第77話 帝都郊外撤退戦
地面に落ちた棒きれを、手ごろなサイズに叩き折る。赤煌があれば良かったけど、生憎この旅には連れてきていないから、代用品でなんとかするしかない。
さらに狩りで乗り捨てられた馬に飛び乗る。
「おいおいおいおい。イリス。お前、俺がさっき言ったの忘れたか? 俺の指揮に従わねぇなら、切腹だと」
「従ってますよ。僕は後方待機。つまり、ここぞという時に投入するって」
「ちっ。無茶するなよ」
なんだかんだで心配してくれるみたいだ。あの時、土方さんは僕のことを沖田総司だと言っていた。あるいは面倒見のいい人なのかもしれない。
けど30対500。
普通にすれば全滅は必至。全滅しないにしても、何人が生きて帰れるか。
普通ならそうだろう。
けど普通じゃない。土方歳三は普通じゃない。
彼がどの時代の土方歳三かは、なんとなく推察はついている。おそらく戊辰戦争前の、まだギリギリ、新選組としての体裁が整っていた時代。
そこでの彼は軍指揮官としての才能は開花していない。けど、戊辰戦争が始まるとわずか数か月で軍事的に天才と呼ばれるまでの指揮官に成長している。つまり今でもその素養はあるのだ。
その中で、この時代に影響を受け、どういった人物になっているのかは分からないが、それでも部下たちが逃げださずに共に殿の任を果たそうとしているのだから、信じさせる何かはあるのだろう。
敵の騎馬隊はすでに僕らを捕捉している。数百メートルもない距離。あと数分でこちらに到達するはずだ。
「琴、お前が戦陣を切れ」
「分かった。魔界より授かったボクの力を示せということだな」
「魔界がなんかは知らんが、とにかくあれの足止めをしてくれ。お前ならできる。そうだな?」
なるほど。土方さんの戦法が良く分かった。さすがは不敗の指揮官。やることがそつない。
敵の騎馬隊が迫る。こちらは小さく固まって、剣を出している状態。恐怖に怯えて縮こまっているように見えるのだろう。真正面から来る。
その距離が、100メートルを切り、その顔が判別できる距離になって――
「今だ、琴!」
「舞え、月華乱舞疾風陣!」
琴さんのスキル、突風が敵の騎馬隊を襲った。突風は相手の馬を怯えさせ、その速度を殺す。
そこへ――
「鉄砲、放て!」
10丁ほどだが持ってきていた鉄砲が火を噴く。騎馬隊相手に鉄砲は無謀だが、相手が止まっていればいい的だ。6人ほどが銃弾を受けて落馬する。
もちろんそれだけに終わらない。
「抜刀、突撃っ!!」
土方さんが号令をかけ、真っ先に先頭で敵に切り込んでいく。それに部下たち50人が続く。
騎馬隊が怖いのは、その機動力を最大限に生かす時と、歩兵と連携された時だ。足を止めた騎馬隊だけなど怖くはない。むしろ刈り取りの的だ。
「はぁぁぁぁぁ!」
土方さんが、先頭で敵の騎馬隊に襲い掛かった。あの羽織の格好でよくもまぁスピードが出る。地面を蹴っての抜き打ちの一刀で敵の鎧を真っ二つに両断する。あの厚い鉄板を。化け物か。
さらに土方さんは次々と止まった騎馬兵を相手取り、そこに部下と琴さんが続き乱戦になった。
その間、僕は黙って見ていたわけじゃない。
唯一の騎馬隊(兵数1)として、敵の横に回り込んだのだ。
敵の騎馬隊は突風によってその機動力を封じられた。といってもわずか数秒。混戦となった今は、琴さんの突風も用をなさない。そうなれば、土方さんと切り結ぶ最前列はまだしも、馬の制御を取り戻した残りの300ほどは自由を得ることになる。
それがたとえば、土方さんたちを200で釘付けにし、残った300で皇帝たちを襲われたらひとたまりもない。だからこそ、僕がいる。
僕は正面から突っ込んだ土方さんから回り込むようにして、敵の左に出る。そこから一番もろいところを狙って一気に突っ込んだ。一番近くにいた敵を、棒で叩き落す。次いでこちらに振り向いた敵も同様。
けどここは敵を多く倒す場面ではない。とにかく前へ。止まったら死ぬ。それを足で馬体を締めて馬にも伝える。
突っ切った。
敵は斜めに横断されて一瞬、混乱状態になる。だからもう一度、突き抜けたところとは別の方向から突入して突っ切った。
くそ。あと騎馬が10、いや5もいれば敵を潰走させられたのに。
けどないものねだりをしても仕方ない。
それでも敵の動きを止めることができたのは僥倖だ。僕の馬は狩りのために用意されたそれなりの馬だが軍用ではない。これ以上の無理はできないし、敵に追いかけられたら逃げきれない可能性はある。
だからタイミングを見て敵を断ち割るくらいのことしかできない。それがもどかしい。
「新選組! ここが接所だ! 何が何でも退くな! 退いたら俺が叩っ斬る!!」
おお、怖。これが鬼の副長か。
けどその檄(というか脅迫)が効いたのか、土方さんたち歩兵の圧が一気に増した。というか土方さんが獅子奮迅の動きをしている。琴さんも薙刀で敵を吹き飛ばしているが、それがかすむほどに土方さんの動きがスゴイ。
あの時の一騎討ちはまだ本気を出していなかったのだろうと思うほどに、鬼気迫る表情で敵を屠っていく。
そんな鬼に追われればたまったものじゃない。敵は押され、そしてどうしようもなくなった時に反対の方向へと駆けだす。逃げる、いや、一度距離を取るつもりか。
「鉄砲隊、前! 撃て!」
そこにとどめと言わんばかりに、鉄砲隊による斉射。それで勝負は決した。敵は100ばかり減った状態で堪えきれずに逃げ出した。一度態勢を立て直すためじゃなく、本気でこの場から逃げるために離れていくのだ。
「勝った……?」
「勝った、勝ったぞぉ!!」
兵の1人が叫ぶと、それに呼応して全員が歓喜の叫びをあげる。
その様子をやれやれといった表情で見守る土方さんに近づくと、
「おう、良いところでやってくれたな」
「それはどうも。犠牲は?」
「12名、負傷したのがいる。だが死者はなしだ。とりあえずはなんとかなったな」
「土方殿。謙遜は君の魂には相応しくないだろう。素戔嗚のごとき、荒ぶる君にはな」
「うるせぇぞ、琴。ったく、どいつもこいつも。おい、てめぇら。いつまで騒いでる。敵が去ったとはいえ、あれは先遣隊だ。すぐに本隊が来るぞ。とっとと帝都に戻るんだよ!」
怒鳴られながらも、少しだけ嬉しそうな顔で部下たちは撤収の準備に入る。
これまで都内見回りだけでしかなかった彼らが、実践を経て雰囲気が変わったように見えた。それを成長と呼んでいいのか微妙なところだけど、その顔に笑顔があるのだけ良かった。
そう思った。
そう思った。途端だ。
ゾクッと、した。
僕の中にある軍神に何かが警戒を走らせる。
何が。
分からない。
方向は分かる。
右。
敵が去っていく方向とは少し違う方向。
「おい、なんだ、こりゃ」
土方さんも何かを感じ取ったのか、笑みの中に緊張と不安がうごめいている。
「すぐに撤収を! なにか、来る!!」
だが時すでに遅く。
最強にして最悪が降臨した。