第40話 対話のこと
「よぉ、待ってたぜ」
通された部屋には先に景春がいた。そこは窓もなく、土塀で囲まれた薄暗い一室。あの土牢のことといい、もしかしたらここは山に穿たれた地下の空間なのかもしれない。
わざわざそんなところを作るなんてと思うけど、罪人を隔離するための空間とするなら地上にあるよりは理にかなっているのだろう。やっぱりこの山は1つの街を形作っているということか。
そこの実質的な支配者は、今目の前にいる男。
もはや先ほどまでの柔和な表情は欠片もなく、ぎらついた猛禽の瞳に捕食者の笑みを浮かべている。
この男が……。
改めて見れば、なるほど。その油断ない表情に猛々しい雰囲気。智と力で戦い続けた益荒男という言葉がしっくりくる。あの長尾為景と北条早雲も認めたというのは間違いじゃないだろう。
「おい」
「はっ」
景春が兵に顎をしゃくる。それだけで取り決めがあったのか、兵たちがきびきび動く。
一体何が始まろうとしているのか。そう思っていると、
「こっちだ」
兵の1人に引っ張られて態勢を崩しそうになった。そのまま連れていかれたのは、部屋の端。そこには天井からぶら下がるロープがあって、その先には鉤のようなものがぶら下がっているのが見える。
あ……なんか嫌な予感。
そしてその予感は当たった。
兵は僕の腕を乱雑に取ると、その鉤の部分を僕の腕を封じる縄にひっかけた。さらに別の兵がロープの先を引っ張ると、滑車の原理で僕の腕が高く吊り上げられた。もちろんそれにとどまらず、僕自身の体も連動して吊り上げられるわけで。
「くっ……」
両手を縛られ高く上げた状態で吊り下げられた体勢。足はギリギリつま先がついて立っていられる状態だ。
てゆうかこの体勢なんとも恥ずかしいんだけど。うす暗い地下室で制服美少女を緊縛して吊り下げるとか。どんなプレイだよ。あー、くそ。これが自分じゃなくて外から見るんだったら……いや、やめよう。今の発言はギリギリアウトだ。
「ではこれで」
と言って、兵たちが出ていく。
この状況じゃあ、いくら僕のスキルがあってもどうにもならない。僕は軍神のスキルをちょっと誤解していたようで、どうやら僕の筋力を増大させているものではないらしい。武力と筋力はイコールではないということらしく、こういった無機物を力任せに引きちぎるとかはできないらしい。
そもそもが、スキルを発動しても筋肉隆々になるわけじゃないから先に気づけって話なんだけど。まぁ仮にここまでがんじがらめにされていると、たとえ筋肉が倍になってもこの縄は簡単に解けないだろう。
いや、そもそも景春には千代女を倒した、軍神の僕ですら目にも止まらなかったスキルがあり。そこを差し引いても2人きりでも安全という、彼の自信が垣間見えた。
「少女を暗い地下室に拘束するなんて、いい趣味を持ってるんだな。それともその趣味のせいで、家宰の職を奪われたのか、長尾景春。北条早雲が認めた男の名が廃るぞ」
皮肉たっぷりに僕が言うと、ピクリと景春の眉が動いた。
「お前もこの世界の外から来た人間か」
どうやら景春もイレギュラーのことについて知っていたようだ。それもよく考えれば当然のこと。トンカイ国と繋がっているなら、関羽や本多小松といった同じイレギュラーの存在がいるのだから、情報を得るのは簡単だっただろう。
「ふん、あの歩き巫女に教えてもらったのか」
「いや……」
と、否定しそうになって口をつぐむ。よくよく考えれば、こいつとは今は敵対関係にある。わざわざ手の内を晒す必要もない。
「僕が知ってたんだよ。山内、扇谷の両上杉に反旗を翻し、関東を騒乱の渦に叩き落した元凶。長尾為景や北条早雲が認めたらしいけど、それもどうだか怪しいもんだ」
知ったのはさっきだけど。とりあえずハッタリでもなんでもかます。そしてできれば相手を怒らせる。それが会話の主導権を得るきっかけになるんだ。
だが相手は僕の言葉を一笑して、
「ふっ、なんとでも言え」
おっと、これは手ごわい。迂闊に挑発に乗ってこないのは地頭の良い証拠だ。
「お前には悪いが、これは命令なんでな」
「命令?」
「……ま、すぐに分かるからいいだろう。お前に会いたいっていうもの好きがいるのさ。そのお方がこうしておけとさ。俺の趣味じゃない」
この男が一応へりくだり、なおかつ僕に会いたいという人物。
誰かは分からない。けどそれは――
「最低の趣味だな」
「そこだけは同感だ」
「1つ聞きたいんだけど」
「あん?」
「長尾為景や北条早雲と一緒に戦ったってのは本当?」
長尾為景はともかく、北条早雲の軍記物はよんだことがある。だが長尾景春なんて名前はまったく出てこなかった。だからそれが本当なのかが知りたい。
「それを聞いてどうする?」
「別に。ただの好奇心だよ」
もちろん嘘だ。いや、嘘っていうと語弊がある。歴史的好奇心はある。けどあの梟雄2人が認めたかどうか。それによってこの人物の将器も分かるものだ。
「ふっ、まぁいい。彼らが来るにはもう少し時間がかかるだろう。北条早雲というのは伊勢宗瑞のことだと聞いた。残念だがそれは嘘――ではないが本当ではない」
「?」
「奴らと共に戦ったことはない、ということだ。奴らは越後と伊豆、相模で。俺は上野、武蔵で別々に戦った。ただ相手が一緒だっただけのことだ。もし上杉家を倒していたら、今度は奴らが俺の前に立ちはだかる敵になってただろうからな」
なるほど……ただ利害の一致している相手というだけなのか。それにしてはどうも楽しそうに物語る景春に、どこか矛盾した感情が彼の中にあるのでは、と思ってしまう。
「俺の友は、そして本当の敵は道灌殿だけだ……」
太田道灌。
さすがにこの名前は知ってる。山内上杉家の家宰で、苦境に立たされていた山内上杉家を最強の軍勢に仕立て上げた男だ。だがその強さから周囲に警戒され、最期は主家の山内上杉家に暗殺されるというなんとも物悲しい終わりを遂げる。
太田道灌を失った山内上杉家は、次第に弱体化し北条家によって滅ぼされる。まさに道灌がいたからこそ隆盛を保っていたわけだから、太田道灌といういち戦国武将の凄さを物語っているだろう。
その太田道灌が友であり敵というこの男。やはりただ者ではないのか。
「それにしてもおかしな世界だ。俺がこの姿でいるのに加え、未来で俺を知る者もいれば、異国の過去の英雄といった人物が存在する。お前もそうだ。俺を知るということは、日の本の人間だろうに、その顔は異人ではないか」
もちろん僕にも色々事情があってこの姿なわけだけど。それもまた教える必要のないこと。
「まぁいい。どちらにせよ、誰の故郷でもないこの異人どもの住む世界は狂っている。終わることのない争い。俺のいたあの時の関東と同じだ。誰もかれもが己の利権だけ言い争い、それによって引き起こされる兵乱は民を傷つけ、自然を壊し、何も生み出すことはない。あるいはこれが地獄というものなのか」
地獄。
ああ、まさしくそうかもしれない。
終わることのない戦乱。誰かが止めようにも、それを聞く者などいない。さらにそこにイレギュラーというこの世ならざる力を持つ存在が世をかき乱す。あの自称死神のやること。本当に地獄なのかもしれないな。
「なんだ、この状況で笑えるのか、お前」
「え」
そうか。僕は笑ったのか。けどそれは面白くてじゃなく、自分の置かれた境遇に対する苦笑なわけだけど。
「不思議なやつだ。あるいはお前なら……いや、なんでもない。さて、そろそろ到着するはずだが」
景春が急にいそいそとした様子で僕から視線を外した。
何か僕を見てつぶやいたようだけどよく聞こえなかった。一体何があったのだろうか。
ただその真意を知る時間はすでに無く、部屋の扉がガチャリと開くと兵が入ってきてこう告げた。
「お頭、到着されました」
「ん、こちらに案内しろ」
「はっ」
来たというのは、やはりトンカイ国の者か。いったいトンカイ国の人間が僕なんかに何の用があるのか。
ここからが本番だと、不慣れな体勢で痺れる手足を振るわせて来たるべき対戦に向けて、気持ちを落ち着かせることにした。




