第8話 忍のこと
結局、経済復興対策室とやらの整理に1週間かかった。
ただそれによって再編された経済復興対策室はそれなりに機能はし始めている。人員のコストカットは動作しなかったけど、テストによってふるい分けられたチーム分けにより玉石混交の滅茶苦茶な状況からは脱することができた。
そこでさらに仕事の効率化のためのワークフローの整備、マニュアルの構築、後方支援のためのシステム部の設立など、とりあえず自分が把握できる範囲での組織編制を行った。その代わりに3日くら徹夜だったけど。
なんか先生の演説で、無駄に暑苦しい雰囲気になった経済復興対策室は、僕との関係にも影響したようで、
「へっ、お前との勝負。熱かったぜ」
なんで喧嘩した後に仲良くなってるみたいな感じになってるのか。全く分からなかったし、分かりたくもなかったけど、とりあえず目の敵にされるよりはマシだと思おう。
ともあれそんなわけで、新生経済復興対策室の稼働はなんとかなり、ホッと一息つくようなある休日。
「お久しぶりっすー、あなたの小太郎でっす」
そう言って戻って来たのは、風魔小太郎だった。
なんというか、チャラい。それにもましてクサい。セリフも、本体も。
どれだけ風呂に入っていないのか、黒いはずの髪の毛のところどころに白いものがこびりつき、まとっているマントはボロ雑巾が高級な布に見えるほど砂埃にまみれて見る影もない。肌もどす黒くなって、垢というより泥がこびりついているようで、そこから発せられる異臭に、本気で鼻が曲がりそうになった。
「ん? 臭いっすか? そうっすかねー、自分はそこまで思わないっすけど。あ、今サラに変わりますんで。え? なんで? なんでって、臭いのが嫌でイリス殿の前に出たくないって言うんで、じゃあ出しておこうって」
「小太郎、最低」
「えぇー。って、サラもそうそう、とか言うな」
「とりあえずワイスさん。庭のどっかでいいんで、水ぶっかけておいてください」
執事長のワイスさんに小太郎を頼んだけど、ワイスさんは難しい顔をして、
「いえ、イリス様。このようなもの、庭に入れることすら不浄。インジュイン様のお屋敷にいた者がこんな風になるとは……ああ、情けない。ええ、ええ。私がきっちり、ぴかぴかに磨き上げてやりますとも!」
なんて鼻息荒く頼もしいことを言ってくれた。
「えー、別によくない? こんなの汚れのうちに入らないでしょ」
「よくない!」「よくありません!」
僕とワイスさんの声が重なり、哀れ泥の塊のような小太郎はどこかへとドナドナされてしまった。
それから小一時間。庭で借りっぱなしだった本に目を通しながら、入れてもらった紅茶を片手に優雅なティータイムというのに浸っていた。ちなみに本は学校地下の書庫のショカさんから借りたもの。この国の歴史をベースにした小説で、この世界の歴史が分かりやすく頭に入ってくる。
そんな時だ。門から入ってくる1人の男が目についた。
その男は、中背ではあるもののどこかシュッとしていてなんとなくイケメン。パリッとした黒のタキシード姿で髪をオールバックにして露わになった目元なんて、鷹のように鋭くどことなく危険な香りもするのもグーだ。
ああ、なんというか父さんがあんなこと言うから、男を見る視線が女性視点になってる……。
きっとどこかの貴族の子弟とかで、父さんに用があって来たのかな、と思うと、男性は足を止め、きょろきょろと辺りを見渡したかと思うと、こちらに視線を送ってハッとしたようにこちらに近づいてきた。
え、なに? 僕に用?
いきなり現れた見知らぬイケメンがぐんぐんと近づいてくるなんて、味わったことのない現象に動悸が激しくなる。
やがてイケメンは僕の座る椅子の傍で止まり、じっとこちらを見てくる。その無言の圧が怖い。
「えと、どなた?」
「やだなー、自分の顔忘れたの傷つくわー」
一瞬、時が止まった。
この声。この声色。まさか……。
「小太郎?」
「あったりー。って、マジで気づかなかったの?」
「いや、だって、そりゃ……誰?」
「だから小太郎だって。あ? ちょっと、おい出てくんなよ、こんな時に。自分がイリス殿を落と――あー、イリス殿。変わりました、サラです」
急に人が変わったように、丁寧な口調と共に膝をつきお辞儀をする。いや、これは文字通り人が変わっているんだ。風魔小太郎に宿る2つの人間の意識。小太郎とサラ。その男女の切り替えは目にするまで信じられないけど、これまでも僕を助けに来たり殺しに来たりと色々因縁があったりする。
今ではお互いに僕のよき諜報員でありながら相談相手になってくれてるわけだけど。
「久しぶりだね、サラ」
「イリス殿には本当に小太郎が迷惑を……今、裏ではギャーギャー騒いでますが、とりあえずご容赦ください」
「あ、そう。うん。へぇー」
なんというか、自分の中にもう1人の他人がいて、それと言い争うのとか想像に難しい。
それよりサラに切り替わった小太郎は、女性ながらなしなやかさと胸のふくらみを持ちつつも、タキシード姿というどこか男性的なものに身を包んだミスマッチがギャップを産んで、これまた見事の一言。うん、男装の麗人っていうか。本当に格好いい。さっきのボロクズのような状態でサラに変わらなくて良かった。
「そうだ。せっかくだし、紅茶はどう? お菓子もちょっとあるし」
せっかくの陽気だし、報告をただ受けるのもつまらないからと言ってみてことだけど、サラは仰天したように顔をあげて必死に首を振った。
「いえ、下賤の身の私がそんな主と共にお茶など」
「まぁまぁ、いいから。これまで色々忙しかったし、サラとも話せなかったし。それに色々探ってくれてお疲れ様という感じで」
バリカタの男装の麗人をもっと鑑賞したいって下心もありつつ、もうちょっと彼女とも親しくなりたいと思っていた。
「そんな恐れ多い……うるさい、小太郎。邪魔をするな」
……若干、ダークなところもあるけど。
「分かりました。それでは主から褒章をいただく意味で、失礼いたします」
「その主ってのもいいから。気軽にイリスって呼んでよ」
「いえ! そこまでは……」
「それとも僕のことは嫌い? まぁそうだよね、僕のこと、殺しに来るんだもんね」
「え、あ、う……その……そういうわけではないのですが」
「小太郎は嫌だって?」
「い、いえ! もう小太郎なんて意見聞く必要ないんで! 通信切るんで! はい! もうあの馬鹿男は出てこないです!」
つか小太郎、酷い言われようだな。まぁあんな軽薄な奴が一緒の体にいると思うと、なのかな。
どうやら心を決めたらしいサラは、ビシッと背筋を伸ばして僕の前にカチコチの状態で座った。
「そんなかしこまらなくていいって。友達みたいな感じで、気楽でいいから」
「…………ふ、ふぇぇぇ」
「ええ、泣いてる!?」
「ご、ごめんなさい。私。その……友達なんて……下忍なんで、もう……」
あぁ、そういう。詳しくは知らないけど、下忍なんて物以下の扱いだとかって話は本で読んだことはある。生きていれば儲けもの、いざとなったら死なせるための任務を押し付ける、なんでもござれだ。
だから僕の友達という言葉に感動してしまったのだろう。なんとも純情な子だよ。
「じゃ、座っておしゃべりしよう。といっても僕もおしゃべりがそんな得意なわけじゃないけどさ」
「あ、はい!」
いそいそと、顔を紅潮させながらサラが僕の対面に座る。そしてカップに紅茶を入れてやると、それを美味しそうに飲んだ。
「ふわ、美味しいです。こんなの、飲んだことない」
「茶菓子もどうぞ」
「あ、はい! あわわわわ! なんですか、これ! 甘い! 凄い!」
パクパクと茶菓子を口に入れるサラ。ただ、途中でハッと何かに気づいたようで、
「あ、いえ。ごめんなさい。こんな、さもしいですよね」
「いやいや、美味しいって言ってくれるならこれを作ったミリエラさんも喜ぶと思うよ。どんどん食べて」
「あ、いえ。そんな……あ、でも、もうちょっと……」
やっぱり人間、甘いものへの執着は耐えきれるものじゃないようだ。特に砂糖が上流階級にしか普及していなかった昔の人ならなおさら。
若干、こんな男装の麗人という格好いい属性の女の子が、茶菓子をむさぼり食う姿はなんとも似合わないと思ったけど、そのギャップがまたグーだ。というか幸せそうな顔をしている彼女はとても可愛らしくてこちらまで嬉しくなってくる。
そんなことをサラを見ながら思っていると、
「ふぅん。イリスってそんなのが趣味。幻滅」
どこからともなく声がした。声はしても姿は見せず。いやこの声。まさか!
「千代女!?」
「そう、千代女」
どこに、と思った瞬間に背後から声が聞こえたのでびっくりした。
「いつの間に……」
「どこにでもいなくて、どこにでもいる。それが歩き巫女」
そんなシュレーディンガーの猫みたいな感じだったっけ? 歩き巫女って。
「歩き巫女?」
と、その言葉に反応したのは、茶菓子をあらかた食い尽くし、最後のクッキーの1ピースを口に挟んだサラだ。
これまでの幸せそうな笑顔から一変。急に険しい顔になったサラは、バッとその場で飛び上がって距離を取ると、どこからか取り出したクナイを構えた。ただその口にはさきほどのクッキーが挟まっているあたり、なんとも緊迫感がない。
「イリス殿、逃げてください。こいつは……敵です!」
「あ、いや、その……」
「くっ、油断しました。まさかここにこいつがいるなんて……」
「あのー、サラさん? 彼女は僕の……」
「そう、今は味方。というか愛人。むちゅー」
ギュッと背後から羽交い絞めにされた。というか抱き着かれた。
てか今、愛人とかサラっと言った!?
「ぐ、ぬぬぬぬ!」
サラは親の仇でも睨みつけるように千代女を睨む。
「甲斐の山猿が。そんなひらひらしたものを着て、満足な仕事ができるものか」
「そちこそ足柄の山に逼塞する弱小勢力。何の因果か拾われて身を売ることになっただけのこと。こっちは元は神職。諏訪信仰を馬鹿にすると、天罰が落ちる」
「その神職さまがなんで女性集団なのかね。どうせところどころでピーでもピーしてピーしてただけだろう。諏訪神社も迷惑しているだろうね。こんな薄汚れたやつらが神官を自称してるなんてね!」
「……殺す」
「こっちのセリフ」
あわわわわ。そういえばこの2人、もとい北条と武田って犬猿の仲だよな。
歩き巫女の武田家と、風魔党の北条家は一時の同盟の期間以外はほとんど敵対していたような間柄。いや諜報部隊となれば、同盟国であろうと表に出ない暗闘は常にあったに違いない。
そうなればまさに天敵、不倶戴天の敵。エンカウントアンドデストロイって感じだ。
そんな2人を仲間に加えたんだから、先に紹介するとか会わないよう手配すべきだったんだけど、帰国してからも何かと立て込んで後回しにしてしまっていた。そのツケが今こうして回ってきているのだろう。
「ちょっと待った! 2人とも、とりあえずここは抑えて!」
「無理。殺す」
「あばずれに私が殺せるものか!」
「その前に僕を間に挟んで――ぎゃあああ!!」
庭で発生した忍界大戦に巻き込まれた、哀れ僕の声は澄み渡る春の陽気に木霊した。




