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挿話13 カタリア・インジュイン(ソフォス学園)

「イリス! イリス! しっかりしなさい! 何をしてるんですの! 起きなさい! わたくしの命令ですわよ!」


「カタリア様! 今動かしてはダメです!」


「うわ血がいっぱい、血が、血が血が……!」


「皆、落ち付こう。カタリアくん、まずはイリスくんを部屋に運ぶんだ。ユーンくん、お湯を沸かして。それから宿にあるだけの薬を。サンくん、医者を叩き起こして連れてきて!」


 まさに上を下への大騒ぎだった。


 ちょっと出てくる。

 イリスがそう言ってから十数分後に戻って来たと思ったら、血まみれで気絶した状態だった。


 一体何が起きたのか。それを教えてくれたのはチヨメと、イリスが諜報で使っていたコタローだった。

 彼らと共にイリスを部屋に運んだ時には、少し落ち着いた。


「なんであなたがここに?」


「それは後ででいいでしょう。それより今はイリス殿を」


「分かっている、けど……」


 これはどうすればいい。


 以前――あれは去年か。ウェルズ国へ向かう途中で野盗に襲われた。その時にもこの馬鹿は無茶をして倒れた。

 そんな馬鹿を仕方なく診たのはイース国を代表するわたくし。医術の心得なんてないけど、なんとかするつもりでなんとかした。


 けどあの時とは違う。

 あの時は傷口に毒が入っていたのを洗い流して縫っただけでどうにかなった。


 けど今回はレベルが違う。

 胸から脇にかけてバッサリ斬られている。左腕もざっくりと裂けて骨が見えるのではないかと思うほど深い。


 正直、素人には手に負えない。


「とりあえず里に伝わる秘伝の薬を」


「海のない甲斐なんかの山奥で調合した薬なんて効く効かない以前に毒でしょ。やっぱかの坂田金時の育った足柄山こそ、最強の薬草がとれるってもんでしょ。それに海もあるし。やっぱ大いなる海はすべてを救う。あれ? 甲斐って海あったっけ?」


「それ自慢? じゃなくとも殺すけど」


「やってみればー? 返り討ちにするし。あ、よかったね。秘伝の薬が自分に使えて」


「2人とも黙りなさい!」


 チヨメとコタローのあまりにとりとめのない会話に思わず毒づく。

 イリスが苦し気にうめいているのを見て、ざまをみろと思う反面、胸のあたりがキュッと締め付けられる感覚が不快。イリスがどうなろうと、どうでもいいのに。いえ、彼女はわたくしの公式ライバル。ライバルならこんなわけのわからないことで死ぬわけがありませんわ。そうですわよね、イリス!


「会長、医療の知識は?」


「残念ながら苦手な分野でね」


 どうする。

 正直、この2人の薬に任せるのも手。けどなんとなく胡散臭い感じも否めない。

 今、サンが医者を探しに出ているけど、この夜遅くに見知らぬ街で他国の人間の頼みを聞き入れる医者がいるかどうか。


 ならどうする。この間にも時間は刻一刻と流れていく。イリスの血も刻一刻と流れていく。

 どうする。どうする。どうする。このままだとイリスは死――


「っ!!」


 自分の頭を殴りつける。そんなこと、ありはしない。あってはいけない。


 だから考えろ。イリスを助け出す手段を。

 この男女おとこおんなが最高の医療により命を吹き返す手段を。


 …………………………………………いる。

 この国の最高の医者。それがいる場所。わたくしは知らない。けど知っている人がいる。


「カタリア様、会長、お湯が沸きました!」


「…………ユーン、とにかくあるだけの薬を塗りたくって。それから血を止めるためにギュッと縛って。あ、痛みで舌を噛まないよう、口には棒を噛ませときなさい。会長、あとは任せます」


「カタリアくん、どこへ?」


「この国の最高の医者を呼んできますわ」


「え?」


 それ以上、話している暇はなかった。

 今のイリスは会長に任せて部屋を飛び出る。


 あった。

 わたくしたちを運んだ馬車がまだ宿の横に止まっていた。何かあったかを確認するために残っていたのでしょうけど、それが今のわたくしにとっては幸運。


「借りますわ!」


「え、あ、ちょ!」


 狼狽する御車をほっぽりだして、馬車に飛び乗ったわたくしは馬に鞭を入れた。それを受けた馬が勢いよく走り出す。

 背後で御車の叫びが聞こえるけど無視。


 まったく。イリスは何を考えてるのか。

 急にどっか消えて。わけも話さず。何も伝えず。死にそうになって帰ってくる。


 本当に一昨年までの彼女とは全く違う。まるで別人のよう。去年の決死の戦いの最中、何度思ったことか。

 思想も思考も行動力も判断力も決断力もはるかに完成された彼女。それがイリス・グーシィンの本当の姿なのか。


 分からない。

 分からないから、ライバルとした。

 彼女を傍に置くことで、常に緊張感をもって生きることを考えた。


 そう、わたくしは大イース国の宰相の娘。

 たかがグーシィン家ののほほんと生きてるだけの男女おとこおんなとは格が違うことを天下に示さなければいけない。そうでなければお父様に……。


 だからあの男女おとこおんなはこんなところで死んではいけないのですわ。

 彼女が死ぬのは、わたくしに降参してすべてをわたくしにゆだねた後。どうしようもなくなった場面で、わたくしを庇って先に死ぬ。それが彼女にふさわしい死に方。今みたいなどこの馬の骨かも分からない相手に、どうでもいいタイミングで死んでいいわけがない。


 だから助ける。

 わたくしが、助ける。


 もちろん、わたくしに助ける技術はない。けどそれを成す。

 そうなれば、彼女はわたくしに大きな大きな貸しを作ることになる。それは今後の彼女との主従関係を示すのに、いい道具になるはず。


 だからわたくしは行くのだ。

 決して、あの子が死んでしまうことが――


「それが嫌で怖くて悲しくて恐ろしくて苦しくて凍えそうで叫びたいわけでは断じてありませんから! ええ、まったく!!」


 目指すは政庁。

 もちろんこの時間。すでに門は閉まっている。それでも門を守る衛兵がいて何かを叫んで道を塞ぐ。さすがに馬の蹄にかけるわけにはいかない。というより馬車で体当たりしても開くような門じゃない


 わたくしは馬車を止めると、そのまま飛び降りて門番に詰め寄る。


「開けなさい! 中にいる人に用があります!!」


「貴様! 何者だ!」


「カタリア・インジュインですわ! この国の宰相、または提督を出しなさい!」


「なんだと!?」「気でも狂ったか!」


 ええ、狂ってますわ。狂ってなければ、こんなことはできません。


「早くしなさい! さもないと、わたくしの友――いえ、ライバルが死んでしまう! イリス・グーシィンを助けなさい!」


「おい、それ以上近づくな!」


 門番が槍を構える。その先端はわたくしの体に向いている。


 こちらは鎧を着ているわけではない。その穂先は簡単にわたくしの胸を貫き、心の臓を止めるだろう。


 ……ふん。それがなんですの。

 あのイリスが傷を負っているのに、わたくしがこの程度のことでひるむと思って?


「心外、心外ですわ! そのような脅しに屈する者など、インジュイン家にはいません!」


「な、なんなんだ、この女……」「お、おい。どうする。宰相を呼ぶか……?」「ば、馬鹿野郎! こんなのを宰相に会せたらマズい! 増援だ! 増援を呼べ! この女を取り押さえる」


 騒がしくなった。けどこの騒ぎに気付いてくれれば――


 そこに割り込む声が聞こえた。


「それは不要ですよ」


「あ、提督!」


 シューユとかいう、あの優男。ツルから聞いた通り、夜も政庁にいると言ってたけど本当だった。


 そのシューユはわたくしの顔を見つけると、少し驚いた様子を作りながらもすぐに優し気な笑みを浮かべ、


「これはイース国正使のインジュイン様。どうしました?」


「え……まさか提督、この娘……いえ、この方が?」


「はい。姫のお気に入りの1人です」


「し、失礼しました!!」


 衛兵たちが槍を掲げて直立不動を取った。

 もはやその2人は眼中にない。相手を土俵にあげた。あとはわたくしの交渉次第。


 だからわたくしはシューユに向かって。


「恩にはきりませんわよ」


「ええ、ですがそれはこの後の内容次第かと」


「この国の最高の医師の手配をお願いするわ」


「ほぅ? どなたかご病気ですか? ただ先ほどまで皆さんは元気のようでしたが……」


「刺客に襲われたのよ。うちの副使が」


「なんと……!」


 シューユが眼を見開く。けどそれは一瞬ですぐに冷静な顔つきに戻り、数秒の間のあとに口を開いた。


「…………なるほど。我が国は一度、あなたたちを受け入れた。たとえ本国との関係がどうとはいえ。さらに明後日にまた交渉を再開するという宰相のお墨付きも得た。つまりあなたたちは我が国にとってはまだ賓客。その身に何かが起これば、矛先はすべて我らに向かう。賓客の身の安全すら守れないということで」


「そう。たとえどこの誰が放ったものかは関係なく、ですわ」


 呼吸にして二つ。シューユと目が合った。

 この男。顔はいい。けど、どこか冷たいようなものを感じる。そんな印象を最初に受けた。


 けど今、それが間違いだったことが分かった。この男の瞳の奥。そこにあるのは怜悧な氷ではない。すべてを燃やし尽くす、激烈の情熱。この男。ただの優男と思っていると痛い目を見るのは間違いなさそうね。


 やがてシューユは険しい顔を緩め、


「ふふ。なるほど。イリス、彼女もなかなかの者でしたが、あなたも龍でしたか」


「何を今更。イリスごときわたくしの足元にも及びませんわ」


「それは怖い。そうですね。ここは降参しましょう。すぐに太守の専属医療班を向かわせます。イリスさんは宿に?」


「ええ。それじゃあ、お願いするわ」


「ふふ、それにしても羨ましい。親友の危機のため、このような暴挙をするなど。私が止めなければ、この門番たちに捕縛して、あるいは殺されていたかもしれないのにですよ?」


 親友? この者は一体何を言っているんですの。あのイリスがわたくしの親友。ああ、なんておぞましい。

 まったく、仕方ありませんわね。ここで改めて天下に向けて公言しておくべきなのかもしれませんわ。わたくしとイリス。その関係は――


「あれはただのライバル。そしていずれわたくしの足元に屈服すべき存在ですわ。それ以上でもそれ以下でもありませんから」

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