第69話 会見前夜のこと
「ちょっと! 海戦ってどういうことですの! なんであなたが指揮を執ってたんですの!? 答えなさい、イリス・グーシィン!!」
はぁやれやれ。元気になったかと思えばこれか。
ゴサ国についた夜。
僕たちは宿の一室で、復活したカタリアたちと今後の方針を打ちあわせしていた。
ただその前に、彼女らが船酔いでくたばっていた間のことを情報共有すると、まぁなんというか。ある意味予想通りだったけれど大噴火が起きたわけだ。
「でもよかったじゃないですか、カタリア様。これでイース国の強さが広まります」
ユーンが取りなすようにカタリアをなだめるが、カタリアの怒りは収まらない。
「イース国の、じゃありません! イリスのものでしょう! ああ、気にくわないですわ! なんでわたくしじゃないの!」
そりゃお前が船酔いしてたからだろ。
「そういう時はわたくしを起こしなさい!」
だから船酔いで死んでたやつが何を言うか……。
という感じで、反論するのも馬鹿馬鹿しい。僕はカタリアの文句を右から左の耳に受け流しながら思考は別の方向に飛んでいた。
いや、まさかとは思ったよ。
トンカイ国に関羽。ザウス国に呂布。ツァン国と帝都にもビッグネームのイレギュラー達がまさに覇を争っている。そんな中、ゴサ国にイレギュラーがいないわけがない。そう覚悟していた。
覚悟していたんだけど……。
まさかの周瑜とは。
後漢末期。魏の曹操、蜀の劉備、そして呉の孫権。その孫権を一地方勢力から天下の一部を治める大勢力に台頭させたのが周瑜、字を公瑾。
その白眉の名シーンといえば、やはり赤壁の戦いだろう。迫りくる魏軍に対し、圧倒的兵力差を覆しての大勝利。義兄弟の孫策と共に築いた呉国の礎を昇華した瞬間だ。
三国志演義だと諸葛亮にいいようにやられる二枚目ならぬ三枚目だが、正史では呉軍の最高司令官として精強な軍を率いる天才で、イケメンで音楽の才能があって美人の妻がいて、もうパーフェクトヒューマンすぎて爆発しろって言いたくなる。あー、うらやましい。
そして呉といえば水軍。そしてゴサも海の国。その彼が正史のように海軍都督についている以上、この国の軍も尋常じゃない力を秘めているに違いない。
ゴサからはイェロ河をさかのぼれば帝都までは遮るものはない。周瑜に率いられた水軍が駆けつければゼドラ国とも互角以上に戦えるだろう。
ただそれと同時に恐ろしくもある。ゼドラ国に勝てる光明が見えるということは、つまりゴサ国の比重が重くなるということ。今後、ゴサと国境を接するイース国としては大国からの圧力に怯える日々が続くだろう。
その周瑜から受けたのは、まさかの言葉だった。
『イース国からの使者の皆さんをお待ちしておりました。長旅でお疲れでしょう。こちらで用意した宿にお泊りください。明日は、我らが太守との謁見の時間を取らせていただいております。その後に是非会食などを交えて、今後の両国の国交についてお話しできればと考えておりますので。では、こちらの馬車にお乗りください。明日のお昼前にこちらから迎えの者をよこしますので、本日はゆっくりお休みください』
まさに至れり尽くせりの好待遇。
色々と疑うところもあるけど、ここで断る理由もないということで彼の手配した宿に泊まることになった。
ただどうも嫌な予感がしてならない。
「で、どうするんだよ。明日にって話だったけど、これはどうもにおうぜ?」
「臭い? これはいけない。イリスくん。さぁ、すぐにお風呂に入ろう! 一緒に!」
「あ、会長。今、そういうのいいんで。話の腰折らないでもらえます?」
「くっ……あの時の君はまだ純粋だったのに。どうしてこうも疑い深く……」
いつの僕だよ。
てか交渉は任せてくれって言ってる本人がこのお気楽ぶり。前途多難でしかない。
「で、なにがにおうんだイリスっち?」
サンが話を先に進めるために僕に振る。
「僕らがイース国の人間と分かってあの総司令官様は迎えに来たんだ。これから行きますだなんて、僕らは一言も言ってないのに、あっちは僕らが目的を持ってここに今日来ることを読んでいた。それだけで胡散臭い」
「ん? 何が問題なんだ?」
「ゴサ国が僕らのことを知っていた。じゃあそれは誰から聞いたと思う?」
「誰からって……それはもう……あれ、誰だ?」
「ちょっと待ちなさい、イリス。わたくしたちが出発したのはわたくしの都合。それから色々あって回り道になったわけで。それを知ってるのは――」
「まさか、イース国!?」
「そう考えるのが自然だろう。出奔した僕らがゴサ国に行こうとしてるのはカタリアの父親も当然知ってる。そうなった時、僕らを簡単に捕まえる方法は――」
「まさか、パパがゴサ国に告げ口したっていうの!? しかも、わたくしたちを捕えろって!?」
「その可能性があるからくさいって言ったんだよ、カタリア」
カタリアにとってはショックなことだろう。最愛の父に売られた彼女の身を思うと、さっきまでの乱心も幾分かは仕方ないと思えてしまう。
「でも、そんなこと……」
「ここも相手が用意した宿舎。見張られてる可能性がある。逃げ出すなら今夜。そういうことだよ」
といっても、どこに逃げればいいのか。
もはやこの広い世界。僕たちが逃げる場所なんてないのかもしれない……。
誰もがどんよりとした空気の中、口を開いたのはムサシ生徒会長だった。
「いや、イリスくん、カタリアくん。ここは明日、イース国の正使として面会に答えよう」
「え、会長?」
「たとえ裏に手が回っていたとしても、私たちは逃げるわけにはいかない。どちらにせよイース国の利益になる話なんだろう? ゴサ国の首脳と話す大チャンスだ。だったら捕まるの覚悟で、行ってみるのも悪くないだろう。ゴサ国との国交回復を手土産にすれば、裁判でも情状酌量の余地はあるはずだ」
おいおい。これがついさっきセクハラ発言をしたのと同一人物か? なんというか、政治してるな。
「ふっ、さすがは生徒会長ですわ! どっかの臆病者の誰かさんとは考えることが違います!」
どっかの臆病者って誰だよ。まさか僕か?
「正使たるわたくしが判断します。明日、お招きを受けて太守様に会いましょう。イリス、陛下からのお手紙、なくしてませんわよね?」
「はいはい、大丈夫ですよっと」
「はいは1回!」
「はーい」
ま、仕方ないか。確かにここで逃げても意味はないし。虎穴に入らずんばなんとやら。結果よければすべてオーライ。
ここは1つ、気合を入れて頑張りますか。
「よし! じゃあ今日はゆっくり休もうか! その前にここ数日入ってなかった汚れを落とすためにお風呂に入ろう! さぁ行こう! 」
生徒会長がどこから準備したのかマイ桶とタオルを持って立ち上がった。
やっぱさっき鋭い意見言った人と同一人物には見えないんだよなぁ……。
その夜のこと。
「イリス」
宿の自分の部屋――個別にとってあって、ちょうど6人分だ――で待っていると、ドアをノックする音。
声からして分かっていたけど、少し警戒して開けるともちろん千代女だ。
「どうだった?」
千代女を中に入れて口元を隠しながら声のトーンを落として聞く。ないとは思うけど、ちょっとした盗聴対策だ。
「特に何も。宿の周囲には20人くらい警備の兵がいる。けど、物々しい感じじゃない。見張ってる感じもない。そのほかに軍らしき人の集まりもなかった」
「そうか……」
千代女には周辺の調査をお願いしていた。
さすがに周瑜の言葉は鵜呑みにできない。最悪の場合は、こうやって油断させて夜中に踏み込んで全員捕まえるという筋書も疑える。その気配は今のところなさそうだというけど……。
「軍神も特に何かを感じてるわけじゃないし……」
となると本気なのか? あの周瑜の言葉は。本気で、僕らをイース国の正使として扱って、両国の国交回復を狙うと本気で思っているのか?
「ねぇ、イリス。あれが周瑜?」
「ん、そうか知ってるのか。千代女は」
「お屋形様、好きだから。三国志」
なるほど。武田信玄といえば風林火山が有名で、それは孫子から取ったもの。さらに信玄はトイレで本を読む習慣があったというから、史記だけじゃなく三国志も読んでいるというのは分からないでもない。
「ふーん、あれが周瑜」
なんか意味深な反応をする千代女。
「勘助が仕官した時、お屋形様が言ってた。我が家もついに公瑾を得たって」
「え、勘助って山本勘助?」
「そ。美周郎とは程遠いけど」
「ぷっ!」
山本勘助は武田信玄に仕えた軍師だ。確かに山本勘助は戦術に優れた軍師なだけでなく、築城や政略にも長けていたというから周瑜みたいな八面六臂の活躍をしたのは確か。海なし県だから水軍はないけど。
ただどうも容貌怪奇と言われ、見た目で今川家の仕官を断られたというから、イケメンとは程遠い身なりだったことは確か。それでも周瑜と比較するという信玄の人を見る目が確かさを証明するようなやり取りだけど、若干のユニークも入ってるな、それ。
「それ、勘助級に凄いのがあそこにいるってこと?」
「ん、まぁそうなるかな」
「殺しとく?」
「なんで!?」
「だって、敵になったら厄介」
「よし、とりあえず千代女。敵と味方で全部分けるのよそう? それに今は味方(になる予定)だから!」
「んー、仕方ない。分かった」
なんというか。やっぱ発想が物騒だな、この子。
けど確かに、さっき思ったようにゴサ国が台頭してきたら真っ先に僕らが相手をしないといけない。あの周瑜相手に。西には呂布、南に関羽、東に周瑜。もうなんだ、この三國志名将包囲網は。あとは北に誰だ? 残るは魏だから五大将軍の誰かとかいるのか? あるいは馬超あたりとか? もうどうにでもなれ!
そんな暗澹たる思いのまま、ゴサ国初の夜は更けていく……。




