第54話 出陣の刻
散会してから2時間ほど後には出撃の準備は整った。
といっても兵力は500。
しかもその内容が問題だった。
兵たちが集まる脇で、タヒラ姉さんとクラーレの会話を耳にしてしまった。
「精鋭500ねぇ……これが?」
「なんでも未だ無敗って話でしょ?」
「当たり前じゃない! 戦場に立ったことない新兵なんだから! あのデブ……あたしたちを潰す気!?」
そう、精鋭とは名ばかりの新兵500。
これで1万の足止めをしろだなんて、死んで来いと言ってるようなものだ。
ただ、その後が2人の非凡なところで、
「じゃあどうする? 吊るす? ハムみたいに」
「あたしらだけで勝った後でね!」
「そうこなくっちゃ、タヒラ」
頼もしいというか、なんというか……。
とにかくこれが僕らにつけられた最大兵力。
本当の精鋭は大将軍を守って出陣するということで、各地から徴兵された兵らと合わせて約2千が合流することになる。ただ、それには時間がかかるので出発は明日の昼過ぎになるそうだ。
といっても、それを待つ時間はない。
もちろん、何の障害もなく進んでくる1万に対し、500の新兵では真正面からぶつかれば1秒で溶ける。
だがつかず離れずのけん制、休憩中への奇襲、遠距離兵種によるかく乱などを行えば、その進軍を遅らせることができる。主力や同盟軍が来る時間稼ぎくらいはできるはず。
ゲームでも敵の進軍を遅らせたり、妨害するために小数の兵を囮で出すこともある。
それは最悪壊滅してもいい死兵(死んでもいい使い捨ての兵)だが、もちろん僕は死ぬつもりはない。
「これは国を、友を、家族を守る戦いである。皆の奮戦を期待する」
練兵場に集まった新兵の500。
この夜更けにも関わらず完全装備だが、当の本人たちはガチガチに固まってしまって硬さが抜けていない。まだ右も左も分からない新入社員なのだ。というより、今のイリスと同年代に見える兵もいる。
その前で将軍が実直を絵に描いたような――悪く言ってしまえばクソ真面目で面白みのない訓示を行った。
その影響か、兵たちの顔にはいくばくかの緊張と覚悟、そして多大な生きては戻れないという諦めの表情を浮かべる。
これはいけない。
この将軍、確かに有能なのだろうけど、やり方があまりに機械的だ。CPUだ。
100%死ぬけど国を守るためだから頑張れ、と言われて誰のやる気が出るだろうか。兵は人間だ。やる気がない、要は士気の低い部隊が弱いのはゲームでも再現されている。
とはいえ、彼らより歳は上とはいえ同じく初陣で、士気の上げ方なんて知らない僕としてはなんて言っていいか……。
そう僕が迷っている間に、動いたのは我らがタヒラ姉さんだった。
「あ、将軍。ちょっと自分からいい?」
「手短にな」
短く許可を得たタヒラ姉さんは、1歩前に踏み出し将軍の横に立つ。
反対側にはクラーレがにやにやとその光景を眺めていることを見ると、この2人は将軍の補佐役として副将とか部隊長的な立場にいるようだ。意外と偉いんだ、とどうでもいいことを思った。
さて、そんなタヒラ姉さんは何を話すのか。
兵たちの視線と共に、僕は注目した。
「えー、どもです。キズバールの英雄のタヒラちゃんです」
「…………」
反応なし。
あーあ、これ辛い。もう嫌だ、見てられない。身内の恥として始末したい。
「んん、ちょっと将軍。もうちょっと温めておいてほしかったんだけど。ま、いっか。えー、なんか英雄みたいな感じに言われてるけど、そもそもそう言われたのはイース国の人たちじゃなくて、ウェルズの人たちで。あたし自身はあまりそういうのはめんどいからいいって言ったんだけどね。そもそも作戦ってのが~~くどくど」
なんか急に自慢話を始めたぞ。
なんだ、何が言いたいんだ、この人は!? ダメだ、もう止めよう。この人の、息の根を。
「タヒラ」
将軍が端的にタヒラ姉さんを急かす。
それで自慢話を辞めたタヒラ姉さんは、
「はいはい。ってま、そんなわけだけど、英雄ってのはすごいんだよねってこと! 以上!」
はい、何のなんの内容もなかったー! 時間の無駄だったー!
あんま言いたくないんだけどさ。空気読め、姉よ。
はぁ……頭が痛い。
「イリス、何であたしがこんな話をしたと思う?」
と、不意にタヒラ姉さんがこちらに話を振って来た。もしかして今の頭が痛いアピール、見られた?
けど、なんでって……。
「自慢話したかったんじゃ?」
「さすがのあたしもそこまで考えなしじゃないから! 自慢話したいなんて半分しか思ってないから!」
半分も思ってたのか、姉よ。
「あたしが言いたかったのは英雄ってすごいってこと。そしてそれはね、ここにいる皆がなれるんだよ」
「え?」
「確かにこの戦いは厳しい。勝ち目はないに等しい。けどさ。キズバールも思い出せば、あれも勝てるはずがない、負け前提の戦いだったんだよ。それでも勝った。だからあたしは英雄って呼ばれるようになったの。そのころの部下たちはこう言ってるよ。『俺は昔、キズバールで戦って生き延びた。俺こそ英雄だ』って! 皆もそうなりたくない!?」
それはあまりに短絡的で、利己的で、ご都合的で、即物的な物言いだった。
けど、その言葉は確かに新兵らを、空気を変えた。
絶望で諦めしかなかった空気が、希望、そして熱を持った空気に。
「親に、妻に、子や孫たちに自慢したくない!? 絶体絶命、国が滅ぶかもしれない戦いに参加して、勝って、生き延びた! キズバールと違って、それはもう国を救ったんだって! 皆の名前が救国の英雄として代々受け継がれるんだよ! こりゃ死んでる場合じゃないでしょ! 生きて、生きて、生きて、英雄の美味しいところを味わってやろうじゃんの!」
空気が張りつめていく。
あと少し。
そこで兵の中から声があがった。
「し、しかしタヒラ様。やる気はあっても、勝てなければ……」
「ふふ、そこは安心して。あたしはすでに英雄を知ってるよ」
どうせ「ここにいる君こそ英雄だ」とか言うつもりだろう。ありきたり、というかそれはちょっと弱い気がする。豚もおだてりゃ木に登るというけど、こんな質問をしてきた用心深い人に通じるか?
だからその後にどう続けるのか、タヒラ姉さんの口に注視していたが、
「紹介しよう! あたしの妹、イリス・グーシィン!」
「…………は?」
おお、というどよめきと共に、500人の1000もの瞳がこちらに向く。
同時、だから何? という冷めた視線も集まってくる。
え? つかなんで僕が滑ったみたいな感じになってるの!? なんてことしてくださりやがりましたか、お姉さま!?
完全に不意打ちだった、
非常に気まずい。てか痛い。みんなの視線が痛い。死ぬ!
「まだ知らない人も多いと思うから言うけど、あたしの妹は軍略の天才。あたしが身をもって体験した。先だつザウス国による大使館襲撃事件。その追っ手十数万の敵軍から非戦闘民100人を、1人の犠牲者も出すことなく帰国させたのよ。しかも敵の将軍を討ち取った大戦果は、まさしくイリスの作戦の力だったのです!」
いや、十数万もいなかったし、100人も逃がす相手はいなかったし、敵も討ち取ってないし。
誇大広告も真っ青の真っ赤な嘘じゃないか! あぁ、もう自分で考えて青いんだか赤いんだか!
だが時として真実なんてものは、民衆にとってはどうでもいいものらしい。
「そういえばそんな噂を聞いたぞ」「あれが妹殿の……」「勝てる……勝てるぞ!」「おお、イース国よ、永遠なれ!」「タヒラ様、万歳! イリス様、万歳!」
なにこの展開。
衆人の目にさらされるだけでも勘弁なのに、この熱気、期待、そして羨望。
色々な意味でお腹いっぱいの地獄のような公開処刑だった。
そんな僕の辟易とした想いを別にして、タヒラ姉さんは兵たちに向かってこぶしを突き上げる。
「皆で英雄になるぞ!」「おお!」
「皆で生きて帰るぞ!」「おお!」
「皆で国を守るぞ!!」「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
500人の咆哮が夜空にこだまする。
まさしく士気の爆発。
数分前までには0に近かった士気は、今やパラメータ上限を突き破って無限大に突入しているかのようだ。
なんかうまいこと道化にされた気がするけど……この結果を思えば仕方ない。
同時に思う。
彼らの1人1人。その誰をも失いたくないと。きちんと家に帰してやりたいと。
不可能と思えることだけど、思う分には、頑張ろうと決意する分には問題ないだろうと思う。
兵たちが散っていき、それぞれが出発の最終確認を行う手筈となる。
その様子を眺めていると、足音が近づいてきた。
「そんな思い詰めないの。大丈夫大丈夫、いざとなったら、あたしが皆を逃がすから」
「タヒラ姉さん……」
どうやらすべてお見通しだったようだ。
このおちゃらけたようで、すべてに目配りができている様はなんだろう。よく考えればまだ大学生くらいの、自分より10も年下の人物なのだ。
先ほどの人心掌握ぶりといい、この気配りといい、自分の器の小ささを思い知らされる。その悔しいという思いと、誇らしいという思いがないまぜになって、素直に返答できない。
「そんなこと言わないでよ。帰るなら、みんな一緒だ」
「……そだね」
後ろからぎゅっとされた。
背中に感じる胸の感触。今はそれが心地いい。ちょっと甘えてもいいのかも。そう思えてしまう。
あるいはこのぬくもりは、二度と感じることができなくなってしまうのだから。
それを思うと、離れがたいと思ってしまうのは、まだ僕が甘いからか。
「……くんかくんか。あふぅ……これがイリリのにほい……」
「離れろ変態!」
「あん、いけずー」
誰だこんなのに憧れとか抱いたって愚か者は。絶対ありえない。こんなのに……憧れとか。
切野蓮の残り寿命265日。
※軍師スキルの発動により、10日のマイナス。