第50話 武神のこと
突如現れた男、関羽、字は雲長。そしてそれに続く軍勢に、山上は一気に制圧された。
それに逆らうほどの人数はこの場にはいなかった。いや、長尾景春を一刀のもとに叩き斬った関羽の武に、誰しもが抵抗の心をへし折られたのだろう。
次々と武器が捨てられ投降兵として連れられて行く。
そして関羽は赤兎馬――そうだ。関羽と言えば赤兎馬。そしてそれは元は呂布の愛馬。帝都で出会ったのと、同じ馬のはずで、同時期同世界に、まったく同じ馬が存在するという不思議に今僕は接して……。
それもまぁ今更か。
それに関羽の赤兎馬は呂布と同じでないとされるし。だって馬の寿命は人間より遥かに短く、呂布が活躍していたころと、関羽が武神として活躍していた時期は20年ほども開きがある。呂布の赤兎馬が現役でいられる時間はそんなに長くないだろうから、赤兎馬という同じ汗血馬に乗っていたというのが真相だろう。
ともかく、その赤兎馬に乗った関羽が僕の方へとその歩をゆっくりと進めてくる。
その足音が、土を蹴る音1つでとてつもない重圧を感じさせる。
なにせ相手は神になった男。
たった1人で、戦局を変えるほどの武威を誇った存在。
この人物の前では、僕の軍神なんてスキルなんてまがい物でしかなく、一切のデバフが効かない本当の武神。
緊張で喉がカラカラだ。口内の血もかぴかぴになって気持ち悪い。
動けない。
相手の武威に、圧倒的オーラに押されている。
関羽の、武神の瞳が僕を捉える。一体何を言われるのか。何が起こるのか。あるいは次の瞬間に叩き斬られるかもしれない。
そう思っても不思議と恐怖は感じない。ただ、この人に何を言われるのか。何を感じさせられたのか。それが知りたい。そう場所がらもなく思っていると、
「イリリ!」
関羽の後ろ。軍勢の中から僕を見つけたタヒラ姉さんが、こちらにものすごいスピードで、味方を押しのけながら来る。
げっ、ヤバい。
思ったが逃げられない。関羽の圧もそうだし、何より体が限界。だからもうどうにでもなれ、と投げ出した体にタヒラ姉さんが突っ込んできた。そのままぎゅうっと抱きしめられる。
「良かった、無事だった!」
「ね、姉さんも……」
戦場にもかかわらず、鎧を脱いだ状態の姉さんはまるで凶器だ。筋肉があるはずなのに感じさせないふわふわした感触。何より顔面をうずもれさせるばかりの胸は、もう一撃必殺というかなんというか……ああ、女に生まれてよかった。
「なるほど、それが噂の軍神か」
不意に関羽が口を開いた。
「そ。関さん。これがあたしの自慢の妹」
タヒラ姉さんが、誇らしげに僕の頭をぺんぺん叩く。
なんか者扱いされてる感……てゆうか!
「ちょ、か、関さんって!?」
あの関羽をそう呼べるのか、我が姉よ!?
「ふっ、良き武士よ」
そう言って関羽は笑みを浮かべる。
え、今褒められた?
あの武神に?
それは、なんというかすごい嬉しいぞ。どっちかっていうと魏派の僕だけど、蜀だってもちろん好きだ。その筆頭の関羽に褒められるなんて、普通に生きていたらありえないことで。
「あ、ありがとうございます!」
長尾景春を斬ったことなどどこへやら。感激が身を包んで高揚とする。
「む、なになに。イリリはこういうのが好み? それじゃああたしの姉パワーが足りないっていうの? ほら、いいでしょ? うりうり」
「あ、いや。そういうわけじゃなく……」
姉さんには説明しづらいな。てか胸を押し付けてくるのやめぃ。
「あ……ち、義父上……」
と、そこへ小松がよろよろとやってきた。その顔と声は、どこか怯えを伴っていて、これまで見てきた彼女とはまったく違う一面のように見えた。
「無事だったか」
「申し訳、ありません」
「よい。結果的に反乱を潰せた。それは良いことだ」
「…………はい」
小松が悔しそうに顔を伏せる。
彼女にも苦手な相手がいたのか。……って待て。今、彼女は父上って言わなかったか。彼女の父といえば本多忠勝。いや、義父として真田昌幸がいる。
それなのに関羽が父上って……。
「ああ、言っていなかったか。私は養女としてここにいるんだ」
僕の疑問に気づいた小松がそう言った。
「え、関羽……関将軍の!?」
「ああ、みっともないところを見せてしまったな」
「とんでもない。小松がいなきゃ危なかった」
「そ、そう言ってくれるか。ありがたいな」
少しはにかみながら小松はうなずく。
長尾景春のことは残念だったけど、どうやらトンカイ国と一緒に鎮圧したことでどこか垣根が取り払われたような感じだった。それはこれからのことを考えると重要で大切なこと。それが期せずして達成できたのだから、怪我の功名というか棚ぼたというか。
ただ、その前に僕はこれからもう1つの別れを経験しないといけない。
本庄繁長の死だ。




