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第60話 お風呂のこと

「神はあらしめた! まさか再びイリスくんと共に汗を流し、湯船につかる日が来ようとは!」


 夜の街。

 桶とタオルを持ったムサシ生徒会長がくるくると踊りながら路地を行く。


「ふっふ。帝都では貧乏すぎて1度しかなかったが……その時の我慢が実を結んだ! 今こそ、長年の夢を……この手につかみ取るのだぁ!」


「ユーン、サン。この人、なんでこんなテンション高いんですの?」


「さぁー。相変わらず不思議なお方なので」


「お嬢には分からなくていいんじゃねー?」


 目的地に向かってどしどし進んでいく生徒会長の後を、カタリアたちが続く。さらにその後ろに僕と千代女が並んで歩く。千代女はいつも通り、いや、ちょっとこっちも浮かれているな。歩きながらぴょこぴょこと小刻みに揺れている。

 もちろん周囲には小松がつけてくれた護衛がいて――もちろん全員女性だ。屈強な体つきをして鎧姿で周囲にいるから目立って仕方ない。けどこうでもしないと何か起きた時に迅速に対応できないから仕方ない。


 それに対して深く沈み込むのは僕だ。


 僕たちは今、軽く夕飯を取って街の公衆浴場に向かっている。


 ……公衆浴場に向かっている。


 大事なことなので二度言いました。


 要はお風呂です。

 銭湯です。


 まいったなぁ。


 確かに何度かラスをはじめとしてお風呂や温泉に入ったことはある。けどだからといって慣れていいものじゃないし、未だに覗きをしているような罪悪感もないでもない。それにここでは自分自身の貞操の危険もあるわけで。


「ちなみに千代女。周囲に怪しい人影は?」


「ない。分身だしてるけど、こっち狙うみたいなの。いない」


 外に出るということは狙撃に注意を払わないといけないのは当然のこと。周囲200メートル圏内を千代女のスキルによる分身で徹底的に捜索しているけど、それらしい人は見当たらないという。さすがに夜に狙うのは難しいか。


 ただ周囲は灯された火によってかなり明るい。港町というのは、その特性上、不夜城な意味合いも持っているから、夜が更けても、いや夜が更けてから本番みたいなところもあるんだ。

 港町を利用するのは主に船乗り。そんな彼らが陸地に上がれるのが、こういった港町のみなのだから、そこで補給が済んで次の出向になるまでは思うがままに地上を謳歌する。この時代、まだソナーや電子機器が発達していない時代の航海はまさに命がけだ。その命がけの文字通り荒波に身を投げ出す前夜となれば、人間の三大欲求の2つを満たそうと街に繰り出す荒くれ者は多い。

 それゆえにこの時間でも開いている店は多く、朝までどんちゃん騒ぎをするための飲食店や、身も心もリラックスする僕らがこれから向かう浴場。そして享楽に満ちた春を売る店などが、明け方近くまで開いているのだ。


 だからそれなりに狙撃に適した環境だと思ったんだけど。当てが外れた。

 ぶっちゃけああいうめんどくさいのは、明日に持ち越したくないんだよな。夜もなかなか寝付けないだろうし、朝から色々心配で心を砕きたくない。


 ちなみに生徒会長やカタリアたちには、軍に警備を任せたから大丈夫と安心させてはいる。

 もちろん軍の警備なんかで狙撃を防げるとは思ってもいないけど、余計な心配をかけさせて明日以降の動きに支障が出られても困るからで。

 そもそも今夜中に決めるつもりだったのになぁ。千代女のスキルがあれば楽勝だと思ったけど当てが外れた。いや、それほどに警戒心が強い相手ということか。強敵だ。


 1つ不安なのが、この狙撃手。イレギュラーじゃないよな。

 スキル込みで狙われたら、ガチでヤバい。

 候補としているなら、といってもあまりいないな。そもそも鉄砲による狙撃という方法がとられるようになったのが早くて16世紀だからあまりそういった英雄がいないのかもしれない。

 日本で言えば、やはり雑賀孫一こと鈴木重秀を筆頭に、天王寺合戦にて信長を射抜いたと言われる岡吉正おかよしまさ。信長繋がりで、信長を狙い撃ちした杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼう……くらいか。意外と日本は鉄砲単体による狙撃というより、鉄砲を並べての放射という形が多いみたいだ。外国に行くと、それでもあまり分からないな。白い死神と呼ばれたシモ・ヘイヘだっけか?

 まぁ誰が来ようと、ヤバいのは変わらないけど。


 とにかく、そこらは一旦、千代女のスキルに任せつつ。

 僕はこれからどうすべきかを必死に考えるとしよう。


 そんなことを考えながら公衆浴場にたどり着いた僕らの前に、見覚えのある人影が。


「これは奇遇だな、イリス」


 小松だ。部下らしい女性数人と一緒で、一瞬誰だか分からなかったのは、髪を降ろして昼間の武骨な鎧姿ではなく絹の白いワンピースを着ていたから。ただ、その状態の彼女はこれまで以上になめらかな女性らしい曲線を描いており、まさに貴婦人という表現がピッタリで、いや、実際に大名の奥さんだし、偉い人だし。

 ただ、手にした桶がなんというか、急に庶民的な雰囲気を醸し出すんだよな。


「君らもか」


「ええ、さすがに何日も牢に入れられましたから」


 僕らを代表してカタリアが答える。


「そうか。では、いい入浴を」


 と言って先に入ってしまった。


 うーん、それにしても今の小松。さすがだ。


 ラス>>>ユーン>琴さん>サン>僕、カタリア>ムサシ。


 ラス>>>ユーン>小松>=琴さん>サン>僕、カタリア>ムサシ。


 ここに入ってくる大きさだった。


 なんの大きさかって?

 野暮なことを聞くんじゃないよ。


「じゃ、行くわよ」


 カタリアを先頭にして浴場の中へと入っていく。そこからはあまり僕は覚えていない。人ごみがすさまじく、湯上りの人たちがあげる熱気で頭がぼうっとしたのもある。

 千代女に引かれるがままに脱衣所に案内された。ただその脱衣所もかなりの人ごみで、なんというか……もう、ごちそうさまでした。老若男女――いや、男がいたらまずい。老若問わずの女性が、その、色々脱ぎ散らかしている狭い空間に不用意に踏み込めばそう思わないでいられない。


 肌色が多い! 肌色が!


「よし、千代女。いいな。タオルで前を隠す。ついでに巻き付けて後ろも隠す。それがお風呂のマナーだぞ」


「そなの?」


「はっはっは! 何を言っているイリスくん。ここは裸の付き合いをする場! つまりノータオル、ノーバス! いざ、裸で突っ込もうじゃないか!」


「はいはい、生徒会長はさっさと入ってってください」


 壁を見ながら変態を追い払う。

 一番小さいのに、よくもまぁそこまで堂々とできるもんだ。あれ? こういういい方ってセクハラ?


 とはいえいつまでもそこでたむろしていられない。むしろ早くお風呂には入りたい。入ってしまえばこっちのもん。それに千代女との約束もあるし、できるだけ目を細めて視点をずらして見えづらい状況にしてさっと衣服を脱いでタオルで隠して風呂場へ。


「イリスくん、待っていたぞ! さぁ、一緒に体のあらいっこしよう! 大丈夫、泡立てれば何も見えなくなるから。それでどこを触ったとしても、問題はまったくなくなるからね!」


「問題大ありだっての! あ、僕は千代女の背中を洗ってあげる約束なので。じゃ」


「ふふーん」


「千代女、あおらない」


「くっ。やはり胸なのか。男も女も胸がすべてなのかチクショー!」


「はいはい。恥ずかしいから叫ばない」


 ほんと、よくこんな人が生徒会長やってるな。あの学園。マジ終わってる。


「くっ、こうなったら最終奥義だ」


「最終奥義?」


「うわあ、せっけんでころんじゃったぞう」


 と完全に棒読みで突っ込んでくる馬鹿ムサシ1人。魂胆と目的が見え見えでやる気が萎える。これは逃げるか。

 と思ったが、


「って、わわっ!」


「ばっ!!」


 どうやら濡れたタイルに本気で滑ったらしい。あたりまえだ。プールと風呂場は走るな。

 僕は咄嗟に軍神の力でタイルを蹴ってムサシ生徒会長の落下地点に行こうとして――


「あ――」


 僕も滑った。

 なんて愚か。自分で走るなって言った瞬間にこれだ。


 だから思ったより距離が伸びず、またムサシ生徒会長も渾身の力で落下の軌道を変えようとして――


「ぎゅむ!!」


 倒れた僕の上から何か落ちてきた。重い。圧迫された。肉。肉が。僕を潰しにかかる。てか熱い。顔が。なんだ、これは。いや、まさかの……。


「いやん、イリスくんのエッチ!」


「エッチじゃ、もが!」


「ひゃぅ! ふ、ふふふ……さすがイリス、くんだ……素晴らしい攻めを」


 大声を出そうにも何か大変なことになりそうだ。

 そうだ。近くに千代女がいたはずだ。


「ち、千代女……た、助け……」


「ずるい。千代女も。ぎゅー」


 ぎゅーじゃない!


 あー、ヤバい。この熱と湿気に頭がぼぅっと……。


 それからはもうすったもんだの末にようやく脱出。ムサシ生徒会長をこっぴどく叱って向こうへ行かせる。けどどこか満足そうな彼女に腹たった。


 あ、ちなみに千代女はここにランクイン。


 ラス>>>ユーン>=千代女>小松>=琴さん>サン>僕、カタリア>ムサシ。


 ……うん。なんていうか、かなりヤバい。ユーンレベルって、しかも低身長ってのも相まって、そのギャップがまた……いや、見てない! 僕は何も見てない。だから僕は悪くないんだ。ほんとだよ?


 というわけで疲れ切った僕は、なるだけ人目を避けながら端の方へ。そこで千代女の体を洗うことに。なるだけ目を細めながら、白く透き通った水晶のようなつるつる肌を前に、僕は手にしたタオルでごしごしと千代女の背中をこする。


「ふふーふふー、役得ー」


 千代女は良く分からない鼻歌を歌いながらご満悦のようだ。

 ま、うちの諜報機関の一員として、陰ひなたに支えてくれているし、これからも多分、いやかなり頼らせてもらうから、こういったことでスキンシップを取ることは重要なんだよ。と言い訳しながら。


「ん、気持ちい。じゃ、次イリス」


「うぇ? い、いいよ。自分でやるし」


「次、イリス!」


「……わ、分かったよ」


 仕方なく後ろを向いて攻守交替。ただしばらく何も起きない。何が、と思っていると、ピタリと背中に何か生ものが触れる感触。あわや大声で悲鳴をあげるところだった。どうやら千代女の手が触れたようだ。


「イリスの肌、綺麗」


「び、びっくりした……千代女も綺麗じゃんか」


「違う。わたし、汚れてる。血と汗に」


「千代女……」


「ふふ。だからそのイリスの背中を洗うの。役得役得」


 なんだ、流行ってるのか。それ。


 とにかくもう疲れた。

 もうさっさと終わらせて、風呂に入って、この地獄みたいな空間から逃げだそう。


 そんな風に思った時だ。


 ゾクッと、何かを感じた。軍神だ。危険。危険を感じた。


「千代女!」


 僕が叫ぶのと千代女が振り返るのが一緒。その体がぶれて分身体が現れる。


 何かが来る。


 そう思った次の瞬間。


 爆音。

 そして天地が揺れた。

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