第49話 真の敗者のこと
「ぶ、無事って……ホンジョー!」
僕に押し倒された形のカタリアがわななく。
胴体を貫かれ、口から血をこぼした男を見て、彼女もようやく何が起きたか理解できたのだろう。それが自分の油断から引き起こされたことだとも。
「ああ、ちょっち待ってて……くれよな。こっちと、話、あるからよ」
そう言って繁長は景春に向き直る。
「ようやく、捕まえたぜ」
「くっ、放せ」
どうやら繁長は盾と自分の体を貫いた景春の剣を握っているらしい。
「放さねぇよ。それより、どうだ。お前、俺に勝って」
「なに……勝ち?」
「そうだろう? お前とのタイマン。悔しいがお前の勝ちだ。だがどうだ。勝って。嬉しいか?」
「俺が、勝った。だが……」
「やれやれ。まだ分かってねぇな、この馬鹿は」
「なに――をっ!!」
景春の体が泳いだ。
殴った!?
繁長が、景春をグーで。いや、今なんで殴れた? 最強状態の景春なら、油断していてもそれくらいは回避できたはず。なのにまるで素の状態に戻ったよう――そういう、ことか。
景春のスキルの一端が垣間見えた気がした。いや、というより一番致命的な欠点。
彼のスキルは『負ければ負けるほど強くなる』プラス『風の力を使える』というもの。
ただしそのスキルには条件があって『勝利すると効果が消える』みたいな文言があるんじゃないか。しかも謎の風の力も『負ければ負けるほど強くなる』のアドオン効果なのかもしれない。多分。
負け続けた景春。その分だけ強くなった。僕ら3人を軽くあしらうほどで、その状態なら呂布にも勝てたんじゃないかと思う。
けど彼は今、勝ってしまった。繁長に致命傷を負わせる、という殺し合いにおいては勝ちに等しいものを掴んでしまった。
それによって効果が消滅し、元の状態に逆戻りしたということだ。
なんて皮肉だろう。
負ければ負けるほど強くなる。その限りがないので、まさに最強のスキルだ。
だけどそのスキルは勝った途端に消え失せる。
つまり、最強になっても勝ってはいけない。勝つのならば、次のない無二の一戦ですべてを手に入れるようなことじゃないと、その後がないのだ。現に今、素の状態に戻った景春は僕と小松、そして戻って来るはずの千代女を相手にしないといけない。
また負ければ強くなるのだろうけど、さっきの段階に戻るにはあと何回負ければいいのか。
その間に彼を無効化するなり、今度こそ逃げ出すなりすれば景春は勝てない。それがこのスキルの弱点。
けどそのためには僕らも負けなくちゃいけない。
あの景春を相手に、彼に勝ちを認識させるほどの負け。それはまさに、今繁長が示してくれたように命を捨てるほどのものでないと無理だということ。
ああ、負けることのなんて難しい。
「ぐっ、馬鹿な……俺が、この俺が……勝った、だと」
「そうだ。負けずに勝った。そうなるとお前、もう最強じゃあ、ねえ、らしいな」
「だからなんだ! お前らなど、俺の力で――ぶっ!!」
また殴った。繁長、致命傷で瀕死だろうに、どこにあんな力が……。
「はっ! だから素人だって言ってんだ。刀は突くなら深く刺しちゃならねぇ。こうやってからめとられちまうからな。それに、いつまでも武器に固執するなんざ、殺してくれっつってるもんだろうが! 負けに負け続けて勝ったことのない奴が、俺に勝てるかよ! 俺様は上杉軍が特攻隊長、本庄弥次郎繁長様だ!」
大きく振り上げた左腕。それを景春の腕を上から叩きつける。
バキッと何かが砕けた音。いや、間違いなく両腕を折りやがった。なんて馬鹿力だ。
「ぐ、がぁ! う、腕が……!」
両腕を砕かれ景春はその場で倒れ込む。
勝負あり、だ。
「はっ、これで負けようが、強くなろうが、もう抵抗できねぇだろ……。というわけでお嬢。あとは頼んだ」
ふらりと繁長の体がよろめく。倒れる。と思った時には、僕の下にいたカタリアがするりと抜けて繁長の体を受け止める。だが、予想以上に重かったのか、そのまま一緒に倒れ込んだ。
「ホンジョー! しっかりしなさい! ホンジョー!」
カタリアが繁長にしがみついて狂ったように叫ぶ。
こいつもこういう風に悲しめるのか。そう思うとちょっと意外だった。
けどもう繁長は長くない。死相っていう言葉を知っていても実際に見たことはなかった。けど今の繁長にははっきりと死相というものだと分かる顔色になっていた。
彼には救われた。カタリアと一緒に。僕も。
だからこそ。この戦いの決着をつける。それが助けてくれた繁長への恩返しだと思うから。
「これで、終わりだよ。景春」
「まだ、だ……俺は……新しい、世界は……」
「誰かを恨みたい気持ち、世界を壊したい辛さ。僕にはそこまで思い詰めたことはない。けど、やっぱりダメなんだよ。破壊から生まれるなんてのは、本来あっちゃいけない。だからそれを自ら作り出そうっていうのは、間違ってるんだ」
「俺が……間違い……」
洋の東西問わず、歴史の新旧かかわらず。新しい政権が成り立つ時には、ほぼ血なまぐさい政変がある。破壊があってこそ、新しい政権が生まれる土壌になるということなのか。
それでも。破壊は死と悲しみを生み出す、最も避けるべき愚行だ。結果としてなってしまったのならば、まだ救いはあるのかもしれない。けど、それを自ら起こして新しい世を作ろうなんてのは。自分の罪を正当化しようとする最も忌むべき行為。卑怯で厚顔無恥な許されない行動。
それでもそれが民のため、みんなのためだとしても。結果的に奪われるのが民の命だとするのなら。彼をなんとしてでも止めたい。そう思ってしまうのだった。
「本来、ここでは皆一緒になれたはずなんだ。今日、出す必要のない犠牲もあったはずだ。だからここでやめよう。民のための政治。それを目指すのは僕も同じだから。その力、その想い。僕らに貸してくれないか」
「目指すは……同じ」
景春が顔を上げ、虚ろな瞳を僕に向け――
「違う!」
激しく睨みつけられた。まさに親の仇を見るような、嫉妬と怒りに満たされた狂乱の瞳。反逆の王というべきか、荒れ狂う修羅の狂相。
「俺は違う! まだ負けていない。いや、負けてもまた立ち上がる! 来たるべき、俺の……民の世界のために!」
「なんで。なんで分かってくれない!」
「分かるものか! 虐げられたことのない安穏と暮らすばかりの者には! 踏みにじられる雑草の力が!」
その言葉は僕の胸に突き刺さった。
思えば戦争のない――少なくとも日本という国においてはない――世界に育った。そして長じて、企業の粛清部隊のようなところで力を発揮した。大きなところで虐げられたことも、踏みにじられることもなかった僕は、この男に対して一体何が言える。
「そうさ……俺は、俺は!」
一瞬の隙を突かれた。あの腕の状態でよくそこまで、と思うほどに俊敏に景春がとびずさる。そのまま後ろに向かって走りだす。
しまった! 逃げられる!
「今は退く! 次の乱のために!」
マズい。ここで彼らに逃げられたら……特に反乱の志が残ったまま逃がしてしまえば。彼らはまた勢力を蓄えて乱を起こす。それは今回のことを考えれば看過できないほどの規模になるはずだ。
今すぐ北に行きたいのに、南にそんな爆弾を抱えたままだと思ったように動けない。それは避けたかった。
それでも今すぐ動ける人数はいない。
だから逃げる景春を歯噛みしながら見送るしかなく――
「なっ!」
その景春が止まった。
逃げゆく彼の前に、立ちふさがった者がいた。者、というよりなんというか、巨大な物。いや、それは失礼。立ちふさがったのは巨馬。僕の馬の2倍はあるだろう体躯、そしてその上にさらに巨大な人間。合わせて3メートルはあるだろう、巨大な壁が景春の前に立ちふさがる。
その巨馬。見たことがある。いや、それ以上にその上に乗った人物。
暗がりの中でも、その特徴的ないで立ちは、一度見たら間違えるはずがない。僕も一度、横浜でその像を見て、そして何より、アニメ、マンガ、ゲームでその姿はもはや確立された1つの象徴として存在している。
「邪魔だ、どけぃ!!」
景春がその巨馬に向かって突撃する。
その動きに少し速度が乗っている気がした。きっと繁長に“負けた”ことでまた強化されたのだろう。
ダメだ、逃げろ。
立ちはだかる男に対してじゃない。そんな心配はまったくない。
むしろ景春に向かって。対する男。ただ者じゃない。味方であるはずの僕にもゾッとさせる、その佇まいに。僕の中にいるはずの軍神がアラートをガンガン鳴らす。
軍神が恐れる人、いや、神だ。武神。巨馬。青龍偃月刀。髭。
その答えは、1つだ。
「長尾景春!!」
叫んだ。叫んでいた。
交錯する。長尾景春の体が宙に舞った。胴体から上と下に、ほぼ2つに別れて。
「俺は……民の……国」
彼の最期の言葉が聞こえる。刹那。視線が交わり、理解した。
ああ、この人は不器用だったんだ。
民のためと言いながらも、自分の欲望を解放して戦った。それでいて、やはり帰結するところは民なのだ。誰かのために戦い、戦い、そして負け続けた。
そんな男の一生を見た気がして、どことなく涙があふれた。
景春の体は暗闇の山の中に落ちて消えていった。
「ふむ。今のが首謀者か」
景春を叩き斬った男は、何事もなかったかのように馬を進める。その威に押されたように、景春の部下たちが停止して後ずさる。
「関雲長の名のもとに命ずる。反乱の首謀者は斬った。ゆえに我に降れ」
そう、その男――三國志最強の武人の1人。関羽は言った。




