第5話 新世界
「ではこの世界地図を見てもらおう」
グリムがそう言って指を鳴らすと、急に照明が消えたように真っ暗になる。
それも一瞬、すぐに灯りがついた。
といっても蛍光灯の類じゃない。
地面からの発光。
これまで絨毯敷きだった床が、何かのモニターのように光を放っている。
「これは……」
それは地図だった。
世界地図というのだから、よく目にする日本が載ったものかと思ったが違う。
どこかの大陸の地図。中国大陸に似ているけど、それもちょっと違う。
中国大陸なら河は2つあるはずだ。
北の黄河と南の長江。
だがこれは河が1つ。北にあるだけだ。
逆に南はもう海で、東西に大陸が延びるさまは日本の本島を、南西の大陸からほぼ独立した島は九州を思わせる。
北と西は山岳地帯となり、東と南は海に面している。
そんなどこにかにありそうで、どこにもない大陸。
その地図が、暗闇の中、光を発していた。
「これが今回のエクスぺ――――いや、国だよ」
「エクリペ?」
「あぁ、いや。なんでもないよ。うん。とにかく、この大陸でかつてない騒乱が起きているんだ」
なんだか歯切れの悪さが気になったけど、騒乱、か……。
グリムが語るのはこうだ。
昔に大陸を統一していた王朝が、今では衰退。
各国に派遣された地方の領主が独立の機運を見せ、隣国と土地争いをしているという。
これはもう典型的なアレだろう。
「群雄割拠の乱世じゃん」
「そう、それは本来望む――ところではない、うん、全然ないんだよ。平和な時代、それが一番だからね、うん」
「ふーん?」
気になる言い回しだけど、群雄割拠というのは気になる。
これでも歴史シミュレーションゲームで一番好きなシナリオは群雄割拠だったりする。
次代を超えた武将たちが争い、誰もが大勢力になる芽があるため、毎回プレイ内容が変わるから面白い。
「気に入ってくれたかな。そう、君にはこの乱世を静めてほしい」
「ふーん………………え、僕が!?」
いきなりそう言われて、反応に普通の倍以上かかった。
「君が適任なんだ。君はこういうのが得意だろう? 乱世を統一するのが」
「いやいやいやいや、ゲームと現実は違うからね!」
「え、違うの?」
純粋な目で返された。
こいつ、アニメが大好きみたいだけど、そこらへんの現実と空想の区別できてるのかな?
非常識にもほどがある。
あ、そもそも人間じゃないのか。
「それに君の得意なところだろう? コストカットってのは」
「コストカットをなんだと思ってるんだ……」
「まぁまぁ、そこは。ほら、前の社長さんも言ってたじゃないか。君のスキルが生きるところがあるはずだって。それに大丈夫だって、ちょっと乱世してるだけだから。あんまり危険はないって!」
乱世してるって動詞としておかしいだろ。
それに乱世ってことは、それこそ血で血を洗うような戦いをしてるはず。危険じゃないわけがない。
「それってつまり……これって、あれ? この世界に異世界転生しろってやつ?」
「そう! それだよ、君の時代には異世界転生はブームだったね!」
「訳の分からないことを……」
「ああ、失礼。こっちの話。うん、気にしないで」
「気にしないでって言われてもさ。そんなのできるわけないだろ。こちとらただの社会人だぞ?」
「だから仕事として頼もうと……君、今無職だろう?」
ぐっ、痛いところを突いてくる。
いや、こいつの言っていることは真実なんだけど、それを認めるのも癪だ。
すると、モルスはあからさまにがっかりした様子で、
「そうか……じゃあ、君を引き渡すしかないな」
「引き渡す? 誰に?」
「閻魔大王」
「は?」
「だって君は死んだんだよ? 死んだ人間が行きつく場所は1つしかない。閻魔大王の元へ行き、生前の裁きを受けなきゃ」
「え、ちょ……ちょっと待ってくれ、エンマ大王!?」
もしかしてそれって、悪ければ地獄行きってやつ!?
「もしかしなくてもその可能性はあるね」
「僕、そんな大罪犯したつもりないけど!?」
「人間、生きていることがすでに大罪なのさ」
「そんな哲学的なことじゃなく! あー、くそ。訳がわからない。てか死神で閻魔大王とか。せめて和洋の区切りはつけておけよ」
「何を言ってるのかな? それは君の大いなる壮絶なる勘違いというやつだ。君の考えてるのはあれだろう? 西洋的な死神と東洋的な閻魔大王が一緒にいるのはおかしいって。けどね、そもそもその西洋的な死神ってのが間違ってるんだ。君が想像する死神はガイコツの顔にボロボロの黒のフードをかぶって、手に鎌を持っているやつだろう? それがそもそもの間違いなんだよ。死神は洋の東西問わずどこにでもいる。そりゃそうさ。人間にとって死は身近なものだからね。それを司る神はどこにでもいる。特に古代インドでは、ヤマという神が死を司っている。それが仏教に入ると閻魔となり、日本に来るにあたって閻魔大王という恐ろしい地獄の支配者ができたわけだ。だからもともとは死神と閻魔大王は同じもの。というかボクらの上長が閻魔大王なんだよね。これでQ.E.Dさ。理解できたかな?」
「知らねーよ。てかなげーよ」
こいつに知識マウント取られるのはなんとなく屈辱だった。
「はは、1つ賢くなったじゃないか。そのうえで、どうするね?」
「どうするって……」
「この世界に転生して乱世を静めるか、あるいは諦めてあの世へ行くか」
「究極すぎる二択!」
「でもねぇ。君には選択肢はほとんどないんだよ? 君だって、このまま死ぬのは心残りだろう?」
「なんでだよ、勝手に決めるなよ」
「またまた。例えば本棚の一番下の奥に入れた薄い本とか、PCの作業フォルダの中の不自然に容量の大きい『新しいフォルダ(3)』とか」
「プライバシー!!」
何で知ってんだよ! それは知ってても言わないお約束だろうに!
人間としての良識が……あー、こいつ、神だからそんなものないのか。
しかし……心残り、か。
あるといえばある。
けどそれはまだ完結してない漫画とか、来月発売のゲームとか、次クールのアニメとか、そこらへんのことだけ。
ただし、家族も恋人も友達もいない僕にとって、職を失って人生50年のあと20年をどう生きるのか考えるコストを考えれば……それは本当にあるのかというと、微妙な問題だ。
「仮に、なんだ。その統一? それをしたら、お前は僕を生き返らせてくれるって言うのか?」
「もちろん。それは死神のプライドにかけて約束しよう!」
天下を統一すれば、僕はまたあの日常に戻れる。
天下統一なんて、これまでゲームで数百回やってきた作業だ。そう考えれば何ら問題はない。
ただ――どういうことだろう。
それを聞いても、なんら心にときめかない、希望を胸にやる気が起きるわけじゃない。
僕はあの日本という世界に、もう、未練がないということなのだろうか。分からない。
「少し、考えさせてくれないか?」
「もちろん。とりあえず先に説明だけしてしまおうか。それから決めてもらっても構わないよ。君が新しい世界で生きるか、それともこのまま消えるか」