第12話 天才軍師のこと
3日後。イース国王都の郊外にて、僕とタヒラ姉さんは1千の軍を展開させていた。
もちろん大村さんの軍師適性試験兼僕の弟子入り試験のためのものだ。僕が大村益次郎という人がすごい人だと歴史上で知っているけど、この世界ではまったくの無名。むしろどこぞの浪人以外の何者でもない。
そして経済復興対策室ほどではないにせよ、軍の中でも名門意識が抜けないわけで、そんな浪人を軍師に据えようだなんて一般的に許される風潮ではない。
だからこそ僕の試験である模擬戦を、タヒラ姉さんに紹介する大村さんの試験も兼ねることになったのだ。
自分から頼んでおいて、そういう試験をさせてもらいたいと言えばきっと怒るだろうなと思ってダメ元で大村さんには頼んでみたわけだけど、
「ああ、構いません。ここでは私はよそ者ですから。むしろ何も言わずに軍師として招かれる方が不安です」
なんかすごい大人な返しされた。見た目は子供なのに。いや、失礼か。
「イリリー、あの子ほんとにできるの?」
遠く、500に別れた部隊を大村さんが率いると聞いてタヒラ姉さんは懐疑的だ。まぁ“あの子”って言ってるあたり、完全に子ども扱いしてるよな。そりゃ見た目からすれば小学生と言われても仕方ない姿かたちをしているわけだけど。
それでも僕としては期待している。あの大村益次郎が本物なら、今後の僕たちの未来に展望が開けると信じて。
「じゃあ始めさせるわよ? 500ずつの指揮で、こっちがイリリ、あっちがオームラって子。それぞれ騎兵100の歩兵400でぶつかって、相手の指揮官の肩の風船を割った方の勝ち。それでいいのね?」
「うん。お願い」
「ん」
タヒラ姉さんが手を挙げる。すると、僕らと大村さんの部隊の間にいた審判役の兵が鉄砲を構えて空に空砲を撃った。青空に乾いた音が広がる。戦闘開始の合図だ。
「全軍、敵との距離を詰めます。騎馬隊100が先行し、その後を歩兵は追って来るように」
僕の指揮で部隊が動き出す。彼らは去年、あの包囲網を共に戦った仲間たちだ。気心知れた仲というわけではないけど、彼らも僕のことを、僕も彼らのことをなんとなく分かっているから意思の疎通はやりやすい。
それに対し、大村さんは初めての人間ばかり。タヒラ姉さんを通して、彼の言う通りにするよう兵たちには言い含めてあるから、よほどのことがない限りは大村さんの通りに動くはずだ。けど、どうしてもそこにはわずかな齟齬が生まれてしまう。大村さんの指示に対し、兵たちが受け入れて実行するタイムラグ。それが僕の勝機だ。
相手との距離が詰まる。大村さんの隊は動かない。まさかこのままぶつかる気か? そう感じた、次の瞬間だ。
「逃げろ!」
わぁっと喚声があがったかと思うと、大村さんの隊が逃げ出した。逃げ出した。そう、逃げ出した。あろうことか、ぶつかる直前に背中を見せて。てんでばらばらに。
「…………」
その光景に僕も、タヒラ姉さんも誰もが言葉を失う。
だってまさか模擬戦で敵前逃亡だなんて、誰が考える?
「イリリ! チャンスだよ、追うよ!」
「え、あ、いや! ちょっと待った!」
「だってチャンスだよ! あんなバラバラに逃げてるんだから、背中から追い討ちし放題じゃない!」
「いや、そうなんだけど。でも……」
「あの兵たちのことは良く知ってる。ちゃんと戦う勇敢な人たちだって。でも考えてよ。あれだけ陣形が乱れてちゃ、集まっての力は出ない。こっちは急行して各個撃破すれば、あっという間に勝負はつくって!」
そうだ。その通りだ。隊をバラバラにして、それを追って来た敵を袋叩きにする戦法だとは最初に思った。けどそれはありえない。あそこまでバラバラになってしまえば、それはもう隊として機能しない。
ゲームと違って、誰もが同じタイミグで反攻に移ったりは現実的にあり得ない。軍隊は1つの指揮のもと、まとまって動くからこそ力が出るのであって、それが個々人に別れてしまっているのであれば、ただの個の力しか出せないのだ。
ましてや大村さんは初めて指揮する部隊だ。バラバラに散って、良いタイミングで集合してこちらをフルボッコするなんて戦法を編み出したとしても、それを実行する兵が追いつかない。部隊が大村流に慣れるまでの時間はまったくなかったのだ。
だからこそ解せない。
あの大村益次郎が、こんな開始早々、勝ちを捨てるようなことをするのか? あの大村益次郎が? 戊辰戦争の軍神が?
答えはノン。
ありえない。だからこそあれは絶対誘いであって、決して試合放棄なんかじゃない。ならなんだ。何が目的だ。
「北より騎馬隊20……いえ、50!」
「南からも来ます!」
「隊を2つに割って、南北に備えて!」
来た。これだ。逃げ惑うさまを見せて混乱させ、その隙に2つに割った騎馬隊を南北から挟み討つようにして強襲。一気に勝負を決める気だ。
無闇に追撃しなくてよかった。僕とタヒラ姉さんで部隊をそれぞれ250ずつ指揮できるよう、部隊の割り振りはできたのだから、部隊を2つに割ることも問題ない。
だからすぐに僕の指揮する250(騎馬50、歩兵200)が北に備え、タヒラ姉さんの指揮する同じく250が南に備える。こちらから動かなければ、相手から手出しはできない。圧倒的に相手の方が兵力は少ないわけだし、なんといっても騎馬隊は動き回ってなんぼ。停止しているこちらを攻撃しようとして足を止めれば歩兵の餌食になる。それはイース国の軍人なら誰しも去年の戦いから徹底的に体に覚えているはずだ。
果たしてそれを証明するかのように、僕らを目指して南北から襲おうとしてきた騎馬隊は、動かない僕らを見て攻めあぐねて駆けまわるだけだ。そして数分の後に合体して北西の方へと去っていった。
その去り際。最後尾を走る騎馬の上に、子供のような体格の兵が1人。黒のマントを羽織った少年、大村さんだ。大村さんは去り際に僕の方を見て、少し頬をゆがめたような気がした。
それが挑発に乗ってこない僕を感心したのか、それとも何か意味があるのか。どちらにせよどことなく不気味だ。
「イリリ、もういいわけ?」
「あ、うん。でもまた来るか分からないから、偵察だけ出して先に進もう」
「え、先に進むの?」
「そりゃあね。相手が何をたくらんでるのか知らないけど、追わなきゃ勝てない」
「そっか。そうね。じゃ行きましょ」
こういう時のタヒラ姉さんは頼もしい。なんとかなると思わせてくれる。
それから5分ほど進むがまだ敵の姿は見えない。一体どこに隠れたのやら。
なんて思っていると偵察に出ていた兵が急ぎ戻って来た。
「報告! 南より近づいてくる100人ほどの部隊が! すべて歩兵です!」
「報告! 北西、500メートルのところに敵です!」
「また挟み撃ち!? いい加減うざったらしい!」
「いや、姉さん。これはチャンスだ」
「え、そうなの?」
「敵は兵を割って南北から強襲をかけてくる。さっきと違うのは、僕らが先に気づけたってこと。先に北西の敵を倒そう。南から来るのは歩兵なら、挟み撃ちになる前に倒せる。今なら500対400でこっちが有利だ」
「あ、そっか」
「騎馬隊、先行して北西の敵を牽制。歩兵はその後に続いて一気に敵を撃滅する!」
「おおおおおお!!」
勢いよく駆けだす兵たちを見ながらも、一抹の不安がよぎる。
本当にこれでいいのか? こんな見え見えの挟撃策をしてくるのか?
けど相手が兵を割っているのは確か。チャンスなのも確か。けど……。
「敵、こちらを見て逃げようとしています!」
「はっは! 遅い遅い! イリリのこと、舐めたらあかんのじゃ!!」
「待った、姉さん!」
「この距離なら!」
僕の制止を振り切って、50騎を猛然と走らせる姉さん。対する相手は逃げようと背中を見せているが、その動きがなんだかぎこちない。何より嫌な予感を感じたのは、そこが草の生い茂る場所だったこと。腰位までの高さの草が、敵も味方も馬の速度を殺す。
「止まるんだ、姉さん!」
叫ぶ。その瞬間、タヒラ姉さんの部隊の人たちが宙に舞った。
何が、と思うより早く、左右から喚声が来た。
「敵!?」
見れば右手の小高い丘から敵が駆け下りていく。さらに左手の森からも。
いや、それ以上に今タヒラ姉さんたちを吹き飛ばしたのは、草むらに伏せっていた敵。3方向から攻撃を受けていた。いや、これで後ろの100が来れば完全に包囲されて全滅コースだ。
そんな馬鹿な。一体、どこから。敵の数はこっちより少ないってのに。
そこで気づく。奇襲してきた敵の数、その数が意外と少ないことに。そりゃそうだ。そもそも相手は400。逃げようとする偽装も含めると、数をごまかすにもほどがある。左右から来るのは50に満たない少数。
「慌てず対処するんだ! 伏兵の数は少ない! 迎え撃つ!」
「駄目、イリリ! 場所が悪い、逃げて!」
「姉さん!? 大丈夫なの!?」
「ここらへん、湿地になって動けない! それに相手の動きが早い!」
「でも!」
「イリリがやられたら終わりなんだよ!」
タヒラ姉さんの必死の言葉。確かにそうだ。この状況で負けは僕の風船が割られること。
「っ!! 20騎が続いて!」
行くのは当然右手。タヒラ姉さんのいる前方は湿地、左手は森。となれば馬で逃げられるのは当然丘になっている右手で……当然? まさか。
丘の中腹。そこまで登った途端、左手から馬蹄が聞こえた。丘陵を超えて現れたのは50以上の騎兵。逃げていたはずなのに、いや、逃げたんじゃない。回り込んでここに来たんだ。僕が逃げる進路を予想、いや、制限して。
20対50では話にならない。というか横撃された時点で勝敗は決まった。数人の相手を打ち落としたものの、味方が次々に突き落とされ、数人に囲まれた僕は呆気なく風船を割られる結末となった。
「ま、負けた……」
これでも去年の戦いとか、帝都での戦いで実戦を積んできたという自負があった。けどこうも呆気なく負けるなんて。
敗北感が重く、重く僕の心にのしかかった。




