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第45話 クラーレという女性

「んだ、てめぇ!」


 一番前にいた、小柄のパンチ柄が怒声と共に飛んでくる。


 それを迎え撃つ――前に風が顔の横を通過した。


「ぐぇ」


 同時、カエルの潰れたような男の声。


 見れば、僕の顔の横から伸びた木の棒のようなものが、男の顔面を打ち砕き粉砕していた。

 いや、違う。暗がりでよく分からないけど、それは木の棒じゃない。

 赤くて、つやつやしていて、そして木の棒のようにまっすぐ伸びていない。膝に当たる部分が盛り上がり、ふくらはぎの反りも見えている。そして何より、先端にあるのは10センチはあるだろうヒール。


 人間の足だ。


「ぶっ!」


 男の顔面を粉砕した足が動き、男を背後に吹き飛ばす。

 それで相手の男どもの動きがピタリと止まった。


 そして俺の横にある伸びた足――どうやら膝上まである赤いブーツらしい――はプラプラと宙を遊んだ後に、


 カツン


 路地に響く音を立てて着地した。


「あー、もう。雑魚の血で汚れたじゃんかー」


 カツカツ、と音が響く。

 それはヒールの音で、僕の横から登場したのは1人の女性。


 数本のメッシュが入った、真っ赤に染まった長髪。伸びた足には赤いサイハイブーツ。もちろん上下も赤で決まってはいるんだけど……なんというか、簡単に言えばボンテージファッション。

 ぴっちりのてかりのあるボディスーツは、最低限の肌色を隠す機能でしかなく、肩とかおへそとか、まったく隠れていない。


 というかとんでもなくスタイルの良い人だ。

 タヒラ姉さんを見ても良いと思ったけど、この人はダンチだ。あっちは筋肉もあってガッチリとした健康的な印象だけど、こちらは違う。モデル体系のスリムさがある。

 さらにボディスーツなんて着ているから余計に際立つ胸の大きさと、腕を回したら2周出来そうなほどにくびれた腰。さらに強調された蠱惑こわく的なヒップ、そしてサイハイブーツを際立たせる長くて細い脚と、男だったら100人中100人が振り返るナイスバディ(死語)の持ち主だ。

 いや、こんな格好の人が普通にいたら、否が応でも目を惹くけど。まさか私服じゃないよな?


 ただ顔は良く見えない。

 額に垂らした髪が、両目とも覆っているようで目元が分からないからだ。


 けどそれ以外の特に唇が、にぃっと大きく横に広がりその人物像をどこか推し量れるように思えた。


「10人ちょいってとこかな、雑魚なら肩慣らしにはいいか」


 蠱惑的とも魅惑的ともとれる女性の挑発に、男たちの低い沸点はすぐに振り切れた。


「てめぇ何しやがる!」


「お、おいやめろ!」


 複数の男たちが前に出る。それをボスらしき男が止めるが男たちは止まらない。


「……かはっ!」


 女性が吼えた。気がした。

 けど、それからは一方的だった。


 女性はこの狭い通路にも関わらず、無駄な動きを一切せずに、次々と襲い掛かってくる男を、その魅力的な足で黙らせた。

 ある者は側頭蹴りで一発ダウン。ある者は足払いでその場で一回転し、ある者は足の甲をヒールで踏み抜かれ跪いたところをシャイニングウィザード(片膝立ちの相手の膝を踏み台にして膝蹴りを食らわせる技)でKOし、ある者たちは思い切り振り切ったミドルキックでなぎ倒され、ある者はそのブーツのつま先で思い切り股間を潰され失神させられた。最後のはご冥福をお祈りする。


 あっという間に10人ばかりが狭い通路に倒れ伏す光景を見て、見せつけられて、こんな状況にもかかわらず感嘆のため息をつく。


 流暢な動きが舞を思わせるほどで、時に日本舞踊のようにゆったりと、時にヒップホップのように激しく動く。その緩急のおかげか、相手に1回も触れられないままでのKOを生み出したのだ。

 対する僕は、今思えばすべてに無駄な動きがあったように思える。だからあんな不意打ちを食らわないし、30人の敵にも臆せず戦っていけるのだろう。


「10人ならさぁぁぁぁ。わたしに勝てると思ったらさぁぁぁぁ。間違いなわけ! わたしを殺すなら1千人連れてこないとさ! きゃははは!」


 背筋を氷で撫でられたような、ぞっとする笑い声。

 助けてくれた相手ではあるが、ゾッと恐怖を感じた。


 それは対する相手の方が顕著だろう。ボス格の男がへたり込むのを抑えようと中腰になりながら、


「間違いねぇ……奴は……緋色の赤だ」


 緋色の赤?

 なんか頭の悪そうな二つ名だけど……つまり二つ名があるほどこの人物は知られ、恐れられているということか。


「で、まだやる?」


 女性が一歩前に出る。そのカツンという音がトドメだったような気がする。


「や、やるわけねぇだろ! 逃げろ!」


 ボス格の男がそう言うと、男たちは我先に逃げ出してしまった。倒れた仲間は背負うないし引きずって連れて行った。

 後に残ったのは僕とラス、そして謎の女性。


 どうしよう。助けてくれたってことでいいんだろうから、やはりお礼を言うべきか。

 いや、もしかしたら商売敵を追い払っただけで、僕らのピンチはまだ続いているとか?

 そもそもこんな格好した人が、まともなものか。


「あの、ありがとうございました」


 そんな僕の迷いをよそに、ラスが丁寧にお辞儀をして女性にお礼を示す。

 それを聞いて自分が恥ずかしくなった。

 彼女は善意で助けてくれたんだ。それをあーだこーだ疑うのは僕の悪い癖。ここはラスに従ってお礼を言おう。


「ありがとうございました」


「うんうん、そうだね。けど、女の子2人が貧困街スラムに来るなんて感心しないわぁ」


「スラム?」


 それって貧困街とかって奴だよな。

 貧困街? この国に?

 確かに豊かではないけど、それでもそんなものができるほどなのか?


 その疑問が顔に出てしまっていたのか、


「ま、東地区でのほほんと暮らしてたお嬢ちゃんには分からないか。それだけこの国も色々大変なのよ。だから、その大変を増やす行為は感心しないなぁ」


 言いながら女性は、ブーツの埃を落としてさらには血に染まったヒール部分を壁に押し付けて汚れを取り始める。

 なんかマイペースな人だ。


「うふふ、これに懲りたら二度とここには来ないことね。次はわたしだっているかどうか分からないから」


 カツっとヒールが地面を叩く音が響く。

 どこか音楽的な要素を感じさせるその音は、それだけでこの場を浄化するような作用があるような気がした。


「でも、さっきのあなた。すっごく格好良かったわぁ。ね、一瞬で3人を倒したその技、どこで習ったのかしらぁ?」


 女性がこちらに近づいてくる。

 対して僕は動けない。それは臆したとか放心したとかじゃなく、単にこの女性から放たれる気、みたいなものに体を動かすことを一瞬忘れたからだ。


「うふふ、可愛いわぁ。お肌すべすべ。ちっちゃくて筋肉もそんなないのに、なんであんなパワーが出るの?」


 女性の手が伸び、頬を、そこから首に伸びて肩、腕と触られていく。

 さらに顔がすっと近づき、僕の目の前までくる。

 相変わらず目は見えない。けど、怖い。何が起きているのか、何をされているのか考えることを脳が拒否してやはり動けない。


「本当に可愛い。キレイ。部屋に飾っておきたいわぁ。ね、うちに可愛いお洋服があるの、きっと似合うわぁ」


 女性が舌なめずりして、笑う。


 あ、ヤバい。

 この流れ。このままだと何もかも言いなりになって逃げられなくなるパターン。

 それは新しい扉を開くというか、なんというか倫理的にレギュレーション的にダメな気がする。


「うふふ、この反応。かーわいい。かわいすぎて、食べちゃいたい」


 ぞくっと寒気がした。

 生暖かい何かが頬を撫でる感覚。その生暖かさは人の体温を持っていて、微妙に濡れていて、それでいて湿った温風を送り込んでくる。


 不快すぎる。恐ろしい。けど動けない。声が出ない。完全に彼女に呑まれてしまっているから、何かしらの外的要因がなければ、このまま――


「あ、あの!」


 不意に目を覚ました。そんな感覚。

 見ればラスが思い詰めた表情で、こちらに向かって大きく目を、そして口を開けている。


「そ、そういうのはいけないと思います!」


 いけないって……いや、でも助かった。なんか今までが金縛りにあったみたいに動けなかったから、ラスの勇気を出した発声でそれが解けたのだ。


「うふふ、残念。お友達がダメだって。なんなら3人でもいいのよ?」


「だ、ダメです! イリスちゃんは、ダメなんです!」


「分かったわ。嫌がっているものを無理やり食べるのも快感だけど、ここはお預けにした方が後で快感が増すからね」


 なんて不吉な予言を残して、女性は僕から3メートルの距離を取る。

 そこにラスが走り込んできた。


「大丈夫だった、イリスちゃん?」


「あ、ああ。ありがとう」


 よかった。間一髪だった。少し頼りないなんて言ってゴメン。

 今のラスほど頼りになって、女神のように輝いている人はいない。


「うん、そうだよね。イリスちゃんはそんなことで穢れちゃいけないからね。穢すなら、わたしが徹底的にやるから」


 ……ラスもなんかたまに変な言動するよな。気を付けよう。


「うふふ。じゃあ、出ましょうか」


 もう興味をなくしたのか、颯爽と歩き出す女性に、慌てて僕とラスが続く。

 歩いたのは1分程度。

 道の先に光が見えてきて、雑踏の音が大きくなるにつれて胸にのしかかる不安や迷いといったものが溶けていく。

 後ろから何かが追ってくるのでは、という恐怖も和らぐ。


 ようやく大通りに出た時には、全身が疲労でいっぱいだった。『軍神』スキルの反動かもしれない。

 あぁ、日光が恋しい。


 ラスと一緒に、へたり込むように脱力してしまった僕は、例の女性がすでにその場から立ち去るような動きをしているのを発見して、慌てて声をかける。


「あ、あの――」


「私の名前はクラーレ。ま、縁があったらまた会いましょう。イリス・グーシィンちゃん」


 そう言って女性は、振り返らないまま指2本を伸ばした右手を左右に小さく振って見せる。


 その日は結局、アイスクリームという気分になれず、謝り続けるラスに僕も謝るというよく分からない儀式を経て別れた。


 それにしてもあの場所。スラムか。

 人間社会があれば、上があれば下がある。広大な敷地に屋敷を立てる人間もいれば、住む場所もなく道端に暮らす人もいる。毎日、過不足なく豪華な食事を楽しむ人もいれば、その日の食べ物にも事欠く人もいる。


 それは分かっていた。

 いや、分かったつもりでいた。


 僕が、イリスがその上の人間だから、そういう他のことに気づかなくなっていたのだ。

 それは僕は、なんだか酷い人間になった気がして、すごく気が滅入った。


 ただ1つの希望。

 あのクラーレと名乗った女性。

 格好よかった。どこか危ない感じのする人間だけど、助けてくれたことは確かだし、その強さも半端じゃなかった。あんな動きに憧れる。

 それはある意味の収穫だった。

 そう、収穫。スラムのことも、クラーレのことも。すべて収穫だと思おう。

 そうやって、人は成長していくんだ。と思う。


 切野蓮の残り寿命277日。

 ※軍神スキルの発動により、2日のマイナス。

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