挿話27 ラス・ハロール(ソフォス学園1年)
イリスちゃんの頼みを受けて、私は本陣へと急いだ。
途中、門のところで二度止められたけど、
「イース国のラスです! 皇帝陛下に急ぎ伝えることがあるんです!」
「あ! あの時の! 失礼しました!」
そう言ってぴしりと背筋を伸ばして敬礼された。
そんなことされたことなかったから、かなり驚いて、
「ひゃ、ひゃい! ひょ、ひょろひくお願いひましゅ!?」
声が裏返って変な目で見られちゃった……うぅ、もっと人前でしゃべる練習しないと。そう考えると、イリスちゃんとかカタリアちゃんとかすごいなぁ。見習わなきゃ。
そして中門を通り、さらに解放された皇帝区画に足を踏み入れたところで、
「あ、イリスのつきまとい」
「げ」
思わず変な声が出ちゃった。
けど私にとってはまさに天敵。アイリーンちゃんといつも一緒にいる三人組の1人、マシューに出会ったのだった。
マシュー何やら道具を入れる箱を抱えたまま、きょろきょろと周囲を見渡すと、
「イリスは?」
「なんでイリスちゃんのことを教える必要があるんですかねー」
「じゃあいい。皇帝陛下の名のもとに、ここ部外者立ち入り禁止。出てって」
「その陛下に急ぎの用なんです! 通ります!」
「陛下を暗殺しようとする可能性。ついてく」
「しません! なんて無礼な!」
「なんだ。ちゃんと喋れる。さっきの城門のやり取り、なんなの」
「見られてた!?」
なんというかショックだった。
けど、確かに今。大声で喋れてた。イリスちゃんたち以外の人に。
もしかしてそれを教えて……。
「ひょろひくお願いひましゅ……ぷっ」
やっぱこの子嫌い!
肩を怒らせながら、マシューの横を通り過ぎて宮殿へ。
前に一度通った道だから、その場は覚えている。むしろ人の流れが多くて、そちらへ押し流される感覚。
広間に出ると、そこも喧騒に満ち溢れていた。紙の束と格闘している人や、男性が数人でやっと運べるクローゼットを必死に運搬している人。大きなテーブルを囲んで何やら怒鳴り合っている人たちがいて、その奥に陛下がぽつんと心細そうに座っている。
「あら、ラスさん」
「アイリーンちゃん」
皇帝陛下のそば仕えになったアイリーンちゃんが私を見つけて声をかけてくれた。これまでのとげとげした感じが消えて、親しみにあふれた声色になってとても接しやすい。
「いつの間にか仲良くなったのね」
何が、と思ってアイリーンちゃんの視線の先を見ると、なぜかマシューがいた。
「なんでいるの」
「見張り。不審人物」
「私は違うから!」
なんで私がこんなのと。イリスちゃんを惑わす魔女めー。
「おお、ラスが来たか!」
奥にいた陛下が、私の方を見てそうおっしゃった。
先ほどまでの心細そうなお顔から、ぱぁっと明るくなったのが遠目からでも分かる。それほど自分なんかに期待してくれて、胸が張り裂けそうだ。
と、そこで何か目についた。
何がかは分からない。けど、何か違和感。
分かった。あの人。皆が忙しく動き回っている中。流れに逆行する形で、広間の奥へ奥へと向かっている。奥の方は、陛下の側近が言い合っているだけで、流れに逆らってそこに近づこうとする人はいないのにもかかわらず。
『陛下を暗殺しようとする可能性』
マシューの言葉が脳裏に浮かぶ。それだけで体が自然に動いた。
「借りるね!」
断って、マシューの抱える箱から、何か冷たい金属製のものを取り出して走り出す。
人の流れが前後左右に動いて先に進めない。いや、ハロール流は人の動きを見極めて繰り出すとお父様は言っていた。ならその体捌きを使えば!
万物の流れというもの。それを意識すると、進むべき道が見えてきた。あとはそこ、隙間を通り抜けるようにして走り、
「陛下、伏せてくださいっ!」
置かれた椅子を蹴る。上空から狙いを定めて手にした金属の物体――工具レンチを思いっきり投擲した。
レンチは一直線に飛び、言いあう側近たちのまさにど真ん中を通って、陛下に近づこうとした人物の肩に直撃した。
「ぐっ!」
悲鳴をあげて倒れる人影。その人物が、キラリと光に反射する何かを取り出した。さらに駆ける。大きなテーブルをぐるっと大回りする時間はない。だからテーブルに乗り、そのまま走る。広げられた地図らしきものを踏みつぶし、怒声が絶えた側近たちの間を一直線に駆け抜ける。
「な、なんだぁ!?」
側近の素っ頓狂な声が上がる。なんて間抜けな。イリスちゃんならこんなこと許さない。けどここにイリスちゃんはいない。だから私が――
「陛下をお守りするっ!!」
テーブルから跳び、そのままの速度で陛下に急接近する人物に体当たりした。
ぶつかった衝撃でその人物と共に床に倒れ込む。その手から大振りのナイフがカラカラと床を滑った。
「何事かぁ!!」
「暗殺者です!」
「……なにっ!?」
それから騒然となった。
私がぶつかって押しつぶした男は、すぐに捕縛されて連れ去られていく。さらに誰もが剣を抜いて陛下の周りを固めるようにしている。
「陛下、すぐにお部屋に」
陛下の叔父のベィン卿がそう勧める。
確かにその通りだ。陛下に万が一があれば、この戦いは問答無用で負ける。
けど陛下は首を横に振ると、
「いやだ、余はここにおる。大将が部屋に引きこもっていては勝てる戦も勝てんぞ。それに余を守る、心強い護衛がいるではないか!」
「陛下……」
私を見てそう言い切った陛下に、思わず目頭が熱くなる。
ここまで自分を求めてくれた人間が、お父さんやイリスちゃん以外にいただろうか。もうこれだけで昇天できそうなくらいに、気持ちが舞い上がってしまう。
けどそんな時間は長く続かなかった。
「それより。報告があるって」
マシューがつまらなそうな表情を隠そうとせずにそうつぶやく。
あ、そうだった!
「そうでした! 西門が突破されました! 岳飛将軍は中門まで退くとのことです」
「な、なんだとぉぉぉ!?」
これには陛下ではなく、その周りの側近が悲鳴に近い声をあげる。
さらにそれを後押しするかのように、広間に男が駆け込んできて叫ぶ。
「急報です!」
「今度は何事かっ!」
「再び南門からジャンヌ隊長が打って出ました!」
「なんだとぉぉぉ!?」
西門の突破から連鎖的に引きおこる数々の事件。それがどこに行きつくのか。
イリスちゃん……。
今も戦っているであろう大切な人の名前を私は心の中で呼んだ。




