出しておくけど、その軍を見てきたこの人に道案内してもらうのが一番手っ取り早いでしょ」
「なるほどなー」
本当はもう1つ目的があるんだけど。今は確信もないし、とりあえず黙っておこう。
「というわけで、えっと……」
そういえば名前を聞いていなかったな。
一応、他人に名前を聞くならこっちから名乗るのが礼儀か。
「僕はイリス。あなたの名前を教えてくれないかな」
「へぇ、イリス。なんか女の子みたいな名前っすねぇ」
「はぁ? あんた、あたしの妹のどこをどう見れば男になるわけ? もぐよ?」
「え!? 女の子!? いや、だって僕って言うし、それに……」
ちらっと男の視線が僕の目元から20センチほど下にずれたところに移った。
あ、なんか理解した。不愉快だった。
「クラーレさん。拷問の道具ってあります?」
「お、イリスもやってみる? うーん、そうだねぇ。わたし的には、やっぱり針かなぁ。これをね、爪と爪の間に刺すと、そりゃあもう絶叫もので――」
「わー、嘘! 嘘です! 女の子! キレイな女の子だから……許して!」
男が全力で謝罪をして、拝むような恰好までしてきた。
やれやれ。
男も僕が本気でないことを分かったのだろう。大きくため息をついてから、苦笑を浮かべながらこう言った。
「分かりましたよ。軍の情報を教えて道案内すれば解放してくれるってことで。それで取引成立っすね。自分はコタローって呼んでください、よろしくです。あ、で。敵はもう5キロほど先にいるんですけど、どうします?」