挿話50 中沢琴(イース国治安維持部隊隊長)
この世界が何なのか。
そう思ったことは一切ではなかった。
けどそんなことはどうでもいい、忘却の王に葬られし過去のことだ。
ボクにはすべきことができて、そして愛する者ができたのだから。
それだけで、ボクの人生は色とりどりの薔薇のように鮮やかなものになった。
かつては大樹公(家定)警護がすべきことで、××××という愛するものを得た。
そして今。いりすを守ることがすべきことで、いりすという愛する者を得た。
だからこの結末には文句はない。
敵が来る。震える体はもうない。
幼き頃に夢に見た、巴御前のような一騎当千の強者として、愛する者のために戦うことができるのだから。
「我は法神の化身にして、風神を宿し素戔嗚の権能を抱く者! 我と思わん者はかかってこい!!」
吼える。同時、薙刀を振るった。
突風が巻き起こる。
だが相手ももはやその程度では動じない。数秒の足止めにしかならないようだ。
「ならば、くらえ! 新・神心真空烈風撃!」
返す刀でまだ距離のある敵を切り裂く。それは距離を越え万物を切り裂く不可視の刃。
だが先頭を来る呂布と為朝は、不可視の刃を一刀のもとに叩き斬った。
「貴様の力は見切った! 安心して死ね!」
呂布が叫び、さらに距離を縮める。
これも無理。ならば身が朽ちるまで異能を使うのみ。
「風よ、風神よ、我が法神の名の呼びかけに応えよ。其は地を撫ぜる颶風、其は荒ぶる素戔嗚の息吹。起きよ、烈神風封界!」
振り回した薙刀。自身の周囲に大きな竜巻が3つ、現れて周囲に荒れ狂う暴風をたたきつける。
これにはさすがに呂布をはじめとする騎馬隊が立ち止まった。
だがそれは一時の足止めでしかない。それがよく分かる。自分の体の中にある、例えるなら椀に継がれた水のようなものがある。その椀に穴が開いて中の水がどばどばと漏れ出ているような、そんな状況。きっとこの中にある水が絶えた時、ボクの異能はこの風に舞う木の葉の如く、灰燼に帰すのだろう。
烈神風封界はあともって数秒、無理して十数秒。
それなら別の方策を選ぶにしかず。
「集え風よ。纏え風よ。風神を宿しこの身は、荒ぶる戦神となら――」
「念仏は終わったか」
呂布。5メートルもない。いつの間に。
竜巻が消えると同時に走り出し、ボクの行動の前に叩き斬ろうと――
「死ね」
斬られた。
左肩から右腰にかけて。
致命傷だ。素人判断でも即死に近い傷。
――それが現実なら。
感覚が遅れる。
斬られたと思ったのは、体がすでに動いた後。視覚は呂布が空を斬るのを背後から見ているのに、自分が斬られたと錯覚する。それほど時間と認識に乖離が起きたのだ。
異能で起こしたすべての風を自らに蓄え、それをもって高速での移動と突風をまとった攻撃をする。
それこそが法神流奥義――
「颩飄颯・風颪」
呂布。その背後から斬りかかる。反応した。遅い。斬った。いや、浅い。左。為朝。剣が来る。地面を蹴った。いや、今のボクは宙にいる。だから蹴るものはない。ないなら、作ればいい。風で作った即席の足場。それを蹴る。蹴って、為朝の剣をかわす。
とんぼ返りのように宙で跳ね、お返しとばかりに為朝に斬りつける。手ごたえはあった。けど肩当てに防がれた。
今度こそ着地する。闘将2人の後続の部下たちが眼前に迫る。
「舞え、月華乱舞疾風陣!」
今度こそ、突風が直撃した。馬がいななき速度を落とす、棹立ちになるものもあり、そこから投げ出された敵もいる。
これで追撃は鈍った。
その安心が隙。
衝撃。わき腹だ。
見れば矢の先が、ボクの脇腹から冗談のように突き出ている。
「ボクの風を突き抜けるか……」
普通の矢なら、風を起こして跳ね返せる自信があった。けどこの者の――源為朝の矢は特別ということか。
「鎮西大月弓……クソだせぇ、女相手に本気とかよぉ」
「くっ……」
膝が折れる。源為朝の矢は刺さっただけでなく、そこから体全体に破壊の波が伝播していく。
纏った風が乱れる。痛みのせいか、それとも限界が近いのか。
もう頑張った。これ以上ないくらい殿軍の役割は果たした。だからあとは土方殿に任せて眠ってしまおう。
そう思う自分を吹き飛ばした。
唇を噛んで一気に意識を現実に呼び戻す。
何を余迷い事を。
ボクのすべきこと、守りたい者。
ならどうすべきかは、もうとっくに分かっているだろうに。
呂布と為朝。2人に向かい顔をあげる。
「いりすはボクが守る!」
「……!」
呂布が目を見張る。
ボクなんかに臆したわけがない。けどそれは隙。だから斬れる。そう思った。
「ボウっとしてんな、呂将軍!」
為朝が再び矢をつがえる。
自然、体が前に出た。矢が来る。まばたきするの間に死を運ぶ閃光。回避は不可能。いや、即死しなければいい。
痛みが来る。左腕。突き刺さった矢は貫通して止まった。だから跳んだ。呂布と為朝。2人が眼下に見える。どっちだ。迷いは一瞬。薙刀を振るい、為朝を弓ごと斬った。
一拍あけて、背中に何かが入ってきた。左肩から右脇へと抜ける。熱い。背中が燃えるように。いや、まだだ。まだボクは戦える。すべきこと。愛する者。それがあるなら。まだ――
宙で振り返る。呂布。その手にした巨大な槍が、ボクの胸に吸い込まれていった。




