挿話28 ジャンヌ・ダルク(アカシャ帝国所属?)
西から鉦の音が響く。確かこの音は、城門を捨てて中門まで全軍撤退の合図。
もう破られたのか。しかも主力のいる西門が。それほどに強力な敵がいるというのだろうか。
それでも心に灯る闘志は揺るがない。
そのために神は私をここに送ったのだから。
「隊長、いかがしますか」
「もちろん撤退します。ただ、その前に少し仕掛けを試してみたいと思います」
「ああ。あのイースの娘っ子が教えてくれたってやつですか」
「ええ。このまま門を放棄するのは癪ですから。あのくそったれの敵に、一発ぶちかましてやりましょう」
「へっ、いいですね隊長。正直、どこの誰とも知れないあんただけど、共に戦おうって気になるんだから。しかも綺麗な顔して、野蛮なことを言いやがる。それは俺たち好みだ。いいですぜ、やりましょう」
この部下たちは、確かに荒くれ者という言葉がぴったりな男たちだ。なんでも普段はそこらでくだをまく、ごろつき同然の立場にいる人たちだという。それでも故国を守るために、武器を持って立ち上がるのだから。
かつて共に戦ったフランスの兵たちを思い浮かべて思う。どうかこの者たちにも神のご加護を、と。
「では、作業に取り掛かってください。あとの者は門の見張りと周囲の警戒に――」
と指示を出しているところに、聞きなれた声が耳に入った。
「はい、ちょっと通してください。そこ、邪魔です、蹴り殺しますわよ?」
この声はまさか……。
見れば門とは反対側の方向から、人波をかき分けてこちらへ歩いてくる人物が。いや、人物と言っては罰当たり。我らが主。天よりその体を権限させた、いつくしみ深きお方。
空のごとく青く染め上げられたお召し物は、これまで見たことのないような新鮮な風貌と色遣いを感じさせる。膝丈までのスカートから伸びるおみ足には高いヒールの靴が収まっている。
どこか清楚でありながらも誇り高い、まさにこのお方にピッタリなお召し物だった。
なぜか、鞄に車輪がついたものをゴロゴロと引いているのが不思議に見えたが。
「あら、ジャンヌ。そう。南にはあなたがいたのね」
我らが主は、そうお声を発せられた。
そのお声を浴びる栄誉に、感激のあまり、私は膝をつき祈りをささげる。
「ああ、我らが主よ。あなた様のみ言葉を三度拝することができるなど、わが身の永遠の誇り。あなたをおいて誰の――」
「あ、そういうのいいですから。とりあえず、門を開けてくださらない?」
「……え?」
思わず顔を上げてしまった。
ああ、主のお顔を直に見てしまった。もったいない。
「も、申し訳ありません。我が主のご尊顔を直に見てしまう無礼をしてしまう――」
「もう、そういうのはいいですから! それより顔を上げなさい、ジャンヌ・ダルク」
「い、いえ。そんなことは……」
「いいから上げやがれ! この豚ぁ!」
天も裂けよと言わんばかりの怒声に、脳天からつま先まで雷が落ちたような衝撃が起きた。
ああ、神に豚と呼ばれてしまった。そう。私は所詮、このお方にとっては家畜でしかない。でもそれでもいい。いえ、これこそが主なるお方に対するあるべき姿。
そのことに気づかせてくれたこのお方は、ああ、本当に主なるお方。
「顔を上げなさい」
命令に顔を上げる。その先で、にんまり顔の主が私を見下ろしていた。
「ふふふ。いい顔するじゃないの……わたし好みに染まって来たじゃない。ほら、鳴きなさい。豚ぁ。どうしたの? それとも鳴き方を忘れちゃった? ならもう出荷するしかないのかしら? それが嫌なら鳴きなさい。ほら、早く?」
「ぶ、ぶひぃぃ」
「ふふ、良くできました。本当ならご褒美をあげたいけど、残念だけどフライトの時間なの。ほら、見て。スチュワーデスのコスプレ。ってもう古いか。キャビンアテンダントって呼ばなきゃ怒られる? って、それより古い時代よね、あなたたち。あーあ。なんだかんだ、このネタが分かるのはイリスだけかぁ」
ぴくっと体がうずいた。イリス。あの子。なんてこと。神なるお方に気に入られてるなんて……。タダ者じゃないとは思ってたけど、まさかここまで……。
負けられない。
「いえ、私なら分かります。分かって見せます!」
「あら、嫉妬? イリスに対する? それは人間の原罪の1つではなくて、ジャンヌ・ダルク?」
「申し訳ありません。私は所詮はただの農民。ただの家畜です。どうかこの血と肉をお受けください、ぶひぃ」
「ふん、そんな臭い肉なんていらないわよ。それより早く門を開けて?」
「し、しかし……命令では城門は死守、不可能ならば破壊せよと……」
「人間の命令と、神の命令。どっちが優先するか分かって?」
「も、申し訳ございません!」
「じゃあ、開けて」
「うっ……しかし」
「分かったわ。あなたはその程度ね。ならそこの。あなたが開けなさい」
見捨てられた! それだけは! それだけは……。
私の中にある主との繋がり。それが絶たれるなんて、私がこの世界に生まれた意味というものが消え失せるに等しい。
それだけは、嫌だ!
「すぐに門を開けなさい!」
「し、しかし隊長……命令では死守と!」
「これは神のお言葉です。神が我らを見捨てたもうことはありません。これぞ、この国を救う最善なる一手なのです!」
剣を抜き、宣言すると誰もがうろたえる。
それでも何かに突き動かされるように、門を開け始めた。
「よくできました。では後であなたにはご褒美をあげましょう」
にっこりと微笑む我らが主。
ああ、これだけで私は救われる。
それから門が開くのに数分。
開いた門の先は平原が広がり、遠くに敵の陣地が見える。昨日、そこにある砲台は潰したが、あの敵の女将軍は今もそこにいるのだろうか。
そんなことを思っていると、コツコツという靴の音にガラガラという車輪を引きずる音が響く。
「それでは、今度こそ本当にごきげんよう。ジャンヌ、あなたは長生きしなさいな」
と、まるで散歩にでも出るように、我らが主は門をそのまま出ていこうとする。
「え、ちょ……主よ、どこに行かれるのですか?」
「ここでの仕事は終わったので。次の国へと視察に参ろうかと」
「しかし、敵が……!」
敵陣に動きがあった。こちらの門が開いたのを罠と見るか事故と見るか。その末に指揮官は攻撃を選んだ。およそ1千ほどがこちらに向かってくる。
「じょ、城門を!」
「間に合うわけないでしょう!」
非難するような部下の怒号。くっ、どうしよう。こんなことになるなんて。
やっぱり私には無理だった。ただ御言葉を伝える。それだけに終始すれば、このようなことには……。
「あらあら、ジャンヌ・ダルク。それではオルレアンの聖女の名が泣きますわよ。見ていなさい」
と、我らが主は自らの鞄のチャックを開けると、その中に手を突っ込む。
そして取り出したのは、何やら丸い球体を3つ。それは上着のポケットに。さらに1メートル近い巨大な銃のようなものを取り出す。しかも二丁も。
混乱していた。こんな銃は見たことがないし、何より主の鞄はその半分の50センチくらいの高さしかなかったのに、どうやって入ったのだろうか。
「ジャンヌ、私のカバンを持ってついてきなさい。近代兵器の戦い方というのを見せてやりましょう!」
言うが早いが、鞄を捨てて駆けだす。
「あ……え、ちょっと!?」
主にツッコむという、あるまじきことをした後悔も冷めやらぬまま、命令を与えられたという思いに力が漲る。主が捨てた鞄を抱えると、後に続いて駆けだす。
1千の敵に単身突っ込むなんて正気の沙汰ではない。けど、これは神の御心。なら疑うことも迷うこともない。
「ええい、俺たちの隊長を守れ!」
背後から部下の叫びが轟く。こんな失態をした私も隊長と認めてくれる。さすがは我が同胞。彼らの思いに目頭が熱くなる。
だがそれ以上に熱くなったのは、走る先の戦場だ。
敵は歩兵で構成されているのか。その動きはそこまで早くない。そこへ我らが主が躍り込んだ。
「レッツ、パーリィ!!」
タタタタタタッ。
何かが破裂する音が断続的に響く。それが銃声だなんて思ってもいなかった。
ただ我が主の行く先。立ちはだかる敵が、見えない何かになぎ倒されているのを見て、あれが超連射可能な銃なんだと理解。
「んんんー、やっぱりアサルトライフルはカラシニコフに限るわよねぇ!!」
楽しそうに笑いながら敵を蹂躙していく我が主。
敵はひるみ、それでも数を頼みに包み込もうとする。そんな時だ。我が主の腕に持つ銃が異変を起こしたのは。
「あーら、弾切れ。ちょっと景気よく撃ちすぎちゃった?」
「い、今だぁ攻めろ!」
「我が主よ!」
加速する。助けなければ。いくら神とはいえ多勢に無勢。私こそが力になる。そのために。
だが――
「なーんちゃって」
と、我が主は不敵な笑みを浮かべると、先ほど取り出した球体3つを宙に放る。
宙に浮く球。それが何か不吉な予感がして、
「はい、いい子は伏せようか」
御言葉に従って体を地面に投げ出した。
ドンっと爆発が3つ連続で響き、それに合わせて大量の悲鳴が沸き上がる。
おそらく火薬を詰めたものが爆発したのだろう。けどそれ以上は分からなかった。分かる必要もなかった。
「ハイ、ジャンヌ。よくついて来てくれましたね。偉い偉いしてあげましょう」
主が近づき、そのお手が私ごときの髪を撫でる。ああ、なんて至福の時。
「うほ、名にこの髪。超サラサラ。羨ましー。ちょっとわたしのと入れ替えない?」
「あなた様のためなら、このジャンヌの首をお持ちください」
「だからあなたの愛は重いの。冗談だってのに。さて、あとは後片付けと。やっぱドカンと行くならRPGってねー」
私へのなでなでタイムはわずか数秒で終了し、ご自身のカバンから今度は本当に入らないだろう巨大な砲塔を取り出した。何に使うのかと思いきや、我が主はそれを右肩に担ぐと膝立ちになり、
「はい、撃て」
ズドン、と頭を殴られたかのような爆音が響き、数秒後には敵の後方で巨大な爆炎が起きた。
「あちゃー、久しぶりだからなまってんなぁ。目測めっちゃはずれじゃん」
とはおっしゃるものの、それを見た敵はもはや戦意喪失。生き延びた兵は数百人だが、どこかしらに傷を負ってもはや戦力としてなしていない。
まさかおひとりで1千の兵を撃退してしまったとは。まさしく神の御業。奇跡。
「あー、なんか変な感じで見られてるけど」
「いえ、あなたこそは真の神。このようなこと……」
「いやいや、この世界でアサルトライフルとかミサイルとか持ったら最強だからね……っつっても分かんないか。分かろうとしないもんね、あなた」
「?」
何か重要なことを言われた気がしたけど、神の御言葉に間違いはない。
「ふふふ。だからこれはわたしだけのチートツール。誰にも貸すつもりは……ないけど、これは確かにちょっとアレよね。実験場がつまらなくなるのは確かだから。よし、少し編集機能でも使っちゃいますかな」
そうおっしゃって、我が主は再び鞄に手を突っ込むと何か――先ほど爆発した球体を6つ、取り出して私に差し出された。
「これ手りゅう弾。使い方は……これをこうして。爆発するからさっさと投げて。それで終わり。わかんなかったら、あのイリスに聞いて」
「まさかこのようなものをいただけるとは……教会の聖遺物としてもよろしいのですか」
「使えっての。いい、これは命令。それを使って、ゼドラを追い払う、ないしは損害を与えなさい。このままゼドラの一強じゃつまらないからね」
「はぁ」
やはり神のおっしゃることは良くわからない。
「ま、いいわ。この戦いで生き残ったらまた会いましょう」
それだけ言って、我らが主は鞄をゴロゴロと引いて歩き出す。
「我が主よ!」
呼び止める。それが不敬だとは知りつつも、言わずにはおられなかった。
「どこへ行かれるのですか」
かつて殉教の道を選んだ神の子に、聖ペトロが放った質問と同じく。
それを知ってか、いや、知らないはずがない。我が主は答えられた。
「決まってるわ。ローマよ」




