挿話54 デス子(死神)
「クソ兄貴いる? いるよな? さっさと出ろよ」
ドアを蹴破り、中に入る。
途端、むわっとした空気が鼻を犯す。
思わず顔をしかめるのは臭いだけじゃない。
部屋はゴミ袋にあふれ、散らばった本とおかし袋で蹂躙され、もはや足の踏み場もないほど。積み上げられた本やブルーレイディスクの束は天井まで届きそうだし、壁に無造作に貼られたポスターやらタペストリーは一貫性というものがない。その割には人間の女をかたどったフィギュアは整然と並べられていてそれが鼻につく。
その中央に座り、ポップコーンと炭酸飲料を手にしたバカが慌ててこちらを向く。
「ちょ、デス子! 部屋に入る時はノックでしょ!」
「次その名前で読んだら、この部屋にあるものすべて燃やす」
「うぅ……分かったよ、ごめんよ」
正直、ここには来たくなかった。
けど実験場にテコ入れするには、こいつにやらせるのが手っ取り早いから仕方ない。
「で、なんなの。何の用があるの」
怯える小動物みたいに体を震わすバカ兄貴。これでいて地獄の第一人者なんだから、それがまた癇に障る。
「あの実験場なんだけど」
「ああ。今、かなりいい感じに回っているね。帝都が陥ち、ゼドラ国の一強になるか、それとも連合軍が機能してゼドラを退治するか。目が離せないところさ」
「知ってる。その中心にいたから」
「……お前は本当にかき乱すのが好きだねぇ」
「うるせ」
「ま、いいさ。こちらとしても良い流れになるのは好都合さ。これでまた世は乱れ、土地は荒れ、人は苦しみ、数多の人間が恨みを抱いて死んでいく。ふふ、これでまた世界に怨嗟の声が満ちていくなぁ」
恍惚とした表情を浮かべるカス兄貴を見て、心中嘆息する。
本当にこのゲス兄貴の性癖には辟易する。人の生き死に、国の興亡に憧憬を抱き、それを収集するのが趣味だなんて。いや、一応仕事にもなっているのか。
それに対して私は違う。
私は人に希望を見ている。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、どんなに悲しくても。それでも立ち上がる人間に敬意を抱いている。
だからあのイリス、いや切野蓮という男の動向にはとても興味深いものがある。
そう、人は美しい。
希望を抱いて、歯を食いしばって立ち上がる姿は憧憬に値する。
だからもっと見たい。
そうやって立ち上がる様を、もっともっと見たい。
――だから叩き落す。絶望の淵に。
落とせば落とすほど、這い上がろうとする力は光となって周囲を照らす。
上がれば上がるほど、その美しさはより際立つのだから。
そう、死なすなんてもってのほか。
死んでしまえば這い上がる姿は見ることができない。だから生かさず殺さず。それが基本。
けど死が一番簡単な絶望への近道だというのは紛れもない事実。だから這い上がろうとする者だけ残して、あとは死んでも問題ないという考えもある。
「何か変なことを考えてないかい、妹よ?」
「イカれたことを考えてるのはそっちだろ、変態兄貴」
「…………。で、今日はどうしたんだい? 実験場が面白くなったからって、感想戦を言い合いに来ただけかい?」
「あのイリスっての」
「ん? ああ、蓮君か。彼はいいよね。こちらの思惑通りに、世界をかき乱してくれて」
「あれをもっと追い詰めたい」
「ん? …………ははぁ、なるほど。そこを起爆剤に連合を揺さぶるわけか」
「というわけで登録武将を何体か使うから貸せ」
「……えぇ、揺さぶるじゃなくて強請る?」
「強請ってない。ただのお願い」
「お願いって、そんな高圧的なお願いってさ。もっとこう、“お兄ちゃん、あたしのお願い聞いてにゃん”みたいな感じに言ってくれないかなぁ」
「死ねお兄ちゃん、あたしの願い聞けにゃん」
「怖さが100%!?」
「ふざけたこと抜かしてると、倉庫にあるゴミ、全部燃やす」
「やめてくれ! オタ活30年の努力の結晶がぁ! 分かったよ、分かった。好きなのもっていけばいいよ。端末、勝手に使えるようにしてあるから。それでやって」
「ん、サンキュ」
「おお、妹がデレた! これが噂のツンデレってやつか! 私の妹がこんな可愛いわけないのに、これはちょっと萌える! 萌え……燃えぇぇぇ!? 髪の毛が! 毛がぁぁぁぁ!」
アホ兄貴の髪の毛が着火。そのまま燃え尽きてくんないかなぁ。
「ひどいことするね!」
「アホみたいなこと言ってるからだろうが。じゃ、あたし行くから」
「うぅ、まぁいいけど。それより、分かってるよねデス子」
その名で呼ぶな、と怒鳴ろうと振り返る。
だが言葉が出ない。目の前にいる兄。その瞳に射すくめられて体が動かなくなった。
これまでのおちゃらけた空気は一変。燃えていたはずの髪の毛に、一片の焦げもなく、まさに神にふさわしい威圧と気をもって私を圧倒する。
「ここまで順調に育ったんだ。ここで無茶なことしてパァになりました、なんてことになったら……妹でも潰すよ?」
「わ、分かった……よ」
そうつぶやくのが精いっぱいだった。
すると、急に場の空気が弛緩して、
「ん、分かってるならいいよ。じゃ、頑張ってー」
笑顔を浮かべ、ひらひらと手を振る謎兄貴。
逃げるように私は部屋から出た。
冷や汗が止まらない。あのマヌケ兄貴から感じたのは、間違いなく恐怖。私が、アレなんかに恐怖するなんて思ったこともなかった。なのに確かに恐怖だ。
いや、いい。
あのヌケサク兄貴はへまをしなければ何でもないただの引きこもりだ。
それより実験場を好きにいじれるようになったのは大きい。これまではハッキングでなんとかしていたけど、それにも限度があったから。
さて、イリスちゃん。どうやって遊んであげようか。
期待に胸を膨らませ、私は再び実験場の中へと帰って行った。




