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挿話21 高杉晋作(ツァン国大将軍)

 朝陽が昇り始めている。

 これが最期に見る朝陽となるか、それとも毎日の一場面となるかはこれからの僕らの頑張りにかかっているのだ。そう思うと、なんとも言えない悲壮感がある。


 その中を僕は年老いた馬の背に揺られて、ぽくぽくと進んでいく。

 お供は1人。


「高杉さん、本当に大丈夫ですかね……?」


 愛らしい顔を曇らせてイリスが聞いてくる。彼女も馬に乗っているが、かなりの駿馬だ。おそらくあの土方がつけたのだろう。過保護なやつ。

 ま、何か起きたら僕が守ってやるから心配はないわけだが。もちろん自分自身も死ぬつもりはない。


 松陰先生は、行動を起こすことを第一とし、結果は二の次とした。さらに『狂』の発露を求めた。それは物狂いせよ、ということではなく、固定観念に囚われることなく物事を見ることだと僕は理解している。既存の概念から外れた行動をすること。それは傍から見れば、物狂いと思われても確かなのだから。


 そう、僕は松陰先生の教えの元で行動しているに過ぎない。

 松陰先生を謀殺したあの糞ったれの幕府、それに類する帝国という支配者を助けるために動くというのが玉に瑕だが。ただあの少年皇帝。その情熱の発露はなかなかのものだ。あれは一種の『狂』が出ている。だから少し手伝ってやろうというものだ。


 なによりこのイリスという少女。

 見目もいいが、知恵が良く回る。度胸もある。さらに武勇もあると聞く。これほどの才女にして女傑は、あの動乱の時期を見回してもそうそういないだろう。

 それが子犬のようにちょこちょことついてくるなんて、愛らしいじゃないか。どこか俊輔しゅんすけ(伊藤博文)に似ている気もする。


 そんな彼女から助けてほしいと言われた(あれ、言われたっけ?)のなら、やらなきゃ長州男児の心意気がすたるってものだ。


「大丈夫だ、イリス。僕にすべて任せればいい」


「はぁ……」


 煮え切らない曖昧な返事が返って来た。これはいかんな。萩だけでなく、京、そして江戸でも遊郭で名を馳せた僕の沽券こけんにかかわる。


「なにを恐れることがある。白起だ呂布だと言っても、2千年も昔の化石みたいなものじゃないか。エゲレスらの奴らとは全然違う。口先三寸舌八丁でなんとでもしてみせるさ。なんなら古事記でも暗唱してみせようか?」


「いや、ならいいんですけど」


 それでもまだ何か言いたげなイリスに、僕は身を乗り出してこう言った。


「いいか、イリス。交渉ごとでは、何に増しても度胸だ。圧倒的不利な状況においても、ふんぞり返っていることが大切だ。少しでも弱みを見せれば付け込まれる。だから何があっても富士のように泰然自若として、堂々としているのが秘訣だぜ」


「堂々と……」


「そう。敵さんからすれば、こちらの不利な点をつつきたくてしょうがないのさ。だからその不利な点、弱点を鋼の意志で覆い隠してしまえば、相手は攻めることができない。孫子いわく、よく守る者は敵、その攻むるところを知らず、さ」


「はぁぁ」


 イリスの目が少し変わった。これは来てる。間違いなく、尊敬のまなざし。

 勝ったな。これでちょいと化石を言いくるめれば、イリスの心は僕がいただく。


 ――そう、その時までは思っていた。


「何者だ……いや、お前は、いりすと言ったか」


 突如として現れた騎馬隊に囲まれた。

 いや、敵の本陣に向かってのんびり進んでいるのだから、お迎えが来ることは百も承知。だが、この軍勢を率いる将は。この男は。まったく違う。これまで見てきた、これまで会って来た男たちとは根本から違う。

 圧倒的なまでの武の気配。これでも奇兵隊を率いた僕だ。少しなりとも剣術はかじっている。だからこそ分かる。この男の並外れた膂力りょりょくというものを。放つ絶望的なまでの死の気配というものを。


「呂将軍、また会えて光栄です」


 イリスが馬を降りて頭を下げる。


 これが呂布か。

 三国志における、最強の男。


「ふん。俺はお前とやりあいたくてうずうずしているところだが、その様子では違うようだな。そちらの男は何者だ」


「こちらはツァン国の大将軍トーギョさんです。白起将軍にお目通りしたく、参りました」


「ふぅむ?」


 呂布に睨まれ、蛙のように心が委縮してしまった。怖い。怖すぎる。あの土方なんか目じゃない。いや、土方も恐ろしい奴だけど、その方向性が違う。

 今すぐ逃げ出したい。今すぐ帰りたい。だがそれをした瞬間に、男の持つ方天画戟が僕の体を真っ二つにする。


 それになにより。イリスが動かない僕を見て、どこか心配そうな、不安そうな顔をしている。それがいただけない。

 まるで僕がビビっているように見られるなんて。さっきまでどの口で口上を垂れていたのだと蔑まれているようで。


 長州男児の肝っ玉を舐められちゃ困る。


「ツァン国の大将軍である。ツァン国を代表して、そちらの司令官とお話がしたい」


「イリスが下馬したのに、貴様はしないのか」


「国の代表として話をしにきている。小間使いに下馬する礼はない」


 イリスがびくっと体を震わせたのが分かる。とんでもないことを言うな、と目が言っている。


 だがこれは戦だ。言葉の戦なら、僕に分がある。

 弱気は腹の中に押し込めて虚勢を張る。頭がどこかおかしくなりそうだ。あの時の異人どもと交渉した時のことを思い出す。ああ、いいぞ。狂え。もっと狂え。


「小間使いだと……?」


 呂布の額に青筋が浮かぶ。このままだと数秒後に僕の首が飛ぶ。それこそ面白いくらいに宙を飛ぶ。

 ならばとさらに言葉を重ねる。ただし威勢よく。元気よく。狂いよく!


「小間使いでないのであれば、名乗るがいい! それとも名乗るほどのものではないのか、ならば小間使いで十分!」


 雷に打たれたような衝撃を、間違いなく呂布は受けている。少しのけぞり、それから手にしていた方天画戟を手挟むと、馬上で拱手の礼をして名乗った。


「呂奉先。ぜどらの将軍である」


「これは失礼しました。武名高き呂将軍でしたか。お噂はかねがね。どうか将軍の叡智をもって、私をそちらの司令官にお取次ぎ願いたい」


「む、むぅ」


 こちらが急に低姿勢になったからか、呂布は少し戸惑ったように曖昧に頷く。

 一度熱した後に冷まされれば、いかに沸点が低い者とて再び再点火するには気力がいる。今の呂布がまさにその状態で、こうなればあとは言葉で押し切れる。もちろん、最初の発火で爆発したら僕の命はなかっただろうが、そこはイリスが顔見知りということで確率は低いと賭けた。


 そう、交渉なんて所詮賭け事と同じ。

 デカい報酬を期待するなら、大きく張らなければそれは無理だ。


 だから張った。そして勝った。


「分かった。案内しよう」


 呂布はそう言うと、軍の包囲を解き先導を始めた。

 僕とイリスはその後を追う。


「はぁぁ……死ぬかと思いました」


「なに。死んだ気になれば、死んでも後悔しない。だって死んでるんだからな。あっはっは!」


 本当はもう少しで漏らすところだったけど、それは言わない。男というのはいつまでも女に格好いいと思われるべきだ。それが僕の生き様だ。悪いか。


 とりあえず第一関門は突破だ。まだまだ突破すべき関門は多いが、もうすでに賽は投げられている。


 このくだらなくも退屈で妓楼と音楽のみが癒しの世界。久しぶりに面白くなってきた。ならばもっと面白くしてやろう。そう思えば体が熱くなり、血が滾る。やはり行動こそが僕の本義。

 この絶望的な状況をどう覆すか。それを思うと、自然笑みが浮かんできた。

11/3 章の番号が間違っていたのを修正しました。

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