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第41話 緊縛のこと

「やぁ、よく来られました。アウヘン殿」


 扉が開いた。その奥にいる人物に景春が歓迎の意を表す。

 そこから入って来たのは2人の人物。1人は腰まである長袖の上着チュニックというらしいに藍色のマントを羽織った貴族風の男。景春と同じような慎重だが、どちらかというとひょろっとした印象で猛将という感じではない。顔には傲慢というか、他人の誰もを見下すのが当然と言わんばかりの表情が鼻につく。何より目だ。爬虫類を思わせるような薄気味悪さを感じさせるのは、僕の気のせいではないだろう。

 もう1人はおそらく女性。プレートの鎧で身を包み、頭部は兜のような鉄板で前頭部を隠しているため顔は見えない。


 貴族風の男が鼻を鳴らし、景春に言葉を投げつける。


「ふん、余はアウフェンじゃと何度言えば伝わるのかのぅ」


「これは失礼。極東の片田舎に生まれたゆえ、外来の言葉には疎くてな」


「……まぁいいのじゃ。それで、その娘かの?」


「ええ。間違いないですな」


 貴族風の男がこちらを見て――舌なめずりをした。


 ゾッと背筋を走る不快感。こいつはヤバい。一目見て分かった。頭の中の警報機がガンガン鳴っている。

 もちろん命の危険――なんかではない。イリスの貞操の危険だ。


「ほっほっほっほ、よくやったでおじゃる」


 おじゃる貴族がゆっくりとこちらに近づいてくる。その歩みが死刑宣告のようで、男の気味の悪さを高めていくように思えた。


「なるほど、これが噂のイース国の軍神、イリス・グーシィンじゃな?」


 その言葉にハッと、男の横に控えた女性が顔を上げる。

 その瞬間、叫び声をあげるのを必死で我慢した。


「イリス……」


 そうつぶやいて目を見開いたのは本多小松だ。かの本多平八郎忠勝の娘であり、徳川家康の養女であり、真田信之の妻でもあるとんでもない人物。

 この世界に来て早々。トンカイ&ザウス国の連合軍に攻められた時に戦った初のイレギュラーであり、敵対しながらもどこか通じ合えた。そう感じた相手だ。

 トンカイ国から来る人間と聞けば、あるいはと思ったけどまさか本当に来るとは。


「うふふふふ、イリス・グーシィン。お主には本当に世話になったでおじゃるな。ザウス国の裏切り、イース国都への奇襲、さらには我が謀略のすべてをつぎ込んだ、イース国包囲網においてもな」


 そうか。こいつが裏にいたのか。

 ザウス国の裏切りから始まる、去年の一連の戦い。あまりに連続して物事が起こりすぎて考える暇もなかったけど、振り返ってみれば誰かが絵地図を書いてしかるべき内容だった。ザウス、トンカイだけじゃない。デュエン、ウェルズ、ノスル、トント。すべての国がイース国を同時に攻めようとした。それは偶然でもなんでもない。誰かがそう仕向けたんだ。

 その元凶が、この目の前にいる男なのか。去年、そのせいで一体何人の人間が死んだのかと思うと、暗い怒りが腹の底から沸き上がってくる。


「なんでおじゃるか、その目は! お主、今の状況分かっているのじゃ!?」


 激昂した男が喚き、唾が飛ぶ。汚いな。いや、この男の心は、汚物よりも黒く穢れているに違いない。

 こんな男がいるから。あるいは、ゼドラ国にもこういう男がいるから。この世界から争いがなくならないのではないのか。そう思ってしまうほどに、目の前にいるこの男は醜悪で邪悪だった。


「ふっ、分かっているのじゃ。強がっていても心は震える。そうなのじゃろう?」


 言いながら男は腰に差した剣を抜くと、その切っ先を僕の喉元に突きつけた。流れるような動作だったのもあるが、そもそも僕は両腕を縛られ吊り下げれられている状態だから避けることもできない。

 だから動けない。相手に殺気はなくても、少し動けば喉が切り裂かれる恐怖が僕の動きを縛る。


「ふふ、怖かろうなのじゃ?」


 不敵に笑う男。歯ぎしりするも何も言い返せない。

 その剣先が動く。死ぬ。こんな男に殺される。そんな屈辱的な終わりを待っていいのか。いいわけがない。

 そう思った瞬間に、一気に剣が引き下ろされた。喉元からまた下まで一刀両断された。


 ――かと思った。


「はっはっは! 見よ! この超絶技巧を! 皮一枚を斬らずに服だけ脱がせる技法を、十年にわたって編み出したのだ!」


 下を見れば男の言う通り、ブラウスが真っ二つに切り裂かれて、その奥に隠された健康的なイリスのもち肌を外気に触れさせた。ただその中にある胸部を隠すためのブラジャーと白い肌は傷1つついていない。

 まさに中身は傷つけずに、ブラウスのみ切り裂いて辱めを与える超絶剣技……って阿呆か! なんだ、その技術の無駄遣い! いや、でも。なんだこれ。確かに、素っ裸にされたわけでもなんでもない。ただ上着を裂かれただけだって言うのに。


 めっちゃ恥ずい!


 ただ布切れ一枚がないだけで、ここまで全身が震えるほどに気恥ずかしさを覚えるなんて。男だったらなんとも思わないことが、性別が変わるだけでこうも違うのか。


「ふふふ、これでよし」


 男は満足したように剣を鞘に納めると、


「お主も一応は名家と呼ばれる家の出。そして軍神と評されておる、その身の価値はどれほどであろうか。そしてそれが敵の手に落ちたとなれば、イース国の落胆はいかほどであろうか。その女をむさぼって、むさぼって、むさぼりつくした上で、貴様の価値を問うてやるのじゃ」


 虫唾が走るとはこのことか。

 つまり僕を捕まえたのは、人質兼慰みものってことかよ。

 もう限界だ。この男。これ以上野放しにしてられない。逆にこいつを倒して人質にとれば、形勢は逆転する。


 そう考えれば実行は早かった。


「誰が、お前なんざ!」


 男にとっての死角。下からの必殺の膝蹴りをくらわした。よし、これで――


「ふっふーん。甘いでおじゃ」


「なっ」


 見れば繰り出した右足は、男のガッチリと抱きかかえられてしまった。

 まさか。不安定な体勢でいつも通りの速度は出せなかったとはいえ、軍神の蹴りをこんな惰弱貴族が受け止めるなんて。


「余はこれでも武芸百般なのじゃ。昼は貧民の子供たちを“教育”し、夜は女どもを折檻する。週末は奴隷どもを放って狩りを行う。そのためには健康を損ねてはいかんからの」


 この図体でその強さかよ。舐めてた。

 それよりこいつの日課、最悪だ。健康優良児かもしれないけど、精神はどす黒い悪魔だ。


「ふふふ、それにしてもこの長く細い足に、これだけの力が隠されているとは……美しい。まことにもって美しいぞ」


 男の手が僕の、イリスの右足に伸びる。この極悪人のどことも知れない男に触られることが、汚されることと同時に思えて思わず叫ぶ。


「この、変態――」


「誰が変態か!!」


「っ!!」


 男が急に激昂した瞬間。想像を絶する痛みが右足から全身に走る。

 顔を般若のようにいきり立たせると同時、腰に履いていたナイフを抜くと、僕の右足の腿に突き刺したのだ。幸いというか、咄嗟に身をひねったことが功を奏して腿の辺りを切り裂くだけにとどまった。けれど、斬られたことは確か。どくどくとあふれる血がイリスの体を濡らしていく。


「変態とは余のような貴族に向けて使う言葉ではないのじゃ! …………いや、貴族は変態でこそあれ、と昔の偉大なる先人はおおせになったとか。ふふふ、ならば余は変態であろう。うむ。何も問題はないでおじゃる。ああ……なんということじゃ。白く美しいキャンバスに真紅が走る。これぞ芸術! これぞ我らが貴族の特権というものじゃ! おっと、そうじゃ。味も見ておくのじゃ」


 男はナイフについた僕の血を右手の指にからめると、それを口に運んでちゅばちゅば舐め始めた。


 こいつ。狂ってる。

 どこが、ということもなく、頭から体から心まですべてが狂ってる。


「イース国の重臣とかいうが、それがなんじゃ。所詮、滅亡寸前のムシケラではないか! この乱が成れば貴様らなど、ゴミも同然。滅ぼしてやるのじゃ。貴様の家族も、友人もすべて。余の奴隷として、飼い殺してすりつぶして、猟のまとにしてくれようぞ!!」


 こんな、奴に。家族に手を出させるものか。生かしておけるものか。


 思った途端。体が動いた。

 左足を思い切り蹴り上げた。もちろん右足は男に抑えられている。そこで軸足の左足を蹴り上げれば転倒間違いなしだが、今の僕は両腕を吊り下げられている。両手首を支えに体を宙に浮かせることはできる。


 ガンっと、鈍い音と衝撃。

 股間を蹴り上げたつもりだったけど、何かに阻まれた。ファールカップなんてしてやがる。だが衝撃は伝わったようで、男の顔が苦悶に歪む。


「こ、この……生意気!」


 男が血の滴る短刀を振りかぶる。動けない僕はそれを避けられない。


「あぁ、ああ!」


 両足に力を入れた。男の脇に食い込む右足と、股間部分を押し上げる左足。全体重をかける両腕の縄がぎちぎちと音を立て、支点となる腹筋が悲鳴をあげる。その結果、男の左足が掬い取られたようにして持ち上がり、男の態勢が崩れて横に倒れた。

 ただ武芸百般は伊達ではなかったようだ。態勢を崩しつつも、男はすぐに立ち上がり、ナイフをこちらに向ける。その顔はもはや余裕などなく、醜く崩れた物狂いの表情だ。


「こ、このガキ、じゃ!」


「イース国に、家族に手を出させるものか!!」


 叫ぶ。

 こっちは動けない。それに右足を斬られた。自由に動けて武器を持つ相手に分がある。

 だから一瞬だ。最初の一瞬が勝負。斬りかかって来た瞬間に、相手にカウンターを叩き込む。


「アウフェン殿。それ以上は……」


 と、そこへ本多小松が男に縋り付くようにして、場を収めようとする。


「お前は黙っているでおじゃる!」


 だが完全に血が頭に登った男は止まらない。小松を叩きつけるように振り払う。

 彼女の武力ならこんな小男など一ひねりだろうに。それでも逆らえない、これが身分制度なのか。あるいはイレギュラーという特異性によるものなのか。


「もう、殺す、のじゃ」


 男はナイフを鞘に納めると、再び剣を抜いた。

 くそ、意外と冷静じゃないか。ナイフならまだやりようはあった。けど剣を相手にはリーチの差が厳しい。けど、やるしかない。


「イース国のすべてを殺してやるのじゃ! 父も兄も殺してやる! もちろん、お前の姉も!」


 男が叫びながら剣を振りかぶり突進してくる。

 勝負は一瞬。右足が痛む。その痛みは奥歯に持っていけ。勝つ。倒す。こいつには絶対。


 男が剣を振り下ろした。


 瞬間。

 赤い花が舞った。

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