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閑話8 ゴサ国

 ゼドラ国から大陸の真反対に存在するゴサ国。

 すでに岳飛が述べた通り、大小さまざまな川が流れ、それが注ぎ込む大海に面する海洋国で、外国と帝都を繋げる玄関口としての重要な役割を担っていた。

 だが帝国の威信が落ち、各国が独立の兆しを見せる中。ゴサ国は自由よりも利を選んだ。すなわち帝国に従属の姿勢は崩さずに、各国との貿易を優先したのだ。


 それによりゴサ国はかつてない急成長を遂げる。どこの国も隣国との戦いに明け暮れ、そのために必要な武器や食料を自給できなくなっていったためだ。そのためにゴサから買い付けを行い、その利益でゴサ国は大陸の中で一番富んだ国となった。


 その急成長は確かに民を豊かにしたが、同時に争いの種となることは必定だ。他者より多く、他者より上へ。もともと商人が多く、独立不羈どくりつふきの風潮の高いゴサの民は内乱に近しい争いを続けてきた。それは血を流さない争いで、騙し、欺き、陥れ、人間の本性を疑いかねないほどの不審の嵐が巻き起こる。


 それが収まったのが5年前。

 1人の男の出現でゴサの国はようやく1つにまとまった。それからはその男を中心に国の政治が回り、太守はまさにお飾りに成り下がってしまったのだ。


 その男は太守にとっては権力を奪われたまさに憎むべき仇敵。

 その男は民衆にとっては自らの自由と尊厳を奪った不倶戴天の仇。


 そのはずだった。


「ヘーセイセー様」


 港に船をつけようとしていた船長らしき男が、通りかかった若者に声をかけた。その船は漁船らしく、網にかかった魚を積んでいる。どうやら大漁のようだ。

 若者は30代前後か。無駄なぜい肉などなく、機敏で剽悍なさまは、まさに漁師とも互角に渡り合える体格な持ち主だ。


「おーう。それなりにな。そっちはどうだ?」


「へい、こっちも大漁で。ヘーセイセー様が港を守ってくれるんで、気にせず漁ができ、それをはした金で買い取られることもなく、自由にやってます」


「ん、そうか。それじゃあもっとゴサ国のため、いや、自分のために頑張ってくれよ」


「はいよ。ヘーセイセー様も」


「ん」


 ヘーセイセーと呼ばれた男はにこやかに返すと、そのまま歩きはじめる。

 彼が目的の宿に向かうまでに、数多くの船乗りや道行く商人、さらには子供や買い物中の女性に声をかけられる。遊女からのお誘いもあったが、それは丁重に断った。

 ただその誰もが笑顔で、そして気楽に会話している。


 ヘーセイセー。彼こそがこのゴサの国に突然と現れ、群衆をまとめあげ国を支配した男。

 だがこの反応を見る限り、彼は領民に恨まれることもなく、むしろ堂々と顔バレしたまま、護衛の1人も付けずに街を歩いている。それが彼が力で民衆を押さえつけ太守を傀儡とした独裁者ではなく、知と利でもって民衆を味方にし、太守も太守であるために味方にしなければならなかったということがうかがい知れる。


 まさにこの世の春を謳歌しているような男だが、民衆に向ける笑顔には、どこか険しいものが僅かあることを認めなければならない。

 そしてその険しさは、目指す宿につき、案内された2階の奥の部屋に入った途端に最高潮になった。


「待たせた」


 これまでの民衆に向ける口調とは全く違う、厳格で硬い声がそこにはあった。

 彼が声をかけたのは、宿にいた先客。ゆったりとした服を着て腰かける男は、同じ男の若者自身も一瞬目を奪われるほどの美男。陶器のような白い肌に整った目鼻、長い髪は万人が認める美しさと艶やかさを保っている。


(まこと、噂通りの美男だな)


 自分にそのケがあれば、あるいはとヘーセイセーは思うが、今のところ彼としたいと思ったことはない。


「いえ、それほど待っておりません。どうぞ」


 美男の声は、音楽的な調べを持っているようで耳に溶け込むように入ってくる。その心地よさを感じながらも、ヘーセイセーは彼の対面の椅子に腰をかける。

 この椅子というもの。この世界に来て初めて座ったが、なかなか腰に来るし肩も痛くなる。やはり自分には風を切り自由に駆ける海が似合っている。そうヘーセイセーは考える。


「それで、話というのは?」


 ヘーセイセーは切り出す。この会合は彼が主催ではなく、こちらの美男子によるものだ。一国の支配者を呼び出すなど、普通の人間にできるはずもない。つまりこの美男子も普通ではないということ。


「何があった。我が国の行政官にして総司令官である、美周郎びしゅうろう殿が俺を呼ぶなど」


 確かに相対する男は、美周郎びしゅうろうと呼ばれるにふさわしい美貌を持っていた。

 そしてそのあだ名は、古の世界において、1人の人間を指し示すものだった。


 周瑜。字は公瑾こうきん

 後漢末期の呉の名将。親友であり義兄弟である孫策そんさくと共に江東を駆け、孫呉の礎を築いた男だ。孫策の弟・孫権そんけんの時代になると国家の柱石として活躍。かの赤壁の戦いで曹操を破り、朋友の魯粛ろしゅくと共に天下二分(諸葛亮の天下三分の元ネタ)を描くも、その途中で30代の若さで死亡する。

 後世の創作である三国志演義においては、諸葛亮に振り回され、赤壁での活躍を奪われた挙句、ひたすらにから回して「天はなぜ諸葛亮も産んだのだ」と恨み節を吐きながら憤死するという、かなり損な役回りにさせられている。

 だが正史においては、間違いなく政治家としても軍略家としても将軍としても多大なる業績を残した偉人であり、かつ音楽的な才能を持ち合わせ、その美貌は万人が認め、美人の妻を迎えるというまさに完璧超人だ。(それゆえに蜀びいきの演義において損な役回りにさせられているのだろうが)


 ヘーセイセーの言葉を受け、周瑜は気分を害した様子もなく、くすりと短く笑うと、


「そちらにも話は来ているのではありませんか? 帝都がゼドラ国によって落とされたと」


「やはり本当か」


「ええ、確かな情報です」


 ゴサ国は海の国だ。つまり海上貿易により様々な利益を得ている。それは直接的な物資による利益よりも、情報こそが最大にして最重要な利益の収入源になる。他国より先んじて儲け話を得れば、それだけ多くの利益を得られるということ。そうやってゴサ国は多大な利益を得てきた。

 何よりそれの運ばれる速度は、陸上よりはるかに海上の方が速いのだ。帝都から一番離れている場所であっても、おそらくその情報の伝達で言えばクース国より先だろう。


 そんな情報に敏感な2人が、この重要な議題を放っておくわけにはいかなかった。

 それは何も勤王的な志に動かされてのものではない。


「イェロ河の通行に支障がでるか」


「おそらくは。もう少しそこは他国の情勢を見なければなりませんが」


 そう。何よりも彼らにとって大事なのは貿易によって得られる利益。それこそがゴサ国を八大国にまで押し上げた原動力であり、彼らの力の基盤でもあるのだ。

 だからこそ、政庁ではなくこのような、なんでもない民宿にて密談のような形で話を進めているわけで。


「何より、皇帝より放たれた勅命。これにどう対応するかで、この国の未来は変わります」


「うぅむ……」


 周瑜の言葉にヘーセイセーは唸る。彼としても、この見知らぬ世界に来て周瑜と出会い、まさに二人三脚で国を発展させてきた。それがこうして自分たちと関係のないことで危地に追いやられるとは。判断を間違えれば国が滅びる可能性がある。


 ヘーセイセーは額にしわを寄せて、深く考え込むようにしたその時だ。


「へぇーぶっしゅ!」


 緊迫した場にそぐわぬ、なんとも力の抜ける音が響く。くしゃみだ。もちろんヘーセイセーでも周瑜でもない。

 そもそもこの室内にはヘーセイセーと周瑜の2人しかいない。はずだった。それなのに誰かがいる。国の将来を左右する重大事を盗み聞きするなど、あってはならない言語道断の一大事だ。


 それゆえに周瑜とヘーセイセーはにわかに椅子から立ち上がり、立てかけた剣に手を伸ばすものの、部屋の奥にある衝立から現れた影に肩の力を抜く。


「龍馬か」


「おお、清盛きよもりさん。来とったんか。いやー、ほに、ここは温かなとこじゃのー。ついつい寝過ごしてしもたわ」


 そう言って龍馬と呼ばれた長身の痩せぎすの男が、ぼさぼさの頭を掻きながら姿を表す。


 坂本龍馬。

 幕末において、薩長同盟や大政奉還という歴史の転換のきっかけを作った男として伝わる土佐藩の脱藩浪士だ。彼の作った亀山社中かめやましゃちゅう(後の海援隊)は日本初の株式会社と言われるほか、初の新婚旅行を行ったのも彼と言われている。

 そんな初物尽くしで、維新の原動力となった男だが、そんな活躍も彼に言わせれば、


『いやー、わしゃなんもしちょらんぜよ。西郷さんや桂さんと会うて話しただけじゃき。勝さんとも、酒飲んで理想を話しただけで、いつの間にかとんとんっと話が進んでしもて、わしにもよう分かっちょらんまま大政が奉還されたっちゅーもんよ』


 ということのようだ。


 そしてもう1人。

 ヘーセイセーもとい平清盛たいらのきよもり

 平安時代末期。伊勢平氏の棟梁であり、武士として初の太政大臣の位を得て平氏の全盛期を作った男だ。そんな彼も若いころは色々無茶をしたらしく、祇園社と揉めて流刑にされそうになったり、瀬戸内海や九州に勢力を伸ばすために海賊行為(といってもパイレーツ的なものではなく、海の交通や治安を守るための集団)などをしつつ、その果てに日宋貿易を独自に行い巨万の利を得たという。

 彼の死後、関東で台頭した源頼朝らによって平氏は滅ぼされるが、その時に活躍したのが清盛の息子であり、イリスと激戦を繰り広げたデュエン国の平知盛たいらのとももりだ。


「公瑾殿も人が悪い。来るなら来ると言ってくれればよいものを」


「私は坂本くんが来るとは聞いていなかったが」


「え?」


 2人の視線がぶつかる。そして同時にもう1人、招かれざる客の龍馬へ。

 天下の才人2人に睨まれ、龍馬は居心地が悪くなり、


「あれ、ゆうとらんじゃったか…………あはは、まぁええじゃろ。壁に耳あり障子に目ありってことじゃ」


「竜馬、そりゃ意味が違うだろ」


「…………むぅ」


「どうした、公瑾殿」


 難しい顔をして黙ってしまった周瑜に、清盛が問いかける。

 だが何かを考え込んでいるのか、周瑜はなかなか顔をあげない。どうしたのか、と龍馬も心配そうに見る。


 やがて周瑜は顔を上げ、


「ダメだ、分からん。壁に耳ありは分かる。だがショージとメアリーとは誰だ?」


 途端、清盛は椅子からずり落ちた。

 対する龍馬は手を叩いて大笑い。


「えっと、総司令殿。それはその……えっと、なんと言ったらいいのか」


 清盛はフォローする言葉を探すようにして、言葉を選びながら周瑜にことわざの意味を説明してやった。


「なんと、障子というものか。くっ……奇天烈な名前の世界に慣れ始めたがゆえの過ち。伯符よ、私もまだまだだ。てっきり4番街のメアリーちゃんのことかと思った」


「ほほぅ、提督も好きものじゃのぅ?」


「ち、違うぞ! 坂本くん。メアリーとはなんでもない! 私は妻一筋だ!」


 必死に弁明する周瑜に清盛と龍馬は微笑ましい様子で彼を見るのだった。


「それより帝都の話もそうじゃが、イース国からの使者をどうするんじゃ?」


 周瑜の失態も落ち着きを見せ始めたころ、龍馬が別の話を切り出した。


「む? 何の話だ、それは?」


 清盛が眉をひそめて龍馬を見る。


「んんー? 聞いちょらんのか? …………ああ、そうじゃった! わしが伝えるっちゅーて、誰にも言っとらんじゃった! あはは!」


「あははじゃない!」


「まぁまぁ、とりあえず話を聞きましょう」


 肩を怒らせる清盛を、冷静に諭す周瑜。その2人の息の合った感じを見て、龍馬はなんだか愉快になる。

 この2人とならもっと大きなことができる。そんな気がするからこうして彼らと共に国を起こす手伝いをしてきたのだ。だからこの国、いや、この場を守りたいという気持ちは、彼の中に大きく芽生えてきている。


 龍馬は話を始める。それを2人は真剣な顔で黙って聞く。その姿は、これまでメアリーがどうとか言っていた人間とは間違っても思われないだろう。


 そして聞き終わると周瑜がその艶やかな唇を開き、


「なるほど。まさに曹操に追われた劉備の使いとして来るわけですね、諸葛亮が」


「おお、有名な赤壁の戦いじゃな!」


「そう呼ばれているのですね。あれは私も会心の出来でした。まぁ諸葛亮など、少しは口が回るだけの小才子こざいしですからね」


(ありゃ? 確か周瑜は諸葛亮にぼろくそにされるんじゃなかったかの?)


 そう思ったが、龍馬は口に出さない優しさを持っていた。


「それで、そのイースから諸葛亮が来るのか、龍馬?」


「そうらしいのぅ。ただもうちっとだけ、たちの悪いもんかもしれんが」


「どういうことだ?」


「知恵が回るのも当然、女子おなごながらに武勇にも秀でて帝都ではゼドラの将軍を10人討ちとり、雑兵に至っては1千もの首塚を築いたとか。それでたった数日で皇帝に気に入られ、皇后になるのを蹴ってこっちに来たって話じゃからのー。とんでもない奴じゃき」


 もちろんそれは尾ひれのついた真っ赤な嘘だが、話半分に聞いてもとてつもないのは確かだ。


「龍馬、どこからそんなことを?」


「商人の情報網、舐めたらあかんぜよ?」


「それで坂本くん。その人物の名前は?」


 ゾクリ、と背に氷が差し込まれたような寒気を龍馬は感じた。

 周瑜がにこやか――だがどこか仮面じみた表情を見せている。それが何とも圧をもって龍馬を襲うのだ。


「えっとー、なんじゃったかな。うーん、まだまだ異人の名前は覚えにくくてのー。みー、みー、いや、い、じゃったか。いー、いー……あ! イリス! イリス……インジュインとか言うとった!」


「なるほど、覚えておきましょう」


 そう答える周瑜には怪しげな笑みを見て、龍馬は内心冷や汗をかく。


(ありゃ、こりゃ失敗じゃったかのー。何やらボタンを押してしもうたか……ま、いっか。わしにゃ関係ないし)


 と、どこ吹く風状態で知らん顔を決め込んだ。


 そんな2人を眺める清盛は小さくため息をついた。まるで、これから起こる嵐の前兆を感じ取っているかのように。

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