第35話 交渉のこと
さて、どこからつつこうか。なんて思ったけど、そういえばこの人の名前すら聞いてないな、ってことに気づく。
「そういえばお名前、聞いてなかったですよね」
「ああ。自分の名前など放っておいてください。まぁ、どうしてもというならハルとでも呼んでください」
「ではハルさん。あなたがこの反乱軍のリーダーってことですね?」
「リーダー……お頭という意味合いでは自分がそうですね」
「そうですか。ではあなたの命令には皆が従う?」
「完全に、というほどではないですが、皆さんは私のことを頼りにしてくれているので、聞いてくれるはずです。いえ、言い聞かせて見せます」
「それは重畳。では、彼らにこの場所を離れてもっと北に移動するのがいいと思いますが。そうすればトンカイ国の圧力を受けることなく、平和に暮らせると思いますよ」
「あぁ、それは無理ですね。彼らは土着の豪族や農民です。彼らが心血注いで耕した田畑は命と同じくらい大事なものですし、何より北へ行くとしても他の国民が耕した場所以外の土地を見つけるところから始めなければなりません。一所懸命。ここから移動するとなるととても……あるいは移動や移動先の面倒をイース国が見てくれるなら、ですが」
ま、やっぱり無理か。土着という言葉があるように、先祖代々の土地というのは現代人である僕らが考える以上にこの時代の人々には重要なんだろう。仮に引っ越すとなった場合、金を出してくれればという話だけど、もちろん財政難のイース国にそんなお金出せるはずもない。
それにもし、彼らを首尾よく引っ越しできたとして。そうなればここの土地は空くことになる。そこで作られてきた田畑の収穫がなくなり、さらに徴兵に応じる人の数も減ることになる。もちろん、そんな土地を遊ばせておく理由はないから、トンカイ国はここに人を送り込んで、田畑を管理して領土化してしまうだろう。それはもう利敵行為だ。
というわけでジャブは失敗。これについては捨て案だし、それほど気落ちしない。というわけで次。
「では、単刀直入に言いましょう。トンカイ国から離れて我々に味方してくれませんか? これまで敵対し、夜襲をかけてきたことなどもすべて不問に付します。そうすればあなたたちは祖国と戦うこともなくなります。それにトンカイ国を退ければその分の土地は切り取り次第。あなたたちも豊かになれますよ」
「ちょ、イリス! なんてこと――」
「サン、ちょっとお嬢様黙らせといて」
「はいよー」
「むごっ! もごもがっ!」
ふぅやれやれ。こういうのは口約束でもハッタリでも出したもの勝ちだ。そこらへん、外交の機微を分かってくれないお嬢様には退場してもらおう。
「おお、我々の罪を許してくださると。それならばぜひ」
よし、釣れた!
「――と言いたいところなのですが」
なんだよ。せっかくチャンスと思ったのに。
「実は、トンカイ国に我々の中から人質を取らされまして……お味方したいのは山々ですが、仲間の命には変えられません」
そう言われてしまえば、それ以上強くは言えない。
戦国の世ならば、たとえ人質を見捨ててでも時流に乗るというのがあると思うけど。かといって僕の方から見捨ててでも来てください、とは言えない。言えるわけがない。そこには間違いなく人の命がかかっているのだから。
やれやれ、しょうがない。この案もできたら儲けもののワンチャン案件だった。さほどがっくしは来ていない。
「ではせめて、これだけでもお願いできますか」
それならの代案の3案目。妥協妥協の3案目。
相手はこちらの要件に対して2度も断った。その負い目に付け込んで、これなら受け入れよう、という案を通す。ドア・イン・ザ・フェイスという行動心理学の営業方法で行こう。
「どこかへ移動することも、我々につくこともしなくていいです。ただ1つだけ。どうか中立を保ってもらいたい」
「中立、ですか」
「はい。こちらからも手を出さないことを約束します。ですから昨日のような、イース国への敵対行為はやめていただきたい」
「しかし、トンカイ国から兵を出せと言われれば……」
「ええ。人質がいる中で無理を言っているのは承知です。ですが理由をつければなんとでもなるでしょう。あなたが急病になったとか、ザウス本国に討伐の動きがあるとか」
「それはまぁ。しかしいつまでもは不可能です」
「であれば1か月。1か月、何もしないでいただきたい。それならばできませんか?」
「はぁ……まぁ、確かに、1か月なら……」
こちらが譲歩すれば、あちらも譲歩しないといけないと感じる。その返報性をついた行動心理学作戦。当たりだ。
そもそもここの戦線に何か月もかかわっているつもりはない。1か月どころか1週間以内にケリをつけるつもりだから、別に痛くもかゆくもない。
とりあえず中立の言質を引き出した。それだけでも十分。
「あの、良いのですか? 口約束です。我々がそれを破るとは……」
「もちろん。そこはあなたの誠実さを信じます。便宜上の敵である僕らをこうももてなしていただいたあなたの人徳を」
「……恐縮です」
「ただ、少し考えていただきたい。この約束はあなたたちにも少なからずメリットがあるんですから」
もちろんただの口約束だけで行動を縛れるとは思ってない。国同士の約束なら、まだ拘束力はあるだろう。けどあちらは政府に反旗を翻した反乱軍だ。口約束なんて破ろうが何しようが、彼らにとっては困らない。
だから利で釣る。1か月の中立という、さほど難しくもないことにどれほどの利があるかを理をもって諭すのだ。
「まず1つ。簡単なこと、もしこれからトンカイ国との戦いがあった結果、我々が勝った時のことです。トンカイ国に加担せずに中立を守ったとなれば、その後の待遇も変わるでしょう。仮に我々が負けた場合でも、トンカイ国に対し申し開きができる」
「なるほど」
「次にあなたたちの安全です。ここ1か月であなたたちが襲撃した件を踏まえ、イース国が本腰を入れた場合にあなたたちはどうしようもなくなる。トンカイ国よりここを潰すことに全力を費やせばどうしようもないでしょう。そちらの軍は2千ほど、対するイース国は今のこの状況でも無理すれば1万は集まる。それを防げますか? この山、なるほど。確かに要害です。林の中に罠とかも色々作っているのでしょう。ですがもし僕が軍師なら、むごいとは思いますが火攻めをします。木々や動物にはかわいそうなことをしますが、それが一番犠牲が少ない。ここには兵たちの家族もいるのでしょう? それが燃える山の中で逃げ惑う姿は想像したくありません」
「むぅ……」
続いてちょっと脅し。もちろんそんなことはしない――したくない。けど効率的であることは確かだから、全部とはいかないまでも、どこかで火攻めは必ず行われるはずだ。そうなった時の地獄は……。
「そして最後。この情報を掴んでいるかは分かりませんが」
「なんでしょう」
「イース国とトンカイ国で和睦が間もなく成立します」
「なっ!?」
「理由はいろいろあるわけですが、一番は皇帝による勅令ですね。
もちろん嘘だ。いや、微妙に本当じゃないというべきか。
皇帝が帝都を追い出された時には、ようやくデュエン国が滅亡する頃だった。そこからトンカイ国とにらみ合いが始まったのだから、逃げ延びた皇帝のもとにそのような情報はまだ届いていない。
けど、それを知ったとしたら、馬鹿なことをしてないで助けに来い、くらいは言うだろう。というか各国への救援要請が、裏を返せば停戦の勅令みたいなものなのだ。だから嘘ではないが、微妙に本当のことではないということ。
嘘じゃない本当のこととしては、お互いに新しい領土の安定に力を注ぎたいから今はとりあえず停戦しようか、というくらいだろう。
「まさか、そんなことが……」
「そうなれば、分かりますよね。あなたたちは梯子を外された宙ぶらりんの状態。そんな時にイース国に反発する集団がいたらどうなるかは……まぁさっきと同じですね。裏側の補足説明みたいになっちゃいましたけど、そういうことです」
「むむむ……」
ハルさんは難しい顔をして黙り込んでしまった。
僕が話したことがどれだけ本当だと思っているかは分からない。けど検討の余地はある、そういう反応か。
たっぷり5分ほど悩み、ようやく顔を上げたハルさんは、
「分かりました。1か月の中立。しかとお約束しましょう」
「ありがとうございます」
ホッとした。これで変な敵襲に悩まずに済む。あとはトンカイ国との和睦がどうなるかを見届けてから、ゴサに出発できるだろう。
「いやーはっは。今日は本当に有意義なお話ができた。さて、そろそろ昼食の時間ですな。
弛緩した空気の中、ハルさんは陽気に笑う。
「それにしても楽しい話ができて良かった。いえ、時間が稼げたといいますか」
「え?」
なにを、と思う前に、何かおかしい。違和感。体が。どこか。変。胸が……苦しい?
「イ……リス」
隣。カタリアが何か変だ。体が小刻みに震えて、僕の方を見る。カタリアを羽交い絞めするサンもなんだか虚ろ。その奥の繁長なんかは爆睡している。
まさか、これは――
「ええ、一服盛らせていただきました」
目の前のハルさん。それがこれまでの笑顔が嘘のように、口よ裂けよといわんばかりに三日月にして僕を見つめて――いや、睨みつけていた。




