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閑話5 ???

「逃がしたの?」


「逃がしたのではない。逃げただけだ」


 そう言って鼻を鳴らす男。可愛らしい。自分の心を覆い隠そうと必死に我慢しているようで、ああ、たまらない。そんな怯えた様子を見せたら、ついついいぢわるしたくなるじゃない。


「あなたの娘でしょう? その逃げ出したお子さん」


「無能には我が事の跡を追うことはできん。失敗したなら処分し、次を作らなくてはな」


「あらあら、可愛そうに」


 あの娘、そして南で将軍をしているというもう1人の娘も、このインジュインという男には何も響いていない。この男にあるのは己だけ。己の力で己の野望を成し遂げようとする。しかも世は戦国乱世。まさに一代の傑物が出れば、あるいは一代の愚か者が出れば、国など簡単に吹き飛ぶほど。

 かつて大帝国を成した王朝も、一昼夜にて滅んだ。それを特等席から眺めることになったわらわは本当に幸福者だと思う。こうしてまた、その火種が表れているというのも。


「何がおかしい」


「いえ、何も。……嘘をつきましたわ。この世界、すべてが面白おかしい。それゆえにあなたのそばにいるのですわ」


「ふん。女狐め」


「あら、それは最上の誉め言葉。あるいはわらわの本質とも言えるでしょう。さぁ、今日はいかがです? あなたとわらわの子供が、天下を得る。その仕込みとなれば時間はあっても足りないのではなくて?」


「あまり調子に乗るな、女狐。お前がここにいるのは、その才覚と調略の腕を買ったのみ。貴様のような得体のしれない女は、皮を剥いで逆さに吊るしてやるのが礼儀というもの。それをしないのは、その才を惜しむだけと知れ」


「はいはい。分かりました。所詮わらわは1人では何もできない貧弱最弱天邪鬼。古今東西の英雄がわらわの首を求めるお尋ね者。身の程をわきまえるほどに、はんなりと過ごしましょう」


「…………」


 あらあら、黙りこくられましたか。ふふ、一体何を考えているのか。今のわらわの戯言に意味を求めていられるのか、それとも切り捨てた2人の娘のことを考えているのか。ああ、このやはり殿方の悩まれる姿は、加虐心を煽られるようでどうもいけません。ついつい余計な口を挟んでしまいますわ。


「それにしても、去年までの娘さんは、あなたに従順で素敵な後継者だったのでしょう? 一体、それがこうも変わってしまったのには理由があるはずでは?」


「……グーシィンか」


「はて、ああ、確かあなた様と敵対するお家の方ですわね。そういえばその末娘がお嬢様と懇意とか。さらに去年、南のザウス国の反乱に巻き込まれてから人が変わった様子で、文武に富む、素晴らしい人物になったとか。その影響でしょうかねぇ」


「何故そこまで知っている?」


「さぁ。しかし狐の耳は地獄耳。わらわの耳は、どのような噂も集めてしまうのです」


「……」


「政敵の娘にして、去年の戦でお嬢様と共に軍部に覚えの良いほどの武功をおあげになったとか。しかもお嬢様がその娘に影響されたとなれば……はてさて、どうすればよいのでしょうか? このままでは本格的にお嬢様が敵に取られてしまいます。あ、もうお嬢様のことは諦めたのですからよかったですわね?」


「私の心に入るな、狐」


「これは失礼。殿方は寡黙こそ美徳ではありますが、時に多弁になるのもこう、なんというか萌えというところでしてね。いえ、何よりわらわは殿方が悩み苦しみ悶えるさまがだぁい好きですの」


「最低だな」


「最高の誉め言葉ですわ♡」


「……イリス・グーシィンか」


「その末娘さんの名前ですわね。ええ、良い名前です。巷では、次の将軍は彼女とか、軍神の力を得ているとか、色々な噂が立っていますね。何より彼女の姉もまた救国の英雄とか」


「勝手に言わせておけばいい」


「そうですわね。あなたには何も関係のないこと。ましてや過去を見るしかないお人には」


「――――!!」


 無言の圧が来た。睨みだけで人が殺せるかのような、とてつもない殺気。

 あらあら、こんな殺気。あの仙人クラス。この御仁も、まさに武人ね。ま、わらわには蚊ほどの痛痒もないわけですが。


「うふふ。心地よい風」


「気にくわんやつよ」


「冗談ですよ。まぁでも。そんな素晴らしい活躍をした方は、もうそれは素晴らしい気運を持っているのでしょう。ただ、自国の有利は他国の不利。ああ、わらわは心配でたまらないわ。ああいった一時の栄華が、一気に転落してきた人間を幾万も見てきたわけで。たとえば、最高の栄誉を受けた翌日に病死するなんてものとか」


「……勝手にするがよい」


「ええ、勝手にしますわ。勝手に、この呪詛を言の葉に乗せて、風に飛ばす。それしかわらわにはできませんから。それにしても可哀そうに。イリス・グーシィンちゃん、このこわぁい人に狙われちゃうんだって。ご愁傷様」


 コンコン、というノックの音がドアに響いた。現れたのはこの男の秘書にあたる女性で、この時間でもパリッとしたスーツを着こなしている。


「旦那様、夜分に申し訳ありません。グーシィン様がお見えになっています」


 グーシィン? 今のイリス……いえ、その父親のことでしょう。きっと娘の犯した罪を収めるために敵地に単身乗り込んできたということでしょうね。


「ふっ。待たせておくか。大方、今回の件の謝罪だろう」


「ふふ、騒動の原因を作った人は他にいるのに。悪いお人」


「……お前がそれを言うか。もう去ね、蘇妲己そだっき。今日については、お前に頼むことはもう何もない」


「そういたしますわ。野望の階段をのぼるお方に近づいては、こちらが毒されてしまいますもの」


「毒の大本が何を言うか」


「ふふ。ではまた」


 このお人。かのお方と違って野心的すぎる。それはまるでおきのように熱を持っており、薪をくべれば容易く燃え上がるほどの熱を持っている。

 そのような人間も嫌いではない。


 だからこそ、このわらわが薪をくべよう。

 少しずつ。少しずつ。この炎の種火が燃え盛るその日まで。

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