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挿話10 蘇妲己(イース国?)

「死んだ、わね」


 浴槽の壁に貼ってあった呪符が燃えて消えた。


 あまりにも呆気ない。これだから殺し屋という者は信用ならない。


『これまで十数人殺した。子供を殺すなんて朝飯前よ』


 などと自信満々に放言しておいてこの結末。

 まぁもちろん1ミリも信用していなかったので、捕まった場合には自害するよう“呪い”をかけておいたわけだけど。


「それも正解だったみたいね」


 つぶやき立ち上がる。水を吸った体から、ぼたぼたと水が零れ落ちる。

 浴槽にかかる大きな鏡に自身の裸体が映し出される。


「美しい……」


 長年見続けた自らの体だ。見飽きたというほどに見たが、それでもその美しさは変わらない。まるで美という文字がそのまま人の形となったかのようなあまりにも完成された体躯に魅了されない男はいなかった。

 かの大殷帝国の皇帝ですらそうだったのだ。私の言うことをなんでも「是」「是」と答えたあの哀れなお方。今頃何をしているのでしょう。


 自らの足から臀部へ指をはわせる。そして臀部から腹部。腹部から胸部。指をはわせる。確かめるように。


「ふ……ふぅ」


 胸部から喉を通り、頬、そして口へ。そして唾液を含んだ指を鏡の中の自分の口へと塗りたくる。


 相変わらず変わらないこの美貌に、世の中は狐だ妖怪だとあざけるように言うものが後を絶たなかった。あの崑崙こんろんのクソ爺を筆頭に。

 本当にいい迷惑。

 わらわは人間だ。徹頭徹尾、頭の先からつま先まで全身全霊で人間だ。この美貌を持つ狐がどこにいる。あのクソ爺こそ狐か妖怪の類だろうに。


「太公望、いや、姜子牙きょうしがめぇ……」


 鏡にひびが入った。我に返る。

 これはいけない。こんなことはわらわの主義に反する。わらわはかわよい女性。武術も道術も使えない、美しくもか弱い女性でしかないのだ。

 だから誰もがかしづく。わらわの声を聞く。わらわを唯一にして絶対の美の化身として崇め奉る。


「ふぅ……切り替えましょう。ええ、狐でもいいじゃあありませんか。可愛らしい、狐。ああ、それだけでわらわの魅力は3倍増しですわ」


 いつまでも裸のままでいれば湯冷めしてしまう。それは美の天敵だった。


「ふふ。それにしてもイリス・グーシィン想像以上ねぇ」


 あの暗殺者を名乗る男。聞太師よりははるかに劣るものの、それでも我が国であれば部隊長クラスの力は持っていた。それをこうもあっさりと撃退するとは。

 少し甘く見過ぎていたかもしれませんわね。あの妄執と諦念に身を浸しているイース国の宰相様がどこかあの娘に執着しているように見える。自らの娘を放っておいて、なぜとは思っていた。けどそれが今、わらわ自身の目で確かめることができた。それは収穫だと思いましょうか。


「とはいえ参りましたね。それほど自由ではない身としては、役者不足だとしても貴重な手駒が失われたのは確か。彼女たちの足取りを掴むために誑し込んだ者が張り付いているにはいますが、戦闘向きではないですし」


 ああ、これが王宮なら。誰も彼も使い放題、犠牲など知ったことじゃない物量作戦がとれたというのに。

 こうなったらあの宰相様に、もっとせびっておけばよかったですわね。


 とはいえない物ねだりをしても仕方ない。

 今ある手札で最大限の効率を。それがわたくしの美学。それが何を生み出すとしても、世界が変わったとしても、もう生き方は変えられない。


「となると海賊……は、さすがに間に合うかしら。ま、とりあえず打診してみましょう。それからこちらが本命。あのお飾り物の王様に、毒をひと垂らし」


 それでどう転ぶか。見させていただきましょうか。イリス・グーシィン。


「うふふふふ……ははは、あははははは…………ハーックション!!」


 うぅ。だから湯冷めしてしまうって言ってるのに。


 浴槽脇に置いておいたタオルを羽織り、ペタペタと部屋の中を歩く。


 その時、ぴちゃり、と何か液体が足に触れた。それは若干、ぬめり気をもった液体で生暖かさを感じる。それは床一面に広がり、それが嫌だから浴槽で洗い流していたというのを思い出して、一気に頭に血が上った。


「この、屑が! わらわの美しい足が汚れたじゃねぇか!!」


 その液体をまき散らした物体。それを何度も足蹴にする。そのたびに、そのかつて生命活動をしていた時のようにびくんびくんと跳ねまわり、何か赤だか白だかの液体をまき散らす。それがタオルを巻いた自分の体につくと余計に血がのぼる。


 ゴサの国都から3日の小さな町。その中にひと際大きな、宮殿のような建物が目を引いた。まさにわらわのためにあるような屋敷だった。

 その主という男は、いちもにもなくわらわを招き入れ、そして下品な顔で近づいてきたので始末した。その際についた赤が不愉快で、せっかくいい気分でお風呂に入っていたというのに。また洗い直しじゃない。


 この屋敷の主だったものは、床に転がってぴくりともしない。

 どうせ明日には用無しになる屋敷だ。共に灰にしてやるのが、一泊の宿とお風呂を提供してくれた礼というものだろう。ああ、なんてわらわは慈悲深いのかしら。


 そう。この世界のすべての男どもはわらわの虜。

 ならば女性は? その中でも、わらわの邪魔をするような女は?


「うふふ。それもわらわのおもちゃ。せいぜいいい声で鳴いてよね、イリス・グーシィン」


 嗤いながらタオルを物言わぬ主の上に落とすと、穢れを落とすために、再び浴槽に美しすぎる我が肉体をうずめさせることにした

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