第68話 ゴサの港のこと
海賊の襲撃から2日後。
僕らはようやく。イース国から脱出して、2週間の流浪を経て本当にようやく。ゴサ国の国都、ケェウギに到着した。
ゴサ国は海洋国家という、この大陸でも珍しい形式を取っている。太守はいるものの、それは形式上のもので商人がその実権を握っているらしい。本来なら帝国が認めるものではないけど、そこは金の力で強引に抑え込んで今に至るらしい。
港はセケーキより何倍も広く、はるか彼方まで展開され、船が百艘近く出入りをしている。その中には見たことのない大型の船もあり、真っ黒に日焼けした南米系の人やちょっと小柄な東洋っぽい人もいた。
まさに人口のるつぼ。
様々な人種の人間が、船を乗り降りしては去っていく。それほどに活気づいた湾港ゆえに、それを目当てにする商売人も多い。ところどころに屋台が立ち、鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いもただよってくる。
さらにそんな彼らを迎えるべく、ずらりと並んだ建物はおそらく全部ホテルか飲食店、そして傾城屋といったたぐいのものばかり。
人通りも多く、金が飛び交う交渉がそこらで行われているほど活気がある。
それがゴサ国の国都に一番近い、そして一番にぎわう湾港の姿だった。
ただなんとなく蒸し暑い。緯度はそれほど下がるものではない。ザウス国とトンカイ国の国境あたりと同じくらいなはずだが、妙に熱を感じる。それはさんさんと照らす太陽のせいか、それを反射させる海面のせいか。それとも船着き場で働く人夫たちが上半身裸で、その上体もよく焼けて黒光りしているからだろうか。
替えの制服の下ですでに汗が噴き出始めている。一着は長尾景春に捕まった時、あのなんとかって貴族に切り裂かれちゃったからなぁ。弁償させたかったけど、まさか死者にするわけにもいかないし、その後に世話になった小松にたかるわけにもいかないし。というわけで虎の子の一張羅。だからあまり汗に濡れたくないんだけど。
「うぅ……死ぬ。いっそ殺して……」
「お嬢……死ぬときは一緒っすよ……」
「ほらほら、カタリア様にサン。変なこと言ってないでさっさと降りた降りた」
瀕死のカタリアとサンに、本当に元気なユーンが無理やり下船させていく。
その後ろには、これまた船酔い中のムサシ生徒会長。ただ、カタリアたちよりは後半少し慣れたようで、
「ふ。ふふふ……イリスくんはまた無茶をしたようだね。つ、次からはちゃんと報告、するように。さもないと、夜に襲っちゃうぞ?」
と釘を刺されてしまったけど。
ま、確かに勝手に動きすぎたところもあるし、少し反省しよう。
ゴサ国到着は、新たな幕が上がったと感じさせるものの、誰かとの別れの始まりでもあった。
「よぅ、軍神さんよ」
「あ、船長さん。お疲れ様です」
「はっはー! あんな海戦ぶちかましておいてお疲れ様です! か! セケーキでやられた時には何をと思ったが、本当に実現させちまうなんてな! 見直したぜ!」
「は、はぁ……」
愛情表現のつもりなのか、背中をバンバン叩かれた。痛かった。
「ま、帰りには乗ってきな! お前さんならいつでも歓迎だぜ。ま、イース人も鬼みたいな奴ばかりじゃねぇって知れたのは収穫だったしな」
「そう思ってくれるとありがたいです」
「てかお前と戦いたくねぇや。初めての海戦であれだろ。次会う時、お前にボコボコにされる未来しか見えねぇや。んじゃあな」
なんというか。本当に海の男ってさばさばしてるな。
見てて、そして付き合ってみて、案外気持ちいいものだと思った。
そしてもう1人。
「イリス・グーシィン」
「カイユ……」
あまり会わずに去りたかった相手だ。
「また用?」
千代女が僕の前に出てカイユを威圧する。
「千代女」
「ううん。イリスの前に私が戦う。それが私の存在意義」
そう言ってくれるのは嬉しいけど、なんだか少し寂しい言い方だ。けどそれをダメだと言ったら彼女もまた悲しむだろう。
対するカイユは、盛大にため息つくと首を振り、
「あー、もういいよ。ここで殺っても、さすがに人目につくし」
「勝てるつもり?」
「逆に聞くわ。死なないでいられるつもり?」
千代女とカイユの視線がぶつかり、火花が散る。
「ま、ま、とりあえずなし。ここではなし! 人目についたらヤバいんだろ?」
その間に無理やり体をねじ込ませて千代女とカイユをわける。
やれやれ。守ってくれるのは嬉しいけど、そこかしこに火をくべられても困るんだよな。
「俺としちゃあいつでもどこでもいいんだが。ま、今回はお別れを言いに来た」
「お別れ?」
「ああ。ようやくゴサ国に来れたんだ。俺はここで兵になる。そしてすぐにゴサ国最強になる。そしたら最初の標的はお前だ、イリス。お前を打ち破ってお前の国を一気に滅ぼしてやるぜ」
おいおい。今、この人。イース国に宣戦布告してきたよ。なんだこいつ。本当にヤバいぞ。色々と。
「イリス、やっぱり今のうちに殺しとく?」
「…………い、いや! 今はやめておこう」
ちょっとだけ考えてしまった。危ない危ない。
「へっ、後悔させてやるぜ。だから俺が殺るまで、誰にも殺られんなよ?」
「あー、はいはい。覚えてたらね」
なんかもうこいつの相手するの疲れた。
カイユはニヤリと笑うと、ぶらぶらと街の雑踏へと消えていった。
「なんで処分しなかった?」
カイユの後ろ姿を見ながら、難しい顔で千代女が問いかけてくる。
「あいつに2対1で無事に勝てるか分からなかったんだよ」
「なんで。こないだは勝ってた」
「船上だったし……それに、なんとなくまだあいつの底が見えてない気がする」
「それは軍神の勘?」
「ま、そういう感じ」
「……分かった。でも次はちゃんと殺すから」
やれやれ。千代女の僕への思いは嬉しいけど、やっぱり重いんだよなぁ。
ま、カイユとはそうそうすぐには会わないだろうから、しばらく忘れよう。とりあえず今はゴサ国についたことを喜び、そして明日からどうやってこの国のトップと会い、説き伏せるかを考えるとしよう。
なんて考えていると、前方不注意。
ドンっと、誰かとぶつかった。
「あ、ごめんなさい! ちょっと急いでたの!」
ぶつかった謝罪の次の瞬間には、再加速して僕らが乗って来た船へと走り去っていった。早ぇ。
今の……美少女だ。間違いない。
一瞬しか見えなかったけど、その小さなお顔に、勝気に見えたものの甘くくすぐるような声。これが美少女でなくてなんになる! とくだらないことを心中で力説してみた。
ちょっと追いかけてみようか。いや、でも何のために? 可愛いと思って身に来ました! 馬鹿か。変態と思われる。いや、今の僕は女の子だから……いやいやいやいや。余計怖いわ。ムサシ生徒会長と同類になるのもいかんともしがたい。
「うぅ、吐くー、吐くー!! た、助けてぇ」
今にも死にそうな我らがカタリア様もいるし。ま、縁があったらまた会えるだろう。
桟橋から陸地に足を踏み入れる。ついに僕らはついに念願のゴサの地を踏んだ、とは特に思うところもない。地面は地面だし、今ここにたどり着いたことが重要なんじゃなく、ここから先。おそらく果てしない労力と神経を使うことになるだろう、交渉を成功させることこそが僕らの果たすべき未来への一歩になるのだ。
「ふ、ふふふ。これがゴサ国か……新たな国。新たな出会い。ああ、胸の高鳴りがおさえきれ――うろろろろろろ」
まぁその交渉に重要なムサシ生徒会長もこんなだし。とりあえず今日は休むとしようか。
あれ、生徒会長がこうなってるってことは、僕が宿の手配しないといけないんじゃね? 参ったな。異世界のしきたりとかそういうの全然知らないんだけど。
いや、こういう時はユーンだ。しっかり者のユーン。冷静沈着のユーン。
こうなったらすべて彼女に任せよう。
そう思って彼女の方を見ると、まさに彼女と目が合った。けどその彼女、しっかり者で冷静沈着な彼女が少し顔をこわばらせて僕を見て言った。
「イリス……あれ」
あれ、とは彼女が指さす方向にあるもの。
それは壮観な絵図だった。
30人ほどの男女――それもこのクソ暑い中、しっかりと鎧で武装化している――が桟橋の出入り口から少し離れた位置で横に並んでいた。
それは誰かを待っている、というより誰かを逃がさないために出入り口を封鎖している、という風に見える配置で、おそらくその両方だろうとあたりをつける。殺気はないが、逃がしはしないという威圧に似た空気を感じた。
それにしても異様だった。
そんなところに広がっていれば船乗りたちの邪魔になるだろうのに、邪魔にならないギリギリのところに展開している。むしろなんでそれに今まで気づかなかったというほどの異様。周囲の人が、その非日常を認知しながらも我関せずの無視を決め込んでいたから起こりえるずれというものだろうか。
と、その時。彼らの中から1人の男が、中央から前に出てきた。
その男は鎧を着こむわけでもなく、白と赤をあしらったスーツのような儀礼的な服を身にまとった長身の男。一瞬、女性かと思うほどにスラっとして完璧なプロポーション。余計な筋肉などないほどに洗練された動きは、宝塚の男役に見えるほどスタイリッシュ。
ましてやその顔も、この暑さの中にも薫風をにおわすさわやかな趣と、日焼けした連中が多い中での病的なまでの白い肌、黒い髪は後ろで束ねて背中に回しているさまは、やはり女性と見間違うほどに見目麗しい。
だがそれは完全な間違いだった。
その男――そう、男だ。男は僕たちの前、5メートルのところにくるとうやうやしく礼をして、こう言った。
「お待ちしておりました、イース国の皆さん。私はゴサ国の行政官、兼総司令官、兼海軍提督の周公瑾と申します。以後、お見知りおきを」




