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第15話 秘密のこと

 翌日から、学校終わりの1時間。営舎に作られた大村先生の居室で、僕は講義を受けた。

 もともと私塾や講武所こうぶしょ(幕府の軍事教育機関)で教えていただけあって、その教えは大層分かりやすく――


「いくさなんてものは簡単なものです。相手より兵数を揃え、相手より武器を揃え、相手より兵糧を揃える。それだけで勝てます」


 なかった。


 いや、分かるんだよ。分かるけど、それができれば苦労はしないというか。


「納得していませんね。ですが、それは怠慢です。兵も武器も兵糧もないのに開戦すれば負ける。それが嫌なら準備をしっかりするか、それでも揃わないなら戦わずに降伏するのが最良でしょう。ああ、君。これをタヒラくんのもとへ。軍の再編の構想が書いてあります。それとこっちは政庁の方へ。軍の強化、近代化を推進するために必要な重火器と弾薬、制服の発注書です」


 そう言って大村先生は彼付きになった軍属の少年に書類を渡して指示する。

 この人、なんと軍制改革の構想を練りながら僕の相手をしている。どういう頭の構造をしていればそんなことができるのか。


「きみ、孫子は?」


「え、ああ。はい。ざっと」


「ざっとではいけないですね。孫子が1千年以上の時を超えて私たちに語り掛けるのは、なにも戦い方ではありません。そもそもの考え方の姿勢こそ教わるものなのです。目を通したという中で、『当然のことを言ってるだけ』と思いませんでしたか?」


「うっ……」


 確かに。

 孫子ってのは、敵より先に有利なところに行けば勝てます。敵の弱点を攻めれば勝てます。主導権を握り続ければ勝てます。というような、すごいありきたりすぎることが多く書かれてる。そりゃそれができれば苦労はしねーよ、と何度思ったか。


「孫子にあるのは何も必勝の策ではありません。孫子が最初に言っていることは覚えていますか。『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道。察せざるべからざるなり』。これは戦争をすることが本当に良いことなのか。他に手はないのか。そこまで考えたうえで開戦に踏み切るべきだ。そう孫子は謳っているわけです。さらに謀攻篇ぼうこうへんにおいては、上兵じょうへい(一番いいやり方)は謀を討つ。次は交を討つ。次は兵を討つ。その下は城を攻む、となり、これは兵を出すのは最終手段であり、これが翻って先ほどの準備ができていないのに兵を出すのは下策ということに繋がります。私が指揮した幕府の征長軍に対しても、薩摩を通じて最新式の銃を手に入れた時点で勝敗は決しました。そもそも国土防衛となれば――」


「ちょ、ちょちょっと待ってください! えと、理解が……」


 いきなり瀑布のごとく語り出した大村先生に、思わず待ったを入れてしまった。

 それでも大村先生は気分を害することも顔色を変えることもなく、刹那に口を閉じてからこう語る。


「つまり孫子はその心構えを説くのみで、決して必勝法を書いてあるものではありません。何より、今と孫武のいた時代とはまったく違っています。あのころに大砲や鉄砲はありませんからね。だからこそ、その孫子に西洋式軍学を混ぜ合わせることこそ、当代における最強の軍を生み出すことになるのです。分かりましたか」


「……えと、はい」


「…………まぁいいでしょう。ではまた明日。今ある大砲を使って西洋砲術についてお教えしましょう」


 それで大村先生の授業は終わった。黙りこくった大村先生は、口が石になったかのように開かない。結局、最初と間に1,2回顔を上げただけで、あとは全部書類とにらめっこ。

 なんというか、よくこれで講武所の教授になれたな。有能っちゃ有能だし。しかもいきなり明日から砲術の実践をやる行動力の高さ。

 頼もしい。そう思えるけど、この性急さが上の人たちとかみ合うか。それはちょっと疑問だった。


「では失礼します」


 そう言って先生の部屋から退室するが、大村先生は顔も上げず、頷きもしない。礼儀知らずと言えばそうだけど、忙しい合間を縫って僕に教えてくれるわけだし、本当に忙しそうにしているからそれも気にならない。

 けどカタリアパパとかは苦手そうだなぁ。


 まぁそこらへんはタヒラ姉さんに任せよう。なんだかんだあの人、面倒見いいし。


 というわけで軍営を後にした僕は、そのまま家に帰る――わけではなく、別のところに足を向ける。


 そこは西地区。トーコさんの居酒屋だ。

 入口で掃き掃除をしているトーコさんが僕を見つけると、二っと笑って、


「や、来たねイリス」


「どうも。皆は?」


「もう集まってる。いったいいつ来るんですの! ってカンカン」


「まったく。この時間になるって言っておいたのに」


「あはは、まぁそれだからこそインジュインなんだけど」


 なるほど。だからこそインジュインって、妙に納得がいく言葉だ。ふんぞり返って自分を中心に世界が回るというのを当然のように受け止めることこそインジュイン家の人間であることの証明、というところか。


「ところであなた。また面倒なことになってるわけ?」


 また、とは心外な。けど否定はできないよなぁ。面倒なことにひたすら巻き込まれているのは確かだから。


「なんならあたしがついていこうか? あなた、なんか放っておけないのよね。……琴のこともあるし」


「それは――」


 琴さんのことを思うトーコさんの優しさに振れ、この人が一緒にいてくれるなら心痛も少しは和らぐんじゃないかと思った。

 一瞬、そのまま頷こうとして止まった。トーコさんの優しさ。それを受け入れるということは、彼女をあの血と死の飛び交う戦場に巻き込むということ。

 帝都への研修旅行は、本当に奇跡的に運が良くて皆無事――とはいかずに終わったのだ。次もまた犠牲もなく帰ってこれるとは思えない。それほどまでに次の旅は命がけで、安全なんて保証されたものでもないのだ。


「いや、大丈夫だから」


「ま、そーよね。あたし、何ができるわけじゃないし。この店のこともあるし。足手まといか」


「そんなことは……」


「いいんだよ。あたしは自分を知ってる。けどね、イリス。あなたはもうちょっと自分を大切にしてもいいんだと思う。いくら国の重臣の娘とはいえ、まだあたしと同年代なんだから。って、その重臣の娘サマにタメ口叩いてるのはどうかと思うけど」


「ううん、今更気を使わなくてもいいんだって。その、トーコさんとは……友達、だと思うから」


「あはは、友達ね。いいね。ありがたいよ、まったく」


 イリスとは同年代だけど、元の人格である切野蓮きりのれんからすれば一回りは下の子供だから、それを友達だと言うのはラス以来で果てしなく緊張した。けどそれをしっかり受け止めてくれるのだから、何より本気で僕を心配してくれるのが伝わるのだから嬉しい気持ちだ。


 トーコさんに挨拶して店の中へ。

 平日の夕方前だが、すでに店には早めに酒を呑む人や何人かで集まって遅めの昼を済ませている人たちがわんさかいた。


「おーう、イリスちゃんじゃないかー。調子どう?」「飲んでかんかー?」


 陽気な常連さんたちに愛想笑いをして、そのまま奥へ。ああ、飲めるなら飲みてー。

 そんな欲望を抑えて店の奥へ。最近知ったんだけど、この店には奥に個室がある。この時代、この世界の居酒屋というのは一人でしっぽりとか、仲間で一緒にという感じではなく、そこらへんに集まった人たち全員でぎゃーぎゃー騒いで呑むというスタイルだ。だから見ず知らずの人相手でも数時間で親友になっているようなこともよくあるらしい。人見知りの僕としては地獄だが。

 そういう居酒屋の形態だから、個室というのはかなり珍しい。なんでも商人が極秘で商談をしたり、少し後ろめたい内容の話をするのにどの居酒屋でも1つは個室があるらしい。


 そんな個室に僕が入るのは、その後者の目的のため。

 後ろめたい内容の話をするためだ。


 後ろめたい、というよりは外に漏れたらマズいというのが正しいか。


「やっと来ましたわね、イリス」


 円卓の奥に座ったカタリアが、憤然とした様子で腕を組んで入って来た僕をねめつけてくる。その左右の後ろにユーンとサンが、護衛のごとく並んで立っている。その姿。もうマフィアだろ。

 そしてその横にはすまし顔で紅茶をすするムサシ生徒会長。

 さらにちょうど入口近くのところで、黒い何か物体が倒れている――いや、例のタキシード姿で円卓に突っ伏して寝ている風魔小太郎だ。あれから数日しか経っていないのに、どうしてここまで服を汚せるんだろう。さては着替えてないな、こいつ。執事長のワイスさんが見たら激怒しそうだ。

 その小太郎を苦々しく見ながらも、相変わらずの肩の出た巫女服で黙々と机に出された豆菓子をぱくぱく食べている望月千代女。


 なんともカオスなメンツだけど、これが今回のゴサ国行きのメンバーだった。

 カーター先生は経済復興対策室で忙しいだろうし、もしかしたら父さんたちに告げ口をする可能性がある。今回のゴサ国行きはいわば無許可の独断専行。もし親たちに気づかれたら全力で制止させられる、いわば子供だけのひそかな独走なのだ。だからなんにしても誰にもバレないメンツが必要なのだった。

 だからヨルス兄さんは問題外。トルシュ兄さんも危うい。タヒラ姉さんは黙認という感じでいてくれる。つまりここにいるメンツしか集めることはできないわけで。


「約束の時間にはまだあるだろ?」


「そんなもの関係ありませんわ。わたくしが遅いと思ったら、もうその時には遅いのです」


 出たよ、このジャイアニズム。いや、カタリイズムとでも命名してやろうか。


「まぁそう言わないでおいてくれ、カタリアくん。私たちは秘密を共有し、行動を共にする同志だ。少しばかりの差異があっても許すべきじゃないのか?」


「お言葉ですが生徒会長。繊細な集まりなのですから、そういう小さな瑕疵かし(傷)から事は露見するのです。信賞必罰、どんなに厳しくてもルールを逸脱した愚か者はしっかり怒ってやらないといけませんわ」


「……というわけだ、イリスくん。残念だったね」


「説得を諦めないでください。てかいつからそんなルールができたんだよ」


「わたくしがルールよ」


「なんか格好いいこと言ってるけど、ただのわがままだからな!?」


「なっ、誰が我がままですって!?」


「それはお嬢」


「サン!?」


「え、お嬢、あたしの心を読んだ!?」


「思いっきり声に出てましたが!?」


「まぁまぁカタリア様。サンのそういうとこ、怒っても損ですよ?」


「お、言うねユーン。そうそう。あたしを怒っても損ですって、ね、お嬢?」


「サン、あなたがそれでいいならいいのだけど……怒ってもいいのよ? ユーンに」


「ふぁぁぁあ、なんだかうっさいっすね。あー、まだ夢見てるかなぁ。甲斐の女猿がどんぐり喰ってる。ぷっ、ウケる」


「うん。風魔が本当に不死身か、試してみよう」


「おう、なんだ騒がしいな! 喧嘩か!? 戦か!?」


 騒ぎを聞きつけてきたのか、外で飲んでたらしい本庄繫長が酒の入ったジョッキを片手に乱入。喧騒は加速し、もはや収集もつかなくなってしまった。


「これで大丈夫なのか……」


「はは、イリスくん。それを今更言っても遅いよ」


 ムサシ生徒会長が笑いながらそう言った。

 前途多難すぎて、苦笑しか出てこなかった。

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