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挿話8 タヒラ・グーシィン(イース王国将校)

 イリスが捕まった。

 その報告を受けた時は、天地がさかさまになったような気持ちになり、それからはもう自分を忘れて行動した。

 去年の中ごろと同じだ。あの時も、イリスがザウス国で捕まったと聞いた時に同じようになり、そしてヨル兄の言葉を無視して迎えにいった。


 あの時は結局無事だったけど、今度はそうじゃない。あの時よりきな臭い、大きな意志のようなものを感じてやまない。勘でしかないけど、こういう時のあたしの勘は残念ながらよく当たる。


「あの、まだ軍の再編が済んでないんですが」


「そんなことより妹の危機! 弟子の危機でしょ!」


「だから弟子ではないと。いいです。抵抗は無駄だと分かったので。再編のめどは立ったので、あとは実戦を交えながら調整しましょう」


 嫌がるオームラ先生を連れて、大急ぎでクラーレの陣へと向かった。

 クラーレは、こんな時もちんたらしている態度に腹が立ったので、とりあえずぶん殴っといた。


 それから大慌てで軍をまとめて出発。陽が地平にかかり始めたころに敵が籠っているとされる山のふもとにたどり着いた。一応敵地だから入念に偵察を出していたけど、敵の形どころか人影も滅多に見ない、そんな閑散とした場所だった。

 というか敵の影が見えないのはどういうことか。ここら辺は敵の庭なんだから、ちょっかい出してくると思ったのに。それをぶちのめして、捕まえて、敵の動きを知るあたしの作戦が……。


「ほらぁ、今からじゃあもうすぐに陽が暮れるって」


「うるさいわね。さっさと野営の準備する」


「はいはいっと」


「あ、いえ。野営は無駄です。あそこの山に陣取りしましょう」


 なるほど。オームラ先生はさすがだった。


 ここ、敵地のど真ん中の平地に陣を敷けば、四方八方からタコ殴りにされる。


 だからオームラ先生は、小さいながらも山に陣取りしようと言ったのだ。そこからなら敵の本拠地の様子も見れるし、仮に敵が攻めてきても敵の動きが良く見えるし逆落としにもできる。


「ね、タヒラ。あの男、誰?」


「誰って、あたしの軍師」


「軍師ぃ、あんたが?」


「それでいて、あたしのカレ」


「はぁ!?」


「言っておきますが、私は妻帯者です。妻以外は愛せませんのであしからず」


「そんないけずなこと言わないどいてー」


「……明日は槍が降るわ」


「どういうことよ」


「あんただって許嫁がいるんでしょうに」


「それはそれ、これはこれ」


「……はぁ」


 まったく。この女は頭が固いんだから。

 少しくらい色んな人とのロマンスを感じてもいいってのにね。


 なんてやり取りをしつつ、山に陣を張ろうとした時だ。


「南方に敵の大軍!」


「大軍とは? 正確な数を。それと旗。所属を確認してください。その間に全軍、南に向けて戦列を整えて」


 オームラ先生が唾を飛ばして指示する。うぅん、こうきびきび動くのも良しね。


「それから偵察を密に。南に注意を引き付けて、北から強襲なんてこともありえます。それと、敵の本拠の動きにも注視を」


「クラーレ、周囲に斥候出して」


「分かってるっての。偵察、行って。敵を見落としたら、朝まで拷問コースだから」


「はっ、はは!!」


 偵察の兵が身をすぐませて去っていく。


「あーあ、可愛そうに。拷問なんて、野蛮人のやることね」


「あら。あんただったらどうするつもり?」


「もちろん、罰を与えるわ。けど一発で済ませるけどね。たまに首の骨とか折れるけど、大丈夫でしょ」


「どっちが野蛮なんだか……」


「なんか言った?」


「いーえー、なんでも」


 ふん、クラーレのくせに生意気。


 それから再び出た偵察が戻るころには、陣替えは済んでいた。そして南。夕陽に照らされた鎧の数々が地平からその姿を現した。1万、いや、もっとか。こっちは1万もないってのに。


「戻りました! 敵は2万ほど、旗は……トンカイ軍のものです!」


「2万……それにトンカイとは」


 トンカイ軍。まさかここで。

 あの密使がもっていた手紙には、トンカイ国のことには触れていなかった。イース国での反乱だから当然だろうと思っていたけど、それ以上に最悪の選択肢が出てきた。

 この反乱の背後にいる者。それを今まで考えなかったことはない。けどそこにトンカイ国がいるとすれば。そして今。こうして後詰として出てきたとすれば……。


「タヒラさん。すぐに撤退を」


 オームラ先生も同じ結論にたどり着いたようだ。やっぱりこれって赤い糸で……じゃなく!


「クラーレ、退却!」


「あんた、妹はいいの?」


「それより最悪の事態よ。あのトンカイ軍の目的を考えなさい」


「は? わたしらの動きに感づいて来たんじゃなくて?」


「それならこんなところで待ち構えないわよ。問題はもっと簡単、そして最悪。あの軍は反乱軍と結びついている。そしてあたしたちが出たこの時を待ち構えて出てきた。そう、あたしたちを全滅させるためよ。あたしたちが全滅すれば、イース国に反乱軍とトンカイ軍を防ぐ軍はない。あっても各地で反乱の対処に追われてる。無防備な国都を落とされて、イースは終わりよ」


「あー……なるほど。本来ならあんたは西部方面にいたけど、ここに出張ってくるから」


「うっさい! だから退路を断たれる前にここから撤退するの! 最悪、ここの軍が残ればイースは生き延びる!」


「ふーん。妹よりも国家ってことね。少し見直したかも」


「妹のためなら国家なんていらない!」


「言ってること逆じゃない?」


「あんた。あーいえばこーいうようになったのね」


「誰かさんのおかげでね」


「敵に動き!」


「しまった! ここで馬鹿と変な口論をしてる場合じゃないってのに!」


「聞こえてるよ。まったく、これだから二十歳を超えた年増は」


「うるさい! あんたもあと1年でしょ!」


「あ、あの……敵に動きが」


 遠慮がちに偵察の兵が進言してくる。


「分かってるっての! 全軍が来たんでしょ!」


「あのー、それが数騎です」


「は!?」


 確かに見てみれば、2万もの軍勢はピタリと足を止めたままで、その中央辺りから数騎がこちらに向かって来るのが見える。

 というかそもそもおかしい。あれだけの軍勢を率いてきて、陣を固めるわけでもなく、陣形を組むわけでもなくただ横に並べているだけ。しかもその兵たちから、激突前に感じる闘気というものをまったく感じない。

 さらにその中からわずかな兵が出てくるなんて……。まさか。


「敵の動きが分からないので、全軍、待機です」


「よし、弓兵。アレを狙――ぶっ!」


「馬鹿! オームラ先生の言葉を無視するな! どう見てもアレ、戦う気ないでしょ。それを撃ってどうするつもり!」


「だからって殴ることないでしょ」


「殴らないと治らないと思ったのよ。ほら、行くわよ」


「あ? 人を殴っといて」


「さっさとする。それとももう1発行く?」


「はいはい、分かりましたよ」


「では、私は暴発しないよう軍をまとめます」


「ええ、お願い」


 オームラ先生を残して、しぶしぶといった様子のクラーレを連れてトンカイ軍の方へ。


 相手は5騎。こちらから2騎が出たのを見て残りの4騎をその場にとどめて1騎が悠然とこちらに向かって歩を進める。


 いい度胸だ。舐められてるとは思わない。

 少し離れていても分かる。あの男――東方の絵画に描かれた坊主が着るような緑色の法衣を身にまとい、槍の先に巨大なナイフがついたような武器を携えてこちらに向かって来る男は、ただ相対するだけで気後れするほどの圧を放っている。このあたしが、だ。

 さらにその馬も素晴らしい。その赤黒い身体は、通常の馬の2倍近い図体と筋肉を持っている。この馬が全力を出したら、誰にも追えないだろうことはパッと見ても分かる。


 そんな馬も乗りてもパーフェクトな相手なら、たった1騎でもクラーレの軍くらいなら壊滅させることはできるだろうと感じさせる。それほどの武威を周囲にまき散らす恐るべき相手だ。

 ま、あたしがいれば負けないけど。……勝てもしないだろうけど。


「なに、あれ……」


 クラーレが横でわななく。


 どうやら彼女にもあの男の圧倒的な武威に気づいたようだ。それを感じれるのだから、クラーレも決して弱いわけではない。ただ馬鹿なだけだ。マヌケで救いようがなくて放っておいたら勝手に死ぬ残念なだけ。

 もう少し負けを繰り返せば良い将になるだろうと思うから育ててるわけで。それがあの男の強さを感じるのであれば、まだまだ見込みはあるということだ。


「行くわよ」


「……」


 クラーレはひるみながらも、あたしの後を追ってくる。

 相手との距離。それがみるみる近づいてくる。そしてそれが馬でひと駆け、相手の顔が見えるくらいになるところでお互いに馬の足を止めた。


 対する男は、なかなか渋い感じのイケメンだ。ただ、なんというか、すごい髭。長々と伸ばされた黒い髭は、それだけでこの男がただ者ではないことを示しているようで……うぅん、なかなかイカスじゃない。


「この場に来ていただきありがたく存ずる」


 言いながら男が手にした大きな槍の石突きを地面に突き刺した。

 武器から手を離す。それで戦う意志がないことを示したのだろう。


 その心意気にあたしも手にした剣をクラーレに渡す。少し不満そうな顔をしたけど、睨みつけてやった。


「駆け引きは抜きよ。この事態、どこまで把握してる?」


「おおよそは。旧デュエン領が火を噴く間近であり……そして我が娘があそこに囚われておる」


「あら、そっちも」


「情けない話だが。無事であるといいが」


 その言葉で、この男に親近感を抱いた。これほどの男でも肉親には弱い。それが感じられた。


「そうでもないわ。あたしも妹を捕虜に取られてるから」


「そうであったか」


「そういった意味では、あたしたち、協力できると思わない?」


「だが我がトンカイ国とイース国は敵国」


「でも今は停戦協議中でしょ? それが合意されれば味方よ」


「ふっ、そうであったな」


 男が愉快げに笑う。


「名乗りが遅れたわ。イース国のタヒラ・グーシィンよ」


「確かその名。キズバールの」


「一応本人よ」


「なるほど、よき武人よ」


 それから男は真面目な顔に戻り、両手を胸の前で合わせてこう名乗った。


「我が名は関羽。あざなは雲長。よろしく頼む」

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