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挿話38 呂布(ゼドラ国将軍)

 部下を連れて西門の白起の本陣へと戻った。


 あのまま南門を攻めても良かったが、いりすが来たことで若干状況が変わった。あいつに動かれると何が起こるかわからない。それにその背後に展開された異能の壁も加わると、多少なりとも苦労することは眼に見えていた。


 何よりあの女の将。それに部下がかなりやられた。

 鉄砲による斉射もそうだが、あの女が飛び込んできたあの一瞬で100名近くが死傷した。何か爆発したようだが、手妻てづま(手品)でも使ったのだろうか。あるいは妖術か。


 だから態勢を整える意味で、本陣に戻ったのだ。


 すでに白起は1万ほどを城内に入れて陣地の構築にかかっていた。残りの兵は門の外に出している。

 数万の兵力があるとはいえ、広大な帝都を制圧するにはしっかり橋頭保きょうとうほを確保し、じっくり攻めようという白起の性格によるものだろう。


「あ、呂将軍」


 兵の中で俺を見つけて声をかけてきたのは為朝だった。

 奴は鎧を脱いで上半身裸になっている。その理由は、右肩から左脇にかけて巻かれた包帯を見ればわかる。巻いたばかりだろうが、じわじわと血がにじんでいる。


「お前……」


「いやー、やられちゃいましたよ。2人がかりでしたけど」


 2人がかりとはいえ、こいつに傷を負わせるとは。よほどの相手だったのだろう。


「異能持ちか」


「ええ。1人は鉄砲を持った兵を呼び出す高杉ってやつで、もう1人がとんでもない奴でね。土方って男で、俺の槍で貫いたと思ったら姿が消えて、その後ろから斬って来たんです。幻でも見たかと思いましたよ


「幻……」


 こっちでも妖術の類が起きているのか。あるいは先ほどの女の爆発も、アレもまた異能なのか。


「そういう呂将軍も痛そうですね」


「俺は撃たれた。あのいりすにな」


「はぁー、またそのですか。なんかすごいな。呂将軍に狙われて何度も生きてるなんて。普通なら命なんかいくつあっても足りないってのに」


「お前もそうだろう。面白いな。元の世界には、俺とタメ張るやつなんざ、1人か2人しかいなかったのに。この世界ではそんなやつがゴロゴロいる」


「ゴロゴロいられちゃ困るんだよなぁ。面白いのは同感ですけどね。それよりそれ、早く手当てした方がいいですよ。てかちょうどよかった。一旦、全軍を集めて再侵攻の態勢を整えるということでしたから」


「そうか」


 なら一応、傷の手当てでもしておこうか。

 なんて思った時だ。


「おい、呂布」


 誰かに呼ばれた。いや、この声。項羽か。


 項羽はこちらにおもむろに近づいてくる。その顔に感情はない。ただこちらに近づき、そして――風が吹いた。

 瞬間、衝撃が顔面を襲った。


 殴られた。

 さすがは覇王の拳は破壊力も抜群だ。思わず腰がくだけて膝をつきそうになる。おそらく俺じゃない奴が受けたら、首の骨が折れていただろう。


「さっきの礼だ」


「ふん。1発でいいのか」


「あんなもの、合わせてようやく今の1発になるくらいだ。撫でられたようなものだな」


「ぬかせ」


 先ほどは暴れる項羽を大人しくさせるために数発殴ったが、それは少し後ろめたさはあった。これで帳消しにしてくれるなら、安いものだ。

 口に溜まった唾液を吐き捨てる。そこには赤が混じっていたようだが、動きに支障はない。


「全員揃っているようですね」


 項羽の後ろからそう言って現れたのは白起だ。今、目の前で乱闘寸前の事件が起きたのに、まるで無関心な淡々とした口調だ。本当にこの男の本心は読めない。


「あれ、でも巴さんがいなくない?」


「彼女には敵の退路を断ってもらいにいきました」


「退路?」


「東です。敵が脱出するとすれば東。よってそこに彼女と精鋭1千を起きました。それに北か南から脱出するにしても、その位置からなら捕捉できますし」


 俺らには何も相談はなしか。いや、別にいい。こっちは好き勝手やらせてもらっているんだから、そういう細かいことは全部この男に任せれば、すべてをこなしてくれる。


「ならどうする? このまま全軍で進軍するか?」


「そのような無駄なことはしません」


 俺が思い付きで言ったことを無駄と切り捨てられて、若干不愉快な思いをしたが、この男は無駄と思ったからそう言っただけで他意はないのだ。


「我々が行うのは、帝都の制圧。そして皇帝の捕縛。それを成すためには、これより本陣を前に進めます。敵の本拠である中央の宮殿に突撃し、皇帝を捕縛。もし皇帝がすでに東門から逃げようとしているのなら、そのまま巴と挟撃します」


「おお……」


 為朝が歓喜の声をあげる。

 項羽も静かに唸る。


 なるほど、普段の慎重さから一転したこの果断さが、秦王からの期待を一身に背負い、趙を滅亡の縁まで追いやった白起という男の凄みか。


「その指揮は私が取ります。帝都を真っ二つに割るあの壁。項将軍から聞いたが、その岳飛という男。おそらく私でなければ突破できまい」


「おい、将軍。あいつは俺にやらせろってさっき言っただろ」


 項羽がずいと身を乗り出して言い張る。


「おい、項羽。お前の傷は足だろ。それで戦陣に立てるとでも?」


 騎兵にとって、一番大事なのは足だ。足のふんばりで体を固定するからこそ、馬上からの一撃が重みを増すというものだ。

 しかもこの世界には、“あぶみ”というものがある。足を固定し、踏ん張りを利かせることでより人馬一体となるための馬具だ。この踏ん張りこそ重要なのに、足を怪我していれば、それも叶うまい。


「ふん。かすり傷よ。それにたとえ傷が深くともすいならば俺の思った通りに動いてくれる。貴様のような腕をやられるのとは訳が違うのよ」


「こんなかすり傷、問題ないことを身をもって確かめさせてやろうか?」


 確かにいりすに撃たれた右の肩から血が流れ、痛みが増してきている。このまま放っておけば多少不便になるのは否めない。だがここでそれを理由に退いてしまえば、項羽に対して屈したと同じこと。

 かつての覇王といえど、その風下に立つつもりはない。


 にらみ合う。

 おそらく次に起こる動きが、決定的な一撃となる。そう感じていたところで、


「2人とも、いい加減にしなさい」


 白起の怒声ともつかない呟きに近い声に、背筋が凍る。

 感情もすべて捨て去ったような、そんな冷たい一声で、燃え上がろうとした怒りの熱が一瞬で鎮火した。


「そうですよぉ! 味方で殺し合うなんて“まだ”無意味ですってー。それにほら。怪我なら俺もしてるし」


 為朝も同じく止めに入るが、こいつの場合はそんなことで争う俺らが馬鹿らしくなってくる言い方だ。この2人に言われると弱い。それは項羽も同じようで、


「ふん、まあいい。将軍が先に行くのはいいとして、俺も行くからな。あの岳飛とかいう男、右手は切り落としてやったが、首をねじ切ってやらなきゃ落ち着かん」


 ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 勝手にしろと言いたい。


「ちぇー、将軍が出るってことは俺たちお留守番ー?」


 為朝が口をとがらせて不満をこぼす。

 手傷を負ってもなお戦いを求める。なかなかいい根性をしている。


 そんな為朝に白起は振り向いてこう言った。


「いえ、呂将軍と鎮西八郎のお2人には敵を追ってもらいます」


「そうこなくちゃ!」


「呂将軍。南門から脱出したのは1万以上の民ということですね」


「……ああ。兵もいたが、女子供も混じっていた」


 南門から逃げるように外に出た連中のことは、一応先に白起に伝令で伝えておいた。何か異変が起きたら細かいことでも教えてもらうよう、あらかじめ頼まれていたからだ。


 そして白起はとんでもないことを口にした。


「その民を皆殺しにしてください」


「っ!?」


 これには俺だけじゃない。為朝、そしてあろうことか項羽すらも驚愕に目を見開いている。


「どういうことだ?」


「どういうこともありません。脱出したということは、ここ帝都に籠って抵抗した兵力ということです。それすなわち兵ということ。一度でも我らにたてついた者には容赦しない。敵は殺す。それを徹底する必要があるのですよ」


 いかれてる。

 内心そう思った。


 同時にこらえきれないような怒りが腹の中に渦巻く。


 いくら戦場で抵抗したからといって、民や女子供までいちいち気にしていたらきりがない。

 いわば今、白起は貂蝉をも殺すと言ったようなものだ。それは許されることではない。


「将軍が気にくわないのは分かります。ですがこれは我が国が中央に打って出て、大陸制覇につながる道なのです。この噂を聞いた者は、我らを恐れ、相対することの不利を確信するでしょう。ここで1万の血が流れるのと、将来的にその十倍、百倍の血が流れるのとどっちが効率的か。そういうことです」


 言いたいことは分かる。

 だが感情を交えず、のみでも潰すかのように淡々とそう言われれば気分のいいものではない。


 これまでの戦い。いりすといい、あの女といい。気持ちのいい戦ぶりばかりだった。

 それがいつの間にかここまでねじれてしまっている。そこにどこか胸の奥にしこりのようなものがあったのは否めない。

 そして今。この命令を受けてしまえば、それはまた大きなしこりになるのではないか。そう思わないでもない。


 ――だが。


「…………分かった」


「呂将軍!?」


 為朝がさらに驚いた声をあげる。


「大将はあんただ。あんたが決めたことに、俺が異論をはさむ道理はない」


「感謝します。では出発しましょう」


 そう言って、何事もなかったかのように白起は軍の出発を進める。

 項羽が何か言いたそうな顔でこちらを見てくるが、何も言うことなく愛馬と共に去っていく。


 残ったのは俺と為朝。

 俺は部下に手当てを命じて出発の準備をさせると、背後から為朝が声をかけてきた。


「呂将軍ー」


「言いたいことは分かる」


「分かるならさー」


「あそこで言い合いをしても、何の意味もない。あの男が前言を撤回するような男じゃないのは知っているからな」


「でもさすがに女子供をさぁ」


「何も俺は命令通りに遂行するつもりはない」


「え?」


「逃げ出した南に急行した。だが敵はいなかった。そうなれば皆殺しにしろと言われても、不可能になるだろう」


「あ! そうか! それなら将軍にも言い訳できますね! 呂将軍、あったまいー!」


 褒められている気がしないのはなぜだろうか。


 この男。悩むときは頭が割れそうなほどに悩むが、一度割り切ってしまえばあとは一本の矢のように飛んでいく。


 羨ましい限りだ。


 なんとなく、そう思った。

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