閑話3 クース国
大陸の西。海を隔て、ぽつりと独立した島には、今、狂乱した人々による熱があった。
だがその熱というものは、常に2つの構成要素によって成される。すなわち革新か、保守か。
熱とはすなわち、旧デュエン国の土地をクース国が支配したというもの。
大陸八大国と呼ばれるものの、実質大陸とは陸続きではないため、どこか異文化な部分を持つクース国は、大陸に領土を持つことが悲願であった。
だがもちろん、帝国全盛期にそんなたいそれた野望を表に出すことはできず、鬱屈とした日々を過ごしていた。その帝国が斜陽となり、各国が勝手に争いだして数十年。クース国は戦乱の外にいた。
それはクース国が有数の鉄砲の所持国であったのと同時、島国という利点を最大限に利用した結果だ。島国であるクース国を支配するには、相応の海軍が必要。だがその海軍を持つのは、貿易国家である東のゴサ国くらいで、海の国境を接しているトンカイ国、デュエン国、ゼドラ国は海軍の養成に熱心ではなかった。彼らは海よりも地続きの隣国との戦いに注視しなければならなかったからだ。
だから戦乱の中でも彼らは比較的平和に暮らしていた。蚊帳の外と言っても良かったかもしれない。
ただもちろん、戦いがなくて軍が弱体化しているかといえばそうではない。クース国軍が戦うのは国ではなく、海を縦横に走り回る海賊だった。クース国の周囲に無数にある小島を根城にし、本土を狙う海賊はもちろんのこと。デュエン国、トンカイ国との間を流れる海にそそぐ大河は、遡ればそのまま帝都へとたどり着くため、巨大な貿易路となっている。
貿易船が通れば、そこには当然海賊行為を働く愚か者たちが出てくる。そんな愚か者を取り締まるために、クース国の海軍は日夜、警備のために海や川を哨戒しては訓練を行っていたのだ。
そんなクース国が、念願の大陸への橋頭保となる領土を手にした。
それは国を挙げての快挙であり、川の東西の岸を制圧することは、帝都への貿易の利を独占することで、商人気質も高いクース国としては代々の悲願とも言える慶事だった。
だがその悲願も、今や移ろい始めている。
すなわち、帝都の陥落だ。
帝都が落ちれば、そこは大陸の中心ではなくなる。今はツァン国の方に皇帝が移動しているというから、今後はそちらに人や物が集まることになる。
それはつまり、クース国が握っている海路が不要になるということ。ツァン国は内陸で、面しているのは北のイェロ河。クース国とはまったく繋がらなくなってしまった。
そこで世論は完全に2つに別れた。
大陸に橋頭保を築いた勢いのまま、ツァン国までの陸路を開こうという革新派。
今の情勢を守り、旧帝都を支配したゼドラ国との交易を行い、そこから陸路を通過して新たな帝都との貿易路を開こうという保守派。
どちらにもメリットとデメリットがあり、今や政庁はその2つの派閥に別れて大いなる論争を行っている。
そこに帝国からの反ゼドラ連合の勅命が来て、その論争はさらに混乱を極めていることになる。
そんな政争とは無縁のところ。
クース国東岸の港近くの浜辺に立つ男が1人。廃棄物や汚染とは程遠い絵の具で塗りつぶしたような真っ白の砂浜に、どこまでも海底が見えそうなほどに透き通った青い海。
そんな大自然の芸術を目の前にしながらも、男が見るのは砂浜でも海でもなく、手にした火縄銃の銃口の先にあるものだった。
海の上を悠々と舞うように飛ぶカモメ。
男は銃口を遊ばせるように上下に振ると、刹那、呼吸と共に体の動きを止める。
銃声。
その音に驚いたのか、カモメは勢いよく逃げるように遠く飛び去ってしまった。どうやら弾はカモメに当たることはなかったようだ。
それでも男は銃から顔を離すと、ニッと笑みを見せ、
「今日も絶好調だぜ」
「そうなんですか? 当たっていないように見えましたが」
そんな男に苦言を呈するのは、その横に座る少女だ。少女といっても、年齢は20に近く、きりっとした眉に、獲物を射抜くような眼光は、可愛らしいというより凛々しいという方が合っているだろう。
「ああ。あのカモメを狙った」
「落ちてないじゃないですか」
そう文句を言う少女に、男は銃口を下げて笑みを深くする。
「おいおい、ここから撃って何になる? 落ちたカモメは鱶の餌食になるだけで、俺には何の得もない。無闇な殺生はよせ。そう説教してくれた坊主の友人がいてな。それから俺は獲物のちょっと下を狙ってるのさ」
「はぁ……」
少女は首をかしげ、思う。それでは本当に狙い通りだったかどうかわからないではないかと。
「もしかして疑ってる?」
「いえいえ、噂に聞く雑賀衆、雑賀孫一殿の名声はとみに鳴り響いておりますとも」
雑賀孫一もとい鈴木重秀。
戦国時代において紀伊に根を張った雑賀衆の実力者。織田信長と本願寺との石山合戦にて本願寺側に協力。機内において随一の腕を持つ鉄砲衆を率いて信長大いに苦しめ、坊官の下間頼廉と合わせて「大坂の左右の大将」と呼ばれた。
「嬉しいねぇ、八重ちゃんにそう言われると」
孫一は本気でそう思っているのか、口を大きく開けて笑った。
山本八重。
会津藩の砲術師範の家に生まれ、幕末の会津戦争において、銃をもって戦った女性で「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれる。同志社大学創立者である新島襄の妻でも有名だ。
「おだてても何も出ませんよ。私の腕はまだまだですし」
「いやいや、謙遜するなって。八重ちゃんの実力は俺が保証するよ」
「えー、本当ですか? ちょっと調子に乗っちゃいますよー?」
「おう、いいとも。調子に乗った方が中りやすいってのが俺流だからな」
そう言って2人で微笑み合う。砲術に造詣の深い2人は共通の趣味というべきか、相性的にはいいらしい。
2人とも政務に興味はなく、今、国を二分してどうするかを議論しているにもかかわらず、こうして遊び呆けているところもよく似ている。
だがそんな2人の時間は急激に終わりを告げた。
砂浜に走ってくる若者が、2人の姿を認めるとそちらに走って大声で叫ぶ。
「あ! 大将に砲術師範殿! 宰相を見ませんでした!?」
「あん? 宰相だぁ?」
ちなみに鈴木重秀がクース軍の大将軍、山本八重が砲術師範としてクース国に在籍している。
「さぁな。俺は見てないよ」
「そうですか……」
がっくりとした若者は汗だくになっている。クース国は大陸の南側にあるということで、比較的温暖だ。さらに政庁は内陸の方にあるから、浜辺まで走ってくるにはかなり距離がある。
「……あれじゃないです?」
そんな彼に吉報をもたらしたのは、遠くを眺めるようにしていた八重だ。
「目がいいねぇ」
「目は鉄砲撃ちの命ですから」
「違いねぇ。確かにありゃ宰相の旦那だ。何やってんんだ、こんなところで」
不思議に思った重秀は、やってきた若者と共に宰相のいる方向へ向かう。その後ろから八重もついていく。
そこは船着き場になっていて、一層の中型船が桟橋につけている。船員がせわしなく動いているのは、荷物を積んでいるようで、その桟橋の近くに彼らの国の宰相が立っていた。
「おーい、宰相殿。なにやってんだー?」
重秀が呑気に声をあげる。
その声に男が気づき振り向く。痩身で中背の男だが、着ているのが甚平という、一国の宰相というにはあまりに庶民的だ。ただ、袖を通さずに腕を組み、煙管をふかす様はなんとも言えない迫力をかもしだしている、
彼は1人で立っているわけではなかった。体の影に隠れて見えなかったが、何やら背の低い人物と話していたようだ。宰相の後ろには何やら多くの箱が積まれており、どうやらそれを船に積んでいるらしい。商談だろうか。
一体何をしていたのか。重秀と八重が少しの興味を持っていると、何かに気づいたように若者が走り出し船に積まれようとしている箱を見て、顔を驚愕にゆがませた。
「ちょ、ちょっと! これはクース国の財宝じゃないですか!」
その抗議に宰相の男は煙管をくゆらせる。
「宰相! これは横領ですよ! いえ、横領なんて生ぬるい! 国の宝を横領して横流し! いくら宰相といえども、処断はま逃れませ――」
「うるせぇ」
唾を飛ばす若者に呆れた様子の宰相は、若者の頬を掴むと、無造作に口を閉じさせた。子供に対するお仕置きのような処置を受けて、若者は怒りで顔が真っ赤になる。
「ったく、こういう奴がいるからダメんなるんだよなぁ、国ってのは」
「あのー、それで。よろしいので?」
宰相の対話の相手――小柄な女性は若者とのやり取りを見て、取引が破談になるのではと考えたのだろう。
ただその表情にはどこか陰なるものが混じっている。そう、この女性。デス子もといネイコゥだ。
「おう、全部持ってってくれ。そんかわし、分かってるよなネイコゥさんよ」
「はい、とびっきりの商品をお持ちしておりますので」
「おう、じゃあ頼むわ」
その言葉を受け、クース国の財宝とやらの詰まった箱がどんどん船に積まれていく。それを若者は猛烈に抗議しようとするが、顔を掴まれているだけでまったく身動きができないらしい。この宰相という男の膂力には圧倒される。
「宰相、いいのかい?」
「おお、重秀か。いーんだよ。この乱世にあって、財宝なんて邪魔なもんだ。だからかっぱらって売ってやるのさ」
「ですが、勝手に行うのはさすがにマズいのでは……?」
重秀に続いて八重も疑問を呈す。
彼女にとって会津藩は絶対だ。幼少時代から「什の掟」を刷り込まれた彼女にとって、ならぬものはならぬのだ。
「今、政庁じゃあ皇帝の要請に応えるか、無視して他国に攻め入るかでどっちにもならねぇくだらねぇ言い争いがずっと続いてやがる。だがな、どちらの道に進んでも地獄よ。国民に大きな負担をさせることになる。とはいえなぁ、ここに引きこもって武装中立ってのも問題を先送りしてるだけってわけだ。俺ぁ一度それで失敗してるからよ。けどどっちになるとしても、宝物じゃあ腹は膨れねぇし、敵を倒してくれたりはしねぇ。こういう時、重要なのは飯と武器ってことだ」
「だから売り払って……」
八重は宰相のやることに目を見張った。会津から出たことのない彼女にとって、彼の思想はまさに革命的だった。
「確かに飯と武器は大事だよな。うちも武器はまだしも、食い物に介入されてえらい目にあったからな。お前さん、その第六天魔王に似てやがるぜ、考え方が」
「それは褒められたと思っていいんだよな。あの雑賀孫一から、織田信長に似てると言われて」
「間違いなく、最強の誉め言葉だよ、宰相」
そんな男2人の通じ合ったような会話に、八重は少し不満を感じた。
その八重の悩みを中断させたのは、船から戻って来たネイコゥだ。
「おまたせしました、それでは米300キロ、小麦200キロ、野菜100キロに加え、こちらが商品になります」
船から運び出されたのは、布をかぶったかなり大仰な物。大人4人がかりでなんとか運んでいるそれは、砂浜に置かれると、宰相の男が布を取る。
その中からは黒光りする、禍々しい巨大な兵器が飛び出した。巨大な大砲に見えるが小さな銃口が円になって連なっている。そしてそれを可動式にする車輪が左右についてる。
「はっ、やっぱりありやがったか。ガトリング砲がありゃ、打って出るにしても籠城するにしても、こいつがありゃどうってことねぇな」
「へぇ、これが噂の。俺の時代にはなかったからなぁ」
「これさえありゃ、1千の敵でも相手にならねぇ。まさに悪魔の兵器よ。まずは最強の武器を整え、領民の意見を1つにすれば、周囲がどんな荒波だろうと問題ねぇ。それがこの俺、河井流ってやつよ」
煙管を吸い、煙を吐きながら笑みを濃くする宰相。
河井継之助。
幕末の越後長岡藩の藩政改革を断行した実力者。藩の家財を売っぱらい、当時としては最先端の武器であるガトリング砲やアームストロング砲を購入、最強の火力を持つ藩に作り上げた(当時、ガトリング砲は日本に3門しかなく、うち2門が長岡藩にあった)。
その後、新政府への恭順を認めず軍事総裁として新政府軍との戦闘・北越戦争へとなだれ込んでいく。
「でもそんなすげぇ兵器もってんのに、敗けたんだろ?」
「痛いところつくねぇ。さすがは雑賀孫一。相手の弱点も正鵠必中ってか」
「いや、そういう意味ではないんだが。そもそも、そんな劣勢なのになんで旧幕府軍とやらに味方したんだ?」
「別に味方したわけじゃねぇよ。ただ……そうだな」
河井はふと空に視線を送る。その先に見ているのは故郷の長岡か。
だがそれは不可能だ。そもそもここは日本ではない。彼の戻れる故郷はこの世界にはないのだ。
そう自嘲の笑みを浮かべた河井は重秀に答える。
「薩長のやり方が嫌いだったんだよ。何が何でも幕府を、会津を潰すって強引な手口がよ。それで会津の赦免を願ったら拒否された。あとは、もう……意地だな」
「河井殿……」
八重は感激に涙を浮かべていた。あの当時、会津は新政府の目の敵にされていた。その理由の大きなところが京都守護職として君臨していた松平容保に対してであり、その手足として働いていた新選組によるものだろう。
薩長の憎悪を一身に受けた会津藩。それに対し味方はほとんどいないに等しい。奥羽越列藩同盟と言えば聞こえがいいが、真に会津に味方したのは同じ朝敵となった庄内藩(中沢琴が所属)くらいで、他は戦意に乏しい。誰だってわが身が可愛い。下手に会津や庄内に味方して負けでもしたら、せっかく生き残れた道が閉ざされる。
その中で、本気で会津を思い、薩長に対し戦ったと聞かされれば涙の1つも出よう。
「あら、宰相様は薩長が憎いので?」
そんな感動的な場面をぶった切るようにして声をあげたのはネイコゥだ。対する河井は眉を顰め、
「そなたには分からんだろう」
「いえ、分かりますとも。日本の幕末、薩長土による新政府軍に対し、あなたたちが受けた屈辱というものは。しかし……困りましたね」
「何がだ?」
「このたび、宰相様との取引に際しまして、大きな取引をさせていただいたお礼として、1つ贈り物をさせていただこうと思いまして」
「贈り物? それが薩長の何に関係ある?」
「それは受け取っていただいてからにしましょう。さ、こちらへどうぞ」
ネイコゥが船の方に合図を送ると、船員に先導されて1人の男が船から降りてきた。その動きが緩慢なのことに違和を覚えるが、それはどうやら右足が不自由らしい。日本刀らしき軍刀を杖にして一歩一歩、丁寧に歩みを進める。
さらに近づくにつれ、その異形は見る者を圧倒する。ざんばらな髪をしながらも、男はそれなりに整った顔立ちをしているが、それは顔の半分だけ。左目が不自由なのか、左半分は引きつっているように見える。
「おいは、薩摩ん伊地知ん言います。よろしくお願いしもす」
「薩摩の……!」
その自己紹介に河井と八重は息を呑む。
伊地知正治。
河井や八重と同じく幕末に活躍した人物で、彼らとは異なる薩摩の新政府軍に属す。すなわち彼らの敵だった人物だ。
幼少期に病に寄り片目片足が不自由となりながらも自顕流を極め、それ以上に軍略家として禁門の変、戊辰戦争で多大な戦功を挙げた。
同じく片目片足が不自由な軍略家として、戦国時代の武田の軍師・山本勘助に並び評される人物だ。
「贈り物というのは……」
「ええ。こちらの人物です。正直、貴国には軍略に通じている人物が少ないのではと。そこで砲術、軍学に通じる人物を贈らせていただこうと思いまして」
「そりゃそうだが」
河井は渋面を作って伊地知を見る。確かに軍略家は欲しい。重秀は鉄砲隊の指揮としては抜群に優秀だが、戦術面で優れているだけで戦略的には乏しい。八重は砲術師範の枠を出ないし、河井も政治向きで火力に物言わす以外のことは不得意だ。
だから伊地知は今のクース国にまさに必要な人物。彼がいれば、あるいは外に打って出ることも可能だろう。
だが、感情が邪魔をする。河井と八重の国を奪った薩摩の参謀となれば、まさに仇敵。そこがどうもストッパーとなって受け入れがたい心境を根付かせる。
「いいじゃねぇか。俺は気に入ったぜ。いい顔をしている」
伊地知に含むところがない重秀はあっけらかんと言う。
「宰相が気に入らないなら、俺が使う。それで文句はないだろ?」
重秀に言われ、河合は気づく。
自分は国の宰相でありながら、私情に流されなかったかと。国の宝を売りさばく暴挙をしていながらも、視野が狭くなってしまっていなかったかと。
今の彼は長岡藩の家老ではない。異なる世界のクース国の宰相なのだ。ここには長岡も薩摩も会津もない。彼とて見も知らぬ異世界に放り込まれて家族や旧知の者に会えない寂しさは存分に味わった。ならせめて、同じ日の本にいる者として協力できないことはない。そう思い直す。
「ふん。使えるものは親でも使え、だ。うちは人手不足だからな。八重も、了承してくれるか?」
「私はもとより……はい、大丈夫です」
まだ納得は行かないようだが、理解はしてくれたということに河井は安堵する。
その様子を眺め見ていた伊地知は小さくうなずくと、
「おはんがたにゃ、ないやら因縁があっごた。じゃっと互いん協力せんな、こんなんとんしれん世界ば生き抜っことわっぜ難しか聞いちょりもす。おいのチェストはもちろん、びんたば少しは役にたつこつば証明すっと思っちょりますんで、何分、よろしゅうたのみあげもす」
「…………こちらこそ、よろしく頼む」
伊地知との因縁どうこうより、まず何より、会話での意思疎通をどうしようか悩む河井たちであった。




