閑話5 キタカ国
エティン国の西。山岳と丘陵や森林におおわれた緑豊かな場所にキタカ国はある。
緑豊かとは言うが、つまり田畑を開くには森林を伐採して広げるしかなく、山岳と丘陵がある場所は避けなければならないと、制限の多い難しい国だ。
そんな他国より圧倒的に貧しい経済状況で、一番の収入源といえば略奪だった。
とはいえ、北は3千メートル級の山々が連なり、平地では遊牧民が寒さに堪えながらのどかに暮らしているだけでほぼ資源がない。そのために船でイェロ河を下って他国から奪うのが1つの手。イリスが戦った新梁山泊のような集団が多数いる。
そして何よりの収入源が唯一陸路で繋がり、さらに平地が多く海に面しているために経済的に豊かなエティン国への侵攻だった。
「ちぃ! 今回も不発だったか! あのクソ騎馬隊! めんどくさいったらありゃしねぇ!」
兜を脱いだ下からは茶色のくりっとした髪の毛が顔を出す。だが可愛らしい髪の毛に反し、その男は2メートル近い巨体に筋肉隆々とした肉体を持つ巨漢。それが荒々しい足取りで天幕に入ると、そのまま無造作に兜を地面に放り投げ、ソファのような幅広の椅子にドカリと座り込んだ。
その野蛮とも横柄とも言える行為が様になっているように見えるのは、従来それを生業としているからか。
「いやいや、君が私の命令に従えばこんなことにはならなかったんだが」
その茶髪の行為に目くじらを立てたのは、先に室内で机に広げた地図に向かっていた壮年の男だ。
金色の髪を短く刈り上げ、白いトゥニカ(ワンピース型の衣服)にサンダルという、この国にしては寒そうな格好の男は舌打ちしながら入って来た茶髪の男に言う。
「あ? はっ、誰がローマ野郎の言うことなんざ聞けるかよ」
「ガリアの小僧がなんか言っとるわ。蛮族には蛮族のやり方しかないのかなぁ」
「んだ、やんのかてめぇ?」
「喧嘩を売ったのはそちらだろう?」
まさに一触即発。
すぐにでも殴り合いが発生しそうな状況。といっても誰が見ても金髪の勝利はおぼつかないだろう。長身で鍛え上げた肉体を持つ茶髪の大男に対し、金髪の男はそれほど背も高くなく、どちらかといえばやせ細っているように見える。
だが金髪も退かない。彼も軍人だし、何より偉大なる祖国の名誉にかけて、この相手に屈するわけにはいかないのだった。
「2人ともやめられよ」
「そうよ。味方同士でごちゃごちゃ言っても始まらないでしょ」
そんな2人のケンカを止めたのは、新たなに入って来た2人の男女によるものだ。
1人は青みがかった黒髪をなびかせる長身の美丈夫。その横は漆黒に染まる黒髪の少年――いや、少女だ。
美丈夫は茶髪と同じくらいの背丈だが、その体の幅は一回りは小さい。しかし鎧の中に収められている圧倒的な力は茶髪の男にも遜色ないだろうことは彼の立ち姿でも分かる。
対して少女の方は背丈も小さく、細い印象は否めない。だがその鋭い眼光は、ほとばしる雷光のように刺激的で攻撃的。
お互いに美男美女として並んで絵になるようなカップルだが、どこか危なさも感じ取れる、そんな2人に止められた茶髪と金髪はため息をつき、
「シャレだよ、シャレ。ガチでやり合うわけねーじゃん」
「わしが小童ごときに本気になるわけがなかろう」
小童呼ばわりされた茶髪が金髪を睨みつけるが、金髪はそれを完全に無視して2人に問いかける。
「それで、結局ダメか」
「ああ。奴ら騎馬の動きが巧みだ。スキピオ殿の軍略でも捉えきれぬ」
「ゴシショ殿でもそうか」
金髪が美丈夫に向けて言う。
プブリウス・コルネリウス・スキピオ。
紀元前のローマの政治家および軍人で、第二次ポエニ戦争で活躍。ローマを席巻したハンニバル・バルカを破り、こののちにローマは拡大していくことになる。
ハンニバルは父、叔父、義父を殺した仇敵でありながら、軍学の師であり、ハンニバルをひたすら研究したからこそのザマでの勝利に相成ったと言われる。
伍員、字は子胥。
紀元前の中国大陸の呉で活躍した軍人。大国・楚の王に父と兄を殺され、復讐を誓って呉に亡命。同僚の孫武(孫子兵法の祖)と共に呉を強大国に改革し楚を打ち破った。その時に、かつて父と兄を殺した楚王の墓を暴き、死体を鞭で打ったというのは『死者に鞭打つ』の故事となったことは有名だ。
「だーかーらー、言ってんじゃん。俺様がドカッとやって、ズゴンってやりゃ一発だって」
「それでゴシショ殿に助けられて這う這うの体で逃げたガリアの王は誰だったかな?」
「うるせぇ。踏みつぶすぞローマ野郎! てかゴシショ! お前、なんだそのやる気のなさは! 聞くところによると、それなりに名将だったんだろ?」
「うむ……だが相手は楚ではないからな。どうもこう、やる気が……」
「でたよ! ソ、ソ、ソ! てかソってなんだ! クソ野郎が!」
「うん。楚はクソだな」
「あー、話通じねぇ!」
茶髪の男が吼える。
男の名はウェルキンゲトリクス。
ガリア(フランス)の英雄で、共和政ローマとの戦い、ガリア戦争末期に登場したガリアの族長だ。
当時のガリア総督であるユリウス・カエサルに対し、ガリアをまとめ上げて大反攻を開始。カエサルを大いに苦しめるも、最期は敗れ捕らえられて処刑された。
そんな男たちのやり取りを傍目で眺めてため息をつくのは、紅一点の少女。黒髪の美しく長い髪をまとめ、雷神のごとく鋭い目つきで3人の男たちを眺める。
そして中央に配置された机をバンっと叩くと、
「それより、帝都から来た命令。どうするんです?」
少女が冷静に空気を割って話を変える。
名を立花誾千代という。
戦国時代における九州の名将・戸次鑑連(立花道雪)の娘として生まれ、女性ながらに僅か7歳で家督を継ぐ。父の盟友でありまた名将である高橋紹運、その息子にして豊臣秀吉から『西国無双』と呼ばれた宗茂(宗茂は後年の名だが、多すぎるので宗茂で統一する)を婿として迎える。
武芸に富むと言われており、秀吉に手籠めにされそうになった時は、自分だけでなく侍女に武装させて登城したと言われる。
他の3人からすれば、大人しい常識人のような彼女のふるまいを彼女自身も認識してるらしく、
(なんでこんな野蛮な男どものところに私がいるの。ったく、なんでこういう時に宗茂はいないのよ、使えない奴。もう! ばーかばーか)
と心中では嘆息したりする。
その果てに口に出るのが、
「ガリ勉、復讐バカ、野蛮人。いつまでもギャーギャー騒いでないでさっさと決めて」
他の3人と、どっこいどっこいかもしれない……。
そんな彼らからすれば矮小とも見える少女の暴言に対し、3人の男たちはぐっと息を詰まらせる。
それは自分たちがくだらない口論をしていたという自覚でもあったが、それ以上に誾千代の力量を彼らなりに体験しているからに過ぎない。
「そうだな。私としたことが冷静さを失うとはな」
「ああ。俺も楚以外のことで熱くなったのは反省しよう」
「ちっ。つまらねぇ」
三者三様に誾千代の言葉に反省した彼らは、真面目な顔つきとなり話題の変換に頷いた。
口火を切ったのはスキピオだ。
「太守様は2万の軍勢を出せと言っておる。6割ほどの兵力を連れていくことになるが」
「そうなった場合、あのエティンの連中が攻め寄せてくるかもしれないってことだな」
「ふん、蛮族にしては鋭いではないか」
「うるせぇ」
またも口論が始まりそうになった時、誾千代はタイミングを見計らって口を開く。
「誰かを残さなくっちゃいけないってことでしょ。それなら私――」
「俺が残ろう」
誾千代を遮って伍子胥が静かにそう言った。それにガクッと肩透かしを食らったのは誾千代だ。
「っ! ちょ、ちょっと! 流れ的には私が残るってもんでしょ」
「無理だ。この2人を一緒に行かせて、まともな指揮が取れると思うか?」
「うっ……」
誾千代が言葉に詰まるのは、伍子胥の指さした2人。スキピオとヴェルキンを見たからだ。
この2人の相性はまさに最悪。時代は違えど、滅ぼした側と滅ぼされた側の対立はそうやすやすと解消されるものではない。彼女だって、もし島津や龍造寺、ついでに主君の大友宗麟が来たら彼女も毒を吐くことを我慢しなかっただろう。
「ならあんたが行けば――」
「世界の中心と信じ慢心した某国の王。そんな男に手を貸すなど、俺の信義に合わん。つまりやる気がない」
「やる気がないって……あんた、本当に伍子胥?」
「あとその2人の間で苦労するのも割に合わん」
(私だってやりたくないわよ!)
と心中で怒鳴る誾千代だった。
「まーまー、いーじゃねーか。ローマ野郎と一緒ってのは気にくわないが、ギンチヨちゃんと一緒なら俺はなんでも構わないぜー? それよりそろそろちゃんと、俺たちの愛を確かめねーか?」
「待て待て。ガリアなんざ野蛮な男に任せるわけにはいかん。ここは執政官にしてアフリカヌスである私が手ほどきすべきだろう。この私がローマの素晴らしさを3日3晩語ってやろうじゃあないか!」
2人のナンパが誾千代に迫る。
その刹那、2人の目の前に閃光が走った。それはまさに閃光、いや稲妻というべきものか。外は晴天、ましてや屋内であるのに稲妻が走る。その異常はすなわちスキルによるもの。
そのスキルの体現者、誾千代はナンパ2人に対しゴミを見るような目をして言い放つ。
「いいから黙ってついてらっしゃい」
「「……はい」」
大の大人2人が少女に怒鳴られてへこむ図。それを伍子胥は何度も頷いて眺めていた。




