第66話 海戦の開戦のこと
オペレーション・レッドクリフ。
そんな作戦名をつけてみたけど、まぁそこまで大したことはしない。ちなみにレッドクリフ、つまり赤壁。三国志の赤壁の大戦にならってこの名にしたのにはわけがある。
赤壁の戦いは、劉備軍の立ち位置がどうとか、諸葛亮は活躍したのか、とかの差異は多々あれど、これだけは必ず共通している。すなわち『孫権軍が火計をもって曹操軍を打ち破った』だ。
それにあやかろうというのだから、僕の計略の骨子は火だ。
鉄の鎧で覆われた戦艦が出てくるのはまだまだ先の未来。この時代の船は、三国時代と同じく木がメイン。そして木は火に弱いというのは避けようのない事実。
もちろん、相手も馬鹿じゃないから燃えにくいようにする対策はしてきているだろう。ただそれは木の表面を何かでコーティングするというレベルのもの。木製という根本から変わることはない。
それに火力が足りずに燃えないなら、火力を上げればいいじゃない。
というお姫様的発想で、やつらを撃退する。
敵の船団がどんどん近づいてくる。
ここは鉄砲を撃つタイミングと同じだ。距離が不十分なうちに放っても、敵との距離が離れていれば命中精度は期待できない。敵が目前、よほど変なところに向けなければ間違いなく当たる状態、激突の直前に放つのが命中率を高める基本だ。
今回も同じ。
敵は最初はバラバラに近づいてくるが、乗り込むためには速度を落として、さらに船に肉薄しないといけない。バラバラに、しかも高速に近づいてくる相手は狙いづらいけど、速度を落として固まった相手なら素人でも当てることができる。
「よし、放て!」
号令のもと、船乗りと用心棒たちが一斉に投擲した。それは油――鯨油の入った袋。盛大にぶちまけられたそれらは、速度を落として集まった小型船の上に降り注ぐ。いくらかは海にそのまま落ちたけど、まぁ人工物じゃない自然物だから勘弁してくれ。
それでもおおよそが敵船の上に降り注いだ。
「次、火!」
松明が次々と放り込まれる。鯨油を浴びた木製の船に、無数の松明が降り注ぐ。海賊たちは口々に悲鳴をあげた。
船が燃える。それを消そうにも、火の勢いはかなりのものでまったく意味を成さない。それは時に人を襲い、彼らは海へと落ちていった。これを地上でやれば極悪非道のファイアースターターだが、海上だから消火用の水は無限にある。ま、こっちを殺そうと思って来たんだ。少しくらいの火傷は勘弁してもらおう。
その間に僕は、弓矢で狙いをつけた。
矢の先に巻いた布を鯨油で浸し火をつける。火矢となったそれを、少し離れたところでこちらに近づいてくる小型船、その人がいない部分に射かけた。
もちろんそれだけなら油をかけたほどの発火は期待できないけど、燃えようとしている船を放っておけない彼らは進軍が鈍る。
「ははっ、さすがだイリス!」
カイユが隣で快哉をあげる。
なんでこいつが隣にいるんだよ。やりづれー。
「ちっ! 中型船が来る! 総員、白兵戦の準備だ!」
小型船はほぼほぼ撃退したけど、中型船が小型船の不甲斐なさを怒ってか、こちらに猛進してくる。
その時、こちらの大砲が発射された。狙いはもとよりの大型船。だがまだ距離はかなりあるため、大砲の弾は大きく右にずれて外れた。常に動いていること、風や日差しの変化が激しい洋上では遠く離れた(目標としては)小さな船にそうそう当たるはずもない。
第二次長州征伐において軍艦1隻で幕府水軍を撃退した高杉さんなら、
『あん? 大砲だって? そんなもの、近づいてバカスカ撃てばいいだけのものだろう!』
とか言ってのけるんだろうな。まぁあれは夜間の奇襲だったから成功した奇跡みたいなものだ。
とはいえ一撃で複数人を吹き飛ばし、当たり所が悪ければそれだけで水没の危険のある大砲に対して無警戒に突っ込んでくることもない。だからとりあえず今は大型船を警戒させて近づけさせないというのが一番。
その間に中型船を処理すればいいわけで。
その中型船は前に2、後ろに2でしかも左右の幅は広く、前後は若干左右にずらして進軍してくる。
横の船が進路を外れてぶつからないよう、前の船が動かなくなった際に追突しないよう、距離を取っているようだ。
「イリス! 左からでいいか!?」
「はい。こっちは右を止めます」
「よし! 右8、左10! てめぇら全力で漕ぎやがれ!」
船長が漕手に指示を出す。右と左にそれぞれ櫂を漕ぐ人がいる。それが両方同じなら直進。右が減れば右へ、左が減れば左へと曲がることになる。
今回はつまり進行方向から向かって右に少しずれる進路を取ることになる。それは右舷から来る敵に対し、右翼に回り込もうとしている動きだ。
もちろんそれだけでは相手は混乱しない。
けど、足並みは崩れる。そしてさらにそれを崩す。
「んじゃ、俺らは下を狙うぜ」
弓を構えたカイユが言う。その横には数名の弓術自慢が並ぶ。
「漕手を殺すなよ」
「努力すんわ」
言うが早いがカイユが射った。その横の弓術自慢も続く。
狙いは左翼先頭の船。その右舷。
こちらが敵の右翼に回り込もうとするのに対し、相手も追うように敵の右翼、つまり右に回ろうとする。その漕ぎ手を狙った。もちろん漕ぎ手は船の壁によって守られている。だが、櫂を漕ぐ以上は必ず下界との窓口が必要。そしてそれは穴となって外気と交わる。そこを狙わせた。
もちろんそれは喫水線ギリギリの普通なら狙えるようなものじゃない場所。あるいは板などで防御されている場合もある。
だから射込んだ。先ほどと同じ火矢を。そうなれば板でガードしていてもその板が燃えるし、矢が漕ぎ手に当たらなくても中に入れば出火騒ぎで漕いでる場合じゃない。
それで敵の進行を遅らせる。
さらにもう1つ。これは僕の役目。
狙うは船の上部。マストと帆を繋ぐ金具の部分。
揺れる船上。風もある。それでもここで撃ち抜くから軍神として褒めたたえられる。そう思うと気力が湧いた。湧いた瞬間に射った。矢は一直線に敵船に向かい、そして帆を繋ぐ糸を完全に断ち切った。敵船のマストが落ちる。
「うぉぉぉぉ! すげぇ、神技だ!」
甲板にいた誰もが歓声をあげる。
我ながら恐ろしいことをしたと思う。100メートル以上離れたあんな小さなものを撃ち抜くなんて。軍神がチートスキルといえど、頭のおかしいことをした実感はある。あるいはスキルが強くなっているのか。あの自称死神を強請ったわけだけど、その結果が来ているのか。
分からない。けど今はこれでいい。
これで相手の左翼先頭の船は帆を失い、漕手は混乱した。これで動きが格段に鈍くなる。
そうなればどうなるか。
相手の左翼はぶつからないために距離を取っているとはいえ、まず先頭が動かなくなり、続く後衛も曲がろうとしていたわけだけど、それは先頭が曲がったうえでのコースをとっていた。
これが人間ならすぐに向きを修正すればいい。けど今は船だ。船は進み続けていて、それでいて即座の方向転換ができない。
本来ならぶつかりえないコースだったのが、ぶつかりうるコースに早変わりしたのだから、後衛の慌てようはとてつもないことになった。彼らは右に左に舵を取ろうとして失敗し、なんとそのまま先頭の船に斜め後ろから突っ込んだ。
思った以上の戦果だった。
敵の左翼を鈍化させれば、僕らが対するのは敵の右翼のみ。1対4だったのを、1対2までに戦力差を縮めて、あとは各個撃破する予定だった。
けどこれで大幅に予定が繰り上げられる。左翼の2隻はもう行動不能。つまりこちらに乗り込みにくることはない。
ならあとは敵右翼を順に撃破すればそれで勝ちだ。
「よし! あとはあの2隻だけだ! 野郎ども! 乗り込むぞ!」
船長の怒声が響き、海戦は最終局面に入る。




