第89話 帝国の維新
「ん?」
言われたトーギョが目を見開くと同時。
「おい、イリスはいるか!!」
突然、馬蹄が響いたかと思うと、土方さんの怒声が飛んできた。
「あ、土方さん」
「ここか! おい、俺はちょっと北門から外れなくちゃいけなくなった。代わりに……って、なんだこれ!? 鉄砲じゃねぇか!」
「あ、そうなんです。ツァン国大将軍のトーギョさんが提供してくれたんですよ。あれ、トーギョさん?」
振り向くがそこにトーギョはいない。どこいった? あ、いた。
大の男が、女子供の僕の後ろに小さくなって隠れていた。
「そこで何やってるんです?」
「あ、いやー、ちょっと眼鏡を落としたかなーっと」
「眼鏡もといサングラスなら、普通につけてるじゃないですか……高杉晋作さん?」
「ばっ! だ、誰のことかな。そんな素敵な響きの名前の男なんて、過分として僕は知らないな。はっは、何かの間違いだろう。そんなイケメンで頭が良くて行動力のある魅力的な男とは全く違うさ」
この人、嘘が下手だな。というか、完全に余裕をなくしてるというか。
はぁ、まさか幕末の偉人がこんな男で、しかもその正体の暴露がこんな場面だなんて。締まらないなぁ。
高杉晋作。
幕末の長州藩に現れた天才的革命家で、保守派が握っていた藩論をクーデターにより一気に倒幕へと舵を切らせることに成功。四境戦争と呼ばれる第二次長州征伐では八面六臂の奮戦を見せ幕府軍を撃退するも翌年、結核で若くして世を去る。ただしこの敗戦により幕府の武威が失墜し、倒幕へと時代は加速していくことになる。
その原動力となったのが松下村塾、そしてかの有名な奇兵隊だ。正規軍を正とした場合に、武士と庶民の混成部隊となる奇兵隊はまさに奇兵ということから名付けられたのだが。まさに今この場面にぴったりと言えばぴったりだ。
「なにやってんだ、そこ?」
土方さんが僕らのひそひそ話を不審に思い、覗き込んで来ようとする。
それをトーギョ、いや高杉晋作は僕を壁にして避けようと動く。
はーん。なるほど。
「トーギョさん、いや、高杉さん。新選組が怖いんだ」
「馬鹿な! そんなわけあるか! この僕だぞ? 海軍総督であり奇兵隊の初代総長である僕だぞ? しかも稔麿の仇に、なんで怖がる必要がある」
稔麿ってのは、吉田稔麿のことかな。池田屋事件で新選組に殺された。
高杉晋作、久坂玄瑞を双璧として、吉田稔麿、そして入江九一を入れて『松下村塾四天王』というらしい。
それにしても松下村塾。創始者(厳密には違うけど)の吉田松陰の薫陶を受けた彼らは、確かに長州藩を、そして日本という国を大きく動かした。初代総理大臣の伊藤俊輔(博文)、3代9代総理大臣の山県有朋ら様々な政治家や軍人を輩出。まさに近代日本の偉人たちの巣窟でもあったわけだ。
その双璧の1人が、ここにいる女ったらしか……。
「土方さん、ここにいるのは高杉――」
「ちょっと待ったぁ!! オーケー、分かった。イリス。ちょっと落ち着こうか?」
あっさりと白旗あげたぞ、この人。
なんか、全然格好良くないな。高杉晋作って言ったら、もっとこう……自信と行動力に満ち溢れた指導者的な人だと思ったのに。まさかこんな弱気の女ったらしだなんて。かなりショックだった。
「なんだ、イリス。高すぎって? 高すぎるのか? その鉄砲? まさかツァン国の大将軍様が上前はねるつもりか?」
「いやいやいやいや、そんなことはないですぞ。ただ、この帝都にあるものを普通に買おうとしたらそれだけの値段がつくというだけでして。はははは」
「……高杉さん、喋り方」
「仕方ないだろ! そうでもしなきゃバレる! バレたら斬られる! なんてったって、僕はお尋ね者だったんだからな! あの桂さんだって逃げたんだし」
あー、そうか。この人、期間は短いとはいえ尊王攘夷運動で色々やらかしてるからなぁ。禁門の変で戦死した久坂玄瑞や、後の木戸孝允となる維新三傑の1人・桂小五郎らに次いでビッグネームだったわけだ。
「…………」
じーっと僕というか高杉さんの方を見る土方さん。あるいは血の雨が降るかと思い、けど割って入るにしては土方歳三という名前は重すぎた。
だから何も言えないまま無言の時間が過ぎ、
「ふっ」
土方さんが息を吐いた。
そして微笑と共に、
「協力感謝する」
そう言って右手を差し出した。
対する高杉さんは、慌てて裾で右手をぬぐうと、思い切りその手を握り返した。
「オーケー、オーケー、シェクハンズだね。よろしくよろしく」
まぁとりあえず血を見る羽目にはならなかったから、良かったといえば良かった。
「ところでこの鉄砲、これの他にも数はあるのか?」
「さぁ。僕はただ、ツァン国のために買い付けに来ただけだから。それ以外のものは知らないよ」
土方さんの問いに高杉さんが答える。
「もしかしてヒジカタさん、鉄砲で応戦する気? 野戦で鉄砲なんて無茶ですよ。相手はあの呂布ですよ? 項羽ですよ? 一気に近づかれて蹴散らされて終わりですよ」
「ふん、奴らは弓矢しかない時代の人間だろ。鉄砲なんて便利な殺りく兵器も知らない連中だ。だからこそそこに勝機がある」
「でも……」
「ま、お前の言うことも分からないでもない。相手がこの世界で鉄砲を学んでいるかもしれないからな。それに虎の子の鉄砲だ。むざむざ相手に渡してやる道理はねぇさ」
「ならどうするんです? ここの城壁じゃあろくな反撃なんてできないですよ。今から挟間(鉄砲や矢を撃つ壁の穴)を作るっていうんです?」
「それができりゃいいんだが、無理だろう。だから土塁を築く」
「土塁? 城門の前に? それこそ無謀ですよ。突破されたら一気に城内になだれ込まれます。かといって城門を締めれば、その鉄砲隊は全滅するしかない」
「いいな、イリス。お前。なかなか頭の回転が速い。だが、まだまだお子様だ」
「お子――」
その馬鹿にした言い方に、さすがの土方さんといえどカチンときた。
けどそれを打ち消したのは笑い声。高杉さんが豪快に笑っていた。
「なるほど。土方さんは、帝都民に泣いてもらうってわけだ」
「さすがだな。ま、命を失うよりはマシだろうよ。あとは鉄砲をどれだけ早く、多く集めるかだが……」
え? え? 何を言ってるんだ?
それは乱世の英雄同士だからこそ通じ合える領域なのかもしれない。僕はまだその領域に行けていない。2つのスキルを持ちながらも。それがなんとも悔しくて、同時に羨ましかった。
そしてその片割れ、高杉さんはさらにとんでもないことを言いだした。
「分かった。鉄砲の手配は得意な奴に任せる。それで僕が時間を作ろう」
「え、どうやって?」
「敵の本陣に乗り込む」
「は!?」
「敵の総大将に会って、戦争はやめてくれって言えばいい。一応、ツァン国の大将軍だからね。いきなり殺されることはないだろう」
「いや、ないだろうって……はぁ!?」
それで済めばこんな悩むことはないってのに。なんでこうも軽々しく命を捨てられるんだ?
「ちょ、高杉さん! どういうつもりなの!?」
僕は高杉さんにヘッドロックをかまして、小声で聞く。
「はっは、慌てるなイリス。僕はこれでもエゲレスらが攻め込んできた時に、和議の使者として責務を果たしたんだぞ?」
「え、そうなの?」
「ああ。奴らの賠償金は全部幕府にツケを回して、彦島欲しいとかいう無理難題は、適当に屁理屈かまして却下させた」
んな滅茶苦茶な。
けど、本当なんだろうなぁ。知らなかった。
いや、だからって今回と同じでいられるわけないって。
「なに。大事なのは行動することだ。結果は二の次で、迷っているのであれば先に行動した方がいい。これは松陰先生がよく使う言葉なんだが」
松陰先生。吉田松陰か。
「ふふふ、しかしあれだな。僕の心配をしてくれるんだな、嬉しいぞ、イリス」
「……勝手にどこにでもいけば」
「うわー、いけず」
ヘッドロックを外して突き放す。
「あ、もうちょっと。イリスの柔らかさに包まれてたかった」
「さっさと行って?」
はぁ、心配して損した。
「ま、相手は相応の出費をしてきてるわけだ。戦争ってのは金がかかるからね。だから受け入れることはない。それは理解しているよ。ただ一応、まだ僕の国と事を構えようってことはしないだろう。だからすぐには殺さない。話は聞いてくれる。建前上は、絶対に。だからこそ時間は稼げるさ。といっても、2,3時間くらいだけどね」
高杉さんはビシッとして真面目な顔して言ってるけど、ほんの数秒前まで変態な行動をしているだけに、何ら心に響かなかった。
「正気か、お前さん? たかが2,3時間稼ぐために、命捨てに行くのか?」
「正気で戦争などできないよ。何より、狂えというのは僕の師の教えだからね」
「くっ、面白い。まったく、この世界にも相応の馬鹿がいるってことが」
「そういう君もそうだろう?」
「かもな」
ああ、また2人の世界に入ってしまった。
というか、さすがにあの高杉晋作だと思った。あの土方歳三の軍略に追いつき、さらに捨て身の時間稼ぎなんて奇策を捻り出し実行する。
そこらの人間にはできないようなことをしてのけるその行動力はさすがだった。
「けど、いいの? たかす――トーギョさんには関係ないでしょ」
「義を見てせざるは勇無きなり。というわけじゃないけどね。エラくんをはじめとする、ミーちゃん、はっちゃん、シズちゃん、クーちゃん、ショウちゃん。それにこの都で出会った数々の女たち。それを守るために、僕は鬼神にもなるさ」
あ、やっぱダメだ。この男。
尊敬できるところは尊敬できるけど、基本部分がダメなんだな。うん。
 




