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挿話24 岳飛(アカシャ帝国将軍)

 何かしなければ。


 それが自分の原動力だった。


 北で台頭してきた女真じょしん族が金国を称し、遼を圧迫し一大勢力になると政府の呼びかけに応じて義勇軍に参加した。いずれ金は遼を滅ぼし宋に攻め寄せる。それがまことしやかにささやかれていたからだ。

 開封府かいほうふ(北宋の首都)にほど近い故郷が、金の略奪に遭うなど我慢できるものではない。何とかしなければ。そう思ったのが最初だった。


 息子を妻に預けての義勇軍参加に戸惑いがあったのは否めない。だが、なんとかしなければ。その思いが肥大していくのを止められはしなかった。


 それから戦い続けた。

 宋が滅び、南に後継政府ができた後も、そこに属して戦い続けた。すでに故郷は金国領となっていて、故郷を守るための戦いに意味はなくなっていた。

 だがそれでもひたすらに金と戦い続けたのに、さほどの意味はなかった。散っていった戦友たち、金に奴隷のように扱われている同胞らのためというのはあった。けれど、その本当の理由は、それ以外できることがなかったからだ。

 いつの間にか、田畑のことなんか忘れてただ人を殺すことだけを磨いてきた。


 だからひたすらに、最前線に立って金国と戦い続けてきた。成長した息子と共に、味方のむくろを越え、敵の屍を築き上げ、殺し殺されの修羅道をがむしゃらに歩み続けてきた。


 ある時に、どこか壊れたのかもしれない。自分の体が上手く言うことをきかなくなり、それでもただただ相手を殺し、味方を死なせる修羅にいる。

 人はそれを疲れた、とでも言うのだろうか。確かに疲れていた。民衆の期待に応えることに。政府に足を引っ張られることに。兵たちが死んでいくことに。


 そんな時にこの世界に来た。

 まるで見知らぬ都市、金色の髪をなびかせる異国の人々。そこがまがりなりにも世界の中心の都だったのは、奇妙な偶然だったのか。あるいは何らかの作為を感じざるを得ない。息子がいるかと思い探したが、影も噂もない。あれももう良い年ごろだからこんな異界に来ても大丈夫だろうという放任的な考えもよぎった。


 けどそこでも自分は軍に入るしかなかった。

 それ以外に何もできないのだから。


 帝国を名乗る軍は弱かった。ここ数十年、戦らしい戦はなく、人々に威張り散らしては小銭を巻き上げる者までいる始末。もしそれが自分の軍だったら、即効で処断をしている。だが自分の立場はただの一兵卒でしかない。黙って見ているしかなかった。

 将軍という肩書を外れて、ただ命令に従えばいい一兵士になるのは心地よかった。わずらわしさから解放され、もう何も考えずに戦えればいい。そんな心境だったから。気力が湧かなかったのもある。


 そのまま小隊長に武芸の腕を見込まれて、そこそこの一兵卒で終わるのもいい。

 そう思い始めていた時だ。西からの侵攻があったのは。


 相手の動きはそれはまた見事なものだった。上から下まで一本筋が通っている。そんな動き。その軍は強い。

 対する帝国軍は、煌びやかな軍装を身にまとい、余裕のていで出陣していた。その時点で結果は見えていて、その通りになった。


 総大将は討ち死に。右翼を統率する部隊長も早々に討ち死にし、もはや全滅を待つばかりという状況下で、仲間たちに泣きつかれた。

 それからはもう体が勝手に動いていた。部隊をまとめ、方陣を組み相手の攻撃を受けつつ味方を収容していく。

 途中で突っ込んできた強力な騎馬隊――あの天下無双の項羽と名乗った男が率いる部隊が攻めてきた時には冷や汗が出た。なんとか受けに回ること、それから背後を襲わせようとしたことで生き延びることができたが、あんな相手と二度とやりたくない。項羽と名乗ったのも伊達ではないと思った。


 それから敗残兵を帝都に収容し、流れで全軍の指揮を執ることになった。

 なんで自分が、と思ったのは一瞬だった。

 自分にはそうするしかないという思いが湧きあがり、そしてやるしかないという気力が湧いてきた。


 帝国は宋だ。

 帝都は開封府だ。

 そしてあの“ぜどら”という軍は金軍だ。


 宋が滅んだあの時、義勇軍にいた自分は何もできなかった。何もできないままに負けて、傷ついて逃げた。その結果は、漢の同胞を塗炭とたんの苦しみに落とす地獄だ。


 それと同じことを繰り返すのか。

 あの時と違って、自分は総大将に任命された。同じてつを踏まないという思いもある。


 だから立ちあがった。堕落した一兵卒の自分に別れを告げて、帝都防衛の指揮を執ることになった。

 副官に恐ろしく切れる土方という男、それから“じやんぬ”というどこか不思議な求心力を持つ少女。さらに“いりす”という、あの項羽と同等の呂布と打ち合ったという少女を率いて、侵略者と戦った。


 だがその結果がこれだ。

 自分には荷が重かったのか。どんな状況であっても、あの時と同じことをまた繰り返すしかないのか。


 そう思うと、不思議と楽になった。

 自分が今やるべきことを明確に見据えられた。


 1人でも多くの味方を救う。

 たとえ自分がここで散るとしても。それだけは、今も昔も変わらない自分の中の真実。

 尽忠報国の文字に恥じない、天を仰ぐこころざし、心の中のまことなのだから。


「岳飛とやらか」


 視線の先。広くはない街路にひしめく軍から一騎が出てくる。その風貌。覚えがある。迎撃に出た時、総大将を討ち取り、そのまま自分の陣に乗り込んできた男。

 項羽。そう名乗った男。


「小癪なことをしてくれるな」


「小癪かどうかは知らん。ただ尽忠報国の心のままに戦うだけだ」


「……ふっ、どうやら覚悟はできているようだな」


「1対数万。そもそもが勝てるはずのない戦いだ。どうとでもするがいい。ただ、少し抵抗させてもらうがな」


「馬鹿な。そんなことをすれば俺の武が泣く。一騎討ちだ」


 一騎討ち?

 馬鹿な。そんな無意味なことを。ここは数の暴力で自分を押し包んで討てばいい。それが一番効率がいいはず。

 それなのに一騎討ちなんかすれば、何らかの作用が起きて相手が負ける可能性がある。万が一とはいえ、それは勝利が確定している相手側にとって無意味な――


「ふっ、そういうことか」


 納得した。

 この男。項羽を名乗るのであれば、自分の武に絶対の信頼を置いている。相手が誰であろうと、一騎討ちで負けるはずがないと考えている。だからこそ、1人を多人数でなぶり殺すのをよしとしない。

 漢気おとこぎじゃないか。


項籍こうせき、字は羽。覇王の力、思い知るがいい」


「宋の岳飛、字は鵬挙ほうきょ。参る」


 槍を構える。それを待たずして相手が動いた。馬。速い。10メートルの距離が一瞬でゼロになる。すでに振りかぶられた槍が頭上から真っ二つにせんと迫る。

 その穂先を見るだけで、とてつもない一撃だということが分かる。それでも逃げることは許されない。いや、逃げる暇などない。もはや後ろを見せて逃げる暇はない。何より逃げるつもりはない。


 振り下ろされた槍。

 それを見極めてこちらもつき上げる。馬上からの一撃。天が落ちてきたのかと思うような衝撃。


「はははっ! この俺の一撃を受けるか!」


 項羽が哄笑する。

 項羽。たがうことなく覇王そのものだ。いりすの言うことを信じていないわけではなかったが、こうして直面すれば認めざるを得ない。

 あの伝説の武人に勝つことができるのか。いや、勝つ必要はない。必要なのは時間。必要な時間さえ稼げれば、勝ちも負けも関係ない。

 ただ後に続く彼女たちのため。手傷の1つでも負わせれば上々。そこに己の生死は問わない。


 だから覇王の一撃を受けたうえで、足を進められる。前へ。


「覇王、我が尽忠報国のこころざしを受けよ」


「面白い、お前の底を見せろ岳飛!!」


 かっと歯を見せて笑う項羽。その慢心が隙。

 膝を折る。相手の一撃に屈したように。だがそうではない。叩きつけた格好の一撃を、ずらして相手の態勢を崩す。その間に自分はさらに前へ。項羽の懐に入る。


 だがその間にはだかる獣がいた。

 項羽の乗馬。それが棹立ちになって、蹄を叩きつけてくる。


 身体をひねり、踏みつぶされるのを回避。そのまま地面を転がって、相手の背後に回る。距離を取れば、先ほどのような加速を用いた人馬一体の一撃が来る。なら相手の懐に入って、隙を狙うのが良い。馬上から槍で狙うのに、死角となる場所に身を置くことにもなる。


 だがそれは一筋縄ではいなかいのを知る。


「くっ!」


 馬の後ろ脚が突き出される。蹴り。槍で受ける。

 衝撃。鉄製の槍。それが中ほどでへし折れた。なんという怪力。まさか伝説に聞く項羽の愛馬・すいか。


「なら!」


 すかさず反撃に出る。曲がった槍は武器として使えない。それを項羽に向かって投擲する。


「小癪!」


 投げた槍を払う項羽。その間に、項羽の懐に潜り込み、腰に差した剣を払った。


「ぬぅ!」


 項羽の顔が赤くなる。こちらの狙いに気づいたらしい。項羽の強さ、その半分は彼の愛馬によるものでもある。ならばその愛馬を討てばいい。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だ。

 あの名馬・すいを討つには忍びないが、これも後のため。


 とった。


 そう感じた瞬間、項羽はまさかの行動に出た。


「この卑怯者がっ!!」


 怒りに満ちた様子で項羽はすいから飛び降りると、そのままこちらに組みついてきた。剣。間に合わない。


「ぐっ!」


 殴られた。


 まさかの攻撃方法に虚を突かれ、顔面にもろに食らう。一瞬、意識が飛んだ。それほどの一撃。だがそれだけに終わらない。連打が来る。


「うぉぉぉ! すいを狙うなど! 殺す。一刺しなどではなく、殴って、殴って、殴り殺す!」


 一撃一撃に殺意が籠った拳が何度も飛んでくる。主に狙いは顔面。だからそこを守ろうとするが、気を抜けば腕ごとへし折られるほどの威力に顔をしかめるしかない。


 これは参った。逆転の策として狙ったものが、項羽の逆鱗に触れてしまったようだ。


 もはや反撃の余力はない。宣言通り、項羽に殴り殺されるしかない。

 さすがは伝説の覇王。規格外の化け物だった。


 けどそれなりに時間は稼げただろう。このまま気のすむままに殴り殺されれば、さらに時間が稼げる。せめて一太刀と思えど、武器も腕も壊れた状態ではどうしようもない。時間が稼げただけでも儲けものとしよう。


 だからこのまま防御ごと押しつぶされようか、あるいは防御を解いて一思いに一撃で死のうかなんてことを考えていると――


「岳飛将軍!」


 声が響いた。


 馬鹿な。この声。いりす。どうやって来た。いや、方法はどうでもいい。なんで来た。

 私はお前たちを逃がすために、こうして項羽と戦っているんだ。なのにお前がここに来たら、すべてが台無しじゃないか。


 その声に項羽が反応した。そのおかげで、見ることができた。すでに視界はぼやけている。だがそれは間違いなくあの金髪の少女に違いない。

 本当に、なんで。


 胸の中に起こるのは嬉しさ。けどそれ以上に彼女に対する怒りが沸き上がる。

 こんな状況。こんな場所に彼女が来ればどうなるか。分からない彼女ではないはずだ。なのになぜ来た。


「邪魔を――」


 項羽の殺気がいりすに向く。

 項羽は腰に差した剣に手を伸ばすと、それを一息で抜き放ち、そのままいりすへ向かって斬りつける。


 寄ってくる彼女。そしてその項羽の反撃は予想外だったようだ。

 体がぴくりと止まり、咄嗟に回避運動をしようとする。


 だが遅い。

 刹那の差で、少女の体は両断される。それは自分の尽忠報国のこころざしに泥を塗るに等しいことだった。


「いけない!」


「え?」


 少女の顔。それが苦痛にゆがむ。


 次の瞬間。想像を絶する痛みが右腕に走った。


 宙を舞う何かが見えた。それがとてつもなく愛おしいものに感じる。

 当然だ。あれは自分と共に育ち、幾多の敵を殺し、幾多の友を看取って来た。ほんの数秒前までは、自らに収まっていた体の一部だ。


 焦点の定まらない瞳で見る。


 右腕が肘から先で断ち切られていた。

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