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第82話 商人のこと

 その男は頭にターバンのような布を巻き、全身を上等な布でくるんだ小太りの男だった。いや、小太りというのには語弊がある。かなり脂肪分の豊かなというべきか。

 ただそれにも増してその人物を印象深いものにしているのは、豊かに蓄えられた口ひげと膨らんだ頬。口元はにんまりと笑っているものの、人を射抜くような視線を持つ瞳は一切全然笑ってないように見える。

 年齢は40、いや50間近といったくらいか。一目見ただけでなんとも油断できないような雰囲気だ。


「あなたは……えっと、確かバトゥーリさん?」


「おお……ゴサ国の水神様に名前を尾辺ていただくなんて光栄の至り。はい、あなたのバトゥーリでございまするよ」


「はは……」


 鶴姫が苦笑いしている。あれだけグイグイ来る彼女でも、こういった手合いは苦手なのだろう。


「えと、何か用でしょうか?」


「いえいえ。用だなど。わたしごときが水神様に声をかけるだけでも憚られるというのに、いやはや恐れ多い」


「そんなに気にしないでいいのに。街の皆も」


「またまた。水神様は我らが商売人の守り神。これまでも海賊や洪水、嵐という災難から我らを守っていただいたのですから、そのような謙遜はいただけませんな。水神様はおられるだけで、我らに祝福を与えてくださる女神なのですから。ああ、ぜひともわたしにもそのご加護をいただきたいものですな。ええ、もちろん水神様が軽々しくわたしのような者に何か授けるのはそれはもう恐れ多いことなのですがわたしとしても多少はゴサ国の御為になることと信じ働いて参りました。そのようなわたしごときが誠に恐縮ではあるのですが是非とも水神様のご利益を承りたく……いえ、決して私利のためではなく、それがゴサ国、ひいては水神様のためになると確信しておりますのでからには」


「あー……」


 完全に鶴姫は言葉の嵐に呑まれていた。てかここまでのヨイショ。聞いてる方も辟易とする。

 いつまでも続きそうなバトゥーリとかいう男の言葉。止め時を完全に失ったわけだけど。


「ちょっちいいかの?」


 そんな僕たちの前に立ったのは、坂本さんだ。


「お主……リョーマとかいう、宰相のご意見番」


「そうそう坂本の龍馬さんじゃ。のぅ、バトゥーリさんよ。さすがに姫さんも困っちょるき、そこらへんにしておいてもらえんかの?」


「ふん。下賤の者とつるむ貴様には分かるまい。我らが目指す、理想の世界を」


 坂本さんが間に入った途端、バトゥーリは明らかに表情を曇らせ、言葉遣いも乱暴になった。こちらが素ということだろう。

 それにしてもやけに喧嘩腰だ。坂本さんもちょっと表情を曇らせている。もしかして仲悪い?


「水神様。このような者とつるむのは感心しませんなぁ。水神様のご加護は有限ながら、このような下賤の者どもに分け与えるよりは、我らのような御用商人にこそお与えくだされ」


「そうやって高みから見下ろす輩が、清盛さんの周囲に飛び交っているだけでえろう迷惑じゃちゆうんに。老いも若いも、できるのもできんのも。皆等しく頑張っていく。それが世界というもんじゃとわしは思うがぜよ」


「ふん。下賤のものがあくせく働いても限りがある。そもそもが稼いだ金を己のためだけに使う連中に加護など必要ないだろう? 神の加護は我らのような優良たるものにこそ宿るべきである。そうではありませんか、水神様?」


「え、あ、そう、かな?」


「姫さん。こいつの話は聞かなくて結構。こいつは、こいつらは自由貿易の敵ぜよ」


「はっは、敵はむしろそちらだろう? 自由貿易など、国家の利益を損なう病原菌。つまりその代表のようなものだ、君は。自由貿易などというのは、際限ない欲望の渦を解き放つようなもの。そこには秩序も統制もあったものではない。ゴサという国家を混乱させ崩壊させる病原菌はすぐに駆除しなければ。これはそういうことだよ、リョーマとやら」


「一部の御用商人が不当に利益を得て、他のものは知らんぷり。そげな停滞があったからこそ、徳川の世は行き詰ってしもうた。どちらにも破滅があるなら、自由という名の翼を得て羽ばたいた方が幾分かマシじゃ。その果てに、滅びとは異なる景色が見えるっちゅーことになるかもしれんしの」


「……君とは分かり合えないようだな」


「寂しいのぅ」


 なんだ。なんかいきなり坂本さんとのバトルが勃発している。

 話についていけない僕ら、そして本来渦中にいたはずの鶴姫も呆然として成り行きを見守っている。


「これ以上下賤の民に付き合うにはわたしの時間がもったいない。それでは、水神様。わたしはこれにて。また、よき時分にお会いしたく存じます」


「あ、ええ。分かりました」


 呆気にとられた返事をした鶴姫に、深々と一礼すると振り返って立ち去っていく。その間際に、坂本さんに一瞥をくれるとついでに僕らにも一瞬視線を向け、


「ふっ」


 鼻で笑われた。

 どこぞの小娘がという思いもあるんだろう。


 いつものカタリアなら、そんな無礼は許さずに噛みつくだろうと思ったけど、事態を飲み込めていないのもありただ黙って男の後ろを睨みつけただけだった。


「ふぅ、やれやれ。めった(困った)お人ぜよ」


 坂本さんが肩をすくめてみせる。その顔は、今までの険しいものではなく、どことなく抜けた感じに思えた。だからこそ聞ける。


「坂本さん、今のは?」


「ん? ああただの商人連中ぜよ」


 まぁそんな感じはした。


「やけんど、うちの中枢と深く絡んどる」


「中枢?」


「清盛さんじゃな」


「そういえば御用商人って言ってましたね」


「ん? ああ。そんな感じじゃ。国から一定の権利と保証をもらった商人。それがあの男じゃ。ま、どうもいけすかんやつじゃがのぅ。清盛さんに気にいられてるのか、どんどん態度が大きくなっちゅう。わしには合わん」


 ああ、なるほど。だいたい見えてきた。


 清盛はこのゴサ国を大きくするのに、一部の商人と結託した。その商人に大きな権限を持たせる代わりに清盛ら国のトップを優遇させるようにしたのだ。

 現代では、癒着とか袖の下とかで色々問題になることだけど、この時期、この時代、特に国家が大きくなろうとする時にはそういった御用達しの商人が必要になる。


 かの織田信長も、今井宗久いまいそうきゅう津田宗及つだそうぎゅう、そして千利休といった堺の商人と結託して領土を拡大していった経緯がある。

 平清盛も、日宋貿易において大宰府や博多の商人と結託しただろうから、それをなぞっているだけに過ぎない。


 けどそれが坂本さんには気にくわないんだろう。

 彼は幕末の混迷期において(本当にかかわっていたかどうかは別として)様々な政策を打ち出し、少なくとも日本で最初とも言われる株式会社を設立したことから、日本における自由貿易のさきがけとなったといってもいい人物だ。


 それが一部の人間が富を独占して、次第に国家と同化していく御用商人とは合わないのだろう。


 とはいえ、それはあくまでも私見。

 聞くところによれば坂本さんは正式な役職にはついておらず、たまに意見をもらう時に清盛たちの相談相手になるだけで、国家の運用にはほぼ権限がない。それ以外の時はプラプラと出歩いたり、海の外に出たりしているらしい。


 だから清盛たちに影響力があるとはいえ、一個人が御用商人を嫌っている。

 その図なら、そこまで問題ないんだろう。そう考えていたが甘かった。


「正直、めった(困った)もんじゃ。おまんらじゃからゆうとくが、この国は今、分裂しそうになっとる」

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