第48話 ザウス軍侵攻
カーター先生の授業で地理の回があった。
それはこのイース国だけでなく、周辺や遠くの国についても学ぶもので、僕にとってはこれ以上ない情報収集の授業だった。
この国がある大陸の形は、あの死神の部屋でおおよそ見て検討が付いている。
問題なのはそこにある国。
これから僕が生きるにあたって、生き延びるにあたって、重要なのが現在の国際情勢だ。
今、この大陸には20を超える大小の国があり、それをまとめているのが大陸中央のやや西にあるアカシャという帝国だ。
アカシャ帝国が日本という国、20以上の大小の国が各県と考えれば理解しやすいだろう。
そしてそれを囲むように、8つの大きな国と10以上の小国によって構成されているらしい。
その大小の国。
もとは大体同じくらいの国土をもっていたのだが、中央のアカシャ帝国の威信が低下したことで、他国を大義名分のもと侵略し、併合していった国が8つあるということ。
アカシャ帝国から大河を挟んで北にあるキタカ国とエティン国。
帝国の西に、本当は行きたかった大国ゼドラ国。そして東にツァン国、南にデュエン国と囲まれている。
大陸の東端にあるゴサ国と、南端のトンカイ国。そして南西にぽつんと離れた孤島、といってもそれで他の大国と同じくらいの面積を持つクース国。
計8つの国が次の大陸の覇者を狙ってバチバチとやり合っているということ。
では我らがイース国はどこにあるのかというと……大陸の中央も中央。北にツァン国、東にゴサ国、西にデュエン国、そして南にトンカイ国と、4つの大国に囲まれたいち地方。
そのさらに中心で、北のノスル、東のトント、西のウェルズ、そして南のザウスら小国に囲まれたところにようやくイース国があるのだ。
もうね。なんというか色々無理ゲーでしょ。
こんな大国に囲まれた、小島みたいな国なんてさ。
大国の気まぐれで潰されるよ。本能寺の変後の真田家かよ。あるいは春秋戦国時代の中山(名将・楽毅の祖国)かよ。
そして今。
8つの大国より先に、隣の小国(それでもイース国より大きい)のザウス国が攻めてきたのだ。
先日の奇襲が無駄になったから、しばらくなりをひそめるだろうと思ってたけど、見当違いだった。
せっかく振り上げたこぶしを、振り下ろすことにしたわけだ。
少し時間はかけたものの、今度は準備万端で、真正面から。
と、そこまでは分かった。
けど分からないのが、僕がタヒラ姉さんに呼ばれたことだ。
学校の外には馬車が待っていて、乗り込むと同時に何も言われずとも走り出す。
目的地は決まっているようだ。
それを聞こうにも、タヒラ姉さんは押し黙って何かを考えているようで話しかけづらい。
仕方なく、10分ほどのドライブを僕は不安と居心地の悪いまま過ごすことになる。
「着いたわね」
と、タヒラ姉さんがしゃべったのは、馬車が速度を落とした時だ。
「じゃあ、降りて」
「え、ここって……」
馬車がつけた場所に覚えがある。
それも当然だ。数日前に来た場所。
あの地獄のような逃避行から、命からがら逃げだして、あの時もタヒラ姉さんに連れられて着た場所だ。
政庁。
お父さんやヨルス兄さんが働いていたり、この国のトップである太守がいる場所。
けど、なんで今?
ザウス国が攻めてきているのであれば、ここは今やてんてこまいのはずだ。
そこに僕が連れて来られる理由がまだ見つからない。
それでもタヒラ姉さんはどんどんと奥に入っていく。
ついていくのか迷ったけど、指で催促されたので黙ってついていくことに。
政庁の相変わらず豪華な廊下をずいずいと進んでいくが、もう今がどこか分からない。それほどの広さがある。
と、タヒラ姉さんがようやく止まった。
そこは大きな扉の前で、扉の左右には鎧を着た衛兵が槍を持って待機していた。
「入るわよ」
「はっ!」
おぉ、顔パス。
そこまで影響力のある人物だと、改めてタヒラ姉さんを見直す思いでいると、衛兵によって扉が重苦しい音を立てて開く。
そこへ躊躇なくタヒラ姉さんは入っていき、僕もなんとなく続く。
「遅くなりました」
そこは会議室、というにはあまりに広すぎる場所だ。
教室3つ分くらいの広さがある部屋で、その中央にある長机は中央が開いてOの字を描いている。
その左右にきちんとした身なりの男女が座っていて、その大体が恰幅のよい中年か、髪が白くなり始めた初老の年代だ。若い世代といえば、イリス姉さんほか数人。あ、ヨルス兄さんがいる。ってその奥は父さん?
それだけでも意味が分からないのに、それら大人たちの視線が一斉にこちらに向いたのだからもうどうしていいか分からない。
そこには学校にある単なる敵意とかそういうのじゃなく、“あわよくば敵を抹消できる力を持つ権力者特有の圧”というものを感じた。
「イリス、こっち」
タヒラ姉さんはそんな視線も介せず、すたすたと歩いてヨルス兄さんの隣の空席に座った。そしてこちらに手招きしてくる。
僕としてはもう何も考えられないので、とりあえずその声に従ってタヒラ姉さんの元へ行く。
ただ、僕の席はない。
「悪いけどそこで立ってて」
急に呼びだされて立ってろっていうのに不満だったけど、事ここに至って反論する気力も勇気もない。
僕は背筋を伸ばして、なるだけタヒラ姉さんの影になるようにみんなから見えない位置を探した。
「では、話の続きをしましょうか」
そう咳払いしながら、会議を進めようとしたお父さんに待ったが入る。
「待たれよ、グーシィン殿。そちらは誰だ?」
「これは異なことを、インジュイン殿。我が娘にしてキズバールの英雄タヒラ・グーシィンを知らぬと?」
「そんなことは百も承知。その英雄が連れてきた娘だ」
じっと、インジュインと呼ばれた男が視線を向けてくる。
その圧に思わずたじろいだ。
タヒラ姉さんに耳打ちされたところ、この人こそがカタリアの父親で、軍部代表の現インジュイン家の当主ということだった。
「イリス。自己紹介しなさい」
そんな僕に、我が父親も追い打ちをかけるようにそう伝えて来た。
そこには娘の無事にわんわん泣き、鳥の丸焼きをむさぼり食っていた人物とは同一と思わぬほど威厳のある声で、思わず背筋が伸びる。
「あ、はい! えっと……その……」
「イリリ、落ち着いて。名前を言うだけでいいから」
そうタヒラ姉さんが小声で、いつもみたいに呼んでくれて少し緊張が解けた。
「イリス・グーシィンです。よろしくお願いいたします」
そうはっきりと言って、頭を下げる。
というかここに呼ばれた理由、本人が一番わかっていないんだけど。
そう思っていたが、
「おお、彼女が……」「カーヒル殿の次女か」「なるほど、聡明そうなお嬢さんだ」
褒められてるっぽいけど、本人を前にひそひそ話。なんかむずかゆいぞ。
ただ、その褒め言葉も一部では反感に育っているらしく、
「ふん、それが“あの”イリス・グーシィンか……」
インジュインが厭味ったらしく、吐き捨てるように言う。
いや、“あの”ってどの“あの”だよ。
「小娘ではないか」
そして続く言葉は、インジュインの横に座る、でっぷりとした、宝石などで着飾った40代の男のもの。
その言葉に反して、ねめつけるような視線に僕の背筋はゾッとした。
だがお父さんはそんな嫌みに構うそぶりもなく、
「イリス、ザウス国で起きたことを皆さんにお話ししなさい」
「え?」
急に言われて困る。
起きたことって……なにさ。
困ってヨルス兄さん、タヒラ姉さんに視線を送る。
けどヨルス兄さんは小さく頷くだけで、タヒラ姉さんに至っては「大丈夫、ちゃんと話せばいいから」と言ってくれたけど、だから何を話せばいいんだよ!
と心中で騒いでみたところで、そうか。気づいた。
ザウス国だ。タヒラ姉さんは言っていた。ザウス国が攻めてくると。
ならばここはその侵攻に対する対策本部ということか。国の代表であるお父さんがいるのも頷ける。
そして直近。
ザウス国とことを構えた人間がいる。
僕、そしてタヒラ姉さんだ。
敵がどれほどの陣容で、どれほどの練度で、どういった状況か。
それを確認するために僕を呼んだのだ。証人喚問だ。
となれば僕が語るべきなのも必然的に見えてくる。
そう、これは戦だ。敵じゃなく、味方に対してだけど。
味方に対し、情報という戦果を公表する場所。ここでのミスが、次の大事な戦いに影響すると考えると、緊張もしてくる。
「あれは叔父のところに行っていた時でした」
腹に力を入れて口を開く。
この先に起こることに、予感を抱きながら。