挿話1 中沢琴(ゼドラ軍部隊長)
赤く燃えている。
それは精神的なものではなく、物理的なもの。
そこにあったはずの命の営み。人々の帰る場所。村が火に包まれていた。
炎の龍が大地を飲み込むように蠢動している。炎の龍は衰えることなく暴れまわり、伸びた舌にまかれればどのような人間だろうと黒ずみになって息絶えるしかない。
それをボクはただ眺める者として傍観するしかなかった。それがなんとも口惜しい。
そもそも炎の龍は天によって遣わされたものではない。神の怒りに触れた雷鳴や、大地より吹き出でる炎熱の天災ではないのだ。
それは人によって引き起こされた愚かな末路。人が人を裁くにあたり、人為的に引き起こされた地獄の業火というものだ。
それを引き起こした連中は、狂ったように踊り回るか、己の欲情を満たすために縦横無尽に走り回る。光景を見て、吐き気がしたのは初めてだ。
ここまで人は無節操になれるのか。
ここまで人は愚かになれるのか。
それは怒り。彼らに対する怒り。だが彼らを罰することはできない。どれだけ極悪なことをしていたとしても、彼らは今やボクと所属を同じくする味方なのだから。
「ここにいたのね、琴」
背後から声をかけられた。この優し気な口調、だが発する気概は溌溂として天意を体現するかの如く猛々しく存在している。
声の主を知りながら、ボクは振り返りその名を呼んだ。
「巴殿」
「殿だなんて、同世代じゃない。呼び捨てでいいのよ」
「いえ、あの巴殿にそんな言葉はできません。ボクの瞳に潜む黒龍も、貴女の前では頭を垂れて服従を誓うしかない家畜も同然」
「うーん? まぁ、なら仕方ないけど。……それにしても奴ら、こんなところにまで」
「ええ……」
奴らとは村に火をつけた一団だ。
彼らは何も自ら好んで火を放っているわけではない。彼らは新たに帝都に赴任したゼドラ国太守の命令を受けて人夫を募っているだけ。ただそれに抵抗するから、多少強引な手立ても使っているだけ。
――というのが彼らの表向きの発言だ。しかしそれを信じている帝国領の人間はいない。奴らは問答無用で村に火を放ち、略奪と強姦をほしいままにした上で村人たちを連行していくのだ。
「人狩り部隊。白起様がいればこのようなこと……」
「仕方ないでしょう。白将軍は多忙を極めているのです」
「忙しいね……帝都周辺から徴兵した新兵たちの練兵のどこが忙しいのか。白起様のすることではないでしょうに」
確かにそれはボクとしても納得のいくことではない。あの人は敵ではあったが、指揮官としての力量は史記にもある通りの徹底したものだった。まず奇襲で帝国軍を皆殺しにし、それから数日で帝都を落とした。それから帝国軍の残党狩りもわずか半月でしてのけたのだから並みの手腕ではない。
ゼドラ国太守が何の問題もなく帝都に入れたのも、彼のおかげと言えよう。
「やはりあのゼドラ国の名門の方を斬ったのがまずかったのでしょう」
「うっ……」
ボクの言葉に巴殿が顔を引きつらせる。
「あ、申し訳ない」
「いえ、いいのよ。私もあの時は病み上がりで、何も考えられなかったから」
それは帝都を落として数日が経ったころだ。将軍はゼドラ本国から来た軍の指揮官に部隊指揮権をはく奪され、帝都に軟禁された。それを是としなかったのは、あの呂布と項羽に源為朝、そしてここにいる巴殿だ。
彼らは指揮官を斬り、白将軍の身柄を奪取。さらに帝都へ移動中の太守に訴え出ることで、不当なる軟禁に対する報復に対しお咎めなしを勝ち取った。
これでめでたしめでたしとなるかと思いきや、問題は残った。それは太守に問題があるわけではなく、太守におもねる寄生虫のごとき門閥貴族から出たものだ。
つまり彼らが斬った指揮官はゼドラに昔からある名門貴族の一員だった。息子の死にその家族が怒り、白将軍の謀反を太守に訴え出た。それに門閥貴族が同調。急に現れた白将軍のような男に、帝都陥落という大功を立てられ自分たちの立場が危ういと感じたのだろう。
もしここで彼らの上に立つ太守が暗愚であれば、白将軍は史実の二の舞を踏むことになっただろう。だが太守は暗愚ではなかった。いや、会ったことがないからその人となりを説明することは天に唾を吐くような愚かなことだが、巴殿が言うには、
『あの男はとんでもない俗物よ。己の権力と栄達にしか興味がない。だから白起様が使える人間だと示している今は、彼も白起様を守ろうとするでしょう。けどもし、使えない者としての烙印を押されたが最期。どんなことをされるか分かったものじゃないわ』
という人物らしい。
それゆえに太守の判断は迅速だった。
つまり両者の顔を立てたのだ。白将軍はやはりお咎めなしだが、ほとぼりが冷めるまで新兵の訓練。門閥貴族たちも自重を促しつつも、軍を分割して任せることで分裂を図る。
ボクに言わせればとんでもない食わせ物だ。だがそうでもないと、帝国を滅ぼし、天下統一をしようだなんてことは言い出さないのだろう。
「とにかく今は時間を味方につけるしかありません。時を支配することこそ、人類を創世へと導く光となるのです」
「うん? うん、そう、ね? 良く分からないけど。でも、こいつらのやり方には怒りしかないわ。早急に帝都の修復とそれを守るための城郭建造のためとはいえ、ここまで領民をないがしろにするなんて。いくら本国から移住者を引っ張ってくるとはいえ、土着の人間をないがしろにして栄えた国はないわ」
「おっしゃる通り」
そうだ。あの野蛮な軍は薩長と同じだ。自分本位の考えでしかなく、そこに住む人のことを考えない。奴らが江戸の民にしたことを考えれば、許されることではない。
だからだろう。自分が白将軍にそのことを訴え出たのは。
「実は数日前に、白将軍にそのことを伝えたんですが」
「え? あなたが? 白起様に? ……よく粛清されなかったわね」
「ええ。どうやらボクがこのゼドラ国の異能者の中で一番未来に生きた人間ということで。元他国の人間というのも合わせて、率直な意見が欲しいと」
「ふーん。あなたが。ふーーーーん」
巴殿のボクを見る視線が、どこか険を抱いている。何かあったのだろうか。
「で、白起様は?」
「はい。放っておけ、と」
「それ、だけ?」
「はい。あ、いえ。その後にこう言っておりました。『やり方は悪くない。効率を求めるなら国民を徴用した方が早く安く済む』とのことです」
「そう……白起様が」
「ただ、最後に一言」
「?」
「『美しくない』と」
「美しくない? 何がかしら」
「さぁ、良く分かりません。ただその後から新兵の調練が厳しくなり、それにボクもこうやって全土を見守る役目をもらったので。おそらく何か考えがあるんでしょう」
「ならいいけど」
巴殿は少し悲しそうな表情をすると、再び燃え盛る村の方へと視線を向けた。
一体、将軍が何を考えているのか。それが分かったのは、その日から数日経ったある日。将軍に遠乗りに誘われた時だ。
「いいんですか、大将軍? 勝手に遊びにいっちゃって?」
為朝が馬を走らせながらも、嬉しそうに白将軍に問いただす。
彼自身も将軍のお供で新兵の訓練に駆り出されてうんざりしていたのだろう。
「遊びではない。これも立派な訓練だ。それに今日は調練は休みの日だからな」
「訓練って言っても、今更俺たちに馬術の訓練なんていらないのになー。ま、ちょっと鬱憤溜まってるから解消にはいいけど。ね、呂将軍に項将軍?」
彼の横を行く2人の大男は、為朝の言葉が聞こえているのかいないのか。特に反応は見せない。だがどこか溌溂として馬を走らせる様子は、解放感と充実感に満たされているように見えた。
項羽と呂布。
大陸で最強と名高い2人が並んで駆けるさまは、なんともすさまじい光景だ。普段はどこか寡黙でぴりつく空気をまとって近づきがたい。もちろん他国からの投降者ということでボクに対する視線も険しい。それは仕方のないことと思いつつも、たまに見せる視線にどこか慈愛と興味が混ざっているのが、なんとも不思議な感覚だ。
遠乗りについていくのはその男衆4人、そして残るはもちろんボクと巴殿だ。
6人の乗る馬はどれも名馬らしく、その中でも項羽と呂布が頭1つ抜けるが、それでも白起を先頭にひたすらに駆けていく。
途中で休憩を挟むことなく、2時間ほど走り続けた時だ。
「あれは……」
と、巴殿が見つけたのが最初だった。
次の瞬間、白将軍が馬足を落とし、それに従って全員が止まった。
巴殿が見つけたのは、炎の龍。またもや村が焼かれているようだ。
「まーたやってるよ。ほんと、ありゃもう野盗だね。呂将軍もそう思うでしょ?」
「俺には関係ない。1つ言えるのは弱者をいたぶるやり方は気に入らん。それだけだ」
「あ、それは俺もさんせー。さっすが呂将軍。相性ばっちし」
「ふん」
為朝と呂布の会話を聞きながらも、彼らもこれを快く思っていないのだと安堵。経緯はあれど同じ味方となったのだ。彼らとの魂が同調するのは喜ばしいことだった。
ただ分からないのが白将軍だ。彼はじっとその村の方を見ている。ただその横顔に何の感情も見えない。ここ1か月ばかりの付き合いだけど、この男。喜怒哀楽が非常に分かりづらい。感情の起伏がないのかと思うほどに冷淡としている。
それを案じたのか、巴殿が馬を一歩前へと近づけて言った。
「白起様、あれは我が軍ですが門閥派の連中です。白起様と知れば何をしてくるか分かりません。すぐにこの場を離れた方がよいかと」
「ついてこい」
「え、あ、はい!?」
返事を待たないままに、白将軍は馬をそちらへと向けた。
すぐに続いたのは項羽と呂布、為朝の3人。ボクは情けないことに遅れた。それは巴殿もそうだ。
一瞬、巴殿と目が合う。どうするか、という確認ではない。することは決まっている。だから確認するようにうなずき合うと、ボクらは白将軍の後を追う。
そして焼かれた村にたどり着く。そこは阿鼻叫喚の地獄だった。家屋は一軒残らず焼き尽くされ炭になっていて、その近くに転がっているのは人間の死体。おそらく抵抗しようとして斬られたか、あるいは見せしめのために斬られたのだろう。それも老人と子供が多いのだから胸の奥に眠る炎の龍が沸き上がるのを止められない。
少し離れた場所では2か所に生きた人が集められている。それは手枷をつけられた男たちと、身ぐるみはがされて素っ裸の状態の女性。男は労働力、女は略奪品ということなのだろう。人間としての尊厳と誇りを踏みにじり、物品と化した彼らは奴隷として生きるしか道はない。あるいはこの場で殺されていた方が楽だったかもしれない。そう思えなくもない、まさに地獄の光景。
それを作り出した者たちは、この国の軍というには薄汚い恰好をしていた。そのほとんどが上は裸、腰に布を巻いたような姿で、軍と言われなければ山賊の見た目をしている。見た目だけじゃなく、だらしなく開いた口から発せられる下卑た笑みは、嫌悪感以外の何物でもない。もし叶うなら全員をボクの愛刀・虎狼弥勒朧で斬り裂いてやりたいと心から思った。
だが白将軍を筆頭に他の者はその光景に眉1つ動かさずにその村へと乗り入れていく。彼らはまさにそんな地獄を日常として見てきたのだろう。時代の違いというのもあるが、ひとえに潜り抜けた修羅場の違いということか。それを見てボクもまだ甘いと自身に喝を入れ直す。
やがて乗り入れてきた謎の騎馬集団に気づいたらしい。賊――もとい軍の男たちがボクらを包囲するように集まって来た。
「おい、てめぇらナニモンだ?」
1人。上等な鎧に身を固めた男が出てくる。どうやらこいつがこの集団の指揮官らしい。着ているものは上等だが、顔はどこか卑しくボクが見てきた軍人像とは遠くかけ離れている。おそらく鎧はどこかから奪ったのだろう。
「ゼドラ国将軍、白起だ」
「ハクキ? ああ、あの。今や新兵の子守りで忙しいんじゃないんですかね?」
指揮官は見下すような顔をして、白将軍を挑発する。
「で? その子守りの人が何のようです? 俺らの仕事にケチつけようってんじゃないでしょうな?」
なおも挑発するように言う指揮官。
ボクには理解できなかった。彼の言っている内容がではない。彼がなんでそんな顔をして、白将軍を愚弄できるのか、ということだ。
今やボクの前にいる4人、項羽、呂布、源為朝、そして巴殿からすさまじい殺気が漏れ出しているのに、その対象となっている指揮官の男は何も気づいていない。あるいは気づいて無視しているなら大した玉だが、合図1つで彼の体は細切れにされるだろうに、そのことを無視できるとはたいてい思えない。
「あ、分かった! あんたらもおこぼれに預かりたいってことだろ。だが残念だなぁ、ここらのは全部俺たちがいただいちましたから。いやー、さすが帝都。いいもんを隠し持ってる農民が多いんですわ
「――――い」
「え? 何です? はっ、帝都を落とした男がどんなかと思えば、言葉もろくに発せられない肝っ玉の小さい男だとは――」
「美しくない」
「あん? 何を言って――」
次の瞬間。閃光が男を襲った。
「え……」
男は何か信じられない物を見たような、いや、何が起きたかも分かっていないだろう。首と胴体が離れ離れになって、すさまじい血を吹き出しながら地面に倒れた。
その中、
「敵は殺す。それは正しい。だが貴様らのやり方は……美しくない」
「て、てめぇ! お頭やりやがったな!」「将軍がなんだ、ぶっ殺してやる!」「おう! 俺たちに手ぇ出したらどうなるかたっぷり分からせてやろうじゃねぇか!」
金縛りが解けたように、賊どもが騒ぎ出す。
その中でも5人は揺るがない。いや、むしろ漏れ出した殺気が喜びに打ち震えているような気がして。
「全軍、殺せ」
白将軍の言葉と共に、全てが解き放たれた。
「バカが! 殺すのはこっちだ! たった6人で俺たち1千が――」
そうあざ笑う男の声が永遠に中断された。項羽が手にした剣で男を真っ二つにしたのだ。
「はっ、雑魚がいくら集っても、雑魚は雑魚だ」
「あー、項将軍、ずるい。俺もやるー」
と言いながら槍を取った為朝は群がる敵を次々に突いて屠っていく。
その横では呂布が手にした戟で縦横に駆けまわって首を飛ばしていく。
この5人の中でも一番の良識人と見える巴殿も、
「あなたたち! ちょっとは考えなさい!」
と言いながらも、馬上から薙刀を繰り出し死体を量産していった。
「はっ、鏖にすりゃ、訴え出る者もいねぇだろ!」
項羽が叫び、さらに飛ぶ。馬ごと。その光景を驚嘆して見ていた賊たちは、一瞬の後に首と胴体が離れ離れになる。
それはわずか数十秒のこと。
まるで悪夢でも見ているような数十秒だっただろう。賊にとっては。
「ひっ、な、なんだこいつら……」「た、助けてくれ!」「に、逃げろ! 殺されるぞ!」
すぐに賊は士気が喪失していた。集まって来た人数から見て1千人もいなさそうだ。
賊たちは無秩序に、逃げようとする。それを項羽、呂布、為朝、巴殿の4人が追う。逃げる敵を討つのは楽だ。だが数十人は味方の犠牲のうえ、逃げ延びるだろう。
何もなければ。
「な、なんだこれ!?」「風の、壁だと!?」
彼らの前を嵐のような風の塊が封鎖する。前と左右。無理に出ようとすれば、体がバラバラになるほどの苦痛を受けるだろう。それを承知で飛び込むような意気は彼らにはない。
そう。許されるはずがない。
こいつらがやったことは、白将軍風に言えば美しくない。そんなどこか現実と乖離した言葉が一番しっくりくるのは何故だろう。だけど彼らは逃げる前に罪を償うべきだ。だからこそ、逃がすわけにはいかない。
「烈神風封界。ボクの風から逃げられると思ったか?」
「ひ、ひぃぃ! なんだこれ! 魔法かよ!」「た、助けてくれ! 頼む! 俺だってやりたくなかったんだ!」「そ、そうだ! ほら、俺らが奪った宝石をやるから。な、頼む! 殺さないで!」
賊どもが腰を抜かして弁解する。
その姿があまりに哀れで、怒気とか殺意というのが薄れていくのが分かる。
けど、言うべきじゃなかった。
助けてくれ。殺さないで。
彼らは同じようなことを村人たちにした。その時に村人は助けてと言ったに違いない。それにもかかわらず、彼らは殺した。村を焼いた。そして凌辱と隷属の果てに彼らの命を奪うのだろう。
それを行ったのに、今更何を言うか。どの口が助けを請うのか。
「助けてくれ。殺さないでくれ。村人はそう言わなかったか?」
「な、なんだそれ。そんなの今は関係ないだろ! あ、いや、違う。えっと、とにかく助けてくれ! 俺はもう改心した! だから――」
「だからなんだ。ここで助けて、また数日後には別の村を襲うんだろ」
「しない! 絶対だ! 俺は真っ当に生きる! だから許して!」
男たちが哀れに跪いて頭を下げる。
怒気は失った。殺意は失った。
「分かった。それなら」
「じゃあ――」
「ボクの魔眼は真実を見抜く。貴様らの嘘に騙されると思ったか」
「そんなひど――」
最後まで言う前に、男たちの首が飛んだ。ボクの虎狼弥勒朧には、木偶を数人斬るなどたやすいこと。
怒気も殺意もない。だが胸の奥に灯る志は消えていない。
土方殿。そしてイリス殿。2人に顔向けできないような生き方はできない。その志がボクをからめとる。
この者たちは生かしておく必要がない。だから斬った。それが天道によって示された道だと確信したからだ。
そう。きっとボクはそうやって生きていくしかないんだろう。
死んだのに生きているボクに、残された時間がどれだけあるかは分からない。けどいつか閻魔の使いが現れるその日まで、こうやって志のもとに戦って戦って戦い抜く。それが生き延びたボクに課せられた使命だから。そう信じて。
ボクは、生きていく。




