第35話 授業開始
校舎は自分が通っていた学校より遥かに綺麗だった。
もちろん鉄筋コンクリートじゃないし、塗り床みたいな感じのものでもない。
それでも「学校か?」と一瞬疑ってしまうほど凝った作りになっている。
よくフィクションにあるお坊ちゃん学校みたいな感じで、廊下の幅は4人が手をつなげるほど広く、かつ天井も高い。床は絨毯が敷かれ、そこそこ透明感のある窓ガラスがところどころにあるため、灯りがなくとも十分に明るくキラキラと輝く校内が見て取れた。
もはや王宮とかそのレベル。
昨日行った政庁と同レベルか、それ以上かもしれない。
これも金持ちの貴族様の子弟が通うためだろうか。
お金持ちの学校見学というあり様に、終始圧倒されっぱなしだったが、それでも自分はここの生徒だという自覚を取り戻し、教室を目指した。
クラスは迷う必要がなかった。
というか1年は2クラスしかなく、一方が間違いだったら必然的に答えは出るようなもの。
ただ、違うクラスであっても教室に入った瞬間のざわつきは激しい。
それだけで露骨すぎるほどに伝わってきた。僕ことイリスがもはや学年全体に嫌われているということを。
寿命の問題、国の問題、家庭の問題に加え、学校での問題か。
本当、なんてところに来てしまったんだ。
歴史シミュレーションゲームも、ここまで細かい生き方は教えてくれなかったぞ。どちらかというと学園恋愛シミュレーションゲームの方だ。
それだけでなく、極めつけが――
「げっ……」
「げ、とは何よ。イリス・グーシィン」
先ほど(僕にとっては)顔を合わせたばかりのカタリア・インジュインと同じクラスだった。
美人は美人なんだけど、いかんせん第一印象が最悪だったせいで「げっ」と女の子にあるまじき発言をしてしまったわけで。
とはいえ彼女に対しては、1つ考えてることがある。
それは彼女と仲良くすることで、インジュイン家との仲が進展するのではと。
僕の家族のグーシィン家とインジュイン家は政敵で、犬猿の仲とも言っていいほど仲が悪い。
国を治めるトップの一族として、早々に解決したい問題なのだが……。
まぁ、そこは僕のコミュ力不足なところでどうしようかな、という事なんだけど。
少し時間をかけながらやるしかない、か。
幸か不幸か席は隣じゃなかった。
というか窓際の一番後ろだった。
ただこれはラッキーというか、意図的なものなのだろう。
前と右隣りの席が1メートルくらい離れていて、隔離されている場所だったから。
いやはや、本当に何したのさイリス。
机に落書きとか椅子に仕掛けとかはないから、いじめというよりは、あからさまに避けられているということか。
というわけで、担任の先生が入ってくるまでの時間。
若干の痛い視線を感じながらも、わいわいと騒がしい教室の中で、独りポツンと窓から外を見ているのだった。まぁその窓自体が曇りガラスみたいに透明性がないから、うすぼんやりとした景色を眺めるしかないんだけど。
いいもん。元の世界でも大体こんな感じだったし。気にしないし。
もちろん予習とか殊勝なことはしない。
というか時間割もない。教科書とかもない。ノートは見る気がしない。
ま、無理なものは無理ということで、あんまり評判も良くないようだし、明日からは学校に来なくていいんじゃないか、なんて思っていると、
「きりーっ!」
ガラッと教室の前のドアが開き、長身の男が入って来た。
20代半ばから後半。髭のたくましい、少し濃いめのイケメンで、黒板を背に教壇に立ったということは彼が先生なのだろう。
クラスのざわめきが一瞬にして収まり、散らばっていたクラスメイトたちが各々の机の脇に立って気を付けをする。
僕もとりあえず、と立ち上がる。やる気はもうないからビシッとはしないけど。
やれやれ、とりあえずホームルームからかな。
そこで何かこの学校の特徴でもつかめれば、なんて悠長に思っている間もなかった。
「礼!」
「ご教授、よろしくお願いします!」
教師の礼の声に対し、全員がそう言って頭を下げる。
僕も慌てて頭を下げた。
「よし、着席。では出欠取るぞ。アルス・ノーマン」
教師が名簿らしきものを開いて、次々と名前を読み上げていく。
この世界はどうやらアルファベットは普通に使われているらしく、英語っぽい感じで記述されているのをよく見る。
ただ、ここでは読んだ文字が日本語に変換されて頭に入ってくるようになっているようで、それに苦労はしない。
よく考えたら僕は普通に日本語のように話して通じているのだから、不思議な感覚ではあるけど、これも転生の副作用と思っておこう。
えっと僕はイリスだからIか、今Gだからそろそろだな。
「えー、ホーマー・ダルトン。ジュン・アグリ」
……あれ? 今呼ばれなかった? いや聞き間違いか? それともファーストネームじゃなく、ファミリーネームだとしたら、グーシィンだから……Gってもう終わってる!
じゃあやっぱりイリスって……あ、もしかしてE!? いや、それも過ぎてるぞ!?
結局、点呼にはイリス・グーシィンの名前が呼ばれることなく、そのまま教師は名簿を閉じてしまった。
「それでは授業を始めるー」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず身を乗り出すようにして手を挙げてしまった。
あんまり目立つことはしたくなかったけど、これはしょうがない。
「僕、呼ばれてないんですけど」
せっかく来たのに、これで欠席扱いされたら困る。
だから意を決しての挙手だったのだけど、それに対する反応が困った。
「あー、イリス・グーシィンか。来てたんだな」
などと、初めて気づいたように僕を見る教師。
だがその視線は、教師が生徒を見るものではなく、どこか卑屈で、見下すようで、それでいて気味の悪いものだった。
嫌な、予感。
「これはこれは、無断欠席かと思いきや突然の登校とは。自由でいいですなぁ、イリス・グーシィン。学校の場所は覚えていましたか?」
嫌みたっぷりの発言に、周囲から失笑が漏れる。
その様子を見て「あぁ、この男もか」と思った。
教師にまで見放されたイリスちゃん。マジで何してんの?
「いやー、いいですね。国外旅行ですか。先生もお金と時間があれば行きたいですねぇ。できれば帝都アカシャとか」
「先生、今度の校外学習で帝都見学ツアーを組んでもらいましょうよ。もちろん、旅費ほかは全部イリスさん持ちで」
「あぁ、それなら道中の護衛にはかの姉君にぜひお願いしたいですね。キズバールの英雄。私もこの目で見てみたいものです」
「賛成! タヒラ様と一緒に旅行なんて……あぁ」
あはは、とクラスが爆笑の渦に巻き込まれる。
非常に腹が立った。
僕はイリスがしてきたことも知らないし、何を思って旅行に行ったかも知らない。
けど、あの旅先で起きたことをなんとも考えず、実際に平和が脅かされようとしているのに何も感じない、考えないこいつらに、こいつらの覚悟のなさに、呆れ果てると同時に腹が立ったのだ。
それに気づいたことがある。
彼らは僕をさんざんにいびっているにも関わらず、タヒラ姉さんについては崇拝の念を持っている。
そんなこと、イリスからタヒラ姉さんに話が行けば、あんな朝みたいな感じの応対はなかったはずなのに。
だが彼らは知っているのだ。イリスがタヒラ姉さんにこのことを言うわけがないと。学校でいじめられているだなんて、口が裂けてもいえないんだろうと。
それはきっと家族にも内緒に違いない。だからお父さんは気軽に学校に行けというし、ヨルス兄さんも特にそのことについて言ってこない。
僕は改めてこのイリスという少女を気の毒に思った。
従兄妹を心配して旅行に行けば、まさかのザウス国の裏切りで命を落とし、帰ってくれば帰って来たで、このいじめにさらされる始末。しかもそれを家族は誰も気づいていない。
もちろん、彼女自身にも悪いところがあったのだろう。
そうでなければ、こうも蛇蝎のごとく嫌われることもないはずだ。
でも、それでも。
やっていいことと悪いことの区別もつかない、こいつらよりは断然マシだ。
だから手伝ってやりたい。彼女が生きていたとしたら、この状況を打破する、手助けを。
そしてその力を僕は今、持っている。
「おっと、どこへ行こうとするイリス・グーシィン。お姉さんに泣きついてみるか? それとも3年のトルシュ・グーシィンに訴えかけるか? いいや、無理だね。お前とトルシュ・グーシィンの不仲は周知の事実。お前に逃げ場はない」
立ち上がりかけた僕に対し、教師が釘を刺してくる。
そうかトルシュの兄さんもここにいるのか。てか仲が悪いのは周知の事実って……まぁ朝の感じを見ればそれも仕方ない。
というわけで孤立無援、四面楚歌のこの状況。さてどうする。
まずは勝利条件と敗北条件を定義しよう。話はそれからだ。
勝利条件は僕ことイリス・グーシィンの名誉回復。
敗北条件は……回復不能までに名誉が落ちること。違うな。きっと彼女は抵抗した。抵抗したけど、この結果になった。そう、落ちるところまで落ちたんだ。ならもうそれ以下はない。
だから、あるとすれば何も変わらないこと。
それが敗北条件。今この教師が勘違いしたようだけど、逃走は敗北だ。
うん、わかりやすい。
もう下に落ちるところまで落ちて、それで上を目指せばいいんだから。
失うものがない背水の陣と考えれば、それはもうメリットだ。
さて勝利条件をより明確にしておこう。
詳細な勝利条件。ゲームでいえば、敵の撃破、本拠地を落とす、時間まで耐える、守る、逃げ切る、などなど。
この場合はどうだ?
倒すべき敵はいるか?
いる。
今まさに対面している教師の男。この男が調子にのって僕に対するあざけりを辞めないものだから、生徒たちもそれを容認してしまう。
教師とは、閉ざされた学園生活にいる数少ない大人だ。生徒にとっては規範となる指標だ。
その大人がいじめを容認し、それを率先している姿を見せれば、生徒たちも「あ、これはやっていいことなんだ。だって大人がやっているんだから」と誤認してそれに追従してしまう。
だからこの場にいる中で一番年長ながらも率先していじめに加わるこの男は撃破の対象となる。
彼を打ち倒すことにより、それが間違いだと気づいてくれる人がいれば、それは僕の勝ちでもある。
もちろん物理的に倒すのではなく、言論で圧倒するわけだけど。
そしてもう1人。
こっちはこっちで厄介なんだけど、とりあえずは教師であとは成り行き次第だろう。
さて、というわけで勝敗条件がはっきりした。
まずはこの教師を打倒す。できなければ僕の敗け。
さてさて、呉に下った諸葛孔明もこんな心境だったのかな。
というわけで戦闘開始だ。
「あんたは教師じゃない」
10/24 一部表現を調整しました。




