第50話 2人の姉からの推薦
「国が……滅ぶ?」
誰かがつぶやいた。その一言がその場にいるすべての人間の心に重くのしかかる。
それは絶望。
この国が待ち受ける未来を直截に言った言葉。それに押しつぶされようとしている。
だがその中でも動こうとする人間がいた。
「地図を、そして駒を」
インジュインが背後に振り返って告げる。
それは彼の背後にはべる兵士に告げたのだが、彼は絶望に包まれて動けない。
「地図を持て! さっさとしろ!」
怒声を受けて、命じられた兵士は飛び跳ねるほど驚き、そして我を取り戻したのか慌てて部屋の外へ出て行った。
対するインジュインは、小さく鼻を鳴らすと、お父さんに向かって視線を戻す。
「失策だな、グーシィン。ザウスとトンカイの繋がりを見過ごすとはな。外交は貴様の担当だったはずだ」
「ザウス国外交官の代表は確かそちらが推薦したはずだが? 我が弟だけに丸投げして、任地にも行かず国都でのほほんと過ごしていた代表こそ責められるべきではないのか?」
「ふん、すべては結果だ。その事実を突き止められなかった。それは現場の怠慢、その能力さえも疑わなければならないな。もう少し早く気づく方法もあったはずだ」
「無事に帰国した職員を、事情聴取という名目で何日も拘束したのは軍部だろう!」
なんと、そんなことが行われていたのか。
トウヨやカミュは無事だろうか。侍従長は、おじいさんは。心配だ。
というか仲が悪いと聞いてはいたけどこれほどか。
ただ、政治と軍部の対立は、僕の思ったのより先を行く。
「貴様、我らを侮辱する気か!?」
「侮辱をしたのはそっちが先だ!」
まさに売り言葉に買い言葉。お父さんが立ち上がり、相手もそれに倣う。まさに一触即発の事態だ。
同時に、ヨルス兄さんとタヒラ姉さんも動く気配を見せた。
それはそうだ。叔父さんを馬鹿にされたのだ。
ほぼ他人の僕でさえ、このインジュインとかいう奴に一発もの申したいと思ったのだから、付き合いの長い3人にはなおさらだろう。
対するインジュインの方でも気配を察知したのか、傍に座る屈強な男や背後に控える兵に不穏な気配が流れる。
まさかここに至って国の重臣が殺し合いをするのか。
誰もがその行方をかたずをのんで見守っていると、
「地図をお持ちしましたぁ!」
先ほど出て行った兵士が、空気を読まず明るい声で入って来た。
いや、ある意味ベストタイミングだ。よくやってくれた。
水を差されたお父さんとインジュインは、小さく鼻を鳴らすとドカリと椅子を踏みつけるようにお互い座りなおす。
それを見たその場の約一名を除く全員が安堵のため息を漏らした。
「あ、えっとー……どうかいたしましたか?」
「ああ、ありがとう。こっちに持ってきてくれ」
理解していない約一名が、入り口で荷物を持ちながらたたずんでいるのをヨルス兄さんが呼んだ。
兵士はそれを見て安堵した様子でそちらに走り寄ると、お父さんとインジュインの間に地図を広げる。
末席にいる人は見えないから、わざわざ立ち上がってそちらに席を移して立ち見した。
地図は大きいが範囲は狭い。どうやらこのイース国と周辺4か国だけを映したもので、その端っこに東にゴサ、西にデュエン(タヒラ姉さんが活躍したキズバールの地名も乗っていた)、そして南にトンカイが見切れている。
「我が国の兵力は?」
お父さんがインジュインに聞く。
さすがに先ほどの口論には反省したらしく、公務を優先したようだ。
それにはインジュインもきちんと応えた。
「……働けるものを総動員して2千弱。トント、ノスル、ウェルズに援軍を頼んでいるが各国も敵国を抱えて厳しいようだ。おそらく各国あわせて2千くらいだろう」
「5千に満たないのか……」「国都に籠城すればもっと増えるのでは?」「女子供も戦わせるというのか!?」
5千、か……確かに多くない、というかゲームなら一部隊の動員数と言ってもいい。
いや、でもまだ分からない。すべては敵次第。
これで同程度なら希望はある。
だが、
「敵の兵力は?」
「……1万以上」
「い、1万!?」「馬鹿な、どこにそんな兵が」「ザウスの動員数は3千かそこらだったはずだ! 完全に超えているではないか!」「国を丸裸にして攻めてきたというのか?」
周囲が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
その中で急激に自分が冷静になるのを感じる。
これは、違う。
先ほどの言葉が真実なら――
「総動員数を超えているって言っても、見落としが2点あるんじゃないのかな。1つがトンカイ国との国境の兵。これまでは敵国だったから国境に相当数の兵を常駐させなくちゃいけなかった。それが同盟により兵を動かす余力が出た。もちろんイースと同盟しているトントとウェルズの国境には残さなくちゃいけないのと、国内の統治や巡回、国都の守備を考慮するとザウスの兵は5,6千じゃないかな。そして残るもう1点はというと、これがさっきのトンカイって国と同盟を結んだのなら、そこからの援軍ということに……」
喋っているうちに周囲のざわめきが一気に沈下したのに気づいて、声のトーンを下げる。
室内にいる全員の視線(向けていないのはタヒラ姉さんと先ほどの居眠りの人くらいだ)が突き刺さる。
「誰が子供に発言を求めたか! お前の番は終わりだ、下がっておれ!」
インジュインの横にいた、気味の悪いおじさんがここぞとばかりに怒声を放つ。
その言い様に、さすがに父さんが反論すると思ったが、ばつが悪そうな顔をして、
「イリス。すまない、もういい。ここは下がってくれ。あとは我々がやる。ただしここでのことは口外しないようにな」
え、帰れってこと? これで終わり?
いや、逆に終わるだろ。これ。この国が。僕の命が。
それを人任せにするってのは、軍団を作って委任しまくったあげく、CPUの暴走で負けまくって滅亡って笑えないゲームオーバーと同じなんだけど。
てかここの人たち、わーわー言ってるけどなんら打開策も代案も出せてなくない?
お父さんとインジュインがなんとか舵を取ろうとしているけど、現状把握だけで議論は全く進んでいない。何よりさっきのような争いがいつ始まるか分かったもんじゃない。
そう。この国は幼稚なんだ。
学校で知った通り、学業のレベルが低ければ識字率も低い。そんな国に優秀な人物が出るはずもないから国力はどんどん低下していく。
タヒラ姉さんみたいな人がいても、それは戦術レベルの1つの戦場で影響を及ぼす優秀さでしかない。
戦略を描ける人物がいないのだ。そしておそらく軍略も。
そんな人たちで、この結構ヤバい状況に対し的確な対処ができるのか?
戦いは素人だけど、数々の戦場をシミュレートして戦ってきた経験がある僕の方がまだマシじゃないのか? 様々な本を読んで、戦いの知識を得た僕の方ができるんじゃないのか?
根拠のない自信だ。けど確信でもある。
それはスキル『軍神』と『軍師』がそう思わせているのかもしれない。
何より、自分の運命を他人にゆだねて寝てるなんて、出来るわけがない。
だから口を開く。
「けど、父さん!」
「イリス。お前にはここはまだ早い。安心しなさい。まだこの国は滅ぼさせんよ」
ダメだ。聞く耳を持たない。
父さんが支持してくれれば、インジュインとも戦えると思ったけど、父さん自体にその気がないのはどうしようもない。
どうする。
ここは一旦退いて、あとでお父さんに……いや、ダメだ。今は一刻を争う。それならタヒラ姉さんを介して……。
「そんなこと言ってると、本当に国が滅びますよぉ?」
その時だ。
そんな声が響いたのは。
どこかで聞いたような女性の声。
そちらを見れば、少し離れた位置に、まったくもって我関せずといった様子で、椅子に腰深く腰かけている赤い軍服の人。寝ていたのかと思ったけど、一応起きていたのか。彼女が声を発したのだ。
帽子をかぶっていたからよく分からなかったが、その隙間から見える髪の色は赤。そしてメッシュのように一部白が混じっている髪が目元を隠しているが、整った鼻筋に薄く紅をさした唇と、どこか男をドキッとさせるような雰囲気の美女。
「よっと」
女性は机に手をついて一気に体を引き起こして立ち上がる。
そして目が合った。
いや、合ったかどうかは分からない。なんせ彼女の目元は隠れているから。
けど、まさか。この人は。
僕が気づいたことに相手も気づいたのだろう。
「イリスちゃん、お元気ー?」
女性はひらひらと右手を力なく振る。
それに反応したのはタヒラ姉さんだった。
「む、あたしの妹に何かした? ダメよ、イリリ。こんな毒蛾と付き合うと穢れるから」
「なにって……ねぇ色々したわよねぇ。あんなことや、こんなこと……」
瞬間的に、あの時の光景が蘇ってゾッとした。
確かにちょっとドキドキしたけど、恋とかそっちじゃなく、身の危険のドキドキだったから。
「くきぃー! イリリに何したの、この変態!」
「あははー、それは本人だけのひ・み・つ。分かるわよねぇ、タヒラのお・ば・さ・ん?」
「なにがおばさんよ、2つしか違わないでしょうが!」
「やーね、20を超えたら女は終わりよ?」
「あと2年。2年経ったらいじり倒してやる!」
「あら残念。私はあと489日後に死ぬの。19歳と364日の時にね」
「ぐにゃにゃ! その前にあたしが首を刎ね飛ばしてやるから、覚悟しなさい!」
「できるかなー? きゃはは!」
この2人、知り合いなのか?
まったくもって友好的な関係ではなさそうだけど。
いや、それ以前に。この笑い声。
冷たい手で背中を撫でられたような怖気の走る声。
間違いない。
数日前、貧民街で僕らを助けてくれたあの女性。
あの時の奇抜なボンテージファッションではなく、スカートながらもビシッとした軍装をしていたから気づかなかった。
まさか、軍関係者だったのか。
確か名前は……クラーレ。
周囲の人たちも困惑の目つきで彼女を見やる。怒鳴って退出させられないのは、彼女が相応の実力者だから、ということか。
そんな様子などどうでもいいかのように、タヒラ姉さんはため息をついて、
「はぁ……ったく。ちょうどそうしようと思ったところを」
「じゃあさっさとすればー? というわけで、ね、パパぁ。ちょっと聞いてあげてよ」
パパぁ?
誰が、と思って視線を走らせると、予想外のところから答えが来た。
「クラーレ……お前というやつは」
まさかのインジュイン。
え? ってことはまさかこの女の人。カタリアのお姉さん? 似て、るか?
「いいじゃん。いいじゃん。そっちの方が楽しそうだし……要は1万人が死にに来たんでしょう? それをぶっつぶす方法、聞いてみたくない? それにしても1万か……あぁ、滾るわぁぁ」
身震いするクラーレ。
その恍惚とした表情、彼女がそれをどういうつもりで言ったのかを少しだけ理解してゾクッとした。
そしてそれ以上にゾクッとしたのは、タヒラ姉さんが気だるそうに告げた言葉によるもので、
「というわけで進言します。この対ザウス・トンカイ連合軍に対する作戦立案に我が妹のイリス・グーシィンを推挙します。というか生き残りたかったら、全力でイリスに従いなさい」