第108話 一時の休憩
上級区画へと続く門にたどり着き、そこでようやく味方に合流できた。
気を失った岳飛は、上級区画へとすぐさま搬送された。中で治療が行われるだろう。
現代のように医療技術の発達した世界ではない。血を失いすぎたり、あるいは破傷風によって死ぬ例も大いにあるだろう。
あとはこの世界最高と言われる名医の技量と、岳飛自身の気力と運によることになる。
けど死ぬわけがない。そう思った。
あの岳飛が、腕を一本無くしただけで死ぬものか。
何より、運び込まれる前に岳飛自身が起こした行動を見た誰もが、それを疑うことはなかった。
「いりす。もういい」
そう岳飛が言ったのは、中門にたどり着いたころだ。
僕は岳飛を馬から下ろす。もともと中門で降ろして中に運んでもらうつもりだったからだ。
僕が肩を貸して岳飛は地上に降り立つと、最初の2,3歩はふらふらとしたものの、その後は意外にしっかりとした足取りで中門の方へと進んでいく。
「門番、それを貸してくれ」
中門を警備していた兵にあるものを要求する。それは門の左右に日中でも焚かれているかがり火だ。
兵は一瞬、何事か分からない表情をしたが、岳飛が引かないのを見て、ようやくかがり火から火を移した松明を岳飛に渡した。
それで何をするのか。
そう思った瞬間には、岳飛は左手の松明の火を斬り落とされた右手の肘、その断面に当てたではないか。
「ぐっ……ぐぅぅぅ!」
岳飛の苦痛の声が上がる。それにも増して、肉を焼く嫌なにおいが周囲に充満する。
傷口から雑菌が入らないよう、そして腐らないように焼くだなんて。とんでもないことをする人だ。
ただでさえ傷口が痛いのに、そこに火傷を追加するのだから苦痛は2倍、いや2乗になるだろう。普通なら絶叫するだろうそれを、少し顔をしかめただけ、声も少し漏らすだけだなんて、どれだけの我慢が必要なのか想像を絶する。
やがて下火になり、焼けつくにおいに慣れたころ、岳飛は力尽きたようにその場に倒れ込んだ。
その状況になって、ようやく思考回路が回り出す。
「担架を! すぐに医者に見せて!」
近くにいた兵に頼む。だがその時でも岳飛はまだ気を失っていなかったらしく。
「いりす。いい。医者は」
「そんな無茶な!」
「血を……失った。生肉を食えば、治る。手配を頼む……」
それも無茶苦茶だ!
そう言いたかったけど、この人ならそれでケロリと治りそうだから怖い。
一体、何が彼をここまで戦いに駆り出すのか。そう思ってもしまう一幕だった。
それから本当に気を失った岳飛を中に運んで、医者に引き渡した。
ちなみに僕も少し治療を受けることになった。
今まで気づかなかったけど、耳が切れて血が出ていた。おそらくあの項羽の最初の一撃。かわしたと思ったけど、耳の先がざっくりと斬られていたらしい。本当に紙一重だったわけだ。
少し休んでいけ、という医者の言葉を無視して再び一般区画へ戻る。僕に残された時間はあと9時間あまり。しかも敵が城内に入り込んだ状況で、ゆっくり休んでいられない。
門を通り一般区画に出ると、すぐに異変に気付いた。
右手、西門の周辺で煙があがっている。
おそらく敵による焼きうちだろう。
ゲリラ戦において最も困ること、それは遮蔽物をなくされること。
兵数に劣るから奇襲を繰り返し、味方の損耗を抑えつつ敵を削っていくわけだから、遮蔽物が取り除かれれば奇襲の成功率が低くなる。
ましてや奇襲のために籠っている場所を焼かれれば、焼き殺されるか、慌てて出たところを数の暴力で殺されるかだ。
正直、焼きうちをするかどうかは五分だった。
一応ここは世界の中心の帝都。歴史的な建築物が多いし、少なからず歴史に敬意を持つならば、それを破壊するなんてことはもってのほかと思うだろう。
ただよくよく考えれば相手はあの秦の白起と、洛陽を焼いた呂布だ。そんなものに抵抗を覚えるはずがない。
それだけでなく、もし帝都をゼドラ軍が落としたとはいえ、全ての家屋を焼き払ったら、その後に彼らが住む場所はどこになるのかという問題点がある。まさかここを完全に破壊して、近くに兵舎でも立てるわけはないだろう。そんなこと時間と金の無駄だ。
すでにあるならそれを流用する。それが現場で動く人間の判断だろう。
だがそれらは見事裏切られた。
今や数か所から煙があがり、帝都はまさに地獄絵図と化した。
どうする。
この場。この状況に陥った時点でほぼ負けは確定。けど負けは帝国民全員の死。それは防がなくちゃいけない。
混沌とした戦場における唯一の勝機があるとすれば、それは――
「いりす殿」
「わっ!」
突如呼びかけられて、思わず大声を出してしまった。
見れば、町人の身なりをした風魔小太郎が隣にうずくまっていた。
「小太郎か……驚かせないでよ」
「これは失礼。なにぶん火急の要件ゆえ」
「火急?」
そういえば小太郎には敵の本隊周りを探ってもらっていた。ということは、
「敵の本隊が来たのか?」
「いえ、1つ面白い情報を入手しまして」
「面白い?」
「項羽が、いりす殿を目の敵にして、殺すだなんだと叫んでました」
「全然面白くない!」
あの項羽に目の敵にされるとか……呂布だけでギリギリ(アウト)なのに、正直生きた心地がしない。
「それは冗談として各門の状況を知らせに」
「冗談に聞こえないんだけどなぁ。でも、助かるよ」
正直、この帝都。四方の門の状況を知るには、広すぎた。
西門を失い、もうそこまで打てる手がない中でも、情報を集めれば突破口が見えてくる。
そう思って、小太郎も僕のところに来てくれたのだろう。その機転に感謝したい。
「まず北門ですが――」
小太郎はそう言って話し始めた。
その中で僕が今取るべき指針を決める。
すべては、僕らが生き延びるために。




