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第20話 脱出のこと

 父さんが出ていってから少しして、僕は扉に手をかけた。もちろん鍵はかかっていない。

 部屋に1つだけ残されたランタンに火を入れて石段を上がっていく。自分の靴音以外は、自分の呼吸の音以外は存在しないかのような静寂の中、暗黒に包まれた階段を行く。


 ホールに出るまでには考えをまとめておきたかった。

 現状をまとめると、どうやら僕らの秘密のゴサ行きはインジュインパパにばれてしまったようだ。それに対するインジュインパパの行動は早かった。カタリアを自宅謹慎にして、僕にもヨルス兄さんを通じて謹慎にした。

 ただでさえ秘密というのと子供という立場の弱さもあって、ちょっとした横やりだけで計画は破綻してしまう。こうして父さんの計らいで謹慎場所から逃げ出すことはできたけど、果たして僕1人で何ができるのか。


 それでも動かないといけない。

 もしここで僕が動かなければ、ゴサ国との国交もないし、帝国に未来はない。ゼドラ国の伸張は止められないほどになり、ラスも僕もその後に待つのは破滅のみだ。


 だからこそこうして父さんがくれたチャンスを絶対にものにしないといけない。そのためにはまず自分の部屋に戻って、とりあえずトランクを持ち出す。トランクには最低限の生活必需品と、何よりの皇帝陛下の手紙が入っている。着替えたいところだけど、そんな暇はないだろうし今は一刻を争うからトランクだけ持ち出せばいい。


 外に出てからはさらに問題だ。ゴサ国に密入国するにあたって、必要な人間は2人。ムサシ生徒会長とカタリアだ。ムサシ生徒会長は今回のゴサ行きの手配をすべてしてくれたから外すわけにはいかない。

 カタリアは、正直どうしても苦手なところはあるものの、その行動力と熱意には僕に足りないところではある。何より言い方は悪いけどインジュイン家という看板はイース国を代表する家ということで他国に対しての聞こえがいい。グーシィン家のみでことに当たるより、両家の人間がいるというだけで効果が倍以上に膨れ上がる。それにカタリアには、もう1点。いてもらわないといけない理由があるが、それは後のことだ。


 だからその2名は必ず助け出す。いや、カタリアの世話を僕がするのは無理だから、ユーンとサンも必要か。つまり当初のメンバーは必要ということ。

 だからこのまま誰にも見つからずにさっさと逃げ出して、彼女たちの救出に向かわないといけない。


 ――わけなんだけど。


「遅かったね」


 悲鳴を上げそうになった。


 登り切った階段の踊り場。誰もいないと思ったそこで声をかけられたからだ。

 しかも相手が相手。この声とランタンの火にぼんやり映し出されたのは、


「トルシュ兄さん……」


「勝手に抜け出して。謹慎の意味ないし」


「それは……ごめんなさい、だけど」


「勝手にすれば」


「え?」


 まさかトルシュ兄さんがそう言ってくれるとは思ってもみなかった。


 けどじゃあなんでこんなところで待ってたんだ?


「外、出れないけど」


 と言って、背後の扉を指す。何が、と思っていると、そこから確かに音が聞こえる。言い争うような声だ。

 なんでこんな深夜に人の、しかも怒声があがるのか。少し耳を澄ましてみる。


『分かっているんだ、ここにイリス・グーシィンはいるだろう! 早く出せと言っている!』


『しかし、このお時間。すでにご就寝でございますれば』


 執事長のワイスさんだ。それに居丈高に僕の身柄を要求する声は分からない。


『寝ていようがなんだろうが、さっさと引っ張ってこいとインジュインさまの命令だ!』


『しかしこの家はグーシィン家。インジュイン様とは同格のはず。そこにこうも強引に入られるのは、執事長として黙っていられません』


『なにが同格か! 斜陽のグーシィン家などすでに死に体よ! いいから踏み込め!』


『ほぅ……招かれざる客を追い出すのはわたしの役目。つまりわたしを倒していくということですな。グーシィンの黒豹と呼ばれた、このわたしを』


『くっ……別班は屋敷を包囲! 猫一匹逃がさないように監視しろ!』


 それ以降も何やら押し問答が聞こえたけど、先ほどよりは声が低くなって聞こえなくなった。

 どちらにせよ、今このまま外に出るのはまずい。ワイスさんのおかげで一事沈静化したこの場に、呑気に獲物が飛び出してきたのを見たら再び事態は噴火する。

 しかもこのドアは玄関ホールの真横にある。外に出るのはもちろん、2階に上がるにはどうしても目に留まる。


「というわけ。あれは捕吏とインジュインの私兵だね。まったくどこまでも騒々しい」


「分かった、けど」


 もしかしてそれを教えようとしてくれたのか、トルシュ兄さんは。


「別に。ただ安眠を妨害されるのは迷惑なだけ。これ以上うるさくされるのは困るから、ここから出るなってこと」


 素直じゃない人だ。そのために来るか分からないここで待っててくれるなんて。

 そんな兄さんの思いに少し頬がゆるんでしまう。


「けど参ったな。これじゃあ荷物も出せないし、外に出れないし」


「荷物ってこれ?」


「あ!」


「うるさい」


 トルシュ兄さんが脇から出したのは、僕が用意した木製のトランクだ。生活必需品というより何より、皇帝の手紙が一番の大事。これがないとゴサ行きもなにもない。


「ありがとう、兄さん」


「邪魔だったから持ってきただけだし」


 そう言って視線を外す兄さん。照れているのだろう。


「あ。それからこれは言伝。ヨルス兄さんから」


「ヨルス兄さん?」


「もし何かあったら、ご先祖様の後光にすがれって」


「……え、終わり?」


「そう。そんだけ。じゃ、さっさと戻った。外が落ち着いたらボクももう寝るし」


「え、いや。それじゃって……」


「眠いんだよ。突き落とされたい?」


 不機嫌そうな目で睨まれた。

 経済復興対策室で頑張ってるからだろう。ただちょっと怖かった。


「分かった。ありがとう、兄さん」


「さっきも聞いた」


「それでも言いたいんだよ」


「…………勝手にすれば」


 素直じゃない兄に苦笑しつつ、僕は登って来た階段を引き返して降りた。とにかく着替えだ。いつまでもパジャマのままじゃいられない。

 というわけで動きやすいかつ正装でもある制服に着替える。それだけで元気が湧いてくる。別に女物だとかスカートが、とか変な意味じゃなく、この1年。修羅場鉄火場ではこの服装だった。戦闘服と言ってもいい。だからこれからどんな波乱が起ころうとも、なんとかやっていけるような。そんな気分になるのだ。ただの深夜テンションかもしれないけど。


 着替え終わって、そこで困る。

 唯一の出入り口にはインジュインの私兵とやらで完全に封鎖されている。さらに夜を更けるのを待つかと思っても、それほど甘い包囲はしていないだろう。どこから逃げるにしても玄関ホールからでないと無理だし。この地下室じゃあ、避難経路は……。


「! そうか!」


 そういえばヨルス兄さんが言ってた。この地下室は避難場所となっていたと。そして明言はしていないが、避難経路もあるはずだ。つまりここから外に出る方法はある!

 けどそれはどこに? 一応隅々まで見たけど、それっぽいのはない。こういう時は本棚の裏とかっていうのが定番だけど、そもそも本棚はないし。


 そこで気づいた。

 部屋の中で1つ、どうしても違和感があったもの。いや、この家が代々続く貴族の家系ならそれは当然なのかもしれないけど。ベッドの脇にかけられている大型の絵画。どうやらグーシィン家のご先祖様のお偉いさんらしいけど。この暗闇の中に知らないおっさんの絵があって、申し訳ないけどちょっと不気味だなと思ってた。


『もし何かあったら、ご先祖様の後光にすがれって』


 意味の分からなかったヨルス兄さんからの伝言が、それとマッチする。いや、なんで? ってところはある。

 だって僕をこの場に謹慎させたのはヨルス兄さんだ。その兄さんがなぜ脱出口のことを示唆する伝言を伝えたのか。いや、きっと彼も同じだ。僕を案じて、というか家のことと僕のことを思っての対応なんだろう。

 父さんが引退して、今やこの国はインジュインパパの独壇場だ。その命令を露骨に断るのは、今のグーシィン家には難しい。だから一度は命令を受け入れて僕を謹慎させた。けどやっぱり家族としての思いが上回ったのか、あるいは家も僕も両取りしたかったのか、こうして脱出についてのアドバイスをくれた。もしさっきの外の連中が踏み込んでも、謹慎させたが勝手に逃げたと言い訳は立つ。兄さんたちは辛い立場に追い詰められるだろうけど、それ以上の成果を僕が持ち帰れば問題はない。

 まさに一石二鳥。いや、僕にこんなことをしたら、ミリエラさんに何をされるか分からないとなれば、兄さん自身の身の安全を含めると一石三鳥の方策だ。あの人当たりの良い兄さんも、小ずるくなったものだ。


 果たして。

 ご先祖様の後光。つまりその絵の後ろを見れば、なるほど。何かでっぱりがある。ボタンか? とりあえずそれを押してみると、数秒の後にずずず、と何か重たいものが動く音がして、そちらに言ってみれば風呂場の壁が開いて中には真っ暗な空間が奥へと続いていた。まさに隠し扉があったわけだ。


「これは本当に皆には感謝しないとな」


 僕の正体に感づきながらもそれを黙認してくれた父さん。

 家も家族も共に守ろうと必死に考え抜いたヨルス兄さん。

 僕のやろうとしていることに気づき荷物を持ってきてくれたトルシュ兄さん。

 僕の無理強いを聞いて大村先生と軍制改革を行うために残ってくれたタヒラ姉さん。


 誰かがいなければ、誰かが実行してくれなければこうして自由の身になって外に出ることも叶わなかっただろう。そう思うと本当に感謝の念しかない。絶対にこの旅を成功させて、そして無事に生きて帰ってくる。それが最大の恩返しだと信じる。


 家族に守られて、僕はこれから再び修羅の道を行く。

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