第81話 帝国軍VSゼドラ軍開戦
帝都の一般区画。それを取り囲む20メートルほどの高さの城壁。それが帝都をガッチリ守っているため、中にいれば安全だろうという思いをはっきりさせてくれる。
ただ、その城壁を上から見下ろすなんてことは誰もがしたことがないだろう。まだ航空技術が発達していないこの世界ということもあるけど、そもそも城壁の上に登るということをしようと考えた人はそうそういないはずだ。
それを考えて実行した人の中に、僕らイース国の一行も今日、加えられることになった。
「ふわぁ……すごい眺め」
ラスが感嘆の声を漏らす。
確かにこれほどのパノラマヴューはそうそうお目にかかれない。東京ではもっと高い塔やビルがいくらでもあるけど、周囲に高層建築を並べた中では高さというものの考えが若干違ってくるはずだ。
対してここには他に高いものがない。遠くに見える山々くらいだ。
それ以外は何もなく、広大な大自然の中に僕だけのような感覚に陥るような気分になれるのも、大都会では体験できないことだ。
「ラス、あまり端に行くなよ。でっぱりがあるって言っても、乗り出したら危険だよ」
「うん、大丈夫だよイリスちゃん。ね、もっとイリスちゃんもこっちに来て見よっ!」
「ん……いや、僕はここからで大丈夫だよ。うん、全然よく見える」
「うーん、そっか。残念。でもアイリーンちゃん、ありがとうね。こんな素敵なところに招待してくれて」
「ふふん。もっと褒めたたえなさい。そして喧伝しなさい。我が帝国軍が、愚かな逆賊どもを討伐するところを!」
アイリーンが鼻高々に、ラスの賛辞を受け取る。さらにその後ろに控えた3人組が、
「さすがアイシャ様。下々の者にも公平なチャンスを与えるなど……。ああ、やはりあたしにはアイシャ様しかおりません。あなたを思うと、あたしは、あたしはぁ……」
「はんっ。オレのオヤジが先鋒だろうがよ。強ぇーぞー、うちのオヤジは!」
「…………弱者」
なんかあっちの3人組もいい感じでどこか変だよな。けどよし、良い感じに話が逸れたぞ。
ふぅ、危ないところだった。これくらいの高さが怖いなんて言ったら、なんて言われるか。別に高所恐怖症ってわけじゃない。学校の屋上くらいなら全然平気だ。
けどこの高さはヤバいだろ。いくら軍神と言っても体のスペックは人間だ。ここから落ちたら、一発で終わりだ。
それなのに皆はわいわいと端まで行って。正気か?
「あら、イリス。そんなところにいないで、もっと近くで観戦したらどう?」
不意にカタリアに話しかけられた。ヤバい。まさか気づかれたか?
「い、いや。ここからでも十分良く見えるから大丈夫だ
「そう遠慮する必要はないわ。あなたはこれでも軍略だけは優秀ですからね。帝国の戦い方を知る良いチャンスでしょうに。それなのにもっと近くにいかないなんて――もしかして高いところが怖い?」
まずい。気づかれたか!?
「ま、まさか。そんなわけないだろ。こんくらいの高さ。へでもないさ」
「そう。ならもっと端に寄ってもいいわよね?」
カタリアが口が裂けるほどの笑みを浮かべて、僕の背中を押してくる。
「あ、いや。待ったカタリア。そういうことは、ちゃんとストレッチをしないと大変だろ?」
「ここは海ではありませんわよ。おやおや、まさか本当に? 高いところが苦手ですの?」
ぐっ。マズいって。こいつに弱みを握られたら、末代まで馬鹿にされる。
「な、なら一緒に行かないか。カタリア。お前も未来の大将軍になるなら、ちゃんと見ておく必要もあるだろう?」
「それには及びませんわ。わたくしならここからでも十分に見えますもの」
ん? なんだ、その反論。てかそれってさっきの僕と同じだけど。もしかして……。
「まぁまぁ、ちょっとこっちに寄るだけだろ? 帝国軍に関心がある者同士、ちゃんと見ないと怒られるぞ」
「や、やめてくださる? 勝手にわたくしのスタイルに手を出さないでほしいですわ」
「お前、さっきまで自分のやってたこと、思い返してみろよ」
「とにかく! わたくしはここからでも十分。あなたは断崖のふちで呑気に観戦すればいいですわ」
「ほぉ、カタリアは怖いんだ? 高いところが?」
「! 何を言いがかりを。ええ、全然怖くありませんわ?」
「じゃあこっち来いよ。来ないのか? じゃあ僕が連れてってやる」
「やめてくださる? 裾を引っ張らないで、この野蛮人!」
「お前だってさっきはぐいぐい押してきただろ! てか怖くないなら引っ張られても問題ないだろ」
「あなたごときに引っ張られることが問題なのです! この服、特注で高いんですのよ!?」
どんどんと言い合いがヒートアップ。しかもこうなったらもう退けない。怖かろうがなんだろうが、とにかくカタリアにぎゃふんと言わせたい。だから強硬手段に出る。
「いいから来いって。一緒に見てやろうじゃないか!」
「放しなさい! あなたいい加減にしてくださる!」
「お前がやり始めたことだろ! ほら、もっとこっちだよ!」
「引っ張らないでと言ってるでしょ!」
引っ張り、もつれて、絡み合う。
本来ならそこまでするつもりはなかった。どこかで折れて、お互い様になればよかった。
けどその時の僕はヒートアップしてたし、カタリアも同様で、そして――
「危ない!!」
ラスの声。そして何かにぶつかった。けど僕とカタリア。2人分の体重を支える――というより、腰くらいの高さの城壁のでっぱりにつっかかり、だけど体勢はその向こう側に乗り出そうとしているわけで。
あとはもう自然の法則。重力という抗えない存在に引っ張られ、僕とカタリアは城壁を飛び越え――
「お、落ち――」
「きゃああああああ!!」
あ、終わった。死んだ。走馬灯、なんて気の利いたものはすぐに出てこない。けど間違いなくあと数秒の落下の後に死ぬ。頭から落ちる。やっぱり痛いよな。一瞬とはいえ、その一瞬にこれまで経験したことのないような激痛が走るはず。嫌だ。痛いのは。いや、死ぬのは。誰か――
「ぐっ……」
何かが引っかかった。というより足首を掴まれ落下が止まった。見下ろす――頭が下の僕たちから見てで、実際は見上げているのだが――城壁から上体を乗り出す形でカーター先生が僕の、琴さんがカタリアの足を掴んでいた。
「先生! 琴さん!」
「ぐっ……もうちょっと……」
「暗黒の神たちよ……我が呼びかけに応じ、力を貸せ」
それから大騒ぎになって、アイリーンとその取り巻きを含めて僕らの救出作業が行われた。
そして数分後、
「この馬鹿者(×2)!! こんなところで変な意地の張り合いをしてるんじゃない!」
カンカンに怒ったカーター先生に対し、僕とカタリアは正座で反省。
「……すみませんでした」
「ふん、まったく、あなたのせいですわ!」
「お前が言い始めたんだろ! しかもお前も怖がってたじゃないか!」
「あら、わたくしがいつ、どこで、何時何分にそんなこと言いました? わたくしが発言していないのに、それを公然の事実のように言わないでくださる? それはもう名誉棄損よ?」
「何が名誉棄損だ。そもそもお前が――」
「いい加減にしろ!!」
再び先生の雷が落ちる。
ああ、もう。何をやってるんだ、僕は。こんな子供みたいなこと……いや、口論にせよこういった喧嘩みたいなのはやったことがなかった。ある意味、青春の形というのか。うん、なんか言ってて気持ち悪いな、自分。
「ふん、何やら騒がしいな」
と、僕らのごたごたを断ち切るようにして声が響く。
「これは、皇帝陛下」
アイリーンが叫びながら膝をつく。他の全員もそれにならう。僕らは最初から正座なので問題なしだ。
「ふふ。とくと見るといい。我が絶対無敵の帝国軍が、謀反の蛮族を皆殺しにすることをな!」
高笑いしながら、皇帝専用らしい一段高くなったでっぱりに腰かける。アイリーンらはその皇帝に近侍するように寄っていく。
「おい、ラス。お前もこっちに来て観戦するのだ!」
「あ、はい!」
ラスもか。まぁいいや。
「ふぅ、まさか皇帝陛下に再びお目にかかれるとは……」
カーター先生が冷や汗をかきながら立ち上がる。
よし、ちょうどいいタイミングで来てくれた。これでお説教は中断だ。
「だがお説教をしないわけではないぞ?」
うわー、まだ続くのかよ。そういうの、モテないぞ先生。
「おい、お前ら。始まるぞ」
まだまだ続くだろうカーター先生の説教を、土方さんが救いの手を差し伸べてくれた。
「しかし、彼女たちにはしっかり怒らないと」
「はん、あんな馬鹿なことをするのは若い証拠だろ。俺も昔は道場破りとか馬鹿やったからな。それくらいの方が、若いのにはいいんだよ」
若いのって……確か土方歳三って30かそこらで亡くなったよな。その数年前として、元の僕とそう年齢変わらないじゃないか。
「やれやれ。イリスとカタリア。今日帰ったらお説教だからな」
「はーい」
「仕方ありませんわ」
とりあえず今はそんなことをしている場合ではないのは確か。
この戦いの帰趨によっては、今日のお説教どころの騒ぎじゃなくなるのだから。そんな時に、じゃれあって遊んでいる場合じゃないのだ。じゃあやるなって話だけど、人間、退くことができないときもあるんだな。
さすがに縁に出る勇気はもう湧かず、縁から2歩、もう一歩下がった位置で下界を眺める。
帝都から数キロ離れた位置。そこに帝国軍3万が陣を組んでいる。中央に円陣で半分強。左右に残った兵を半分ずつを展開している3つに別れての陣形だ。
対するゼドラ軍は、1か所にまとまっており、陣形というかただ固まっているといった感じだ。
それ以上に、その両軍の配置を見て感じた。
「あれは……ちょっと兵力が少ない?」
確か小太郎はゼドラ軍が2万以上と言っていた。こういった場合、少なく見積もることがあるからもう少し多めに見て2万5千から3万といった数値が正しいだろう。
けどこの感じを見ると、帝国軍より一回り小さい気がする。
となると多くて2万5千、実数のところ2万ちょいと小太郎の見立ては性格だったのかもしれない。
こうなるとあの布陣も謎だ。
ゼドラがあんな風に小さく固まっているのに対し、帝国軍は3つに別れて横に広がっている。
つまり帝国軍は中央の軍がぶつかっている間に、左右の軍をゼドラ軍の左右に叩きつけるだけでいい。中央軍だけでほぼゼドラ軍と同じくらいだからだ。
それくらい僕だって分かる兵法の初歩だ。しかもゼドラ軍の総大将はあの最凶最悪の白起だ。なのに――
「あ……」
違う。そうだ。白起だ。いや、イレギュラーだ。
忘れてたわけじゃないけど、あまりに衝撃的すぎて考えが一歩遅れた。
あの2万ちょい。そこには項羽、呂布、源為朝がいる。どれも武力100オーバーのチート級な化け物。それを抱えていれば、ちょっとやそっとの兵力差なんて問題ない。正面からぶち当たるだけで勝ち目がある。だからそうした。それだけじゃないのか。
「動いた! 先は……ゼドラだ!」
カーター先生の声が戦局を解説する。
確かに帝国軍は自ら攻撃を仕掛ける理由はない。左右から包み込む鶴翼の動きをするのに自ら動く必要はないし、そもそも敵が遠征軍ということを考えると、無理に戦端を開かずとも相手は日に日に弱っていくのだから、やはり急ぐ必要はない。
だからゼドラ軍から動くのは当然。
だがそれは自信と余裕と圧倒的な武による当然の行為であって、それを裏付けるように、ゼドラ軍の先陣らしき3千ほどが錐のように尖って前に出る。
「ダメだ、逃げろ!!」
城壁の縁に駆け寄って、必死に叫ぶ。
聞こえるわけがない。それでも叫ばずにはいられない。あれを真正面から受けるな。そう伝えたい。
けどもちろんそれで状況が変わるはずもなく、両軍の距離が一気に縮まる。
そして――先鋒がぶつかった。
ただ破壊が起こった。