第39話 軍師の論陣4
「はっきり答えてください。その出欠簿には、これまでの出欠が記録されていますよね?」
「あ、ああ」
先生が困惑した様子で出欠簿を撫でる。
「では始業式のあった週、僕の出欠状況を見せてください」
「そ、それは……」
「教えてください。あ、ペンはそこに置いて。仮に今、記載を変えても、インクの乾き具合ですぐ分かりますから。虚偽なき報告をお願いしますよ」
もちろん嘘、というかハッタリだ。
科学捜査とかあればそんなことも可能だろうけど、この世界にそんなものないだろうし、そもそもどのように記載されているか分からないのだ。
けど、それは核心を突いていたようだ。
「先生、そんなもの、見せる必要はありません!」
先に反対したのはカタリアだった。それに先生が頷くが、想定済み。
スキル『軍神』発動。
これでさらに寿命が減る、けど出し惜しみしてられない。
体が動く。教室の一番後ろから、一番前まで。駆けた。
誰も気づかない。まるで音速の世界に入ったみたいだ。
それほど皆の意表を突いた動きだった。
「あ――」
だから僕の行動に皆が気づいたのは、すべてが終わった後。
僕は机に置かれた出欠簿をひったくり、ペラペラとページをめくる。
「か、返しなさい!」
先生が必死に取り返そうとするのを、ひらりと体を回して回避。
「まーまー、減るもんじゃないし。えっと、始業式は……ここか。おやおや? おかしいですねー。僕は、入学式の2日後から3日間休んでますよ?」
「っ!」
それは父さんが昨夜、漏らした事実。始業直後から何やってんだ、と思ったものだ。
そんな理由で休んでいるイリスが、わざわざ学校に行って、ラスさんを捕まえて、それで暴力沙汰を起こすなど考えにくい。
どちらかが嘘をついているということだけど、まぁ考えるまでもない。
「ち、違いますわ、そう、それをわたくしが聞いたのが2日後のことだったのです。だから事件が起きたのはその前日、そうでしょう、ラスさん?」
「は、はい」
カタリアがすぐに反論してくる。
なるほど、頭の回転は悪くない。けど、ちょっと邪魔だな。
「ラスさんに聞きます。ではその前日――始業式の翌日、その放課後に僕に会った。間違いありませんか?」
「当然でしょう、ラスさんが――」
「僕は今、ラスさんに聞いている! 部外者は黙っていてください」
「ぶ、ぶぶ、部外者……」
どうやらカタリアはラスさんに圧力をかけて、自分の思い通りに証言させようとしているようだ。
そうはさせるか。というわけで、釘を刺す形で黙ってもらうことにした。
僕はカタリアに一瞥をくれると、ラスさんに向き直り、
「ラスさん。どうなんです?」
「そ、それは……」
ラスさんはチラッとカタリアを見て、僕を見て、
「は、はい……放課後、です」
そう言った。
カタリアはホッとしたようだけど、それでチェックメイトだ。
「残念だけどそれは通らない。その日――つまり入学式の翌日。僕は早退しているんだよ。ちょっと色々あって、ね」
「あ、あの時の……」
カタリアが形相を変える。
あぁやっぱり。早退の理由の気に入らないってのはこの子か。やれやれ。
「だから僕が放課後にいることはおかしいんだよ。それとも僕がその日、放課後も学校にいたと証明できる証拠はあるのかな?」
正直、ここは賭けだ。
素直に帰っていてくれよ、イリスちゃん。
「そ、それは……」
どもった。ならば押し通す。
「ならこの食い違いはどう説明をするのか? さすがにこの日も違った、などという言い訳は通用しない。罪を立証するのであれば、そこら辺の説明義務は検察側にあるんだからね。さぁ、ラスさん。この矛盾、どう説明をつけますか?」
「え、えっと……えっと……」
ラスさんは縮こまって、今にも泣き出しそうな様子でガタガタ震え出した。その様子はまさに怯えた子犬だ。
この被害者なのに被害者らしくなく、加害者なのに加害者らしくない彼女。
ということはまぁ、そういうことなのだろう。
「ラスさん。あなたも色々と難しい立場にいることは僕にも理解できます。しかし、このままでいいのですか?」
「え?」
これまでの詰問口調から一転して、なだめるように優しく問いかけるように声色を変える。
君は悪くない、大丈夫、そう言い聞かせるように。
「だから教えてくれないか。君の言っていることが本当なのか、それとも……」
「ラスさん!」
「黙ってろと言ってる!」
「ひっ!」
再び横やりを入れようとしたカタリアに怒鳴る。
ちょっとか可哀そうだったか。いや、今はこれくらいガツンとかました方がいい。
だから僕は再びラスさんに向き直り、
「ラスさん。頼むから本当のことを言ってくれ。もし本当に僕がやったのなら、僕は全身全霊でラスさんへの償いをしよう。けどもし違っているなら――」
「う……」
ラスさんが目をキュッと閉じて身構える。
そんなとても小さく見える彼女に、小動物のような愛らしさを感じてしまう。
まだまだ甘いな、僕は。
けど、これで本当にチェック、だ。
「僕と、友達になってくれないか?」
「え?」
ラスさんは呆気にとられた様子で、目を開けて僕を見る。その瞳からは一筋の涙が。
呆気にとられたのは他のみんなも同じ。
まさか僕がそんなことを言うとは思ってもみなかったのだろう。
だから思考に、一瞬の空白ができる。
「ラス」
だから僕は彼女を呼び捨てにして、
「僕と友達になってくれ」
ここでダメ押し。
恋愛ゲームで培った、人たらしの極意。相手をガンガン攻め立てて、正常な判断をなくしたところで、一転して救いの手を差し伸べる。壁ドンからの一気に告白パターンだ。
少しキザったらしいやり口で、元の僕なら恥ずかしくてできないだろう。
けど今の僕は違う。
自他ともに認める美少女!
美・少・女! だから問題なし!
大事なことなので2回言いました!
そう、これこそが今回の真の目的。
僕が無実で名誉を回復する、それが最低限の目的。そこから一歩進んで、仲間を、友達を作る。
正直、まだこの世界のことはよく分かっていない。学校のことなんてなおさらだ。
さらに言えば、こんな金持ちの学校だ。きっとうちみたいな名門や国にかかわる親が多いだろう。
今後、国の運営と改革を考えると、仲良くしておいた方がいい人が多いと踏んだ。
だから友達100人できるかな、じゃないけど、圧倒的コミュ力不足にもかかわらず、学校での友達作りはこれ以上なく重要なファクターだったわけだが。
登校一番に知ってしまった。イリス・グーシィンの悪評とやらを。
だからこそ、この悪評を払しょくして、可能なら友達を作る。
それがこの論陣で得るべき最大の効果なのだ。
その1人目として、このラス・ハロールに目をかけた。
彼女が真実を語れば、おそらく彼女はカタリアからは恨まれるに違いない。もうそちらの派閥にはいられない。
そうなったら彼女はどうするか。
カタリアに対抗することが可能な僕に依存するんじゃないか。
やり方が汚い? いやいや、策士と言ってくれ。
というかコミュ力に自信のない僕としては、こうやって仲間を増やしていくしかないんだよ。
「わ、私は……」
ラスがおどおどした様子で口を開く。
カタリアが何か言おうとしたが、そちらに視線を向けるとビクッとして黙り込む。
そして、審判がくだる。
「わた、しは……イリス、さんの……その……なにも、されて、ません。嘘を、つけ、と……カタ――」
ガタンっ、と、突如椅子が鳴った。
クラス中の視線がそちらに集中する。
その音の発生源を呼んだのは先生で、
「カタリア・インジュイン、どうした?」
「……気分が悪いので、保健室へ行かせていただきますわ」
そう優雅に斬りかえしたつもりだろうけど、顔は真っ赤で、目がぎらつき、きつく握りしめた拳には血管がびっしりと浮かんでいる。
「そ、そうか……」
先生の了解を得ると、体を引きずるようにしてそのまま扉を開けて外へ。
「カタリア様っ!」「お待ちください!」
彼女の友達なのだろう、2人の女生徒も慌ててその後を追って教室を飛び出した。
後に残るのは、何が起きたのか理解できない面々の沈黙。
「えっと……」
先生が何が起きたか分かっていない表情でクラスを見回す。察しが悪いな。
もちろん、それに答える生徒はいない。
「ではラス。僕が暴力や恐喝を働いたというのは」
「はい……嘘、です。その、怖くて……本当に、すみませんでした」
怖かったのは、カタリアにそう言えと脅されていたことだろう。
本当、いじめっていうのはどこにでもあるもんだ。世界が違っても。
僕ことイリスのような、本人に明らかに問題があることもあるけど、ラスみたいな普通に生きたい、学園生活を送りたいという人に付け込むいじめもある。
これまでの2人の関係を見ていると、カタリアがラスをこき使っているのは分かる。
きっと友達を作るのが上手くなさそうなラスは、頼み込んでカタリアのグループに入ったのだろう。けどその代わりに、彼女はカタリアのことをなんでも聞かなければならなくなった。
聞かなければハブられて、いじめられて、どうしようもなくなっていたはず。
だから気が進まなくても、カタリアの言うことは絶対で、そのカタリアが嫌っている僕ことイリスを陥れるようなこともさせられたのだろう。
だからカタリアが悪い、とも言えるけど、これに関しては僕はカタリアを非難できない。
だってラスが裏切るように仕向けたのも、カタリアから僕に乗り換えるようそそのかしたのと同じだからだ。
つまり彼女の純粋な、友達を作りたい、学園生活を楽しみたい、という思いを利用して、僕ことイリスの名誉回復のために使ったといっても過言ではないからだ。
本当に、最低だな、僕は。
けど、だからこそ、だ。
だからこそ。ラスには、自分で言ったことの責任を持たなければいけない。
「仕方なかったんだね。だから許すも許さないもないよ。僕たちは、友達だろう?」
「ありがとう……ございます」
彼女は涙を浮かべて、そっと微笑んだ。
それは、百合の花が咲いたように、美しく思えた。